377 疑いの目
帰りの馬車にみんなで乗り込んで、ブライス邸から暫く進んだあと……。
私は、今日の夜会にお父様が私と一緒に出てくれたことに対して『ありがとうございました』と改めて感謝の気持ちを伝えることにした。
巻き戻し前の軸の時も含めて、お父様が同伴してくれるだなんて、本当に初めてのことだったけど。
お父様が私と一緒にパーティーに出てくれる、というだけで……。
その意味合いは凄く大きくて、社交界でも絶大な影響力を持つのだと改めて実感することが出来た。
というのも、基本的に今までの私って、皇女という立場でありながらお兄様達やテレーゼ様と比べると、どうしても周囲からは『軽視』されてしまいがちだったから。
お父様が今日、私の付き添いで来てくれたということで、周囲にいる人達の目がガラッと変わったのは肌で感じ取っていた。
それこそ、表立って私を侮蔑するような人が、誰もいないくらいには……。
今までは、デビュタントの会場なども含めて、私が赤を持っていることで、良く思わず、嫌な視線を飛ばしてきたり、顔を顰めてくるような人達はどの場所にも一定数、存在していたけど。
そういった視線が一切無くなったというだけでも、一歩前進しただろうか。
【これで、私も少しは、お兄様達やテレーゼ様みたいな皇族の一員として、周囲からも認めて貰える存在になれた、かな……?】
嬉しいというより、どちらかというと、これで私もようやく『皇族の一員』としてのスタートラインに立てたのかもしれないと、ホッと安堵する気持ちの方が大きかった。
ただ、お父様もいる手前、表立って、私のことをあからさまに侮蔑してくる人が単純にいなくなったというだけで。
頭の中で、彼等が何を考えているのかは『逆に読みにくくなってしまったかもしれないな……』という懸念はある。
公の場で、私に対して上手いことを言って近づいてくる人が、絶対的な味方であるとは限らない。
今までは、皇宮の中でも私の立場がきちんと確立されていなくて、我が儘な皇女として通っていたし。
そうじゃなくても、お兄様達のように目に見えて分かるような『功績』なんていうものを挙げたりもしていなかったから、どうしても、きちんとした立場と言うには、どこまでもあやふやな位置にいて、他の皇族に比べて軽んじても良いのだと思われちゃっていた節がある。
今回のパーティーの中で、お父様から『お前の価値が上がった』という説明があったのは、そういう意味合いも含まれているのだろうけど……。
「お父様……、それで、その……。
今日、宮廷伯の人達とお話してみて、どうでした、か……?」
ゆるりと、対面に座っているお父様の方を見つめながら……。
私は、今日の目的について『彼等の様子を見たい』と言ってくれていたお父様も含めて、セオドアもどう思ってくれているのかと、落ち着かない雰囲気で声をかけた。
さっきの夜会から、ずっと気になっていたことだったし。
馬車の中という閉鎖されたこの空間は、他に誰にも聞かれる心配がないという点から考えても、こういう話をするにはもってこいの場所だろう。
「私は、正直、宮廷伯の方達は、どなたもあまりアーサーのことを知っているようには思えなかったのですが……」
続けて、今日、私自身が彼等と接してみて感じたことを、ありのまま正直にお父様に伝えて、その様子を窺うと。
お父様は少しだけ難しい表情を浮かべながらも、何かを考え込むように一瞬だけ、黙り込み……。
一拍、間を置いたあとで。
「あぁ、そうだな。……私もそう思う」
と、簡潔な言葉を私に返してくれた。
私の横に座ってくれているセオドアも、その言葉には異論が無いような雰囲気で頷いてくれているところを見るに……。
みんな同じ意見を持っていて、私自身、彼等の顔色をきちんと判断出来ていなかった訳ではなかったのだと、ホッとする。
「アーサーのことは、私たち以外では、犯人しか知り得ぬ名前だし。
もしも一連の事件について、裏で操っている人間があの中に居るのだとしたら、急にその名前を聞かれたことで……。
僅かでも、何かしらの反応は見られるんじゃないかと期待していたのだがな……」
そうして、どこまでも厳しい雰囲気を醸し出し、ため息混じりに『……結局、空振りだったな』と声を出すお父様の眉間の皺が更に深くなるのを感じながら……。
「では、やっぱり、宮廷伯の人達はこの件には関わっていないのでしょうか……?
