357 建国祭3日目
次の日、和やかな雰囲気で丸一日休息を取っていた昨日とは打って変わり、私は朝から自室で自分の準備に慌ただしくしていた。
いつもよりも、心なしかカチッとした雰囲気のドレスに着替えて、真新しい靴に履き替えたあと、腰くらいまである、ふわふわとした自分の髪の毛をローラにアレンジして一つにまとめて貰う。
建国祭3日目の今日は、皇宮にあるイベントホールを使用して、大規模な勲章の授与式が用意されているから、そのためにある程度、正装してピシっとしていなければいけないだろうという判断だった。
姿見で自分の立ち姿を見てみると、『私にお任せ下さい』と言ってくれたローラのお陰で、私自身、普段よりもぐっと大人っぽい雰囲気になっていた。
ちなみに、今日はお父様だけではなく。
ウィリアムお兄様や、テレーゼ様、ギゼルお兄様も会場入りして一緒になると思うけど、建国祭初日ほど一緒に過ごす時間は長くないと思う。
今日の主役が、完全に私たちでは無く……。
皇宮で働く騎士達や宮廷貴族にスポットが当たるものだから。
お父様に関しては、それぞれに勲章を授与するために壇上に立っているけれど、私たちは基本的にそれを見に行っているだけのオマケみたいなものだ。
本当はお父様や、ウィリアムお兄様と話す時間が取れたら、昨日私たちの後をつけていた『アーサー』のことを話したかったんだけど、こればっかりは仕方が無い。
流石に人の目も沢山ある中で、話すわけにはいかない内容だし、昨日の今日という訳にはいかず、話せるタイミングが来るのを待つしかないだろう。
――特に建国祭は、みんな公務で忙しくしてるから碌に時間も取れないだろうし……。
それから、今日に関しては、一応、皇族の公務として、今回の勲章の授与式で昇進した騎士達や、宮廷貴族達のことを労うという、ちゃんとした仕事があるんだけど……。
その立場から、ある程度、貴族の人たちと親しいであろうテレーゼ様や、お父様の仕事の一部を任されているウィリアムお兄様みたいに、貴族や騎士と関わりがある場合は別だけど。
私の場合、親しい宮廷貴族や騎士の人なんて殆どいないから、誰に話しかけて、労えばいいのかという所で……。
『今回の式典は、完全に置物と化してしまうだろうなぁ……』というのは事前に分かっていた。
それでも公務である以上、何もしない訳にはいかないから、式典で昇進が決まったり、勲章が授与された人たちに対しては『おめでとうございます』と積極的に、祝辞を述べようとは思ってる。
後は、今日この日のために、この間オリヴィアが『今、滅茶苦茶、熱い! 帝国に働く騎士達の、イケてるメンズ特集』という冊子と共にくれた『性格が良い騎士トップ10』には、しっかりと目を通してきているから。
……なるべく、オリヴィアがお勧めしてくれていた副団長や、オリヴィアの兄であるお父様の近衛騎士であるジャンなども含めた、その辺りの人たちと交流を深めて。
数年後に起こる騎士団長が殺されてしまう事件について、概要までは話せなくても、少しでも危険が迫っていることを伝えられたら良いなぁと思ってるんだけど。
流石に、未来が分かっているとは言えないから、どう話を持っていけばいいのかは今日この日を迎えても未だに悩んでる。
「アリス、準備は出来たか……?」
私が頭の中で、今日のことについて、ひとしきりシミュレーションをしていると。
同じくジャケットを着て、普段よりもカチッとした正装に着替えたアルが私の部屋にやってきてくれたあと、声をかけてくれた。
「うん、準備出来てるよ」
一度、アルに向かって声を出してから、自室にかかっている壁時計に視線を向ける。
見れば、もうそろそろ式典が始まる時刻が差し迫っていて、私はアルとセオドアに視線を向け直してから『そろそろイベントホールに行こうか?』と声をかけた。
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私が、デビュタントの時に使ったホールとはまた違うものの……。
皇宮に幾つかあるイベントホールまではどの場所も、そこまで遠くなく、今回の私たちはデビュタントの時とは違い、自分たちが主役な訳ではないので徒歩で向かっていた。
会場近くまでやってくると、来場するためにやってきていた宮廷貴族の姿が沢山見えてくる。
一人一人、別で会場入りする予定の宮廷貴族とは逆に、騎士達は一糸乱れぬ団体での行進で入場することになっているみたいだから。
皇族の護衛など特殊な任務に付いているセオドアのような騎士や、会場の警備に当たっている守衛以外は、今、この場所にはいなかった。
代わりに彼らの家族であろう人たちの姿は目に入ってきたから、もしかしたらオリヴィアも、既に近くまで来ているかもしれない。
あまり時間がない中、きょろきょろと辺りを見渡して、その姿を探してみたんだけど。
私たちが会場入りするまでにはその姿は見つけられなくて、『始まるまでに、ほんの少しでも話せたら……』と思っていただけに、がっかりしてしまった。
【せっかく出来たお友達だから、式典が始まるまでに少しでも会いたかったんだけど、こればっかりは仕方がないよね……】
とりあえず、いつまでもこうしている訳にはいかないから、オリヴィアを探すことを早々に諦めた私は、式典に臨むために、パッと頭の中を切り替えることにして、会場の入り口へと向かう。
その際、招待客というか……。
参列者の名簿と照らし合わせて、記帳するために並んでいる沢山の人たちが、目に入ってきた。
一般の人たちと、貴族の人たちとは流石に、記帳の場所が分かれているみたいだったけど……。
それでも、もうすぐ式典が始まる時刻が差し迫っているにも関わらず、あまりにも会場に入るために並んでいる人たちの数が多い気がして。
そのことを凄く不思議に思いながら……。
――何かあったのかな……?
