369 お父様からの告白
私の問いかけに、思いっきり咽せたあと、そっと目を逸らしたジャンを見ていると……、やっぱりジャンも気付いていたというか。
ギゼルお兄様とテレーゼ様の関係については、皇宮で働く従者達の間でも噂になっているのかもしれない。
こんなこと、ギゼルお兄様やテレーゼ様は勿論のこと、ウィリアムお兄様にも直接聞くわけにはいかないから、一番事情を聞きやすそうなお父様に声をかけてみたんだけど。
一瞬にしてシーンと静まり返ってしまって、再び、重苦しい雰囲気になった車内で。
お父様は私の言葉を聞いて、どこか苦い表情を浮かべながらも、暫くしてから……。
「すまない、アリス。
あの二人のことだけではなく、その……、私自身、仕事で忙しくて……。
お前のことも含む家族のことについては、碌にきちんと見られていなくてな。
元々、テレーゼは伯爵家という自分の生まれを過剰に気にしていて、子供達に対する教育に関して、特に熱心に取り組んでいたのは私も把握していたから……。
ここ最近になるまで、テレーゼのウィリアムに対する態度と、ギゼルに対する態度についての違いには、気付いていなかったんだ……」
と、申し訳なさそうに、説明してくれた。
その言葉に、私は思わず驚いて、目をぱちぱちと瞬かせる。
「テレーゼ様が自分の生まれを過剰に気にして、お兄様達に対する教育に熱心に取り組んでいたんですか……?」
そうして、此処にきて突然もたらされた新たな情報に、一人びっくりしていると……。
「あぁ、アレはフロレンス伯爵家という、あまりにも良い噂のなかった家の子供として生まれ育っているからな。
反面教師で、皇族として生まれた自分の子供には、どこに出しても恥ずかしくないくらいの教育を施したいと……。
シュタインベルク国内でも高名な学者などを、わざわざウィリアムやギゼルのために呼び寄せたりするようなこともあったくらいだ。
勿論、お前達に家庭教師を付けることなどは私が手配していたが、普段から仕事で忙しくて、食事の時くらいにしか時間を取ってやることが出来なかったから……。
殆ど関与することもなく、ウィリアムも、ギゼルも、実質、皇宮で働く侍女達と、テレーゼが育てたようなものだ。
……そういう意味では、誰に対しても、私は父親としては失格だっただろうな」
という、どこか後悔の滲んだ説明が、続けてお父様から降ってくる。
確かに、私自身も、テレーゼ様のご実家である『フロレンス伯爵家』については、ブランシュ村に行く前の馬車の中で……。
ウィリアムお兄様から、あまり良い噂がなかったというのは聞いていたから、一応、知ってはいるんだけど。
テレーゼ様がそのことを反面教師にして、ウィリアムお兄様とギゼルお兄様の教育に熱心に取り組んでいたということは知らなかった。
それで、お父様は今まで、ギゼルお兄様に対してぴしゃりと厳しい感じで窘めるテレーゼ様を見ても『皇族の教育の一環によるもの』だと認識していたんだろうか……?
確かに、そう言われてみると、ウィリアムお兄様は基本的に、何でもスムーズに物事をこなせる人だから、『努力型』のギゼルお兄様と比べて、そもそも教育の面で厳しく言われる回数が少ないというのは一応、理解することが出来る。
ジャンみたいに、周りの人は気付いていても、お父様に、直接は言いにくいだろうし……。
「あの……、でも、お父様って普段から、テレーゼ様やお兄様達と旅行に行ったりとか、していたんですよね……?」
今まで、お父様とあまり関わる時間が少なかったと言われれば、私自身もそうなんだけど……。
それでも前にギゼルお兄様が、お父様と一緒に古の森の砦に旅行に行ったりだとか、そういうことをしていたと私に自慢をしてきたことがあるくらいだから。
てっきり、普段から、ウィリアムお兄様やギゼルお兄様も含めて、もっと『親子としての団らん』みたいなものは取っているのだと思いこんでいたんだけど、違ったんだろうか?
