334 突然の来客
あれから、特に何ごともなくお城に帰ってきた私達は……。
城内で、男爵や商人さん達と別れて、いつもよりも、ほんの少し遅くなってしまった夕食を、みんなで食べ終えたあと。
ローラが持って来てくれた食後の紅茶に、ホッと一息、吐けるような……、まったりとした時間を過ごしていた。
図らずも、私が、今回の『ファッションショーの、賭けの賞品』になってしまったことについては、ローラやエリスから、もの凄く心配されてしまったんだけど。
私自身は、とりあえず、夫人の作った“クッキーの販売”について、見通しが立ってきていたり……。
ファッションショーで、自分たちが着る衣装について、ジェルメールのデザイナーさんと一緒に“アイディア”を出し合って、その方向性がしっかりと固まってきているのを感じて……。
そういう意味では『凄く順調だなぁ……』と、安心していた。
それから、みんなで、この間、ルーカスさんにカフェに連れて行ってもらった時に、お土産として買ってきた、焼き菓子を食べながら……。
なるべく忘れないうちにと……。
今日、ジェルメールから帰る間際に、デザイナーさんから渡された、建国祭で行われるファッションショーの、当日の“詳しい流れ”について書かれた、関係者しか見ることが出来ない書類へと、みんなで一緒に目を通す。
特に、今回は、私だけじゃなくて、セオドアも大いに関係があることだから……。
【出来れば、一緒に見ることが出来たら良いなぁ……】
という気持ちで、机の上に書類を広げれば。
セオドアだけではなく、興味津々といった様子で、渡された書類を覗き込むような感じで、アルが視線を落としたのが、私の目にも入ってきた。
建国祭についての詳しい日程に関しては、まだ、お父様の執事でもあるハーロックから、きちんとした書類を渡されていないから……。
今の段階では、1週間ほどある期間のうち、皇女としての公務で、自分がどういう風に行動することになるのか、不明な点だらけで、分からないことも多いんだけど。
既に決まっているファッションショーの日程に関しては、建国祭が終わる日の前日に行われるということで。
数ある行事の中でも『かなり、後の方に控えているもの』であることが、デザイナーさんに貰ったこの書類に目を通したことで、理解することが出来た。
「うむ……、これを見るに、ジェルメールの出番は、かなり後の方なんだな」
そうして、渡された書類に書かれている『ステージへの、出場順リスト』に視線を落としながら……。
アルがポツリと、当日のジェルメールの出番を確認してから、私に向かって声をかけてくれた。
その言葉に、改めて、私もしっかりと書類に目線を落とせば……。
アルの言う通り。
王都でも人気の高い店舗が幾つも参加するということもあって、合計で20店舗ほどあるお店の中でも、ジェルメールの出番は“最後から数えて3番目”ほどの位置にあり、かなり遅めだった。
因みに、今回、ジェルメールと共に優勝候補でもあるシベルは、丁度、中間の10組目くらいが出番になっていて……。
ジェルメールと比べると、かなり早いと思う。
「アリス様……。
こういうのって、出番が早い、遅いで、有利不利に関係したりするものなんでしょうか……?」
そうして、みんなで書類を眺めている間、ふと疑問に思ってくれたのか。
エリスが、私に対して問いかけるように、質問してくれたのを……。
私自身も、初めてファッションショーに出る身だから、よく分からなくて、首を横に傾げながら……。
「うーん、どうなんだろう……っ?