と、彼らが並んでいる横を通り過ぎて、入り口前に近づいてから、ようやくどうしてそんな状況が起こっているのか、私にも理解することが出来た。
私のデビュタントの時に、医者であるマルティスが毒薬を持ち込んだというあんな事件があったからか。
今回、ホールに入る前に立っている守衛達が目を光らせて、来場者のボディチェックなどを入念に行っているみたいだった。
【……何も考えずにここまで来てしまったけど、もしかして、私も列に並び直した方が良いのかな?】
その光景に、どうすればいいのか困惑し『……並び直した方が良いのかも』と考えていると、私が来たことを見つけてくれた守衛の一人が。
「……皇女様、アルフレッド様、おはようございます。お二方は此方からどうぞ……っ!」
と、サッとスマートな仕草で、ホールの裏口から入れるように手引きしてくれる。
詳しい事情を聞けば、私たち皇族は、バッグなどの手荷物を持っていれば軽くそれを見せるくらいで、基本的に顔パスで済むらしいんだけど……。
やっぱり私のデビュタントの事件が関係して、今年の建国祭では、例年以上に厳重にチェックしているらしかった。
それで、あんなにも人が並んで混雑しているのか、と、彼らの間をすり抜けながら……。
今並んでいる人たちより遅れてやってきたのに。
『先に入らせて貰うのは、なんだか申し訳ないな……』と思ったのと同時に、まだホールの中に入れていない人たちを見て、定刻通りに本当に始まるんだろうかと、少しだけ不安が過ってきてしまった。
……まぁ、だけど流石に私のデビュタントの時とは違い、皇宮で働いている多くの騎士達が来ている勲章の授与式で、変なことを起こしたりするような人もいないだろう。
こういう式典の時に、少し時間が押すことは何も珍しいことでもないから『大丈夫だろう』と気楽に考えつつ、私たちは多くの参列者の合間を縫って、彼らより先に会場入りさせて貰った。
――そうして……。
私とアルが裏口からホールの中に入ると、直ぐに私たちの席が何処にあるのかは会場にいた案内係から教えて貰うことが出来た。
会場の中は、私のデビュタントの時の豪華絢爛な雰囲気とはまた打って変わって。
今日の式典がどこまでも堅い式であることを象徴するように、厳かな感じの雰囲気が漂っている。
参列者の多くが、皇宮の中で揉まれに揉まれて、酸いも甘いも噛み分けているような一癖も二癖もありそうな宮廷貴族や、規律を重んじるとされる騎士達だからだろうか……。
一応、騎士達の家族も来ている筈なんだけど、オリヴィアや私みたいに極端に若い人や女性の数も少ないから、余計そう思うのかもしれない。
誰かに注意などをされた訳じゃないけど、まるで、シュッと背筋が伸びるような思いをしながら……。
自分のために用意された席に向かおうと、さっき、案内係から口頭で教えてもらった席を探して、きょろきょろとしながら、アルとセオドアと一緒に会場の中を歩いていたら……。
「皇女様っ……!」
という、快活な男性の声が聞こえてきたことに気づいて、私は思わず声のした方へと反射的に顔を向けた。
「おっと……、帝国の可憐な花にご挨拶を。
逸る気持ちが抑えられなくて、正式な挨拶をする前に、気軽に声をかけてしまい申し訳ありません……!
