361 罪な女
「ジャンお兄様……! 一体、いつからそこにいらっしゃったんですか?」
「つい、さっきからだよ。……お前が皇女様と話しているのを見つけてな」
突然の第三者の乱入で……。
驚きに目を見開いた私に、騎士らしくどこか硬い仕草で『帝国の可憐な花にご挨拶を』と声をかけてくれてから、申し訳なさそうな表情を浮かべたあと。
次いで、呆れたような視線を向けてから、さっきお父様から勲章を授与された時のまま、騎士団の隊服、正装に身を包んだジャンが、オリヴィアの問いかけに答えるのが見えた。
その瞬間、何故か、セオドアが可能な限り私の傍に近寄ってきたあと、私を自分の背に隠すようにして、どこか警戒するような瞳で、威嚇するような視線をジャンに向ける。
「……??」
そのことを凄く不思議に思いながら『……セオドア、?』と、視線を上げてセオドアのことを呼べば。
「オイ、アンタ。……クロード家は、マジでどうなってんだよ?
婚約者がいるにも関わらず、姫さんに、唾かけようとしてきてんのか……?」
と、セオドアがジャンに向かって、怒ったように棘のあるような言葉を出すのが聞こえてきた。
――もしかして、さっきのオリヴィアの話が尾を引いてしまっていたのかな?
きっと、私のことを心配してそう言ってくれたのかな、とは思うものの。
【さっき、ジャンが此処にきた時にかけてくれた言葉が、セオドアにしては珍しく聞こえてなかったんだろうか……?】
と、内心で思いつつ、このままではあまり良くないかもと、仲裁に入ろうと声を出しかけた所で……。
「待ってくれ、濡れ衣だよっ……!
オリヴィアが勝手に言ったことで、混乱させてしまったならすまない。
言い訳がましく聞こえるかもしれないが、オリヴィアも俺に婚約の話が来ていることは知らなかったから、それで皇女様にあんなことを言ったんだろう」
という言葉がジャンから降ってくる。
その言葉を聞いて、ほんの少しだけ安堵したように一度ため息にも似た吐息を溢して、警戒を緩めてくれたセオドアの姿に。
やっぱり珍しく、誰かの言葉が聞こえないほど、頭に血が上っていたというか……。
怒っていたとはまた違うのかもしれないんだけど、私はあまりにもセオドアの普段見ることが出来ないような姿にびっくりしてしまった。
「えっと、……オリヴィアの気持ちは凄く嬉しいんだけど、私はクロード家の人達とは、オリヴィア以外には殆ど関わりがないし。
そのっ、これからも、クロード家の誰かと結婚だなんてことは考えられないから……。
オリヴィアとは、将来、義理の姉妹にはなれないと思うけど、出来れば、これからも姉妹のように仲良くして貰えたら嬉しいな」
そうして、みんなの話の合間を縫って、何故か話の中心だったにもかかわらず、ようやく自分にも話せる出番が回ってきた、と。
オリヴィアに向かって、というより、今、此処にいるみんなに向かって、自分の考えをはっきりと明確に伝えれば……。
「アリス様……っ。
私のアリス様に対する想いが強すぎて、暴走してしまい、申し訳ありません……っ!
アリス様がそう仰るのなら、私の野望だなんて、本当にゴミ……些細なことです……!
これからもずっと、私と姉妹のように仲良くしてください~……!」
と、興奮して感極まった様子のオリヴィアに、再び、ぎゅっと手を握られてしまった。
うぅ……、なんだか、何もしていないのに、オリヴィアの私に対する好感度が何故か限界突破してしまっている気がする。
「前にも少しお話しましたが、うちの家系は基本的に男ばかりが生まれてくる家でして。
アリス様みたいな妹が欲しかったというか、私にとってのアリス様って本当に理想そのものというか。
着ている衣装の趣味だけではなく、見た目も性格も含めて全てがドンピシャで好み、というか……っ!