今回のファッションショーに関しては、テーマが事前に決められているものだから……。
新鮮味があるという意味では、ステージに早く出ることが出来た方が、有利な気もするかな……っ。
衣装の一部分だけでも、他の店舗と被ってしまうと、お客さんからすると、微妙に思われちゃうかもしれないし。
ただ、逆に、あまりにも早い出番だと、よっぽど、観客の人達の印象に残るものじゃなければ、後の方までは覚えて貰えなくて、記憶が薄れてしまうようなデメリットも、あるのかも」
と……。
今、自分がパッと考えついた……。
順番によって“違い”が出そうな、メリット、デメリットについて、説明する。
ただ、あくまでこれに関しては、ファッションショー初心者である“私の主観”でしかないことだから……。
『本当にそうなのかは分からなくて、申し訳ないんだけど……』と、補足するように声をかければ。
エリスは、私を真っ直ぐに見つめてくれたあと。
「いえっ……。
少し、気になっただけのことに、一生懸命考えた上で、答えて下さり、ありがとうございます。
でもっ、確かにそう考えると“どの順番にも”、メリットもあれば、デメリットもありそうですよね」
と、特に気にした様子もなく、にこりと笑顔を向けてくれた。
その言葉に、ホッと安堵しつつ。
今、一番の問題点は、今日、ジェルメールのデザイナーさんにも言われたけれど……。
『演出面のことについてだよね……』と、私は頭を悩ませる。
デザイナーさんからは、『普段通りに、振る舞ってくれればいい』とは言われたものの。
ファッションショーに一度も出たことのない私が、当日、失敗せずに、ステージに上がることが出来るかどうかというのは、かなり重要なことだと感じてしまう。
一応、ステージに出る前には、ファッションショーを取り仕切る司会の人から……。
『どういう意図で、今回の衣装が作られたのか』という簡単な説明が、観客に向かって行われるみたいではあるものの。
【ジェルメールのデザイナーさんが作る“衣装の世界観”を、しっかりと表現することが、果たして私に出来るんだろうか……】
と、一度、頑張ると決めたものの。
やっぱり、そこに対して、どうしても不安な気持ちは出てきてしまう。
今、私の手元にあるファッションショーについて書かれた書類には、当日、屋外で行われる予定の『ステージについての詳細』も、図案として、イラストでしっかりと描かれていて……。
衣装を着たモデルが、観客に囲まれた花道と呼ばれる細長い道を堂々と歩いて、その先端部分でポージングをしなければいけないと、丁寧にも、デザイナーさんの一言メモが添えられていた。
そのことに、今から、まるで……。
胃が痛くなってしまいそうな思いをしながら……。
事前にセオドアと一緒に、練習しておく必要はあるのかも、と。
「あ、あのね……。セオドア、お願いがあるんだけど……っ。
今度、私と一緒に、ポージングの練習に付き合ってくれないかな……?」
と、私の隣で、一緒に書類を眺めてくれていた“セオドアの方”を見つめて、お願いすれば……。
「あぁ。……別に、それは、構わねぇけど。
姫さん……、今からそんなにも、緊張したような顔、しなくても……っ。
どうせ……、ファッションショーに出る以上は、絶対に失敗は出来ないだとか。
ジェルメールが優勝する為に、“自分に出来ることは、精一杯しておかないといけない”だとか……。
先々のことを考えて、1人で、もの凄く、気負ってるんだろう……?
シベルとジェルメールの対立ってのは、そもそも本来なら“店舗同士で解決しなきゃいけない問題”で、俺たちとは、完全に無関係のものだし。
そこまで、姫さんが背負うことでもないと思うんだが……」
セオドアは、私のお願いを了承しつつ、やんわりと慰めてくれた。
その言葉に、『ありがとう……』とお礼を伝えつつ。
「でも……。
出場する以上は、やっぱり、一生懸命“頑張りたいな”って」
と、声を出すと。
セオドアは、どこか困ったような表情で、私に視線を向けてくれながら……。
「はぁ……、本当に、お人好しっつぅか……。
人が善すぎるっていうか……」
と、言ってくれたあと……。
「ジェルメールの人間は別としても……。
正直、俺は……、今さら手のひらを返したように、姫さんの魅力に気付いて……。
周りに人が群がってくることに、思う所がない訳じゃねぇんだけど」
と……。
小声で、何かを言われたことが、上手く聞き取れなくて……。
私は思わず、首を横に傾げた。
「セオドア……? えっと、ごめんね。
今、何を言ってくれたのか、上手く聞き取れなくて……。
その……っ、良かったら、もう一度、言ってくれる……?」
「ん……? ……いや、……別に。
単なる、俺の子供染みた感情ってだけで……。
姫さんにとって、重要なことは何も言ってねぇから、気にしなくてもいい」
そうして、聞こえなかったことを素直に謝って、もう一度、教えて貰おうと声をかけると。
セオドアは、特に私が気にするようなことじゃないと、そのまま言葉を濁してしまった。
【単なる、俺の子供染みた感情って一体何だろう……?】
――本当に、私が、あまり聞かなくても大丈夫な言葉だったのかな……?
