339【アルヴィンside】
通常通りとは決して言い難い、物々しい雰囲気がスラムを支配して。
帝国の騎士達が、慌ただしく入れ替わり立ち替わりでスラムに入り……。
大規模に『スラムに、いる筈もない情報屋』の手がかりを求めて捜索しているのを、僕は自分自身にステルス魔法をかけて、廃れた教会の屋根の上に上って、高い所からその様子を眺めていた。
「ある意味、壮観な眺めだな。
……まるで、働き蟻の行列みたい、だ」
この国の皇帝が求めているものは、紛れもなく、スラムという汚泥にまみれたような場所なんかじゃなく、煌びやかな皇宮の中にあるっていうのに……。
――灯台下暗しとは、このことか……。
『意外にも、気付かれないものなんだな……』と内心で思う。
ただ、そうだな……。
天使……、彼女のことも、ノクスの民である“あの騎士”のことも……。
偽りの人格は、何事も無かったかのように、このまま闇に掻き消えてしまった方が僕にとっても都合が良い。
そのために、今日一日中ずっと対応に追われていて、頭をフル回転させて知恵を出し、身を粉にして働くことになったツヴァイに対しては、多少なりとも、同情した気持ちが無い訳じゃないけど……。
まぁ、だけど、そもそもの話。
ツヴァイには常に、アインの代わりに“このスラム”を、取り仕切るだけの権限を与えている訳だし、それも仕事の内と言ってしまえば、それまでだろう。
暫く経って……。
目の前で行われている、代わり映えのしない騎士達の聞き込みを見るのにも飽きてきたころ。
平時とは違い、ツヴァイの指示で、敢えてスラムの中に駆り出され……。
『嘘にまみれた、仮初めの情報』を、騎士達に渡す手はずになっている、普段は門番の仕事に従事している6番がいない閑散とした扉の前に降りて、中に入った僕は、そのまましっかりと内側から教会の鍵を掛ける。
更に、念には念を入れて、外からは絶対に開かないように魔法をかければ、騎士達の手は決して、こんな風に廃れた教会にまでは伸びてはこないだろう。
商売が出来なくなって、自分の食い扶持が減るだけではなく、明日生きるのにも困るかもしれないんだ……。
ここじゃ、裏でスラムを取り仕切っているとされる、ツヴァイを敵に回すような人間は誰もいない。
情報屋のことを正しく知っている人間は、この場所について、何も知らない人間に対し『扉の開かない、オンボロの教会』だと口を揃えて説明するようになっているし。
ここの場所が何なのかということを、そもそも知らない人間もまた、周囲に倣って……。
『扉の開かない、オンボロの教会』だと説明するはず。
仮に、何かの拍子に、ここの存在が公になって……。
今考え得る限りで、一番最悪な状況が起きたとしても、最終的に僕だけで、どうにか出来るという自信は持ち合わせているし。
このスラムにおいて、万が一というのは、絶対にあり得ない。
ここは、過去に僕が作った自由都市、僕の箱庭……。
迷路みたいに、どんなに入り組んだ地形であろうとも、この場所に入ってきた時点で、知りたい人間の動きは常に把握出来るように、監視システムを張り巡らせてある。
まぁ、僕自身は、日がな一日中、それを眺めて『指示を出しているだけの生活』だなんて、まっぴらごめんだし。
――その辺のことは、面倒くさいから、基本は全部ツヴァイに丸投げしてるんだけど
何食わぬ顔をして、瓦礫などが落ちている決して綺麗とは言い難い床を、ジャリッと音を立てて踏みながら、一歩、祭壇のある方へと足を進めれば……。
僕の気配に気付いて、振り返り……。
何かを言いたそうにしながら、恨み節で睨んでくる瞳と、カチリと、視線が合った。
「……まったく、信じられんっ!
ただでさえ、街中が、建国祭のお祝いムード一色で慌ただしくしているこの時期に……っ。
何だって、わざわざ“お国で犯罪を取り締まっている連中”が揃いも揃って、平穏を維持しているこのスラムへとやって来るんだ……っ!
面倒くさいったら、ありゃしないっ!