その場合、他に関わっている可能性があるとしたら子爵や、宮廷で働く別の人達……。
例えば、お医者さんとか、執事とか、侍女、……だったり?」
と、あまり、私自身も言葉にしていて腑に落ちないというか……。
パッとしない意見だなぁと分かっていながらも、自分の意見を伝えれば。
お父様は深く考えるように顎先に自分の手を持っていき、少しだけ思案した様子を見せながら……。
「いや、その線は限りなく薄いだろうな。
今回の一連の事件で使われている金銭については、アーサーの母親に対する医療費や、裏の人間を雇い入れている事も考えれば、かなり高額な物になるはずだ。
一定数、名声を得ることの出来ている医者ならばあり得るかもしれないが。
子爵クラスの存在や、執事、侍女などの人間には、恐らくそこまでの金額は払えないだろう」
と、私の顔を正面から真っ直ぐに見つめてくれながらも、そう伝えてくれた。
【……やっぱり、お父様も同じ気持ちだったんだ】
そのことに、さっきの夜会で考えていたことは間違っていなかったと、少しだけ安堵しながらも……。
だとしたら、やっぱり、そういう立ち回りが出来る人に関しては、かなりぎゅっと候補が絞られてくるというか、限られてくるなぁ、と内心で思ってしまう。
それから……。
「医者だと、動機の面で考えると、どうしても弱くなるが……。
そちらに関しては、実際に、マルティスという医者が一連の犯行に組み込まれていたことを考えればあり得ない話ではないだろう。
囚人が入っている地下牢にも、医者という立場ならそこまで怪しまれることもなく出入り出来るしな。
……問題は、宮廷で働いている医者の数が多いことだが。
それでも、金払いの良さそうな高い名声を得ている人間はそうはいないから、20人程度に絞られるか」
ガタゴト、と……。
揺れる馬車の中で、暫く沈黙があったあと。
お父様が膝に手を置いてから、さっきとはまるで打って変わって真剣な声色を出すのが聞こえてきた。
さっきからずっと、この件で話をしてくれている時のお父様が、真剣な雰囲気じゃなかったと言ったら、それは嘘になるんだけど。
それにしても、その表情はいつにも増して硬く、冷たい、というかどこか無機質なようにも思えて……。
途端にピリピリと緊張感が漂ってくる車内で、医者という単語で、誰か犯人に思い当たる人がいるのかと、内心でドキドキしながら……。
黙ったまま、私も真剣な表情をお父様に向けて、聞く体勢をしっかりと整えながら、続きの言葉を待っていると……。
「宮廷伯でも……、医者でも無いのだとしたら……。
他に、皇宮内で地位も立場もあって、金銭的な面でも何一つ苦労していないという条件全てに該当し。
そういうことが出来そうな人間に、一人だけ心当たりがある。
皇宮のことも、深く知り得ていて……。
その立場で、皇宮内の見取り図全てを簡単に見ることも出来る人物だ」
と……。
どこまでも深いため息と共に、あまりにも硬く、苦い表情を浮かべたお父様の口から。
『……その可能性は、出来れば違うと、除外しておきたかったのだがな』という言葉が返ってきて、私は思わず目を瞬かせた。
宮廷伯でも、お医者さんでもないのに、皇宮内で地位も立場もあって……。
金銭的な面でも何一つ苦労していなくて、皇宮内の見取り図全てを簡単に見ることができる人物……?
