351 ナイフ投げ
あれから、私が気になっていたお菓子の量り売りのお店に立ち寄ったり。
ポップコーン売り場に行って、みんなで違う味のポップコーンを購入して分け合ったり……。
路上で食べ歩きをするのも凄く新鮮で、なんだかマナー的に『はしたない』というか、いけないようなことをしている感じはあるものの。
みんなで、あれこれと食べ物を分け合ったりして、いろいろなものが食べられるのも凄く嬉しかったり。
あとは、お菓子や食べ物系だけではなく、道ばたで許可を取って披露している、丸いボールを自由自在に扱っている道化師の格好をした人の大道芸をみんなで見たり……。
ちょっと進むだけでも、本当にいろいろな催し物があちこちで開かれていて、飽きの来ない建国祭を、思いっきり堪能していたら……。
あっという間にさっき、ドーナツ屋さんで配られた、5店舗以上巡ったらプレゼントが貰えるというカードの中の印が貯まっていった。
「ふふーんっ! 見てくれっ、アリス。
建国祭をちょっと見て回るだけで、早速、カードがいっぱいになったぞっ!
早く、ゲルマン通りの広場に行ってプレゼントと引き換えて貰おう!
運とはいえ、後の方になったら、良いものが残ってないかもしれぬしなっ!
……あぁ、でも残り物には福があるというし……。
むぅ、こればっかりは、難しい問題だな……!」
そうして、鼻歌のようなものを歌いながら、カードを掲げて上機嫌にアルが声をかけてきたかと思ったら……。
いつ引き換えて貰うのが、一番、効率よく良いプレゼントを引き当てられるのかということを、真剣に悩み始めたのが見えて、私は、アルのその行動を微笑ましく感じて、口元を緩めながら笑みをこぼした。
「うん。……自分に合ったものが当たると良いね……?」
私自身、今回の建国祭で、どんなものがプレゼントとして用意されているのか分からないから何とも言えないんだけど。
例えば、女性が喜ぶような化粧品などをアルが当てても、きっとあまり嬉しくはないだろうし……。
そういう女性向け、男性向けの商品が、アルと私で別々に当たらなければ良いなぁと思いつつ。
【みんなが喜ぶようなプレゼントと言えば、何か食べものとかが当たるのがベストかも】
とは感じたけれど、実際は、こうして、くじ引きで何が当たるのかと話し合って、ドキドキしている時間が一番楽しいかもしれない。
それから……。
『待ちきれないから、なるべく、早く交換しに行きたい』という、アルの希望で、私たちは今いる現在地から少しだけ離れた、王都の中でも待ち合わせをしたりするのに良く使われるゲルマン通りにある広場へと向かうことにした。
その道中にも、路上で楽器を演奏している人たちがいたり……。
即席で、自画像を描いてくれる、駆け出しの芸術家の卵のような絵描きの人がいたりと、王都の街並みは本当にいつも以上にがやがやと賑わっていて、ただ、その場所を通り過ぎているだけでも、凄く楽しめた。
その道中で……。
「オイ、兄さん……。
フードを被って隠してるが、黒髪に赤い目ってことは、ノクスの民だろう?
身体能力に自信があるなら、うちの店でナイフ投げに挑戦してみねぇか?」
と……。
セオドアに声をかけてきた人がいて、私たちは思わず、声のした方へと視線を向けた。
見れば、ブランシュ村の洞窟で出会ったような冒険者を彷彿とさせる、スキンヘッドのおじさんが、何か私たちに、ゲームのようなものを提案してくれていて……。
小さな短剣を5本ほどカウンターのような場所にずらりと並べ、その奥に、騎士団の訓練で使われているような、丸い円のしっかりとした的のようなものが並んでるのが見えて、私は思わず目を瞬かせる。
――ナイフ投げだなんて、初めて聞いたけど、あの的にナイフを当てれば良いのかな……?
割と、ここからは距離があるから、普通に考えても凄く難しそうだな、とは思うんだけど……。
「いや、別に俺は、そんなものには興味がないんだが……」
「おいおい、兄さん、そんなことを言って、良いのかい……っ?
見た所、その若さで、小さな子供を二人養っていると見える。
こう言っちゃ何だが、ノクスの民ってことは、普通に生きてるだけで人よりも何倍も苦労しているだろう……っ?