アインよ……っ! お主の所為で、儂は、対処に追われて、暫くは休めそうにないんだが……!」
そうして、まるで煩い『愚痴という名のクレーム』を、つらつらと並べ立てながら、此方に向かって、唾を飛ばしてきそうな程、詰め寄ってくる勢いのツヴァイに……。
僕はいつものように、無言のまま、そっと、自分の手のひらで両耳を塞いだ。
「……、あぁ、……耳がキーンとする……っ。
それが、お前の仕事なんだから、仕方がないだろう?
このスラムの権限に関しては、お前に、殆ど全て渡しているんだから……」
「そうは言ってもな……っ。
いい加減、物には、限度ってものがあるだろう……?
ただでさえ、お前さんはいつだって、秘密主義なんだ……っ!
スラムでの人さらいの事件を解決する為に、皇女様とあの子を護るノクスの民の騎士を、アズとテオドールという架空の人物にして、情報屋に仕立て上げるというのは、確かに儂の判断だが。
お前さんは、あの2人が来ると言うことは事前に知っていた訳だし。
結果的に、こうなることも、最初っから最後まで分かっていたんじゃないか……?
まさかとは思うが、その上で、儂に一切、事情を話していなかったとは言わないよな……?」
そうして、まるで信じられないような物を見る目つきで、胡乱な表情を浮かべたあと……。
僕のことを怪しむような素振りを見せてくるツヴァイに、僕は小さく溜息を溢した。
「……今日、帝国が自国の騎士を使って正体不明の情報屋である、アズとテオドールを捜しにスラムまで来たこと?
それとも、人さらいの事件の犯人を捕まえるために、お前がアズとテオドールという架空の人物を作り出し、わざわざ第二皇子の元へ行かせた所から……?」
「どっちもだ……っ。
折角、ここ最近になって、何処の馬の骨かも分からないと、周りから不審がられているアーサーの処遇に関しても、周囲の説得が一段落して……。
やっとこさ平時のスラムに戻りつつあって、安寧を取り戻してきたというのに。
これで、暫くはまた、忙しい毎日へと逆戻りだ……っ!
更に言うなら、普段から神出鬼没ではあるものの、お前さんはここの所ずっと、王都にある高級衣装店に通い詰めているな……?
その上、こっちの事は全部儂に任せて、ノータッチときた。
いい加減、毎度、毎度、それに振り回される儂の身にもなってくれ……!
お前さんが自分の行動動機をあやふやにして、その全てを話してくれない以上、不審がるのも、勘ぐるのも仕方がないことだろう?」
それから、口を酸っぱくしながら……。
更に、お小言を続けてくるツヴァイに、僕は眉を寄せ。
隠しもせずに『あぁ、本当に面倒くさいなぁ……』という感情を思いっきり顔に乗せたあとで……。
「僕の行動については、私情でしか動いていないから、そもそも、別にお前が知り得ていいものじゃない。
アーサーのことに関しての対応については、確かにイレギュラーなものだったし、有り難いとは思っているけど。
他のことに関しては、それで、迷惑をかけているつもりは、僕には微塵もないし……。
ここで暮らしている以上、このスラムを守るという責任は、既に、僕の役目ではなく、№2であるお前に与えた筈だ。
お前は、この監視システムにずっと身を置いているからこそ、本来なら誰も知り得ないような情報ですら、滞りなく、いち早く入手して管理出来ているだけに過ぎない。
基本的に“一般の人間”は、未来のことに関しても、何も知らない状態である方が普通だし、生きていればトラブルというものは付きものだ。
突発的に起こった事案を、未然に防ぐことなど出来ないし、そのとき初めて、個々の対応力が問われてくる。
そういう物も全てひっくるめて、お前にこの場所を取り仕切るツヴァイの座を渡していることを、忘れた訳じゃないだろう?」
と、声に出す。
そもそも『ツヴァイ』は、僕が厳選を重ねて選んだ人間だし。
改めて、ハッキリと説明しないと分からないような、そんな人間ではなかった筈なんだけど……。
最近になって僕の動きが可視化出来なくて、不透明過ぎるから、自分の知らない事は可能な限り、分からないままにはしておきたくないのだろう。
こっそりとスラムの人間を使って、僕をつけ回すようなことをしているのには気付いていたけど。