いやぁ、お久しぶりですなぁっ! お会い出来て光栄です……!」
そうして、私が振り返ると……。
にこにこと満面の笑みで、私を見つけて嬉しさを隠しきれないといった感じで、此方に向かって話しかけてきてくれたのは……。
お父様の側近でもある環境問題の官僚をしているブライスさんだった。
「ブライスさん……っ! お久しぶりです……っ」
宮廷貴族だから、皇宮でも何度か遭遇していたりはするものの、基本的に普段過ごしている宮が違うため、そこまで頻繁に会う人ではないし……。
特に、私自身、今回の勲章の授与式では、オリヴィアやジャン以外、殆ど誰にも知り合いには会わないだろうと思っていたから、こんな所で知り合いに会えたことにびっくりしてしまった。
あと、ブライスさんにはずっとお礼を伝えたかったから、出会えて嬉しいという気持ちを隠すこともなく、ぱぁぁっと、明るく表情を綻ばせれば。
ブライスさんも、相変わらず、私に対して好印象を抱いてくれている様子で、優しい表情を浮かべながら、私のことを見てくれる。
「丁度良かったです。
ブライスさんにお会いしたら、ずっとお礼を伝えたくて……。
一昨日行われたパレードで、国民達から、私自身、そこまで酷い扱いを受けなかったんです……。
彼らが噂話をしているのを聞いたら、……多分ですけど、ブライスさんが、私のことを誇大に広めてくれていたんですよね?」
パレードの時に聞いた国民からの言葉では、ほんの少し『英雄視されすぎている』ようなそんな気もしないでもないんだけど……。
彼らがそう思ってくれるほどに、私がした些細なことを、大げさに広めてくれたのはきっとブライスさんなのだろうと、ずっと感謝の気持ちを伝えたいと思っていた。
多分、それがなかったら、最近になって、少しずつだけど私に良い印象を抱いてくれているようになってきた貴族とは違って……。
割と、王都に住む人たちは富裕層の人が多いものの。
ジェルメールでの件はあれど、普通の生活を送っている国民には、そこまで私の印象って、今も良くないままだったんじゃないかな、と思ってしまうから。
改めて『ありがとうございました』と感謝して、お礼を伝えながら頭を下げると……。
「いやいや、私は基本的に真実しか話していませんよ。
皇女様は謙虚なので、そうは思われていないかもしれませんが。
貴女がして下さったことは、きっとこの先訪れていたであろう甚大な被害を食い止めるという偉大なことです。
それだけ多くの国民を、事前に救って下さったのですから、人々が貴女に感謝するのも当然のことです。
丁度、ネタを欲しがっていた宮廷御用達の記者がいたので、そのことを話したら大喜びで記事にしてくれましたよ」
という言葉が、ブライスさんから返ってきて、私は思わずジーンと温かい気持ちになってしまった。
未来の知識を持っているからこそ役に立てたのだと思うと、私自身も凄く嬉しいし……。
だからこそ、数年後に起こる事件については、事前になるべく解決の糸口を探しておきたいなぁとも思う。
「そう言って貰えると、凄く嬉しいです」
口元を緩めながら、感謝の気持ちを込めて微笑むと……。
「ついでに、皇女様が今までされてきた謂れの無い悪評についても、この機会に私が、強く訂正しておきましたから……っ!
