354 不穏な気配と二人の役者
セオドアの言葉で、今、私たちが来た方向へと視線を向けてみたけれど、目に見える範囲では当然、誰もいる様子はなく、私にはそこに誰かがいるなんて一切、分からなかった。
もしかしたら、物陰に隠れて今も此方の様子を窺っているのかも……。
人の気配を探ることに敏感な、セオドアだからこそ気づけたのだと思う。
ただ、誰かに後をつけられて狙われるようなこと自体、私自身、全く思い当たる節というか心当たりがなくて困ってしまう。
「私たちの後をつけてくる理由は一体、何なんだろう……?」
単純に凄く疑問に思ってしまって、ぽつりと、私が溢した一言に、セオドアが周囲を警戒しながらも……。
「考えられるパターンは幾つかあるが……。
さっき、俺がナイフ投げのゲームで、黄玉なんていう一番良い景品を貰ったから、それに目が眩んで、羨んだ人間か……。
それとも、元々姫さんのことを狙っているような奴……、例えば、仮面の男とか」
と、声をかけてくれる。
セオドアの言っていることには『確かに……その可能性はあるかもしれない』と素直にうなずくことが出来た。
さっきの屋台で、私たち……、というよりも、セオドアがナイフ投げのゲームで“トパーズ”を貰ったことは、見ていたお客さんたちなら誰もが知っていることだし。
通常では、あまり手に入れることが出来ない貴重な宝石を、500ゴルドという破格の金額で思いがけず入手してしまったことを羨んで。
お金に目が眩み、喉から手が出るほど欲しいと思うような人はいるかもしれない。
もしも、生活に困っている人なら、あわよくばと、私たちのことを狙ってくる可能性も決してゼロではないだろうし……。
屋台のおじさんも、セオドアに対して、『家宝なのだ』とあれだけ渡すのを渋っていたことを思えば、やっぱり手放すのが惜しいと私たちを追いかけてきた可能性も無きにしも非ずなんじゃないかな……?
ただ、もしも、一般のお客さんが私たちのことを付け狙っている犯人なのだとしたら……。
その場合、その人は、狙った箇所に一度も外すことなくナイフを当てるというセオドアの人間離れしたような芸当を目の当たりにしている筈だし。
少し考えれば、宝石を狙って此方に向かってくるということは、セオドアと対峙しなければいけないということに直結していて……。
明らかに、分が悪いということに気づくと思うから、その可能性は限りなく低いんじゃないかなぁ、と感じてしまう。
【もしかして、数の暴力なら大丈夫かもしれないと踏んで、複数人で私たちのことを襲撃しようとしていたりするんだろうか……?】
不安に思いながら、セオドアに今、自分が思いついたことを話してみると……。
「いや、複数人じゃなくて恐らく単独で動いていると思う。……俺が今、気配を感じるのは一人だけだ。
だから、もしかしたら、宝石泥棒じゃなくて、仮面の男の可能性の方が濃厚かもしれない」
という言葉がセオドアから返ってきた。
……仮面の男。
セオドアのその言葉に、私自身、更に緊張感が高まっていくのが分かる。
さっき、ナナシさんが私たちの前で木製の仮面を付けていた時のような『和やかな雰囲気』とはかけ離れているほど、仮面の男に対しては、否応なく危機感を抱かざるを得ない。
だって、なんていったって、私のデビュタントの時に捕まった医者のマルティスを扇動して、あんな事件を起こさした張本人だし……っ。
未だに、その目的が何なのかまでは謎のままだけど……。
今の段階で分かっているのは、彼が、皇宮でも地位のあるような宮廷貴族かその辺りの人たちにもしかしたら、雇われて動いているのかもしれないということと。
……なぜか、私を狙っている可能性が高いだろう、ということのみ。
私自身、巻き戻し前の軸の時も含めて考えたら、私が赤を持っていることで『どうしても受け入れられない人』だとか。
私のことを傀儡にしたいと思っている人だとか、狙われる理由には幾つか心当たりがあるんだけど。
――そのどれもが、未だに確証にまでは至っていないことは分かっている。
現状、その目的を探る手立てがないのも、そのことに拍車をかけている要因の一つだろうな……。
私の郵便の検閲係の事件や、デビュタントの事件……。
それから、アーサーの失踪に関することまで、最近、私の身の回りで起きている一連の不審な事件が、偶然にも、バラバラに起きた事件なのか。
それとも、誰かの指示のもと、裏で繋がっているのかどうかさえ分からないことだから、少しでも手がかりが見つかればいいと思う反面……。
相手が何をしてくる人なのか分からない分だけ、セオドアも含めて“危ない目には遭ってほしくない”という気持ちがどうしても出てきてしまう。
「なんて言うか、急に、あまり穏やかな感じじゃなくなってしまいました、ね……?
