352 一番良い景品
「あの、アリス様……。
一体、何がどうなってこのような状況に……?」
セオドアが、ナイフ投げのゲームで、5本の短剣を全て小さな的の中に入れるという偉業を達成して、少し経ってから……。
アルから買い物を任されていたローラが、私たちのいる場所へと戻ってきてくれた。
元々は、ゲルマン通りにある広場で合流する予定だったんだけど、その通り道で、思いっきり観客を沸かせて賑わっている場所があって、気になって見てみたら、私たちがその中心にいたものだから、凄くびっくりしたんだと思う。
「あ、ローラ……!
買い物をしてきてくれてありがとう。
えっと、話せば長くなるんだけど、セオドアがナイフ投げのゲームで一番良い景品をゲットすることになったの……!」
そうして、改めて、さっきまでの事情を掻い摘まんで説明してみたものの。
今、この場所にやってきたローラからすると、私の説明では、今ひとつピンと来ていないんだろうな、ということはすぐに分かった。
そもそも、ナイフ投げのゲーム自体が、どう考えてもメジャーなものではなく、この屋台のおじさんが考えたっぽいゲームであることは、間違いなさそうだし……。
ほんの少し、混乱しているような様子のローラには申し訳ないんだけれど……。
ローラの認識を正すよりも、増えてしまった一般のお客さんたちに、自分たちの身分がもしかしたらバレてしまうかもしれないという懸念を、どうにかする方が先決だった。
未だ、セオドアに対してのみ、凄い興奮と熱気とも呼べるような、注目が向いているから、出来るならこのまま、あまり、私自身が注目を浴びてないうちに、この場を去れれば、それに超したことはないと思う。
「……兄さん、これがうちの一番良い景品だ。
そんじょそこらの人間では手に出来ないような、宝石大国と呼ばれるシュタインベルクでも、一級品と扱われる宝石の一つだぜ。
近年、ソマリアでは特にシュタインベルクでの宝石が高値で売れるって話だし……。
実際、うちの国で売るよりも、ソマリアで売った方がより、買い取り価額が上がるかもな。
まぁ、元々、金持ちそうな、あんたらには必要のねぇ、情報かもしれねぇが……。
あぁ、クソっ! やっぱり、手放すのが惜しいぜ……! コイツは、うちの家宝だったんだ……!」
そうして、セオドアに向かって……。
ジュエリーが入っているような箱に入れられた景品を、おじさんが、苦い表情を浮かべながら、絶対に渡したくないと言うような雰囲気で、出し渋りをしつつ。
それでも周りの人たちから白い目で見られて、仕方なくといった感じで、がっくりと肩を落としながら……。
セオドアの方へと、ものすごく別れを惜しむような素振りをみせて、手渡してくれた小箱の中身は、まだアクセサリーなどに加工する前の黄玉と呼ばれる、確かに私の目から見ても、シュタインベルクでもかなり格の高いとされる宝石の一つで……。
おじさんの言っていることには、間違いがなさそうだった。
私自身、今でこそ宝石や服など、物にはあまり執着をしなくなっているから、特に欲しいとも思わなくなってしまっているけれど……。
それでも、巻き戻し前の軸も含めて、ある程度、本物の宝石などの質の良い物に触れさせて貰っていた経験から、それがどの程度価値のある物なのかは、すぐに見抜くことが出来る。
1回のゲームにつき、500ゴルドという安さで貰える景品にしては、本当に破格だった。
それよりも……。
確か、ソマリアで、シュタインベルクの宝石が高値で買い取られているって、前にもどっかで聞いたような気がするんだけど……。
一体、どこで、聞いたんだっけ?
頭の中で、疑問に思いながら、確かここ最近のことだったような気がすると思考を巡らせれば……。
【いや、なにっ、俺はソマリアの父とシュタインベルクの母から生まれたハーフなもんでね。
どこの国でも大抵高値で遣り取りされるものだが……。
例え、こっちの国ではゴミ扱いされるような鉱石も、ソマリアは特にシュタインベルクで採れる鉱石についての買い取り価額が高いことでも知られてて、そこそこの値段で売れることは俺たちみたいな冒険者からすると常識だ】
と、言われた言葉が頭の中に浮かんできて、すぐに、誰が言っていたのかは思い出すことが出来た。
そうだった……。
前に、ブランシュ村にある酒場で初めて会ったときに、ヒューゴから聞いたんだった。
海の都として、漁業関係での実入りも多く……。
新鮮な魚が人気で、一大観光都市にもなっているソマリアが、シュタインベルクの鉱石や宝石についての買い取り価格が一番高いっていうのも、凄く不思議だな、と思うんだけど……。
巻き戻し前の軸の時も、私が知らないだけで、多分、そうだったんだよね?