私の問いかけにお父様は、どこか、ばつの悪そうな表情を浮かべたあと……。
「……あぁ、基本的には、テレーゼが全て発起人となって行われたものだ。
ウィリアムとギゼルの、誕生日プレゼントに関してもそうだったし。
私自身が、休暇があるより働いている方が良いタイプなのは分かっているが、一応、子供達には、色々なことを経験させたいという理由でな。
……たまに、テレーゼの提案で、そういう会を開いていたのは間違いない。
私自身も、曲がりなりにもギゼルやウィリアムの父親として、普段話すだけではなく、少しでも交流を持たねばならないとは常日頃から感じていたしな……」
という言葉を返してくれた。
その言葉の中に反省の色が滲んでいるのは、きっと、私の気のせいなんかじゃないだろう。
そう言われてみれば確かに、前にお父様と初めて、二人きりで一緒に食事をした際……。
誕生日のプレゼントの話になったことがあったけど、基本的には、テレーゼ様が『そういうことに関して、気を配ってた』って言ってような気がする。
だとしたら、テレーゼ様は、ギゼルお兄様に対して厳しくしている部分はあるけれど、完全にギゼルお兄様のことを放置してたりする訳ではないってことだよね……?
……そこまで、考えて、思わずホッとする。
なんて言うか『もしかしたらギゼルお兄様も私と同じなんじゃないか……』って、必要以上に心配してしまった部分があったから。
一番認めて欲しい人に、自分の存在を認めて貰えない辛さみたいなものは、きっと私自身が一番分かってる。
だからこそ、“そうじゃないなら、良かった”という安堵の気持ちの方が強く出てしまった。
ギゼルお兄様の場合は、もしかしたらその……、『一番認めて欲しい存在』というのはテレーゼ様じゃなくて、ウィリアムお兄様とか、他の人の場合もあるとは思うけど……。
でも、ジャンの目から見ても、お父様の目から見ても、テレーゼ様がギゼルお兄様に対して、どこか冷たく接しているように見えているのは事実なんだろうし。
そういう意味ではやっぱり、私の勘違いではなかったというか……。
ウィリアムお兄様とギゼルお兄様で、テレーゼ様の対応の違いというのは傍から見ても、誰もが感じられる部分なのだと思う。
問題は、そこに対してギゼルお兄様が、あまりにも当たり前のことだと捉えていて、何とも思ってなさそうな点、なんだけど……。
「ギゼルお兄様は、あまり、それに対して怒ったり、悲しんだりするようなこともなく……。
テレーゼ様とは、親子として、通常通りに接していますよね……?」
私が、疑問に思ったことをそのまま、口に出して問いかければ。
お父様は真顔でこくりと頷きながら……。
「あぁ、ギゼルからは、その件で、助けて欲しいなどと乞われたことは一度もない。
テレーゼは、皇太子という立場で“私の後を継ぐ予定になっている”ウィリアムのことを、将来的に支える役割があるからと……。
てっきり、次男であるギゼルに発破をかけているのだとばかり思っていたが。
その……、遅いかもしれないが、最近になって私も、ようやくお前達一人一人に目を向けることが出来るようになってきて……。
段々と、テレーゼの言い方が、ギゼルに対して厳しいんじゃないかと考えを改めてな。
……これでも、今まで気づけなかったことに反省しているんだ」
と、言葉を返してくれた。
そのあと……。
「この間も、建国祭初日に行われた開会式の出番前にお前達が親睦を深めていただろう?
