360 二人の言い争い
……やっぱり、オリヴィアからは、私がベルナールさんと話していたのは、近づいてくれるまで見えていなかったのだろう。
「帝国の可憐な花にご挨拶を。
申し訳ありません、アリス様っ。
……もしかして今、どなたかと、お話になっていましたか?」
と、私の元にやってきてくれたオリヴィアに。
『お話の最中に声をかけて、邪魔をしてしまったでしょうか?』と、気遣うようにそう聞かれて、私はふるりと首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。……それより、声をかけてくれてありがとう。
手紙で遣り取りをさせて貰っていたから、あまり久しぶりな感じはしないけど、オリヴィアに会えて凄く嬉しいな」
そうして、改めて、口元を緩めながら微笑んで、オリヴィアへと向き合うと……。
ぱぁぁぁっと、どこまでも明るく表情を綻ばせ、満面の笑みになったオリヴィアが私の方を見ながら『そう言っていただけると本当に嬉しいです』と声をかけてくれる。
今日のオリヴィアのファッションは、私がジェルメールで作ったデザインのものではなく。
スレンダーなオリヴィアの骨格に合わせるように、シックな黒のマーメイドデザインのドレスを着用していた。
こうしてみると、前に、ルーカスさんがオリヴィアのことを、クールビューティーだと評していたのが、よく分かるくらい似合っている。
私の視線を受けて、オリヴィアがほんの少しだけ、げんなりとしたような表情になりながらも……。
「本当は、アリス様のデザインしたお洋服で、まだどこにもお披露目していない服があるから、そちらをメインで着たかったのですが。
今日は騎士達の……、特にジャンお兄様の晴れ舞台にもなるだろうから、と。
いつもの私の趣味ではなく、自分に一番似合うものを着てくれって、口を酸っぱくしながら父に言われてしまって」
と、まるで愚痴をこぼすように、そう言ってきて、私は思わずきょとんとしてしまった。
「……えっと、マーメイドのドレスも、オリヴィアには凄く似合っていると思うよ……?」
私自身、オリヴィアとは何度も手紙の遣り取りをしているから……。
オリヴィアが、もの凄くサバサバとしていて、からっと竹を割ったような性格であることは把握している。
だから、そのオリヴィアの口から、誰かに対しての愚痴が聞こえてくるとも思ってなくて、びっくりしてしまったんだけど。
「アリス様から、そう言って貰えると凄く有り難いんですけど、自分の好きなものと、自分が一番似合うものは別なんです。
私自身、普通の女の子よりも背が高いこともあって、どうしても似合う衣装も限られてきてしまって」
と、どこか悔しそうにそう言ってくるオリヴィアに、確かにと、私自身も納得がいってしまった。
……私も巻き戻し前の軸、自分が好んで『派手な衣装』を身にまとっていたことを思い出す。
私の場合は、今だからこそ分かるけど、それを好きだと無理矢理思い込むようにしていたというか。
お母様がそういった衣装が好きなイメージだったから、ほんの少しでもお母様に振り向いて欲しい気持ちがあって……。
お母様が亡くなってしまったあとも、同じような衣装を着ることで、お母様に少しでも近づけるんじゃないかという気持ちから、本当はそこまで好きでもないのに、髪型も含めて、無理に合わせていたんだよね。
今の自分にはそれが似合わないことも分かっているし。
完全に自分の好みで好きな洋服を着られるようになったのは、良かったと思えることの一つでもあるんだけど。
前にオリヴィアが着てくれていた、私の作ったデザインのものも決して似合っていなかった訳じゃないんだけど。
今、着ているマーメイドドレスが、あまりにも様になっていることもあって……。
オリヴィアと言えば、こういったドレスを着用していると、家族や社交界の間でも、既に、そのイメージが定着してしまっているのかもしれない。
本当に好きな洋服のデザインが、自分にあまり合わないというのは多分、凄く辛いものがあると思う。
「オートクチュールで作って貰えるから、サイズが無くて着ることが出来ないっていう訳ではないんですけど。……なかなか、着こなすのが難しくって」
そうして、オリヴィアからそう言われて……。
確かに私のデザインは基本的に、私も含めて、私以外の人に贈る時も『その人に合わせたデザイン』にしているから、合わない人はとことん合わないだろうな、と思ってしまう。
逆にいうのなら、合うときは、もの凄くぴったり、しっくりくるとは思うんだけど……。
「一番、今までの中で、家族から似合うって口を揃えて言われたのが、メンズものの洋服でして……。
多分、モデルは騎士様ですよね? 私は基本的に、アリス様が着ているドレスのデザインが一番好みなんです……っ!」
それから、ちらっとセオドアに視線を向けたあと、一度ため息を溢したオリヴィアに、そう力説されて、何とも言えない気持ちになりながら……。
オリヴィアは背格好も含めて、女性にしては背が高くて凜としていることもあって、髪を一つにまとめて、騎士の隊服とかを着て男装したりすれば『それはもう、美しい麗人ができあがるんだろうな』と思ってしまった。
「はぁ……、今日もアリス様は、とても愛らしくって、本当に素敵です~っ!」
私からしてみると、オリヴィアのような美人さんの方こそ凄く羨ましいと感じるんだけど。
オリヴィアからしてみると、その理想は私になるのだろうか……?