巻き戻し前の軸の時は特に、宝石を買うことはあっても、売ることはあまり無かったから、私自身、そのあたりの事情に関しては今ひとつ詳しくないんだけど。
あの日、ヒューゴが言っていたように、職業柄、鉱石を扱ったりする冒険者の人たちだけじゃなく。
こうして、王都に暮らすシュタインベルクの一般市民にも知られているくらいだから、ソマリアでは鉱石が採れないこともあって、宝石の希少価値自体が高いと判断されているのかも……。
それにしたら、目玉にしていた一番の景品がこんなにも良いものなのに、一回のゲームにつき500ゴルドで済んでいるのは、かなり良心的なお店のような気がしてしまう。
あぁ、でも……。
5本ある短剣のうち、5本とも小さな的の中に入れるだなんて『絶対に達成出来ない』と、高をくくっていた可能性は凄くあるなぁ、と感じるから。
やっぱり、一番良い景品に関しては人の興味や感心を引く為だけのもので、本来なら、多分、手放すつもりさえ、無かったんだろうな、というのは私にも理解出来てしまった。
おじさんの誤算は、多分、セオドアの身体能力を見誤ってしまった所だろう。
それから、暫く経って……。
沢山のお客さんたちに、『兄ちゃん、凄いなっ!』と褒められて、もみくちゃにされていたセオドアが。
彼らの熱気が少し冷めてきたタイミングで、人混みから抜け出して、景品を持って、私たちの元へと戻ってきてくれた。
「姫さ……、あー、何つぅか、目利きでもねぇ俺には価値もよく分からねぇものだが、黄玉だそうだ。
……あの親父、胡散臭すぎて信用ならねぇんだが、コイツは本物なのか?」
そうして、セオドアにパカッと開いたジュエリーケースの中身を見せて貰いながら、そう問いかけられて、私はこくりと頷き返す。
「うん、大丈夫。……間違いなく本物だと思うよ。
売ったら、それこそ纏まったお金が手に入るから……。
セオドアが加工して、アクセサリーとかにして身につけようと思わないんだったら、売ってしまっても良いのかも」
にこりと笑みを溢しながら、確かにあの屋台のおじさんは凄く怪しい人だったけど。
景品に関してだけ言うと、その中身自体は本物なのだと分かって貰えるように、太鼓判を押せば。
セオドアは、今自分が持っているものが本物だと聞いて、私の言葉に、ほんの少しだけ困ったような表情を浮かべながら……。
「そうだったんだな……。
流石に出し渋りをしてたから、俺も、本物かもしれないと思ってはいたが。
……500ゴルドで手に入れたにしては、あまりにもデカい景品になっちまったな。
俺は別に宝石には興味がねぇし、姫さん、こんなもので良ければ、貰ってくれ」
と、あっさりと、今自分が苦労して取った景品であるトパーズを、私に譲ろうとしてくれて。
その対応にびっくりしながら、私は一人、わたわたと慌ててしまった。
「え……っ!? だ、だめだよ、セオドア。
せっかく、セオドアが頑張って貰った景品なんだし……。
価値のあるものだから、必要ないなら売ってしまうか、少しでも自分の財産にしてしまった方がいいと思う」
それから、先々のことを考えたら、何が起こるか分からないし……、と。
貯蓄の大事さも含めて、必死になって説明する私に、セオドアは少し悩んだ素振りだったけど……。
「あー、分かった。
じゃぁ、あれだ。これくらい大きかったら、一つのアクセサリーにして、加工するにも多分余るだろ。
俺用の物としてピアスにするから、姫さんも俺とペアで、揃いのイヤリングとして貰ってくれるか……?」