ギゼルが騒がしくして、テレーゼから注意されていたみたいだが、私自身はお前達兄弟が仲を深めるのは、何も悪いことだとは思っていない。
ギゼルも、皇族としての誇りが強すぎて、ウィリアムほどしっかりしているかと問われたら、変な所で正義感が強くて、意固地で難しい部分があるが、根は真っ直ぐに育ってくれているしな」
と、お父様から言われたことで、私もその言葉には素直に頷くことが出来た。
ギゼルお兄様は基本的に、私以外の人に対しては、もの凄くからっとしているような明るい性格だし……。
皇族としての誇りを持っている部分が強いのは私も感じるけど、それでもその性格は基本的に自分自身や、私みたいな同じ皇族という立場の人間に向けられることはあっても……。
アズみたいな、スラムで暮らしている弱い人たちなどには、決して向けられることは無いということも知ってるから。
そういう意味でも『皇族として、人の上に立つ人間』という立ち振る舞いを体現しようと、ギゼルお兄様が、常日頃から努力して、気をつけているのは理解出来る。
それと同時に、あの時、お父様はてっきり、半分だけしか血が繋がってなくて、家族の中で浮いている私のことを心配して『みんなで、コミュニケーションを図るのも大事』だと、助けてくれたのかと思ってたんだけど。
それだけじゃなくて、きちんとその場の状況を把握していながらも、敢えて『何の話をしていたのか?』と、とぼけて私たちに聞くことで……。
テレーゼ様から厳しく怒られているギゼルお兄様のことも助けるつもりで、声をかけてくれていたんだと、その配慮に関して、感謝の気持ちが湧いてくる。
きっと、その言葉の通りに……。
お父様なりに、遅まきながらも『家族』というか、私だけじゃなくて、ウィリアムお兄様や、ギゼルお兄様に対しても、一人一人、誠実に向き合おうとしてくれている結果なのだろう、と分かるから……。
ただ、お父様が私たちに対しては平等に、自分の子供として、色々とコミュニケーションを取ろうと努力してくれているように感じるものの。
なんて言うか、お父様の口から語られるテレーゼ様については、どことなく、家族と言いつつも、若干、距離があるような気がするのは、私の気のせいなんだろうか……?
ここにきて、今までずっと気になっていた、『テレーゼ様はどういう経緯で、お父様の第二妃になることが決まったのか』という疑問について、むくむくと知りたい気持ちが湧き上がってきてしまって。
聞いていいことなのかどうかも分からなかったけれど……。
こういう機会でもないと中々聞けないし、今日を逃したら、多分きっと一生聞けない気がすると。
「あの……、テレーゼ様のことを、お父様はどう、思っているのでしょうか?
やっぱり、お似合いの二人だと、世間で言われているように、そこに愛情のようなものが……、あるん、ですよね……?」
と、勇気を振り絞って問いかけてみたものの。
ずっとお父様のことを目線で追っていたお母様のことを思ったら、自分で言っていて凄く落ち込んできてしまって、段々と尻すぼみのように声が小さくなってしまった。
思わずその場で俯いてしまって、お父様の顔が真っ直ぐ見られないのも、その表情を見るには凄く勇気がいるからだったんだけど。
「いや……。
テレーゼとは、互いに、どちらの利益も考慮した政略結婚だが……」
と……。
ほんの少しだけ間があったあと、お父様から返ってきた言葉は、どこまでも淡々としていて、私は思わずパッと顔を上げてしまう。
その言葉を直ぐには信じられなくて、多分、凄くびっくりした表情になってしまった。
「テレーゼは、フロレンス伯爵から最低でも侯爵家以上の家柄の人間と結婚するよう強要されていてな。
あんな家でも、将来、良家に嫁ぐためにと、教育だけはきちんと受けさせられてきたそうだ。
……いっそのこと、男として、嫡男として生まれていれば、きっとフロレンス伯爵領を、その器で持って立て直していたに違いないだろう。
だが、だからこそ、私とテレーゼの間にあるのは、“愛”などではない。
テレーゼはフロレンス家から完全に逃れられる術を私に見いだし、私はテレーゼの力量に目をつけた。
世間では、確かに似合いの夫婦のように言われているが、実際に、私たちの間にあるのは、互いに国を盛り立てるために尽力する、仕事の同僚みたいなものだ」
そうして、お父様から続けてそう説明されたことで、私は目を瞬かせたあとで、言われた言葉が直ぐに飲み込めず、動揺してしまった。
【えっと、お父様とテレーゼ様の間にあるのは、愛ではなくて……、仕事の同僚……?】
――テレーゼ様がお父様と結婚したのは、フロレンス家から完全に逃れられるから……?
今まで、伯爵の娘という身分で、お母様が皇后になるよりも先に第二妃に就いたテレーゼ様のことを、お父様は愛しているんじゃないか、と思っていたし。
テレーゼ様もまた、お父様のことを生涯の伴侶として大切に思っているんじゃないかと勝手に予測していただけに……。
あまりにも衝撃で、言われたことの半分も頭に入ってこないような感じになってしまったものの。
「え……、?