僕の本当の目的に関しては、幾らこの男でも掴める筈のない情報だから、それに対する苛立ちも“僅かばかりある”のかもしれない。
まぁ、その考えは、如何にも慎重派らしい、ツヴァイならではのものでもあるし。
情報が、どんな時にでも武器になるということを、この男が分かっていない筈はないから……。
それに伴うリスクを減らしたいっていうのは、割と理解も出来るんだけど……。
ツヴァイには、ただこのスラムを任せているだけで、それ以外の何物でもなく、僕の言動を理解して貰おうだなんて気持ちは、それこそ微塵もないし。
もしもこの先、この国から僕がいなくなったとしても……。
仮に、ツヴァイが寿命で死んでしまったとしても……。
――それでも、この街が滞りなく回るだけの“システムの構築”は済ませてある。
……だから、何も困ることなんて無いんだけど。
歳を取ってから、以前にも増して責任感が強くなってきたツヴァイが、この汚い街や人に対し、誰よりも愛着を持っていることは伝わってくる。
そうして……。
ここまで、つらつらと一切の澱みなく出した僕の言い分に、驚いたような顔をしたのは、ツヴァイではなく……。
ツヴァイの隣にいて……、真白いローブに身を包んだアーサーだった。
アーサーが、どうして“そんな風に”驚いたような顔をして、マジマジと僕のことを凝視してくるのかが全く分からず、僕はキョトンとしたあとで、首を横に傾げる。
「あ、……あ、あの、アルヴィンさん……。
そ、その……っ、普段のお姿とは、まるで違うっていうか……。
何て言うか、俺が思っていた以上に見識が深い、っていうか……。
そっ……、そういう一面もあったん、ですね……っ?」
そうして、戸惑った雰囲気を纏いながらも……。
改めて、まるで畏まったような、というか。
どこか尊敬するような目つきでそう言われて、僕はアーサーに対して『何を言っているのだろうか……?』と、更に不思議に思ってしまった。
因みに、アーサーには、別に隠す事でも無いと思って、初めて会いに行った時に僕の本名を伝えている。
それから、ツヴァイには元々、スラムを取り仕切るNo.1であるアインの方を名乗っていて、ややこしくなりそうだったから、アルヴィンも偽名の一つと言って押し通した。
まぁ、今となっては、僕のことを『アルヴィン』と本当の名前で呼んでくる人間の方が珍しいし……。
僕としては、別に名前なんてもの、他者と識別するのに使う為の『ただの記号』みたいなものだから、好きに呼んでくれればいいし、今さらどうでもいいんだけど。
ただ、この間、ちょっとだけ会った僕の半身に……。
『名前こそ出なかった』けど、僕の事を聞かれた時は久しぶりに心が震えたな……。
心の奥底から込み上げてくるような熱い気持ちなんて、まだ僕の中にあったのかと、思わず他人事のように感心してしまった。
「お前さんは普段と、自分の知識を披露する時のギャップがありすぎるんだよ……!
……マイペースで、まるで、何も考えていないように見えて、その実、深い所まで見識がある。
普段はぼんやりしているように見せているのに……。
ここぞという時には、人の本質の奥深くまで、まるで見透かしたかのようにしっかりと突いてくる。
アーサーも、お前さんのその言動には驚かされるだろうて……っ!
あぁ……、ここではアーサーとは呼ばずに偽名として作った、本来の愛称でもあるアートと呼んだ方がいいか……?」
「あ、いえ……、ツヴァイさん、お気遣いなく……。
俺はどっちでも構いません……」
それから、ツヴァイにそう言われて、僕はぷくっと思いっきり頬を膨らませた。
そうすれば、直ぐさま『お前さんがそんな顔をしても、一切、可愛くないからな……っ!』という毒がツヴァイの口から降ってくる。
「僕がいなくても、お前がいれば、滞りなく全てが上手いこと回っているんだから、それで良いじゃないか。
……適材適所だろ?
僕自身、暫くは、また忙しくて、こっちに顔を見せることすら出来ないだろうし」
「はぁ……、お前さんなぁ……っ!
いっつも、いっつも人に丸投げしておけば、全てが上手く収まると思ってっ……っ!
人使いが荒すぎじゃぁ、ないかっ……?
もう、儂も若くないんだし、この老体に鞭を打っているの、かなりキツイんだが……っ!