と、そう提案してくれて……。
私自身、きょとんとした後、セオドアに言われた言葉の意味が分かって、少し迷ったあと『それなら……』と受け取ることにした。
本当なら、全部、セオドアのものにしてしまった方が良いだろうなとは思うんだけど、きっとセオドアはそれだと、“うん”とは言ってくれないだろうし。
元々、全部、私にくれようとしてくれたことを思えば、少しでもセオドアの財産になった方が良いと思う。
「私、このゲーム、全然、頑張ってないのに……。
結果的に、セオドアと、お揃いのイヤリングまで貰うことになっちゃって、ごめんね……」
「いや。……ただ単に、俺が、そうしたいと思ってそうしてるだけだから、ごめんは、禁止な?」
それから、セオドアに、有無も言わさずそう言われて、私はこくりと頷き返したあとで、ゆるゆると口元を緩めて笑顔を作り出し、『ありがとう』と、言い直すことにした。
こういう時、ついつい謝罪が先に出てしまうのは、私の癖っていうか、もはや、性分みたいなものなんだけど……。
前にセオドアに、ごめんって言われるよりも感謝して貰えた方が嬉しいと言われたことを思い出してお礼を伝えると。
セオドアが『姫さんが、気にすることないからな』という視線を向けてくれたあと、私の方を見ながら柔らかい表情で微笑んでくれた。
そのことに、じんわりと温かい気持ちになっていると……。
「……お揃いのピアスに、イヤリング、ですか。
皇女様は騎士の人と、本当に凄く仲が良いんです、ね……?」
と、私たちの会話を傍でずっと聞いていたのか、突然、ナナシさんに横から割って入るような形でそう言われて、私は思わず振り返る。
どこまでも、マイペースに私たちの方に視線を向けてくるナナシさんからは嫌な感じはどこにもなく、純粋にそう思ってくれているみたいで……。
「はい、そう見えてたら凄く嬉しいです」
と、セオドアと私の仲が良いと、普段の私たちのことをよく知らない人にもそう思われたのが嬉しくて、にこにことしていると……。
「僕には、そういった人がいないので、羨ましいです」
と、ナナシさんが本当にそう思ってくれているような様子で声をかけてくれた。
そうして、ふと、今、思い立ったかのように、少しだけ、ぱっと目を見開いたあと。
「あぁ、そうだ……。
そういえば、ノクスの民は、集中すると比較的、広範囲まで人の声が聞こえるって聞いたことがあるんですけど。
今回、騎士の人は、集中してたのに、大丈夫だったんですか……?」
と、不思議に思ったのか、素朴な疑問を、ぽつりと此方に出してきて、私は思わず目を見開いてしまった。
そういえば……、確かに、そう言われてみると……。
セオドアは耳がいい分、いつも人が多い所では必要以上に声が聞こえてきて、声を聞こうとするだけで、気持ち悪くて酔うって言ってたような気がする。
もしかして、コンディションが最悪な中でも、あれだけのパフォーマンスが出来ていたのかな、と思うと、改めて凄いとしか言いようがないんだけど……。
セオドアはナナシさんの言葉に、一度、否定するように、首を横に振りながら……。
「あぁ、確かにそれはそうなんだが。
俺たちが集中するって言葉を使うのは、一概に一つだけに特化して、そう言っている訳じゃない。
人の声を聞くのに集中するのと、目の前の的だけを見て集中するのとじゃ、耳と目で使ってる回路が違うって言えば、説明になってるか……?