ここはレセプションパーティーの会場だから少しだけ遠慮があるのか。
それでも、場所が場所なら、今にも、ぎゅっと私に抱きついてきそうなほどの勢いで、感極まったようにぎゅっと手を握られたあと。
どこか、恍惚としたような表情で見つめられながら『……アリス様……っ』と熱く声を出されて、そのあまりにも独特の、倒錯したようなオリヴィアの雰囲気に、ドギマギしていると。
「おい、アンタ、いい加減にしろ。……姫さんが困ってる」
と、セオドアがパッと、私の手を握っていたオリヴィアの手を払いのけてくれた。
「あら……? 騎士様、いらっしゃったんですか……?」
「はぁ……? アンタ、さっき、メンズものの話になった時、俺の方をちらっと見てきただろうが……っ!?」
「申し訳ありませんっ。
今日も可愛すぎて、アリス様しか目に入っていませんでしたわ……!」
そうして、どこまでも私のことを考えてくれたのか。
眉を寄せて、怒ったような雰囲気になるセオドアに対し。
しれっと“何処吹く風”で、自信満々に声を出すオリヴィアは、もしかしたら、もの凄く強い人なのかもしれない。
「つぅか、俺は、アンタに会ったら、ずっと言いたかったことがあるんだけど……。
アンタ、何で、姫さんにあんな変なものを送ってきたんだよ……?」
それから、セオドアがオリヴィアに対して、更に追求するように。
いつもの声色から、ほんの少しだけ低い声になって何かを問いただせば……。
それを直ぐに理解することが出来なかった私と同様に、オリヴィアも一体何のことを言われているのか、分からなかったのだろう。
「一体、何の話ですか……?」
と、ここにきて、初めて戸惑ったような雰囲気になったオリヴィアが、セオドアに向かって首を傾げながら問いかけてくれる。
「……忘れたとは言わせねぇぞ。
“今、滅茶苦茶熱い! 帝国に働く騎士達のイケてるメンズ特集”とかいう、訳の分からねぇ冊子を姫さんに送ってきた理由だよ……っ!」
それに対して詰め寄るように、セオドアが、オリヴィアに向かって、続けてそう言ってくれたことで。
ようやく私にも『一体どうしてセオドアが、オリヴィアにそんな風に声をかけたのか』その理由に合点がいった。
確かに、あの『イケてるメンズ特集』という謎の冊子が送られてきた理由については、私もオリヴィアに会ったら、どうしてなのか、聞いてみたいと思っていた。
……ただ、それにしては、セオドアがここまでオリヴィアに怒っている理由がよく分からないんだけど。
――もしかして、風紀が乱れるとか、そういう意味合いが強いのかな?
それとも、私がまだ年齢的に幼いから、そういうのを見るのが良くないと思ってくれてのことなのかもしれない。
「あぁ、アレですか……っ! アリス様っ、あの中身はご覧になってくださいましたかっ!?」
セオドアの問いかけに、ほんの少しだけ時が止まったかのように、きょとんとしていたオリヴィアは。
暫くしてから合点がいったのか、ハッとしたように目を見開いたあとで、私に向かってどこか期待した目つきで、ウキウキとした様子で声をかけてくる。
その勢いに圧倒されながら……。
「え……? あぁ、えっと、うん。
……ちょっとだけ、見させて貰ったんだけど。
私にはあまり、騎士達の違いがよく分からなくて……。
ごめんなさい、騎士達のリストということで、単純に、セオドアが持っている方が役に立つかもと思って、セオドアに……」
と、人に譲ってしまったことへの申し訳なさでいっぱいになりつつ、オリヴィアに向かって正直に白状すれば。
オリヴィアは私の言葉を聞いて、『……そうですかっ……』と、一気に俯いて悲しそうな雰囲気を漂わせてしまい、その表情に、どうしたらいいのか分からず、私は困惑してしまった。
【やっぱり、せっかく貰った以上は、あの本、私が持っていた方が良かったのかな?】
内心でオロオロしながら、目に見えて落ち込んだ様子のオリヴィアに、どう声をかければいいのか悩んでいると……。
「アンタの勝手な意見かどうかは、しらねぇが。
そもそも、まだ年齢的にも幼い姫さんに、あんなもの、必要ねぇだろう?」
と、セオドアがムッとしたままの表情を崩すことなく、オリヴィアに声をかける。
その言葉を聞いて、パッと顔を上げたオリヴィアは、さっきまでの落ち込んで悲しそうな雰囲気はどこへやら、もう既に、どこまでも逞しい表情をしていて……。
「いいえ、騎士様っ! それは違いますわっ!」
と、断言するように力強く声を出してきたあと。
「……だって、あわよくば、アリス様と将来、義理の姉妹になれるかもしれないじゃないですかっ!
あの冊子は、正直、他の騎士のことなんてどうでもいいんですっ!