最近になって、貴女の活躍をもっと知りたいと言っている記者も多いんですよ。
あぁ、そうだ……っ! そういえば、皇女様、建国祭で行われるファッションショーで賞品になられたとか……っ?」
と、声が大きいせいもあってか……。
こそっとにもなっていないんだけど、耳元で『皇女様の良くない噂については、私に任せておいて下さいっ!』と頼もしく声を出してくれたブライスさんが、ファッションショーで私が賞品になったということを聞いたと、声をかけてくれた。
私の良くない噂について訂正して回ってくれるのは、凄く有り難いんだけど。
やっぱり、ブライスさんの中での私の印象が天元突破して、良い方向に振り切れすぎているから、自然に、些細なことも大げさに言われているような気がしてならない……。
そう思って行動してくれるのは嬉しいことではあるものの、こういう対応にはあまり慣れていないから、なんだか少し気恥ずかしい感じがしてきてしまう。
それより、私がファッションショーの賞品になったことを、あまり俗っぽいことに興味がなさそうなブライスさんでさえも知っているのかと思って、そっちにも驚いてしまった。
「あ、あのっ。……はい、そうなんです。
私というよりも、私と共同でデザインを開発出来るという権利が賞品になった、っていう方が正しいんですけど」
どことなく、宮廷貴族みたいなお堅い職業の人たちには……。
皇族という国を背負う立場の人間が『賭け事のようなものに参加する』というのは、あまり良く思われないことかもしれないと思いながら、恐る恐る白状すれば……。
「皇宮中が、今はその話題で持ちきりですよ。
……ですが、それも、皇女様の今まで頑張ってしてきたことが実になった結果でしょうな」
と、予想外にも好意的に受け止めて貰えていて、私は思わず驚いて目をぱちくりと瞬かせた。
そうして、私がびっくりしている事に気づいたブライスさんが……。
「夢を叶えられない人もいる中で、自分の才能を遺憾なく発揮し、輝ける場所に身を置けるというのは、それだけで素晴らしいことです。
皇宮の中には、陛下に直接、皇族の規範を問うような……。
石頭のように頭の堅い上層部の人間もいますが、私は、皇女様が自分の内に秘めていたその才能を表に出すことは、決して悪いことではないと思いますよ」
と、声をかけてくれる。
そういう風に言って貰えるとは思っていなかったから『嬉しいな……』と思うのと同時に、ブライスさんの言葉がすんなりと頭の中に入ってきて、納得することも出来た。
私自身、巻き戻し前の軸の知識も生かしながら、主に、私の傍にいる人のために『自分だけのオリジナルなデザイン』を考案しているだけで、デザイナーになることが夢だった訳ではないけれど。
巻き戻し前の軸の時のことも含めて、小さいときから、私の我が儘とはいえ、宝石や質のいい物に触れさせて貰いながら、自分のセンスを磨くことが出来たのは、お父様に感謝しかないし。
今、こうやって、自らの手で、誰かの需要を生み出していて……。
更に、誰かに求めて貰えるほどの環境を手にしていること自体が、奇跡的なことだとも思う。
巻き戻し前の軸と比べれば雲泥の差だし、それだけ、私が今いるこの場所は、恵まれていることの何よりの証だろう。
きっと、この場所を手に入れたいと思う人は、それこそ沢山いるはずだから……。
「……それに、実は私の娘が、貴女の作る洋服の大ファンでしてね……っ。
ジェルメールで、次に皇女様のデザインした服が発売されるのはいつになるのか、貴女に会ったら聞いて欲しいと毎日のようにせがまれまして……」
そうして、少し照れたようにぽりっと頬を掻いたブライスさんからそう言われて、私はふふっ、と小さく笑みを溢しながら『そうだったんですね。……光栄です』と、声をかける。
今までは、周囲から馬鹿にされることの方が多くて……。
自尊心が低くすぎて、どうしても『私なんて……』という考えの方が先行して、あまり周りのことを見る余裕もなかったけど。
こういう風に声をかけて貰えるだけで、少なからず自信になって前向きに頑張ろうと思える糧になるしっ……。
お堅い職業であるブライスさんみたいな人からも、ジェルメールでのことを好意的に思って貰えるのは幸せなことだなぁと改めて思う。
「本当はもっと、話したい所なんですが、申し訳ありません、皇女様っ……。
宮廷貴族の知り合いから、呼ばれてしまったので、私はこれでっ……!
あぁ、そうだ。……今日、貴女にサプライズがありますから、きっとびっくりされると思いますよ。
是非、楽しみにしていて下さい」
それから、ブライスさんは遠くの方から聞こえてきた、誰かの『ブライス殿っ!』と呼ぶ声に反応して、慌ただしく私の前から立ち去っていってしまった。
【最後に茶目っ気たっぷりな雰囲気で、私にサプライズがあると教えてくれたんだけど、一体、何があるんだろう……?】
どうせなら、しっかりと教えて欲しかったんだけど……。
――今日、楽しみにしていて欲しいと言われたってことは、この場所で何かあるのかな?
勲章の授与式が終わったら、そのまま、レセプションパーティーに移行するみたいだから、その時分かるのかも……。
「姫さん、今、あの貴族と話している間に、今日アルフレッドと座る席については見つけたぞ」
ぼんやりと頭の中で、ブライスさんと会話した内容に思考を割いていたら、セオドアがそっと私の座る席を見つけて声をかけてくれて、私の意識は自然とそっちに切り替わる。
「本当……? ありがとう、セオドア」
……とりあえず、ブライスさんに言われたことについては、これ以上、考えても答えは出ないだろうし。
気づけば、ホールに沢山並んでいる椅子に着席している参列客の数も増えてきて、もうすぐ式典が始まる気配をビシバシと感じとりながら……。
私は今の間に席を探してくれていたセオドアにお礼を伝えたあとで、アルとセオドアと一緒に、今日、私のために用意されている指定の席に向かうことにした。