まぁ、それでも俺らは目も耳も良いから、必然的にいらない情報まで入ってきやすいんだが……。
日常的に、他の人間の声を聞くことだけに集中してると、こういう人が多い所じゃ、情報量が過多になって、完全に酔って気持ち悪くなっちまうからな。
その場その場で、聞こえないようにしたり、見ないようにしたり、オン、オフの切り替えに関してはなるべく、出来るようにしてんだよ」
と、集中力の使い方が違うのだと、しっかりと説明をしていた。
オン、オフの切り替えというものが、私には、どんなものなのかは分からないけれど……。
目で見て集中したら、目に特化する分、耳から入ってくる情報がぼやけて、耳を澄まして集中したら音に特化する分、目から入ってくる情報がぼやける、とか。
極端に言うと、もしかしたら、そういう感じなのかもしれない。
セオドアは、何でもないように言っているけど、改めて、ノクスの民って一般の人に比べたら、身体の構造自体が少し特殊なんだな、って思ってしまう。
「っていうか、アンタ、ノクスの民に知り合いが……?」
そうして、セオドアが訝しげにナナシさんに向かって問いかけると。
ナナシさんは、セオドアの方を見て、こくりと頷きながら……。
「えぇ、そうなんです。
僕も、この地で定住するまでは色々な場所を転々として暮らしてきたので、ノクスの民にも、何人か出会ってきました」
と、声に出して、教えてくれる。
そうして、不意に、セオドアから視線をそらしたあとで……。
「……だけど、本当に身勝手だな、って感じます。
さっき、あなたを見て、まるで英雄かのように讃えてはしゃいでいた人たちは、普段はあなたのことを馬鹿にして、貶している側の人間かもしれないのに……」
と、そう言ってきたナナシさんに、私は思わずびっくりして目を見開いてしまった。
普段、マイペースな感じな上に、おっちょこちょいで、どこか気の抜けた雰囲気のナナシさんとは違って、その目には強い憤りが宿っているようにも見えて、混乱してしまう。
初めて会った時と、まるで、印象が変わったような気がしたのは、けれど、一瞬のことで……。
その瞳は、もういつもと同じように、ゆるく穏やかなものへと戻ってしまった。
だからこそ、柔らかな雰囲気とは打って変わって、一瞬見えた、強い視線が印象に残ってしまったのかもしれない。
「人間なんて、そんなものだろ。
俺たちは見た目で、そもそも損をしているから、その分、人一倍、振る舞いには気をつけなきゃならねぇ。
だが、最初っから、期待なんてしてなけりゃ、いつだって、何か言われても最小限の痛みで済む」
そうして、セオドアの達観したような言葉を聞きながら、私自身もそのことについては赤色の髪を持っていて更に魔女という当事者だからこそ、難しいなぁ、と感じてしまった。
「騎士の人は、今のこの状況を、諦めてるんですか……?」
「いや……、別に俺は諦めてる訳じゃねぇ。
例え、この世の中に一人しかいなくても、自分のことを理解してくれる大切な存在が傍にいればそれでいいと思ってるだけだ」
私自身、セオドアの言っている言葉には、理解出来る部分が沢山あって……。
その他大勢の人に理解されるよりも、自分の身近にいる大切な人たちが自分のことを分かってくれていれば、それだけでどれほど心が救われるのか、ということは。
――きっと私自身が一番、身をもって知っていることでもあるし。
今までなら、私もどちらかというのなら、セオドアみたいに、それだけでいいと思っていた。
自分のことなら『幾らでも変える』ことが出来るけど、周囲の人の考えや意見を変えることの難しさは身にしみて理解している。
でも、多分、今後のことを考えたらそれだけじゃだめなんだよね。
自分と、身の回りにいるごく少数の人のことを思うだけならそれでも構わないけれど、ベラさんみたいに今も苦しんでいる人たちを救うためには、どんなに怖くても勇気を出して一歩踏み出さなければいけないし……。
これから先、赤を持つ人たちや、世間からも弱者とされる人たちを救うには、まず、大多数の人間の認識から地道に変えていかなければ、いけないのは肌で感じるところだ。
そうしていくために、私自身が、赤を持つ者として矢面に立ったり、評判を高めていければいずれは、とは、思っているものの。
気持ちばかりが焦っていくだけで、現状、どういう風にしていくことが一番良いのか、その答えは見つけられないでいる。
もしかしたら、ナナシさんも、孤児だったっていうくらいだから、私には想像することも出来ないような苦しい生活を強いられてきたのかもしれない。
だからこそ、一般の人というか、人全般に対しても、苦手意識があるというか、あまり良いようには思っていないのかも。
どことなく、その境遇に関しては、私とも似通ったところがある人なのかな、と内心で思いながら、私はとりあえず、気持ちを切り替えることにして、ゲルマン通りの広場にみんなで向かうことにした。
だから、このときの私は、気づけなかった……。
ナナシさんの投げたナイフを回収するのに、屋台のおじさんが、的の下に落ちているナイフを拾いに来た瞬間……。
「……な、なんだ、こりゃぁ……。
どんな確率があったら、こんなことが起きるんだよっ!?
適当に投げた筈のナイフが、5本全部同じ場所に落ちて、綺麗に重なってやがる……!」
と、言っていたことを……。