カモフラージュとして、適当に騎士団でもイケメンと呼ばれている人間の中に織り交ぜて、心なしか、他の騎士よりジャンお兄様と、三男であるヨシュアお兄様の顔をイケメンに描くことで、クロード家へのアリス様の覚えを良くするための工作ですわっ!」
という、あまりにも何とも言えない言葉を、此方に向かって力説するように返してくる。
【えぇ……、っ? まっ、まさか、あの冊子に、そんな意図が……?】
困惑に次ぐ困惑というか、どう返事を返したらいいのか、もの凄く悩んでしまうオリヴィアの発言に。
面と向かって、直接オリヴィアにそう言われたセオドアだけでなく。
私の隣にいてくれたアルでさえも、パワフルなオリヴィアの雰囲気に気圧されて、珍しく少し引き気味になりながら、困ったような表情を浮かべているのが見えた。
「……はぁっ!? そもそも、騎士と姫さんみたいな立場のある人間が、結婚出来る訳っ……」
「いいえっ! チャンスはどこに転がっているか分からないじゃないですかっ!
……ならば私は、それを躊躇無く掴みとるまでっ!
それを言うなら、騎士様にだってチャンスはある筈ですよ……!
歴代だって、英雄と呼ばれるほどに活躍した騎士の元に、皇女というお立場の方が降嫁した例もありますし……」
「……っっ、! いや、俺は、別に……」
そうして、オリヴィアの台詞に、セオドアが少しだけ怯んだ様子で言いよどみ、戸惑いながら言葉に詰まってしまったのを見て。
私はきょとんとしながらも、どこかで口を挟んだ方が良いのかなと、二人の会話が途切れる瞬間を狙っていたんだけど……。
「……それなら、なおさら構わないのではないですか?
今の皇女様には、そういったお話自体が出ていませんし。
騎士様が、そこまで私に対して怒る理由に説明がつきません。
私は、アリス様と将来、キャッキャうふふの姉妹ライフを送りたいという自分の欲望に忠実なだけですわ……!」
と、私とルーカスさんが、形だけでも婚約していることを知らないオリヴィアに言われて……。
「……だ、」
それまで、戸惑った雰囲気だったセオドアが、地を這うような低い声を出し。
なんて言ったのか、聞こえなくて、『……セオドア?』と、その名前を呼んだ私の方を見ることもなく。
セオドアは、あからさまにオリヴィアに対して、敵対するようなと言っていいものなのか、凄く険しい視線を向けたまま。
「だめだ。……認めない。
姫さんの相手には、もっと相応しいやつがいる。
アンタの姉妹ライフとやらのためだけに、将来、姫さんをクロード家なんかに渡してたまるかよ」
と、声を出してくる。
その言葉に、一番驚いたのは、多分、私だった。
普段のセオドアとはその雰囲気も何もかもが、まるで違っていて……。
一体、どうしたのかと、この場で一人、オロオロしているのも、やっぱり私だけで。
「あぁ、そうなんですね? やっぱり、初めて会った時から、薄々そうじゃないかとは思っていたんですよね。
自分の気持ちに感づいていない系かと思っていましたけど、そうじゃなかったんですね……?
騎士様は、どこか、私と同じ匂いがすると思っていました」
「アンタと一緒にしないでくれ」
「……では、どうするのですか?
まさか、このまま、相応しい人間が他にいると、やって来る縁談に反対し続けて……。
自分は、ただ、ずっと傍で見守っているだけで良いとか思ってませんよね?」
「はっ、それが俺に求められている役割ならな……?」
そうして、一気に漂ってきた剣呑とした雰囲気に、ピリッと張り詰めた緊張感を感じ取って……。
私はこの場に充満し始めた空気とは裏腹、軽快に進んでいく二人の遣り取りに、口を挟むことも出来なくなってしまった。
二人が一体、何の話をしているのかも、あまりよく分からなくて戸惑ってしまうばかりだ。
アルはアルで、『なるほど』と本当に分かっているのかもよく分からないまま、何故か納得したように頷いているし。
両者、見合ったまま動きを止めたセオドアとオリヴィアのバックにそれぞれ竜と虎のようなイメージがわいてきてしまうんだけど。
どうして急に、そんなにも仲が悪くなってしまったのか分からず、このままでは良くないと……。
意を決して、私が二人に向かって声をかけようとした所で……。
「こらっ、オリヴィアっ……!
余所様に、喧嘩を売るのはやめろって、いつも言っているだろう。
……全く、誰に似たんだか、男勝りなのにも程があるっ!
っていうか、相手は皇女様の騎士だとか、お前は本当に一体、何をしているんだ。
それに、俺には普通に婚約の話も来ているんだからな?
畏れ多くも、皇女様の婚約者候補に勝手に名乗りを上げようとしないでくれっ……!」
と、突如、別の所から聞こえてきた第三者の声に振り向くと……。
はぁ……と、どこまでも疲れたようなため息を溢しながら。
『うちの妹がご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません、皇女様』と、私に向かって謝罪してきたのは、クロード家の次男で、お父様の近衛騎士でもあるジャン・クロード、その人だった。