まるで、僕の知らない世界に迷い込んでしまったみたいだ」
私たちが、緊迫した会話の遣り取りをしていると……。
ぽつりと、困ったような雰囲気でナナシさんが声を出してきたのが聞こえてきて。
私は、もしかしたら自分のせいで彼を巻き込んでしまったかもしれないと、段々と、申し訳ない気持ちが湧き出てしまった。
「ごめんなさい、私のせいで巻き込んでしまって。……ナナシさんは多分、関係のないことなのに」
何をどう考えても、ナナシさんが誰かに狙われているなんてことは余程のことが無い限りあり得ないだろう。
それが、宝石泥棒をしたい人たちであるにせよ、仮面の男が、私の周辺を嗅ぎ回って、何か狙っているにせよ。
――はたまた、別の人間の思惑であろうとも。
ナナシさんはジェルメールで働く一般人だし、こういうことには、無縁のはずだから……。
【不審なことが立て続けに起こっていることも、あまりいい気はしていなかったけど……。
私の立場を良く思わない人もまだまだ多いだろうし、やっぱり、どうしても私の身の回りでこういう不穏なことが起こってしまうなぁ……】
まだ、本当に、自分が関係しているかどうかは分からないものの……。
内心で、巻き戻し前の軸の時のことも考えたら『私に、平穏なんてものは無いのかもしれない』と、少なからず落ち込みつつ。
今の私には、巻き込んでしまったことへ謝罪しか出来ないと、誠心誠意謝れば、ナナシさんがふるふると首を横に振りながら……。
「……いえ、ちょっとだけ驚きましたけど。
こういうことに遭遇するのなんて、僕、初めてで……。
なんていうか、スリルがあって、緊張と手汗でドキドキしています。
ええっと、こういう場合って、どうすればいいんでしょうか……?
いっそのこと、相手に事情を聞いて、立ち向かう、とか?」
と、まるで『気にしないでいい』と言ってくれるみたいに声をかけてくれた。
その言葉に、救われたような気持ちになりながら……。
どこまでもマイペースに、明後日の方向に張り切ろうとするナナシさんに。
『……下手に犯人を刺激してしまったら、よく無いかもしれない!』と、慌てながら、ひとまず止めるように声を出してから、私は思考を巡らせる。
こういう時、一体、どう対処すればいいのかは、私にも正直言ってよく分からないんだけど……っ。
とりあえず、相手が誰なのかということと、その目的に関しては知っておきたいなぁ、とは思う。
じゃないと、不安や心配の種はいつまで経ってもなくならないだろうから……。
「ふむ……、そうだな。
少し僕の方でも気配を探ってみたが、セオドアの言うように確かに一人だけだな。
今はあそこの物陰から、僕たちの動向を探っている。
それから、ここからでは分かりにくいが、フードというか、ローブのようなものを着ている可能性が高いと思う。
……仮面をしているかどうかは判別出来ぬが、そこまでは僕でも把握することが出来た」
そうして、アルが、セオドアの言葉に対して……。
――もしかして、何か、魔法を使ってくれたんだろうか……?