アリス様のことを見ていると、ついつい気持ちが行き過ぎてしまって……」
そうして、オリヴィアから改めて、申し訳なさそうに事情を説明されたことで……。
私はふるふると首を横に振りながら『そう言ってくれたら、凄く嬉しいな』と微笑みながら声を出す。
確かにちょっとだけ暴走気味というか、パワフルな時があって、今まで私が接してきた人間の誰とも違う雰囲気を持っているから、その対応に戸惑うことも多いんだけど。
実際、ギゼルお兄様以外の友達となると、私にとってもオリヴィアが初めて出来たお友達だし。
オリヴィアとは出来るだけ長く交友関係を続けていきたいと思っていて、その気持ちに嘘はないから。
こんな風に、もの凄く好意的に見てくれること自体は、とっても嬉しいと思う。
……私がオリヴィアにそう言ったことで、まだちょっとだけオリヴィアに警戒心を持っているような感じはあるものの、セオドアもクールダウンするように普段と近い状態に戻ってくれたし。
ジャンからは、改めて『うちの妹が申し訳ありませんでした、皇女様』と丁寧に謝罪された。
「それにしても、オリヴィア。
……お前が、皇女様の作る洋服のファンだってことは俺も知ってたけど。
一体、いつから皇女様のことを“名前”で呼ぶ程に仲良くなったんだ?」
そうして、戸惑うようなジャンの問いかけに。
「偶然、城下でアリス様とお会いする機会がありまして……。
勿論、もうずっと、その前から大ファンだったんですけど。
初めてお話させて頂いた時から、その控えめで愛らしいお姿に胸のときめきが止まらなくって……!
すでに、何度かお手紙でもやり取りをさせて貰っているんです」
と、オリヴィアが嬉しそうな表情で答えてくれるのを見て、私もなんだか照れくさくなってきてしまう。
女の子のお友達って初めてだけど、こういう感じなんだなぁ、と。
巻き戻し前の軸の時は決して経験できなかったことに『……えへへ、ありがとう』と声に出して、ほわほわと一人、微笑んでいると。
心配そうな表情を浮かべたセオドアから『……姫さん、頼むから、もうちょっとだけ危機感を持ってくれ』と、何故か注意されてしまった。
「セオドア……?」
「あー、いや、なんつぅか……。
はぁ……っ、友達を作るのは、悪いことじゃねぇとは思うんだけどな?」
そうして、どこか言葉を濁しつつ、そう言ってくるセオドアのことを不思議に思いながら、私が首を横に傾げていると。
「あー、えっと、心中お察しするというか、何というか。
うちの妹が、迷惑をかけて本当にすまない。
ちょっと、妹の好みは変わってるというか、ほら、うちの家って、武人を多く輩出しているから……。
それに見慣れているのと、幼い頃から俺たちに混ざって剣の練習をしてきたからか。
基本的に、可愛い女の子を護りたいだとか、愛でたいという気持ちが強く出てしまっているみたいで。
あと、そんじょそこらの人間じゃなくて、絶対にこの世には存在しないだろうと思えるくらい、ゴリラとか、熊のような、あまりにも逞しい筋肉隆々の人間がタイプみたいで……」
と、ジャンからもの凄く言いにくそうな言葉が返ってきて、私は思わずきょとんとしてしまった。
「はぁ……、そうなんですよね。
今の騎士団は、圧倒的に筋肉の分量が足りてなさすぎると思います。
鍛錬しても、バランスよく筋肉をつければ、それで良いと思っている感じがして、嫌ですし。
最近では、皇宮で働いている侍女達にモテようとして、筋肉量を抑えている人間も出てくる始末でっ!
ゴリラの胸筋を、もっと見習って欲しいっ……!
私好みの殿方なんて、なよなよしすぎている貴族には欠片もいないのだから、社交界で可愛らしい女の子のことを、常に愛でていたいと思う私の気持ちも分かって下さい。
むしろ、アリス様と趣味のお話などで、一日中、楽しいお茶会を開けたら、どれほど幸せなことか……っ!」
そうして、どこかげんなりしたように、ため息を一つだけ溢したあと。
力説するように熱く語ってくるオリヴィアに『……そ、そういうものなのかな?』と、全然言われた言葉の大半も理解してあげられることは出来なかったんだけど。
それでも、オリヴィアがそういう風に言っていることに関しては、別に否定する気持ちもなく、いろいろな考えの人がいるから『そういう人が、オリヴィアの好みのタイプなんだなぁ……』と受け入れながら……。
前にルーカスさんがオリヴィアのことを『近寄りがたくて、俺は苦手』と言っていた意味が何となくだけど、朧気に、私にもつかめてきたような気がした。
確か、あの時ルーカスさんは『そつがなく、誰に対しても一定の距離を保ちながら、ツンツンしているクールビューティー』だと、オリヴィアのことを評していたけれど。
もしかして、そつがなく誰に対しても一定の距離を保ちながら、ツンツンしているって……。
社交界にオリヴィアの好みのタイプである男の人が誰もいないからだったんじゃ……、と思えてならない。
そうして、可愛いもの好きなのが相まって、女の子と話すのが楽しいとかそういうことだったんじゃないかな?