内心で、もの凄く気にはなったものの。
セオドアが気にしなくてもいいと言っているのなら、それ以上聞くことは出来なくて……。
私は、一呼吸置くように、ローラが用意してくれたティーカップを持って、中に入っていたミルクティーを、一口分だけ口に入れる。
考えなければいけないことも沢山あって、今日一日、頭を働かせていたからか。
ほのかなミルクの甘みが、疲れた身体に、じんわりと優しく広がって……。
どこかホッとした気持ちになりながら、みんなと、こうして過ごす日々が『本当に私にとっての癒しになっているなぁ』と感じながら……。
心配性な私は、とりあえず“頭の中”に、ファッションショーの当日の流れは、しっかりと叩き込んでおかないと、と。
気持ちを切り替えて、もう一度、書類に目を落とそうとした瞬間……。
コンコンと、こんな夜遅い時間に……。
来客を知らせる“自室の扉をノックする音”がして、私は思わず首を傾げた。
「お嬢さま、私です。……ハーロックです。
夜分遅くに申し訳ありません」
私が、ドアを叩いた主が、一体誰なのかを確認するよりも先に、扉越しに聞き慣れた“お父様の執事”の声がして。
私が、その、あまりにも珍しいお客様に驚いている間に……。
一度、確認するように私に目配せをしてくれた後で、近くにいたローラが、自室の扉を開けてくれた。
よくよく考えてみたら、建国祭の詳しい日程に関して『私が出なければいけない公務』について、纏めた書類を持ってきてくれたのかもしれない。
頭の中で、ハーロックが私の部屋に来てくれた理由について、何となく察した私は……。
「ハーロック、ありがとうございます。
もしかして、建国祭の詳しい日程について教えに来てくれたんでしょうか……?」
と、座っていた状態から立ち上がって……。
扉の前で、此方に向かって律儀にも深い敬礼で挨拶をするハーロックに向かって駆け寄ったあと、声をかける。
だけど……。
「ええ……、お嬢さま。
そのつもりで、この執事……っ。
準備万端で、建国祭の日程について書かれた書類を手に持って、お嬢さまの元に駆けつけようと思っていたのですが……。
そのっ、……何と言いますか……っ、どう言えば、いいのか……」
と、わざわざ私の部屋まで来てくれたハーロックは、私が思ったような反応を此方に返してはくれず。
どうしてかは分からないけれど、どこか、困ったような表情で、奥歯に物が挟まったような……。
凄く言いにくそうなと言うべきか……。
まるで、この世の終わりかと思うくらいに悲しんで、絶望しているような、そんな態度を見せてきたことに。
――もしかして、他に何か理由があるのかな?
と、感じて……。
「えっと、? 何か、問題でもありましたか?
……あっ、もっ、もしかして、お父様に何かあった、とか……?」
と、私は、慌てて声をかけた。
普段、従者のお手本のように、ビシッとしているというか。
何ごとにもあまり動じないハーロックを思うと、あまりにも珍しいその姿に、内心で、凄く不安な気持ちになりながら、ハーロックに視線を向けると。
ハーロックは、マジマジと私に視線を移したあとで。
「いえ、そういう訳ではないんです……っ。
実は、今日、私とも親しくしている……。
普段、皇室について詳しく記事にしている記者から、連絡が来たんですけど。
そ……、その……っ、お嬢さまっ……!
建国祭で行われるファッションショーで、そのお身体が、賭けの賞品になったというのは本当なのですか……っ!?」
と、ガシッと、肩を掴まれたあとで、まるで今にも危機迫るような、もの凄く心配そうな表情で見られて……。
私は思わず……。
「……え……っ?」
という、何とも言えない気の抜けたような言葉を口から出してしまった。
「きっと、冗談ですよね……っ!
そのような賭けに、まさか、お嬢さま自ら“乗る”はずがありませんもんねっ……!
あぁ、お労しやっ……!
お嬢さまの優しい性格を逆手に取られて、誰かから、何か脅されるようなことでもあったんでしょうかっ!?
ただでさえ、内密とはいえ、ルーカス様と婚約関係を結ばれたばかりだというのに。
衆人環視の中で、誰かと誰かの間で、まさに、お嬢さまのお身体を奪い合っての“泥沼騒動”が起きただなんて、嘘だと言って下さいっ!
あの記者っ……! 目撃者も多数いて、大スクープだから、明日の紙面に一面で掲載すると言ってきたんですっ!