今日一日だけで、帝国の騎士達が簡単に諦める訳ないだろうし。
少なくとも、建国祭が始まるまでは今日みたいな状況が続くだろう……?
お前さん、せめて明日も来ることは出来ないかっ!? 明日の予定はどうなってる……?」
そうして……。
助けを乞うようにそう言われて。
僕は無表情のまま、ツヴァイに向かって、ハッキリと分かるように首を振った。
「明日はダメだ。……忙しい。
僕、朝から、ジェルメールで働かなきゃいけない予定になってるんだ。
シフトに関しては、朝番と遅番に分かれてるんだけど……。
特に朝番だと、デザイナーの見習いは、店舗の掃除をするところからしなければいけない。
お店が綺麗になると、それだけで凄く気分が良いし、一日楽しく働けるし……。
内緒だって言われて、従業員の同僚から、ご褒美の飴を貰えたりもするし良いこと尽くめだろう?」
それから……。
『少しは情報が欲しい』と、ここ最近になって、口を酸っぱくしながら言ってくるツヴァイに仕方なく僕の最新の情報について教えてやろうと口を開けば……。
開いた口が塞がらないと言った様子で、目を見開き、わなわなと震えながら……。
「……信じられんっ。
これが、スラムを裏で取り仕切っているNo.1か……っ!?
この汚い街に長く住んでいれば、誰しもが一度は憧れる正体不明のドンか……っ!?
何が店舗の掃除だっ! 何が見習いだっ……!
……そして、どさくさに紛れて従業員の同僚に可愛がられるなっ!
お前さん、本当に、威厳も何もあったものじゃないなっ……!」
と……、これ見よがしに深いため息を溢して。
呆れ半分、軽蔑半分の目つきで僕のことを見てくるツヴァイに、溜息を吐きたいのはこっちの方なんだけど……。
と、内心で思いながら。
僕は、僕達の遣り取りを見て、1人、相変わらず、どうすればいいのか分からない様子で、あわあわとしているアーサーに視線を向けた。
「アーサー。
僕がいない間、仕方が無いから、ツヴァイのことを頼んだよ」
「えっ……? ……あっ、は、はいっ!
勿論です、アルヴィンさん……っ!」
「オイ、儂はまだ、ポッと出の若造に支えられるほど、軟弱にはなっていないぞ……っ!」
「あれ……? 可笑しいな……?
さっきは、老体に鞭を打って……とか、あんなにぼやいてたのに?」
「それはそれっ! これは、これじゃっ……!」
なんだかんだ言ってだけど……。
アーサーが来てから張り合いが出てきたのか、若いときの活気が戻ってきたような気がするツヴァイを見ながら……。
【……ここで“こんな風に過ごせる”のも、あとどれくらいあるだろう】
と、僕は誰にも見えない所で、指折り数えて、苦笑する。
僕にしては、悪い日々ではなかったと思うけど、それでも手放せないくらい愛おしいかと問われれば、そうではないと言い切れる。
――マリアを失ったあの日、僕の心は一度凍り付いて、死んだ。
精霊である僕にとって……。
たった1人、この世に存在する自分だけの唯一を失ったことで引き起こされる絶望や、悲しみは、ちょっとやそっとのことで癒えるものでもない。
そればかりか、喪失感による傷口は年々深く、ふとした瞬間に隣にいないことに気付いて、じわじわと広がっていくばかり……。
契約者が死んだとしても、僕は死ねない。
あの日、これから先の、長い歳月をたった1人、過ごしていかなければいけくなった“この身”をただ呪った。
初めて、呪った……。
マリアの悲願は、僕の唯一の希望。
これが無かったら、きっと生きてはいられなかった。
死ねないこの身は、それこそ、耐えきれなくて廃人になってただろう。
それでも、僕は全てを我慢した。
後の世に希望を託し、これから先の、未来を願って……。
だから……。
「もう少し……、あと少し……。
種から芽が出て木になって、やがて果実が熟れて食べ頃になるように。
機が熟しきるのを、僕は待つだけ……。
そうしたら、必ず君を迎えに行くよ……、アリス」
ぽつり、と漏らした言の葉は、あまりにも小さすぎて……。
この場にいる誰の耳にも届くことなく、空気に掻き消えていった。