でも本来なら、一応、オリヴィアも年齢的には成人している訳だし、社交界で婚約者候補を探さなければいけなかったりするんだよね?
オリヴィアからは、本当ならデザイナーになるのが夢だって、前に教えて貰ったものの……。
基本的に、私もそうだけど、婚約者のことも含めて、自分の将来を選ぶことの出来る人の方が稀で。
貴族同士の結婚って『家同士の繋がりを深めたりする意図』があるから、自由に選べなくて、勝手に決められてしまうことの方が圧倒的に多いから。
「……あ、ねぇ、オリヴィア。
もしかしてだけど、セオドアとかは、オリヴィアの好みの中に入っていたりしないのかな……?」
それから、不意に思いついて……。
ゴリラとか動物に比べてしまったら、当然そこまでの筋肉は無いと思うけど、セオドアはしっかり鍛え上げているし、オリヴィアの好みの中に入らないのだろうか、と問いかければ。
――私、何か不味いことを言ってしまっただろうか?
一瞬だけこの場の空気が凍ってしまったというか。
ほんの少しだけ間があってから、ここにいる全員の視線が、一気に私の方へと向いたあと……。
「あー、騎士様ですか? 騎士様だけは絶対にあり得ないです……っ!
なんて言ったって、今さっきお互いに敵認定し合った、ライバルなのでっ!」
という力強い否定の言葉がオリヴィアから降ってきて、私は首を傾げてしまった。
【敵認定し合ったライバルって、どういう意味なんだろう……?】
セオドアはセオドアで、もの凄く嫌そうな雰囲気を醸し出しながら……。
「勝手に俺を、アンタのライバル扱いするんじゃねぇよ。
……それより、姫さんは自分のことを心配してくれ」
って、此方に向かって声をかけてくるし。
よく分からない二人のその反応に……。
「ふむ、アリス。……僕も最近、段々と分かってきたのだが……。
この間、書物を読んで、また新たな言語について勉強してな?
多分だけど、お前のことを、罪な女と言うのだと思うぞ……っ」
と、アルに言われて、私は大きく目を見開いたあと『つ、罪な女……?』と、まさか自分に言われている言葉とも思えない言葉に思わずびっくりしてしまった。
私のイメージだと、その言葉は、セクシー系のお姉さんが危険な香りを漂わせながら、男の人を誘惑している時に使うような言葉だと思っていたから……。
私、まだまだ子供で、お胸もぺったんこだし、何も女性らしくない体つきをしているのに『一体どこを見て、そんな言葉が出てきてしまったんだろう?』と、思わず自分の貧相な身体に視線を落とせば……。
「姫さん、そこで、自分の身体を見なくていいから……っ。
多分だけど、姫さんが想像している人物像とは、滅茶苦茶、乖離していると思うぞ」
と、セオドアからそう言われて、きょとんとしてしまう。
【私がイメージした人物像は、罪な女とは言わないのかな……?】
――じゃぁ、私は今まで間違った認識をしてしまっていたんだろうか……?