――そんな人が、本当にいるんだろうかと、一人戸惑っていると。
私の隣でセオドアが……。
『……あぁ、……何だ、陛下もその可能性については気付いてたのか』と、小さく声を出してくるのが聞こえてきて、私は更に困惑してしまった。
「……まだあくまでも、突き詰めて、一連の事件を起こせる程の影響力を持っている人間を探した時に、その候補に入るという段階でしかないがな。
清廉潔白と言っても差し支えがない程に、常に世間からも高い名声を得ているし。
実際、長年共に過ごしているが、私の前で一度も、そういった素振りを見せたことはなく。
徹底した仕事ぶり一つとっても、調べた所で何も出てこない程に、いつだって綺麗な身であるからこそ。
立場上、疑いたくはなかったが……、可能性がある以上は、誰であろうとも等しく全員、容疑者だ」
そこまで大きい声ではなかったのに……。
ぽつりと吐き出されたお父様の言葉に、あまりにも重たい空気がこの場に充満していく。
敢えて、限られた人数しかいないこの馬車の中であろうとも、お父様が言葉を濁して、その名前さえ口にしない人物に……。
それが誰なのかと、お父様の台詞の中に散りばめられた幾つもの判断材料、言葉の欠片をつなぎ合わせれば、見えてくるものがある。
……お父様が今、一体、誰を容疑者扱いしているのか。
理解した瞬間……、私は、思わずびっくりして目を見開いてしまった。
「そんなっ、……! まさか……っ、」
――テレーゼ様を疑っている、と……。
今、お父様の口から、はっきりと分かるように、そう言われたんだろうか……?
その可能性は、私自身、今まで全く考えていなかったために、思わず上擦ってしまった声に、私の動揺が思いっきり滲み出てしまっていた。
お父様の言うとおり、世間から見た時のテレーゼ様はあまりにも清廉潔白で……。
基本的に誰か一人という個人ではなく、公正な目で見た上で、広く一般的に、誰からの評判も高い方だと言って差し支えないくらいには……。
裏で何かを画策しているようなイメージは、あまりにも無いと言ってもいい。
きっと、私だけじゃなくて、誰に聞いても、100人中99人はそう答えるだろう。
残りの1%は政治的な面で、テレーゼ様のことを蹴落としたいと思っている勢力になると思うけど、言い換えれば、それくらい『この国に住む人達の信頼』というものを、勝ち得ている人だし……。
テレーゼ様が皇后の公務を熟していても、その手腕に関しては、手放しで周囲から完璧だと褒めそやされるくらいに、きっちりとしていたと思う。
皇后としての公務は、政治的に公の場にお父様と一緒に出るということのみならず。
政の一切を請け負う『皇帝』という立場のお父様のそれとはまた違って、どちらかというのなら、私たち皇族の公私があるなら『私』の部分……。
生活面の方での介入を請け負っている、と言ったら少しは分かりやすいだろうか。
例えば『皇族である私たちの私的に使えるお金の管理』や、皇宮内での備品、各部屋のレイアウトにどんな調度品を置くのかなども含めて、皇后のお仕事だったりする。
【あ……、でも、お母様が生きていた頃は、皇宮に関しては分からないけど……。
少なくとも皇后宮では、お母様の采配で、調度品や、部屋のレイアウトを決めていたから。
そういう意味では、少しややこしい感じになってしまっていたかも】
今まではお母様の立場もあって、テレーゼ様自身が第二妃だったこともあり……。
公の場では、お父様と一緒に出てくるのは確かにテレーゼ様ではあったものの。
皇宮内では、お母様を差し置いてまで表立ってテレーゼ様が全面的に出張ってくるようなことはなく。
どちらかというのなら、いつもその口で、お母様のことを立てながら、あくまでも第二妃という立場を崩すことなく、出来る範囲のことをして過ごしていたイメージが強い。
また、それ以外でも、テレーゼ様はその博識さを生かして、政務に関してもお父様ではなく、各部署などに対して思いついたことを控えめに、何度か助言したりもしていると聞いたことがある。
その立ち回りは、いつだってみんなから賞賛される程だったから……。
私自身、思い返してみるけど、巻き戻し前の軸の時も含めてテレーゼ様に手荒く当たられてしまったり、何かをされてしまったという記憶は、一度もない。
お母様のことを思って、テレーゼ様と話したくないと距離を置いていたのは私の方だし。
半ば育児を放置されて、侍女達やマナー講師などに躾と称して、暴言や暴力を振るわれたりすることはあっても、テレーゼ様は、私と関わるときはいつも、それなりに、継母としての対応をしてくれていたと思う。
ましてや普段のお父様は、常にテレーゼ様とは普通に接していたし、容疑者の一人として疑っているだなんてそんな素振り、今までには一度も……。
そこまで考えて、ハッと顔を上げた私は、そういえば今日の宮廷伯の人達との会話でも、お父様はスミスさんに『マナー』のことで怒るようなことはあっても、それ以外の時は、至って普通にしていたと思い直した。
まだ、誰しもが容疑者の段階だからだろうけど。
お父様が、そんなことで、私でも気づけるような感情の機微を表に出して、相手の人に感づかれるような、ミスを犯すとは到底思えない。
……もし、仮にテレーゼ様が一連の事件の犯人なのだとしたら、やっぱり自分の子供じゃない私を嫌ってのことなのだろうか?