で、でも、お父様は、お母様と結婚する前に、テレーゼ様を第二妃にされて……。
世間では、あんなに一般の人達からの好感度も高いし、実際にはお兄様が後を継ぐ訳で、えっと、……????」
と、辛うじて紡ぎ出した私の声は、あまりにも小さかったんだけど、お父様の耳にはきちんと届いていたみたいで……。
「あぁ、それは公爵にも許可を取って致し方なく、だな……。
実際、お前の母親は、前にも話したと思うが……。
今思えば、周りは大人だらけであまり置かれている状況も良くなかったんだろうが、元々素直だった性格がどんどん気難しくなって、それと同時に心身共に健康ではないというか、病気がちになってしまってな。
テレーゼみたいに、どこまでも強かに政界を生き抜くことが出来るような人間じゃなかったから、とてもじゃないが皇后という任は重すぎると判断して。
どうしても、お前の母親に代わって、皇后の仕事をこなせる人材が必要だったんだ。
秘密裏に適任者がいないか探している時に、フロレンス家と縁を切りたいと思っていたテレーゼの方から、自分を第二妃にしてみないかという、持ち込みで提案があった。
あまりにも大胆で不遜だが、求められている以上の働きはして、決して後悔はさせないとな。
当時、才媛だと評判だったテレーゼは、仕事のパートナーになるにはこれ以上ない程に打ってつけだったし。
テレーゼからは、“男親に良い思い出などないから、私が陛下を愛すことなどあり得ないでしょう”と鼻で笑いながら言われたし。
その提案を受けて、私から、テレーゼに公の場で打診しに行った際には、政治的にそれを担う人間が必要で、優秀だからお前を第二妃するのだと伝えて了承を得ている」
と、あまりにも思いがけない言葉が赤裸々に降ってきて、私自身、これ以上ないと言っていいくらいに驚いて、パニックになってしまった。
テレーゼ様の方から提案されたものを皇室が受けることにすると対外的に良くないから、あくまで、公の場でお父様の方から打診したという形を取ったのは、分からなくもないんだけど。
それでも先に、お父様に自分を第二妃にしないかと提案してきたのはテレーゼ様で……。
『男親に良い思い出などないから、私が陛下を愛すことなどあり得ない』とテレーゼ様がお父様にきっぱりと伝えてきたのも、びっくりしたし。
お父様自身も『政治的にそれを担う人間が必要で、優秀だからお前を第二妃にするのだ』とテレーゼ様に伝えていたということ自体も、今ここで、初めて知ったから、びっくりしてしまった……。
「お互いに、ビジネスライクで始まっているものに、当然、愛などという感情が湧いてくることもなく……。
というか、私自身、そもそも、皇帝になるために今まで生きてきたものだから。
いまいち、その……、恋愛としての、愛というものがよく分からなくてな。
お前達に対しては家族としての愛情はあるし、お前の母親に対しても従兄妹として、妹のように大事に思っている気持ちはあったのだが……」
それから、お父様にそう言われて、私は『……そうだったんですね』と何とか声を出す。
今までテレーゼ様がどういう経緯でお父様の第二妃になったのかは、ずっと気になっていたことだったから、お互いの遣り取りをお父様の口から直接聞けたことは、有り難いことではあったんだけど。
もたらされた情報があまりにも多すぎて、いっぱいいっぱいになってしまいそうだ……。
「それと、ウィリアムが私の後を継ぐための皇太子になったのは……。
お前の母親が、身体が弱くて、医者からは一人しか子が望めないだろうと言われていたからだ。
私としては、生まれてくる子供が、健康に誕生してくれれば、それだけで良かった。
実際、お前が男だったなら話はまた変わってきたのだろうが、お前は女の子としてこの世に誕生したからな。
勿論、女の子供が女王になれぬ、ということはないが、基本的に、国の政治というものは男社会だからな。
先に、ウィリアムとギゼルの二人を産んでくれていたテレーゼのお陰でそれ以上、子を作る必要もないと判断出来た」
そうして、最終的にお父様から降ってきた衝撃の言葉に、今日一日で『一体、何度驚くことになるんだろう……』と思いながらも。
私はお母様が身体が弱くて、お医者さんから一人しか子供が望めないだろうと言われていた事実を今、初めて知って、その場で、びくりと肩を震わせてしまった。