その上、子供を二人養っているとあっちゃぁ、日々の生活も困窮していて、大変な筈だっ!
うちの景品は、そんじょそこらの庶民では手に出来ないような、今日この日のために用意した極上品だぜ……っ!」
そうして、セオドアがやんわりとおじさんに向かって声を出して、『特にやろうとも思っていない』と断ろうとした所を……。
ぐいぐいと恩を着せるかの如く、被せるように声を出してきて、勝手におじさんの中でセオドアは、私とアルという子供を二人養っている設定にされて、なぜか、苦労人扱いされてしまった。
ローラが今、アルに頼まれたものを買おうと、別のお店に並んでくれていて、この場にいないというのも、その無理矢理な設定が、おじさんの中では『決定事項』になってしまっているのに、拍車をかけている要因の一つかもしれない。
「あ、あの……」
「……おっ! なんだい、なんだい、こりゃぁ、えらい、べっぴんさんじゃねぇか。
なぁっ!? お嬢ちゃんも、自分の兄ちゃんの格好いい所を見たいよなっ!」
そうして、私が、セオドアが断ろうとしていたのを見て、助けた方が良いのかもと思いながら、二人の遣り取りに口を挟もうとすると……。
スキンヘッドのおじさんから、強い口調で断言したようにそう言われて、私は思わずどう対応していいのか悩んでしまった。
実際、私とアルは、今日一日、初めての建国祭を凄く満喫していると思うんだけど。
ここまで荷物を持ってくれていたりで、セオドアが私たちと同じように楽しめているかと言われたらそうじゃない気もするし……。
かといって、セオドアがやりたくもないのに、無理にナイフ投げのゲームをした方が良いんじゃないかと勧めることも出来なくて……。
「あ、えっと、あの……。
私は、セオドアがこのゲームを本当にしたいなら、それで、良いと思うんですけど……」
と、控えめに声を出せば。
その言葉を一体、どんな風に勘違いしたら、そうなるんだろうというくらい……。
ポジティブな解釈をしたおじさんから……。
「そうだよなっ! ほら、アンタの格好いい姿が見たいって妹さんも言ってるぜっ!
さぁさぁ、ノクスの民の兄さんっ、うちのゲームは、一回500ゴルドだっ!
5本の短剣を全て、あの丸い的の一番小さい円の中に入れれば、一番良い景品を。
3~4回中心部分に入れれば、そこそこの景品を。
1~2回中心部分か、どこでもいいが的に剣が刺されば、残念賞で、0回なら景品は一切出ない。
……兄さん、腕は確かそうだし、挑戦しなきゃ、もったいないぜっ!」
という言葉と共に、強引に押し売りのような形でぐいぐいとそう言われて、セオドアが呆れたように小さくため息をこぼしたのが見えた。
「おい、アンタ……。
さっきから聞いてりゃ、随分、あこぎな商売じゃねぇか……っ?
こんなに人が賑わっている建国祭の中で、一切人が寄りついてないのを見ると商売が上手くいってねぇんだろう?
それで、どうせ、客が全然、来ねぇんならってことで、俺を客寄せパンダにするつもりだな?
一番良い景品を吐き出すつもりはねぇが、そこそこ、腕の立ちそうな人間がいい景品を貰ってるのを見て、周りの注目を集める算段か?」
「……ぐっ、! に、兄さん、鋭いなっ……!」
「おおよそ、悪い人間が考えそうなことは、こちとら、大体今まで生きてきた人生の中で、一通り酷い目に遭いそうになることで、通ってきてるんでな」
そうして、呆れたままのセオドアの対応と、少しだけばつの悪そうな表情になったおじさんのやりとりを見て……。
私自身、おじさんにそんな目論見があったこと自体見抜けなかったのに、ちょっと話しただけで、この人の意図を簡単に見抜いてしまうセオドアの洞察力はやっぱり凄いなぁ、と思ってしまう。
確かに、セオドアに言われてから、初めて気づいたけれど……。
この沢山の人で賑わっている建国祭の中で、どこもかしこも長蛇の列で待ち時間が凄いことになっているにも関わらず、このおじさんの屋台だけ人が寄りつかず、閑古鳥が鳴いていた。
「ぐぬぬ、っ! だ、だがっ、うちの景品は、本当に一級品だぜっ!