あぁ……っ、私は一体、陛下にどのように、報告をすれば……っ!」
そうして、思い詰めたような表情で。
私に向かって、一語一句、確認するように声を出してくるハーロックに……。
私自身、何のことを言われているのか解らず、暫くは呆気に取られてしまっていたんだけど。
多分だけど……。
思いっきり何か、間違った方向に解釈して、壮大な勘違いをされている気がする……。
と、ハッとした私は……。
「あ、あのっ……、ハーロック。
記者の人から、一体、何を聞いたのか、分からないんですけど。
賭けの内容は、私の身体というよりも……。
その……、ファッションショーで優勝した店舗が1年間、私と共同で“賞品を開発する権利”を貰える、というもので……。
えっと、凄く、健全な内容です、よ……っ?」
と、戸惑いながらも、声を出した。
というか、今日起こったことが、早速『明日の紙面』に、一面で掲載されることになるだなんて思ってもみなかったんだけど。
【もしかして、今日、ジェルメールに来たお客さんの誰かから、情報が出回ってしまったのかな……?】
ここまで騒ぎになるだなんて、予想もしていなかったけど、明日新聞の一面に載ったら、どうなるんだろう……。
もの凄く話題になりそうな気がするし、注目されてしまうようなことになったら、ファッションショー当日に人が沢山集まりそうで、凄く恐いんだけど。
人の口に、戸は立てられないなぁ……。
と、内心で思いながら……。
今にも死にそうな表情になっているハーロックを落ち着かせるように、視線を向ければ。
私の視線に、一瞬だけびっくりしたように目を見開いたハーロックは、その言葉の意味を頭の中で噛み砕くように、一拍だけ時間を取ったあと。
「では、お嬢さまを巡って“奪い合いの泥沼騒動”、というのは……?」
と、恐る恐ると言った感じで、私に声をかけてきてくれた。
「えっと……、話せば長くなるんですけど。
今日、ジェルメールに、ファッションショーに出す衣装をどうするか相談に行った時、王都でも有名なシベルのデザイナーさんがジェルメールにやってきて。
そこで、ちょっとした諍いが起きてしまって……。
あの……、色々とあって、私がファッションショーの優勝賞品になることで、話が纏まったというか。
記者の人が、泥沼騒動だと言っていたのなら、多分……。
ジェルメールとシベルのデザイナーさんが、私のことを取り合ってくれたこと、なのかも、しれない、です……」
そうして、何とか分かって貰えるように、言葉を選びながら事情を説明すると……。
『ふぅーっ……』と一度、安堵するように深いため息を溢したあとで。
ハーロックは、取り乱した様子から一転して、いつもの執事然とした、ピシッとした状態に戻り。
「コホンっ……、成る程、事情についてはよく分かりました。
そういった経緯が、おありだったんですね。
お嬢さま、取り乱してしまい申し訳ありません」
と、咳払いをしてから……。
さっきとは打って変わって、真面目な表情で私に視線を向けてくれた。
「全く、敢えて如何わしい言葉を使い、私の平常心を惑わそうとしてくるとは。
普段から、あの記者とは、互いに持ちつ持たれつで……。
陛下が決めた新しい制度などの、“正確な情報”をいち早く教えて、いい付き合いが出来るようにしていましたが……。
今後の付き合いも考えなければいけませんね」
そうして、記者の人に対して、今後の付き合いも考えなければいけないというハーロックに……。
【もしかして、その人が……。
この間、ジェルメールの2号店を装っていた店舗のことについて、私の正式な抗議をゴシップ誌として取り上げてくれた人なのかな?】
と、内心で当たりを付けつつ。
私は、ハーロックに向かって……。
「あの、ハーロック。
この間、ジェルメールへの妨害に関して、皇室から正式に抗議して貰った件で……。
更に進展して情報が入ったので、お父様の耳にも入れて欲しいのと……。
出来れば、また、記事にして、注意喚起として一般の人にも周知出来るよう、その人に取り上げて貰えたら嬉しいんですけど。
実は、あのお店、今、王都でも流行ってきている新手の詐欺の可能性があるみたいで……」
と、そっちの事情についても詳しく説明する。
実際、私はエリスのお父さんである男爵から話を聞いただけだけど。
王都でこういう詐欺が流行っているということが、いち早く周囲に知れ渡れば……。
犯人側からしても、今後、同じような詐欺の手口は、使いにくくなると思う。
元々お父様には言わなければいけないと思ってた所に。
『丁度、ハーロックが来てくれて、タイミング的にも本当に良かったな……』と思いながら、男爵が二次被害に遭いそうだった詐欺について、洗いざらい、伝えると……。
私の話を黙ったまま、聞いてくれていたハーロックが。
「ふむ、そうですか。
お嬢さま、信憑性の高い情報をありがとうございます。
この件に関しては、陛下並びに、今回、私のことを惑わした記者にも積極的に取り上げるようにと、早急に手配しておきましょう。
誰かが、犯罪の犠牲になっている状態を、陛下は良しとはしないでしょうし。
我が国で、私腹を肥やしているような人間がいるとなれば、到底、見過ごす訳にはいきません
また、一般の目にも触れるような記事になることで……。
事前に、そういった手口について、知っているのと知っていないとでは、同じような犯罪が起きた時に、被害者を減らすことも可能でしょうから」
と……。
自分に任せて欲しいというように、しっかりと頷きながら。
直ぐにお父様に伝えてくれて、記事にも取り上げて貰うよう手配してくれると、約束してくれた。
その言葉にホッと安堵しながら『ありがとうございます』とお礼を伝えると……。
「あぁ、そうだ……。
本来の目的である、建国祭の日程についての書類を渡し忘れる所でした。
陛下とも相談した結果、今回、お嬢さまは、エヴァンズ家も含めた有力者が開催する幾つかの夜会に出なければいけないのですが、そちらもリストに纏めているので、確認しておいて下さい。
では、夜分遅くに伺って申し訳ありませんでした。……私はこれで失礼します」
と、ハーロックはまた律儀に、私に向かって恭しく一礼したあと。
ここに来た時とは全く別人のように、シャキっとした雰囲気で……。
心なしか足取り軽く、私の部屋から出て行った。