テレーゼ様が犯人ということは本当にあり得るのかな、という視線を向ける私に、お父様の真剣で真っ直ぐな瞳が『あり得ない話ではない』と物語っていて……。
私は思わず、ぐっと息を詰めてしまった。
【というか、それより、セオドアも今、テレーゼ様のことは疑っていたような雰囲気だったよね……?】
もしかしてずっと、その可能性は視野に入れていたのかな、と……。
セオドアの方をそっと窺うように見つめると、私の視線を受けて、ほんの少しだけ目を伏せたセオドアの口から。
「……仮にも義理の母だし、姫さんには、伝えない方が良いと思って……」
――黙っていた
という言葉が返ってくる。
思わずその場で目を見開いた私に、申し訳なさそうな表情を浮かべるセオドアを見て。
テレーゼ様のことを犯人の一人として、疑っているという今の段階でも……。
もしも、そのことを知ったら『私自身が辛い思いをするかもしれない』と思って、黙っててくれたのだということは直ぐに分かった。
二人の話を聞いて、私と同様にお父様の隣に座っていたジャンの瞳も大きく開かれる。
……事件の内容について、あまり詳しく知らないにもかかわらず。
ここで、かなり重要な情報を聞いてしまったジャンのことを思えば、正直言って、もの凄く可哀想だなぁと思ってしまうんだけど。
基本的に、この場にジャンという存在がいたとしても、お父様がテレーゼ様のことを、ここで私たち全員に分かるように口に出したということは……。
それだけ、お父様からジャンが信用されているということの何よりの証だった。
「あくまでも、今の段階では、容疑者の一人でしかない。
だが、もしも犯人がそうだった場合……。
ウィリアムやギゼル、それから血は繋がっていないが、アリス、お前のことを思うと……。
この事をここで伝えるべきかどうかも、私自身、これでもかなり、悩んだのだがな。
宮廷伯の誰かが犯人であれば、政治的にも勿論、決して少なくない打撃が出てしまい良くはないが。
お前達の心情を思えば、今日の夜会での遣り取りに賭けて、そっちの可能性が高くあってくれれば、と内心で思っていたのは事実だ」
どこまでも慎重に言葉を選びながら、お父様の口から『多分本当にそう思ってくれているんだろうなぁ……』と思えるような台詞が降ってくる。
確かに、テレーゼ様がもしも、皇族の検閲係をしていた3人の『宝石泥棒』から端を発した、一連の事件の犯人だったのだとしたら……。
私自身、疑っている容疑者の一人なのだと言われている今の段階ですら、動揺が広がって……。
何て言ったらいいのかも分からないくらい、衝撃を抱えているから。
【もし、これがお兄様二人の耳にでも入ってしまえば……】
と、思わず、心の底からお兄様達のことを心配してしまった。
二人とも、実の母親であるテレーゼ様がお父様や私からそんな風な目で見られていると知ったら、嫌な気持ちになってしまうと思う。
そうして『テレーゼ様が犯人じゃなければ、良いのにな』という思いと共に……。
お兄様達は……、ウィリアムお兄様もそうだけど……。
しっかりしているウィリアムお兄様以上に、ギゼルお兄様は、もしもテレーゼ様がそうだった場合、どう思うんだろう……?
と……。
あまりにも、色々な感情が綯い交ぜになって、心中、複雑な気持ちになりながらも。
仮にそうだとしたら、テレーゼ様は一体どうなってしまうのか、とか……。
私の中に、そういう気持ちも出てきてしまうのは、事実で……。
「あの……、お父様。
もし、あの方が、一連の事件の犯人だったとしたら、その処遇は一体、どうなってしまうんでしょうか?」
と、問いかけた私に、お父様は凄く難しそうな表情を浮かべたまま……。
しばらくの間、黙り込んでしまった。