この日のために仕入れてきた骨董品やら、なんやらとかが目白押しなんでな……!
まぁ、あんたらは、お宝なんぞに興味はないかもしれねぇが、目利きに売ったら絶対に、そこそこの金にはなるもんだからな。
それを売って、今日は美味しいごはんでも可愛い子供たちに食べさせてやってくれ……!」
「はぁ……、つぅか、別に、俺は、全く日々の生活には困ってねぇからな。
第一、さっきからアンタの態度も含めて無礼だろ?
俺は、食わせて貰ってる側で、そもそも、一番この中で、誰よりも尊くて決定権があんのは……」
「あぁぁっ、……! あのっ、せ、セオドア……。
私、セオドアの格好いい姿が見たいかもしれないなぁ……っ、!
セオドアさえ、いやじゃなかったら、なんだけど。……えっと、その……、だ、だめかな……?」
そうして、おじさんの必死なアピールになんだか可哀想になってきてしまったのと……。
このまま会話を続けてしまうと、おそらく、シュタインベルクの国民なのに、フードの中の顔を間近で見ても、この国の皇女であると判別出来なくて……。
私のことを、子供扱いしてしまったおじさんに、今、ちょっとだけムッとして怒ってくれているであろうセオドアの、嫌な気持ちが増幅されて一触即発の喧嘩状態になってしまうかもしれないと、慌てて声をかければ……。
『姫さんは、甘い』と言いたげなセオドアの視線とかちり、とぶつかってしまった。
その後、私の視線を受けて。
おじさんへの腹立たしい気持ちに関して、少しだけ溜飲を下げてくれたのか、ため息をこぼしたあとで……。
「一回だけだ。……それ以上はやらねぇぞ」
と、言ってくれるセオドアは、やっぱり凄く優しいと思う。
「おっ、おう、おうっっ! やってくれるのかっ!?
そいつは、マジで有り難いっ!
お嬢ちゃん、お兄ちゃんのこと、一生懸命に諭してくれてありがとうなっ!
これ、おじさんからの礼だっ! 残念賞で用意していた棒付きの飴なんだが持っていってやってくれっ!」
そうして、おじさんから残念賞で用意されていたという、どこにでも売ってあるポピュラーな赤と白の渦巻きになっている飴を貰った私は、それを遠慮無く受け取ったあと。
自分が持っていたポシェットから、そっとお金をおじさんに向かって差し出すことにした。
「あの、さっき、一回、500ゴルドって言ってましたよね?
お金に関しては、多分、これで、足りてるとは思うんですけど……」
基本的には、今日の建国祭で使うお金の管理は全て、ローラにお任せしてしまっていたこともあって……。
今、自分が手元に持っているものに関しては、かなり大きい額のお金しか持ってなくて『お釣り、貰えるのかな……』と感じながら、おずおずとおじさんに向かって差し出すと……。
「あ、あんたら、本当にお金にはっていうか、日々の生活には全く苦労してねぇんだなっ……!
お嬢ちゃん、そんな大金っ、こんな所でぽろっと差し出すもんじゃねぇぞっ!
誰かに見られる前に、早く、仕舞っときなっ!」
と、目に見えて、あわあわと慌てられ始めてしまった。
「大丈夫だ、姫さ……、あー……。
500ゴルドくらいなら、俺が持ってるから、そこから出す」
そうして、セオドアにそう言われたことで。
こういう時の対応が不慣れすぎて、私はまた自分がちょっとだけ非常識なことをしてしまったのでは……、と思いながら、そっと持っていたポシェットの中にお金をしまう。
そんな私の態度を見て……。
「っていうか、兄さん、こんな小せぇ子供に大金を持たせて何やってんだっ!
あんた、保護者なんだろう……っ!?」
と、私のことを心配してくれたのか、セオドアに対して色々と注意してくれている所を見ると……。
このスキンヘッドのおじさんは、セオドアを客寄せの人材として利用しようとした点では悪い人だと思うけど、根は、真面目というか、割とまともな性格の人なのかもしれない。
ただ、セオドアに対して、私の保護者という認識自体が、そもそも間違っていることだから、その矛先をセオドアには向けてほしくなくて、私はふるふるとおじさんに向かって首を横に振った。
「いえ、その、セオドアは何も悪くないんです……。
保護者というか、私の護衛をしてくれているような人で、今日の建国祭にも一緒に付いてきて貰っているだけなので……」
そうして、かいつまんで自分の身分以外の事情を説明すると……。
それだけで、おじさんも私の説明で伝わることがあったのだと思う。
こんな所に皇女が来ているとまでは認識されなかったみたいだけど、少なくともローブの下に私が着ているドレスを見て良家の令嬢だとは、認識してくれたみたいだった。
「……なるほどな。
お忍びで自分の従者を連れて、建国祭に来ているどこかの名家のご令嬢だったってことなのか。
……あー、せっかくだから、そこのぼけーっとした雰囲気の緑色の髪の兄さんもやってみるかい?