そんな素振りはあまり見せていなかったけれど、最近、私の身の回りで不審なことが頻発して起こっているから、アルなりに気を遣ってくれたのかもしれない。
思いっきり、眉を寄せながら、そう言ってくれるのが聞こえてくると……。
私自身『ローブのようなものを着ている可能性が高い』という思いがけない言葉に、思わず……。
「……っ、ローブ、っ?」
と、ついつい反応をしてしまった。
私の反応を見て、セオドアもアルも、ローラも、私に何か思い当たる節でもあるのかと、心配の表情と共に、問いかけるように一斉に此方へと視線を向けてくれる。
その反応に、なんて言えばいいのか分からなくて、私は言葉に窮したあと、押し黙ってしまった。
まさか、数年後に、騎士団長が殺されてしまう、シュタインベルク国内を騒がすような大事件が起こることを、今、ここでみんなに話す訳にはいかない。
それに、あの事件の犯人は、確かに『ローブを着ていた』という目撃情報があった筈だけど、犯人は、単独犯ではなく二人だったはず。
ましてや、彼らが行動している時期も違えば、ここで私のことを狙う理由に説明がつかないし、流石に、ローブという単語だけで関連付けるのは良くないだろう……っ。
その可能性自体が低いことを考えれば、やっぱり、別な人だと考えた方が、どう考えても理にかなってる。
「えっと、ごめんね。……特別思い当たる節があった訳じゃないんだけど。
ローブを着てるって聞いて、鉱石を採るための冒険者たちならそういう格好をしている人も多いけど、王都の街でそんな格好をしている人って珍しいなって思って……」
だから、私がみんなに向かって、当たり障りのない言葉で濁しながらそう伝えると……。
私の言葉を聞いて、みんなも『そういうことか……』と納得してくれたみたいだった。
私が6年もの歳月を、自分の能力を使って巻き戻したことを知っているのは、未だにアルだけだし……。
出来ることなら、自分の体調のことを心配される可能性があるから、必要以上にはローラにもセオドアにも、そのことを正直に伝えるのは控えておきたい気持ちは今も変わっていない。
もしかしたら、セオドアやローラはそれを聞いたら、私の身体のことを心配しすぎて、今後私が能力を使うことに関して、今まで以上に反対してくる可能性もあるし……。
ただでさえ、普段から心配をかけているのに、これ以上、心配して貰うのは気がひけてしまう……っ。
「というか、あの、アルフレッド……さん。
もしかして、視力が凄く良いんですか……?
こんな場所から、どうやって、僕たちの後をつけている人の格好を……?」
それから、ぼんやりとしているようでいて、時々凄く鋭いことを言うなぁっ、と意外に感じながらも……。
ナナシさんが純粋に疑問に思った様子で、アルの方へと問いかけるのが見えて、私は思わずドキッとしてしまった。
「う、うん……っ!? そ、そうだなっ!
えっと……、その……、僕は、特殊な生態っていうか……。
と、特別な訓練をしているのでなっ、他の人間とは多少違うところがあるのだっ!」
そうして、アルがわたわたと慌てながら、言葉を濁しつつ、ナナシさんにそう伝えると。
ナナシさんは、その言葉を聞いて『へぇ……、そうだったんですね』と、感心したように、まるで純粋な雰囲気でアルの言葉を信じ切った様子で声を出してくる。
……っていうか、アルの言葉を一切、疑わないで信じている人、初めて見たかもしれない。
今まで、ルーカスさんやお兄様なんかは、アルがお父様の紹介で来た子供だから、言えないことがあるんだろうなと思って、そういう所に関してはスルーしてくれてたみたいだし。
ヒューゴですら、疑問に思ってたくらいのアルの正直で嘘が吐けない性格に、こうやって、真面目に頷いて聞いてくれている人も、凄く珍しいなぁと感じつつ。
こういう所を見ると、アルに引けを取らず、もしかしたら、ナナシさんも凄くピュアな感じの人なのかもしれないなって、思ってしまった。
「……だが、あまり、そういうことに手慣れてる人間の動きじゃねぇな。
俺たちが気づいたかもしれないってことで、気配がぶれたっつぅか、多少、動揺してるようにも見える。
もしも、仮面の男なら、マルティスの証言から考えても、そういう裏で諜報をしているような、結構な手練れの筈だろうし。
……今、俺たちの後をつけているにしては、粗が見える気がする」
「セオドアさん。……でしたら、宝石泥棒や、別の勢力の人間だということでしょうか……?」
そうして、セオドアとローラが二人で、私たちの後をつけてきた『犯人像』について会話の遣り取りをしてくれていることに、私自身も改めて考えてみたんだけど。
もしも、今回の人が、仮面の男ではないのだとしたら、いよいよ誰が私たちの後をつけてきているのか、全く判別がつかなくなってきてしまう。