一人、言われた言葉に、ただひたすらに戸惑っていると。
そんな私を見て……。
『はぁ……、やっぱり、そういう所も含めてアリス様は本当に可愛いです……!』と声をかけてくれたあと。
純粋に興味津々といった様子で……。
「それより、アリス様は騎士様のことをどう思っているんですか?」
と、オリヴィアに問いかけられて、私は目を瞬かせた。
まさか、オリヴィアにそんなことを質問されると思わなくて、一瞬だけ言葉に詰まってしまったら……。
「私のライバルなので、一応、敵情視察はしておきたいな、と思いましてっ……」
という言葉が次いでオリヴィアから降ってくる。
一体どうして、セオドアがオリヴィアのライバルになるのか……。
どうして、敵情視察をする必要があるのかも分からないまま、それでも、セオドアについて聞かれたら、その答えについては自信を持って回答出来る、と……。
「セオドアは、私にとって本当に凄く大切な人だよ」
と、微笑みながら、声を出せば。
「そうなんですね。……ちなみに、聞くんですけど、アリス様。
今、お側にいらっしゃるアルフレッド様のことは、どう思われているんですか?」
と、オリヴィアに続けて質問されて、私は頭の中をはてなでいっぱいにしながら……。
「勿論、アルのことも凄く大切に思っていて……」
と、声を出す。
私にとっては二人のことを大切に思っているのは当たり前のことでもあるし、ごくごく普通の回答だったんだけど、何か、変なことを言ってしまっただろうか。
「なるほど……。でしたら、私にもまだまだ勝機はあると思ってもいいですよね?」
と、嬉しそうに声を上げたオリヴィアの姿と……。
「ちょっとでも変な気を起こして、姫さん目当てにやってこようとしたら、躊躇無く潰すぞ」
という、あまりにも珍しいセオドアの脅しが聞こえてきて、私は戸惑ってしまった。
セオドアが、男の人に対して冷たい態度で接するのは、よくあることだけど。
ローラみたいな女の人や子供には優しく接しているイメージがあったから、はっきり面と向かってオリヴィアにそんなことを言うとは思ってもみなかった。
……あ、だけどよくよく考えたら、エリスが初めてきてくれた時も、セオドアはどことなく冷たい雰囲気をまとっていたかもしれない。
エリスに対する態度と、オリヴィアに対するセオドアの態度は、また違うもののように感じてしまうけど。
「あ……、そうだ、オリヴィア。
この間、私にくれた冊子なんだけど、本当にありがとう。
その……っ、イケてるメンズ特集については、全然上手く活用出来なかったんだけど。
オリヴィアがもう一つ私に送ってくれていた、性格が良い騎士達のリストに目を通してたお陰で、今日、勲章の授与式で表彰されていた騎士達に覚えのある人の名前が多くて、凄く助かったよ……っ」
それから、会話が途切れたタイミングを見計らって……。
改めて感謝の気持ちを込めて、オリヴィアにそう伝えれば『本当ですか? アリス様のお役に立てたなら良かったです!』と、どこまでも表情を明るくしながら、そう言ってくれたオリヴィアとは対照的に。
ジャンは、オリヴィアが私に送ってくれた冊子に対して、何か思うことがあったのか。
呆然とした様子で『……お前は、本当……っ、皇女様に、一体、何ていう物を送りつけて……!』と、オリヴィアのことを責めるような雰囲気で声をかけてくる。
「……いいえ、本当に助かったんです。
オリヴィアがそのリストを送ってくれていなかったら、知っている人が全然いなくて、せっかくの勲章の授与式なのに、きちんと騎士達のことを把握出来ずに、困っていたと思いますし。
私自身は、騎士達とは確執があって、未だにあまり良く思われていないと思いますが……」
そうして、私がジャンの言葉を遮るように声をあげると。
私の言葉を聞いて、ジャンは驚いたように目を見開いたあと……。
『皇女様がそう仰ってくださるなら……』と、声を出してから。
「あぁ、そうだ。
……皇女様にお目にかかる機会があったら、その件について、俺も少し話がしたいと思っていたのですが」
と、言いかけて……。
はた、と、私を通り越して、誰かを見つめているような気がして……。
私は首を横に傾げたあと、ジャンの視線に誘われるように、後ろを振り返った。
「……ヨシュアっ! お前、いつの間に、来ていたんだ……?」
そうして、問いかけるように聞こえてきたジャンの言葉と……。
多分、騎士の隊服を着ているから、騎士団に所属している騎士なのだとは思うんだけど、見覚えの無い人がそこに立っていて……。
ジャンが彼のことをヨシュアと呼んでいることから、暫く経って『多分この人が、クロード家の三男の人だ』と、ようやく私にも合点がいった。
ついでに、体よくと言ったらいいのか……。
私にとって凄く有り難いことに、その隣には、この間、セオドアに護身術を教わった日に出会った騎士団を纏め上げている副団長の姿も見える。
確か、名前はレオンハルトさん、だったよね……?
何で、ここに来てくれたのかは分からないけど、今なら数年後に起こる事件について話が出来る絶好のチャンスかもしれないと思いながら、彼らに視線を向けると。
副団長と、ジャンにヨシュアと呼ばれたクロード家の三男の人が、仰々しい仕草で、私に向かって敬礼をしたあと……。
「帝国の可憐な花にご挨拶を」
と、代表するように副団長であるレオンハルトさんが私に向かって声をかけてくれた。