流石に、子供二人にはナイフは危なくて触らす訳にはいかねぇけどよ」
「……あぁ、えっと、僕、ですか……?
そうですね、……それなら、せっかくなので、僕もやらせて貰おうかな……」
それから、おじさんに誘われたことで……。
これまで私たちに付いてきてくれたことで、少しだけ打ち解けることが出来てきたナナシさんも、セオドアと同様、あれよあれよという間にナイフ投げに参加することが決まってしまった。
ナナシさんが、自分もやってみると言ったことで、おじさんも少なくとも二人はお客さんが出来たことにホッと安堵している様子で、その様子を見て、私は思わずハラハラしてしまった。
セオドアはそれこそ騎士としてしっかりとした腕を持っているから大丈夫だと思うんだけど……。
ナナシさんに関しては、私が言えることではないのかもしれないけど、人に騙されたりしないのかな、となんだか心配になってくるような、ゆるっとした雰囲気が滲み出ているし。
そうでなくとも、普段から何でもないような所で転んだりするような人だから、短剣なんて持ったら、誤って指を切ってしまうようなそんな危うささえ感じてしまって、ちょっとだけ『大丈夫なのかな……?』と、不安になってしまう。
――まぁ、私が一人、ここでやきもきしても、仕方がないんだけど。
そうして、的は一つだけじゃなくて、最大三人まで並んで出来るように、三つ置いてあって。
おじさんが、短剣をカウンターにゴトリと並べて置いてくれると、さっきまではなかった緊張感が一気に漂い始めた。
それから……。
「あえて、刃の所に傷をつけてて、誰かに当たっても殺傷能力に関しては“限りなく低い短剣”にはなってるが、嬢ちゃんと坊ちゃんは危ないから、ちょっと下がっててな」
と、おじさんにそう言われて、私はこくりと頷き返して、アルと一緒に半歩下がる。
セオドアとナナシさんが、ナイフ投げをすることが決まって、二人揃ってカウンターの前に並んでくれると……。
自分が最初のお客さんになるのは嫌でも、『ナイフ投げ』という新しいジャンルを売りにしている屋台に関しては、割と興味を持っている人が多かったのだろう。
すぐに、興味津々といった様子で、ぱらぱらと周りに人が立ち止まって、集まり始めたのが肌で感じられた。
的は、大体30メートルほど先にあり、更に丸い円の中には3段階ほどに分けて徐々に円が小さくなっていってるのが見てとれる。
一番小さな円の中に、5本の短剣を全て入れるのは本当に至難の業だと思うから、おじさんがあれだけ張り切って、良い景品を用意したと言っていた理由も理解することが出来た。
「……短剣とかを扱いなれてるような、暗殺みてぇな仕事は俺の専門じゃねぇんだが……」
そうして、ぽつりと小さく吐き出しされたセオドアの一言には特に構うことなく、ナナシさんがマイペースに、的に向かって、一投目を投げるのが私の目に入ってくる。
割と普段から、独自のペースで動く人だなぁと思ってたけど、それはこういう時も健在で……。
思い切りが良いのか、悪いのかよく分からないけれど、スッと手のひらから離れた短剣は、的へ一瞬だけ当たったものの、直ぐに弾かれて下へと一直線に落下してしまった。
【あぁぁ、惜しいっ。……せっかく、当たったのに、弾かれちゃった……】
それから、カランという何とも言えない音がして、小さく頬を掻きながら、困ったような表情をするナナシさんの姿が見えて、あっという間に、この場にあったピリッとした緊張感がどっと解れていったのが私にも感じ取れたんだけど……。
「……あわわっ……、僕、普段から、剣なんて持ったことがないので……。
えっと、あの、これ、本当に、凄く、難しいですね……っ?」
「あぁ……。
殺傷能力が無いように刃の部分を傷つけてるってことは、それだけ的に当たっても弾かれるように作ってあるってことだ。
一見、客にとって都合の良いように言ってるが、割と、悪徳な商法だと思うぞ。……と、っ!」
その一方で……。