宝石泥棒の線はさっきも考えたけど、限りなく薄いと思うし、かといって、別の勢力と言われてもピンとは、こなくて。
私が、頭の中で、一人、あれこれと悩んでいるうちに……。
「……あぁ……、考えても分からないんじゃ、埒が明かねぇな。
どうせ、気づかれたっていうんなら……。
この距離感だったら逃げられる可能性もあるにはあるが、いっそのこと俺の方からとっ捕まえにいった方がいいかもしれねぇ。
仮に逃がしたとしても犯人の顔さえ見れりゃ、この後も対処しやすいし」
と、セオドアが私たちに向かってそう提案してくれたことに思わずぎょっとしてしまった。
「でも、セオドア……。もしも、危ない人だったら……」
……出来るだけ、セオドアには、危険な真似はして欲しくないと思いながら、不安と心配が入り交じった視線を向けると。
「大丈夫だ、姫さん。
今なら、相手のいる方は大通りに近い場所だし、俺たちのいる場所も裏通りとはいえそこまで奥まった場所じゃない。
これだけ建国祭で賑わって、人が大勢いる中で、そこまで大それたことは相手も出来ないはずだ」
と、セオドアから説得するようにそう言われて、私は一瞬だけ眉を寄せて判断に迷ったものの、最終的に『……分かった』と頷いて、セオドアにお願いをすることにした。
セオドアのことは、私自身が誰よりも一番、信頼している。
それに、『きっと、大丈夫』という算段が自分の中でついているから声をかけてくれたんだろうし……。
これから先のことを考えたら、相手が誰なのかは分かっていた方がいいと思ってくれたんだと思う。
それは、私だけじゃなくて、今後、もしもまた同じ人が私の周辺を嗅ぎ回ろうとしてやってきた時に、『みんなのことも、守ることが出来る情報』に繋がるものだと思うから。
だからこそ……。
「……だけど、もしも何かあった時は、私も絶対に手助けするね……っ」
と、声を出す。
危険なことをやめて欲しいと止めるのではなく……。
私自身も何かあった時は“惜しみなく能力を使うつもり”でそう声をかければ、セオドアは一瞬だけ、私の言葉に面食らった様子だったけど。
「……分かった。
姫さんに手助けなんてされなくてもいいように、全力を尽くすことにする」
と、ふわりと穏やかに笑って、そう声をかけてくれた。
「とりあえず、何も気づかないフリをして、このまま向かう筈だった骨董品屋に向かう素振りだけ見せる。
俺たちが相手に気づいていない風を装って、ちょっと大きめに適当な会話で繋げてくれ」
それから、セオドアにそう言われて、その言葉に異論なんて勿論なく、私たちはこくりと頷き返した。
今日、私たちの後をつけてきた人が誰なのかは分からないにせよ、もしかしたら私たちが今まで巻き込まれた事件に関与している人の可能性だってあるし『心してかからないといけないなぁ……』と思いながら……。
相手の人を捕まえるチャンスは一度きりしかないことを考えると、ろくに話し合いも出来ていないまま挑むのは、どうしてもドキドキとしてきてしまうけど。
……自分に出来る範囲で、一生懸命頑張ろう、と心に誓っていると。
「……ふむ、なるほどな。
骨董品屋に向かうことをなるべく大きな声で相手にも伝わるように、自然に会話をすればいいのだなっ! 僕に、任せろ、セオドア……!」
と、セオドアの言葉を聞いて、自信満々な雰囲気で、こくりと一度大きくアルが頷いたかと思ったら……。
「……あー、僕、早く、その木製の仮面が欲しいなぁっ……!
早く、骨董品屋に行きたいなぁ……っ!
……なぁっ、アリス、ナナシ、お前たちもそう思うであろうっ!?」
と……。
もの凄く『大根役者かな……!?』と思ってしまうくらい演技が下手くそなアルが、一際大きな声で私たちに向かって今考えた台詞を棒読みしてきて……。
それで、私自身は緊張感が凄く和らいだんだけど。
セオドアは、『オイ、お前、マジか……!』というような雰囲気で目を見開いたあと、ちょっとだけ頭を抱えたくなってしまいたいような視線でアルの方を見ていて……。
ローラが、『アルフレッド様、頑張って下さいっ……!』と、今にも応援するような表情をしているのを感じて。
「あ、えっと……。そ、……そうだよね、アル……!
早く、木製の仮面が手に入って、ナナシさんとお揃いが出来ると良いねっ……!」
と、なるべくフォロー出来るように、私も一生懸命に話を続けることにした。
そうして、セオドアが『……あぁ、もうどうにでもなれ』という投げやりな感じで、私たちに見えるように3、2、1……と指の本数を減らしながら……。
多分だけど、未だ、物陰に隠れて私たちの様子を探っている人たちの方へと向かう合図を出してくれたあとで……。
指の本数が0になった瞬間、私たちの輪から抜けて、一気に大通りの方へと向かって走り出してくれたのが私の目に入ってきて。
その後方で、私もセオドアには追いつけないけど走り出し、いつでも自分の能力が使えるようにと準備することにした。