おじさんの屋台の闇を暴きながら、難なく投げたセオドアの一投は、寸分狂わぬ位置で正確に、真ん中へと突き刺さり……。
瞬間的に、さっきから興味を持って、まばらに立ち止まっていたお客さんたちから、ワッと歓声が上がるのが聞こえてきた。
「オイ、兄さん、それは言わない約束だろう……っ!」
そうして、それだけは言ってほしくなかったと、どこか恨めしそうに、吠えるようなおじさんのその言葉にやっぱり、あんまりいい人じゃないのかも、と再度、評価を改めつつ。
良くも悪くも正直な感想を言いながら、本来なら、無言で集中して投げた方が絶対に良いと思うのに、声を出しながら投げても、ちゃんと短剣が真ん中へと突き刺さるセオドアのコントロールを凄いなぁと感じて……。
――私自身も、ついつい二人のことを応援するのに力が入ってしまう。
その後も、ナナシさんは的に当たっては弾かれてを繰り返し、結局一度も的に短剣が刺さることはなく、セオドアよりも先に手持ちの剣が尽きてしまったんだけど……。
セオドアは3投目まで、一切、自分のコントロールを外すことなく、余裕な雰囲気で短剣を投げ続け。
今まで投げた分の剣が突き刺さっているせいで、投げる度に必然的に狭くなっては、難易度が上がっていく、一番小さな円の中へと当てるたびに、場外から興奮したような歓声が沸き上がり。
見世物のように、どんどんと集客が増えていくのを感じながら……。
既に、丸い小さな円には、短剣があと二つ、的に入るかどうかくらいの僅かなスペースしか残っていなかった。
素人の私から見ても、ここからはきっと、ミリ単位の調整をしなければいけない話になってくるだろうということはすぐに理解出来た。
これだけ、ワッと、自分の周りが沸き立ってしまっていても、『凄い、凄い』と周囲が褒めそやしてお祭り騒ぎのように色めき立っていても、セオドアの集中力が途切れるような様子は一切ない。
そのことに、改めて、凄いと感心しながら、私自身、思わず固唾を呑んで見守ってしまう。
ぎゅっと、祈るように固く握った手のひらに『……当たりますように』とお願いをしたのは、景品が欲しかったからではなく、ゲームとはいえ、ここまで来たらせっかくだから、セオドアには全て当てて偉業を達成してほしいなと、単純にそう思ったからだった。
……スー、と小さく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出してから、精神統一をした様子のセオドアの視線は、もう目の前の的だけに向かっている。
短剣を持って、セオドアが構える間のその瞬間、さっきまで騒がしかった外野が嘘のように、一斉に静まり返り。
ごくり……、と、近くで誰かが唾を飲んだ音が、ダイレクトに耳に入って聞こえてくるくらいには、無音になった。
そうして、4投目……。
パッと、セオドアが投げた短剣は、的の中の小さな円の、ごく僅かなスペースへとザッという音と共に突き刺さる。
……これで、あと一投だけ。
その瞬間、誰かの吐息と共に、緊張感がほどけたように、また、『ウワァァァっ!』という歓声がどこからともなく沸き上がり……。
慌て始めたのは、さっきまで、自分の店のゲームをセオドアにして欲しいと提案してきた屋台のおじさんだった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……っ! タンマっ! ……中止だっ!
兄さん、あまりにも凄腕すぎるだろう……っ!? こんなの、聞いてねぇぞっ!
まだ、2人しか客が来ていねぇのに、このままじゃ、うちの店で一番良い景品が持っていかれちまうっ!!」
吠えるようなおじさんの言葉に、観客からの白けたような視線が一斉に突き刺さり。
そのあまりにも批難するような目に晒されて、おじさんが『あ……、う……っ』と、一気に言葉に窮して、しどろもどろに声をこぼすのが聞こえてきた。
「オイ、親父っ! ここまで来て、中止にするとかあり得ないだろ……っ!
今、せっかく良いところなのに、集中力を欠くような発言を店主がするなんてあってはならないと思うぞ!」
そうして、ここまでセオドアのナイフ投げを見守っていた一投目の頃からいる男の人が出した言葉に……。
痰を切ったかのように、それまで固唾を飲んで見守っていた観客の人たちから、『そうだ、そうだっ!』という同意するような言葉が、強く聞こえてくる。
その光景に……。
私自身、凄くびっくりしたけれど、普段から、娯楽に飢えている人が多いのか、割とこういう時にはセオドアがノクスの民だとか、そういうことは関係なく、好意的に見てくれるんだなぁ、と思うのと同時に……。
――セオドア、あっという間に建国祭で、一躍ヒーローになっちゃってる……!
と、じわじわと、まるで自分のことのように嬉しい気持ちが沸いてきた。
セオドアが誰かから褒められていると、私自身も凄く嬉しいし、それだけで幸せな気持ちになってくる。
「あぁ……っ、もう、分かった、分かったよ……っ!
こうなりゃ、自棄だっ!! ここまで、客を沸かせて集めてくれたことに感謝することにするよ!」
それから、屋台のおじさんが半ばやけくそ気味にそう言ってくれている間も……。
特に、集中力を切らした様子もなく、セオドアが、カウンターに置かれた最後の短剣の柄の部分を握ったのが目に入ってきた。
4本短剣が刺さった的は既に、一番小さい丸い円が目視で辛うじて見えるか見えないかぐらいまでのスペースしか空いていない。
どんなに丸い円の中に入れようと思っても、刺さっている短剣が邪魔をして、そっちに当たってしまったら、簡単に弾かれて落ちてしまうような危険性はずっとあるし……。
一投くらい外れてしまっても、別に誰も文句は言わないと思うんだけど、セオドアの目は完全に自分が外すとも思っていないほど、何一つ諦めていないくらい力強くて……。
今の私に出来ることは、本当にセオドアの邪魔にならないように、傍で見守って、心の中で願掛けのようにお願いして、応援することくらいしかしてあげられないのがもどかしい。
そうして……。
目を閉じて、何度か息を吸って吐いてを繰り返して、多分だけど、精神を極限まで研ぎ澄ましたあと、セオドアがぱっと目を開けたのが……、合図だった。
スッと、振りかぶって投げた短剣は、ほんの僅かギリギリのスペースを目がけて、一直線に飛んでいき……。
ドンと、今日一番の鈍い音と共に、確かに、的に短剣が突き刺さったのが私の目からも確認することが出来た。
ただ、本当に、きちんと一番小さい円の中に入っているのかどうかは、此方から、目視では確認出来ず。
後は、唯一カウンター越しにいて確認することが出来る、屋台のおじさんの判断というか、ジャッジに任されることになったんだけど……。
一瞬の静寂の後で、『入っているのか、入っていないのか』と、みんなの注目が一斉にセオドアからおじさんの方へと移ると、おじさんもみんなの視線を受けて、的の方へと足を向けてくれる。
こちらからは、中心に刺さっているようには見えるものの……。
土壇場で、景品を出し渋っていたおじさんが嘘を言ってしまったら、元も子もないし、本当にきちんと短剣が円の中に入っているかどうかは近くまで行かないと分からない。
今までにないってくらいに、ドキドキしながら、その結果を待っていると……。
ゆっくりと、口を開いたおじさんの口から……。
「あぁ、こいつは……っ、!」
という言葉が聞こえてきて、私は内心で胸が締め付けられるような思いをしながら『だめだったのかな……』と、ハラハラしてしまった。
だけど……。
そこで敢えて台詞を区切って、どこまでも勿体ぶりながら、言葉を溜めたおじさんの口から次に降ってきた言葉は……。
「完全に、刺さってやがるっ……!
あー、クソったれっっ! マジで、“客寄せとして、頼む人選”思いっきりミスっちまったぜっ!
完敗だァっっ! うちで一番良い景品、持ってけ、ドロボーっっ!!!」
という、セオドアを認めてくれるような言葉で……。
その言葉に、これまで固唾を呑んで見守っていた観客の人たちから。
『ドッ……!』という雪崩のような、ひときわ大きな歓声がセオドアに降り注ぐのを感じて、私はホッと安心したのと、嬉しさいっぱいになってしまった喜びで、思わずゆるゆると、口元が緩んでしまった。