331 シベルのデザイナー
緑色の髪をした新人のスタッフさんに腕を引かれて、スタッフルームを出たあと。
私はセオドア達と一緒に、デザイナーさんのみならず、お客さん達の死角になる位置から、こっそりと、店内が見えるように顔を出した。
ざわざわと、お店の中がほんの少しだけ騒がしくなっているのは、ジェルメールに、世間的にも有名なシベルのデザイナーさんがやって来たということで。
ファッションに興味があって、服に詳しいお客さんほど、直ぐにそれが誰なのか判断することが出来るだろうし。
王都でも有名なデザイナー2人が、向かい合って対峙している状況に……。
『一体何が起きているのか……』と、興味津々な人が多いからなのだろう、ということは私にも直ぐに理解出来た。
服飾のデザインを手がけているだけあって、ジェルメールのデザイナーさんと同様にシベルのデザイナーさんも何て言うか、個性的とも取れる黒一色のゴシックなドレスを完璧に着こなしていて。
頭の上には、羽根つきのツバの広い帽子、その手のひらには扇子を開いて持っていることから、自分が身に着ける小物にも一切の手を抜いていないことが窺えて……。
デザイナーさんって、ジェルメールのデザイナーさんもそうだけど、唯一無二とも思えるような独特の個性や感性を発揮していても。
みんな、それぞれ、周囲に違和感を抱かせることなく、自分だけに似合うものを分かって洋服を着ているから、改めて凄いなぁと感じてしまう。
「まぁっ……!
珍しいお客様がいらしゃったと聞いて、こうして、直ぐに馳せ参じたのですが、お待たせしてしまったかしら?
わざわざこのような所までご足労頂いて、本当に申し訳ないですわ。
今日は、一体どのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか……?」
そうして……。
うふふ、と朗らかな笑みを溢しながら、ジェルメールのデザイナーさんが目の前にいるシベルのデザイナーさんに声をかけると。
シベルのデザイナーさんは、ジェルメールのデザイナーさんに視線を向けたまま。
「いいえ。……お気になさらず。
ここ最近、特に飛ぶ鳥を落とすような勢いで、流行っている店舗ですから。
そのデザインなども含めて、好奇心がそそられて勉強したいと思うのは、こういう仕事に携わっている人間の性というもの。
少しの間、こうして店内を見回らせて貰いましたが、どの洋服も随所に拘りがあって、手を抜かれているような箇所もなく、一つ一つの製法を取っても本当に美しい」
と、ほぅっと溜息にも似たような吐息を溢したあとで、少しだけ口元を緩めながら微笑んで。
まるで、一切の澱みなく、ジェルメールのことを手放しで褒めているのが聞こえてきて。
私は思わず、その光景に目を見張ってしまった。
シベルのデザイナーさんが笑顔を浮かべ、ジェルメールのことを褒めていることで、2人の関係が、そこまで心配するようなものじゃないと思ったから……、という訳ではなく。
――寧ろ、その逆で
ジェルメールのデザイナーさんと、シベルのデザイナーさんがお互いに笑顔で向き合っている『この状況の裏』に。
今にも、張り詰めたような緊張感が漂っている感覚がして……。
気付いたら、膨らむだけ膨らんで、何かの切っ掛けでパチンと割れてしまうような、そんな危うさを孕んでいることに。
多分、私だけじゃなくて、この場にいる全ての人間が気付いていると思う。
「まぁっ、ありがとうございます。
王都でも指折りの店舗に数えられる、トップクラスのデザイナーに、例えお世辞であろうと、そのように褒めて貰えるだけでも、本当に光栄なことですわ~!」
「いいえ。
世辞などではなく、本当にそう思ったから、そう言ったまでのこと。
私、嘘を吐くのって嫌いなんです」
それから、ニコニコと明るい笑みを崩さないジェルメールのデザイナーさんと。
同じく、微笑んだまま、ジェルメールのデザイナーさんのことを真っ直ぐに見つめる“シベルのデザイナーさん”の間に、どこか冷たい風が吹きすさぶような錯覚を覚えながら。
2人の遣り取りを、ハラハラとした気持ちで見守っていると……。
ほんの少しだけ俯いて、一瞬だけジェルメールのデザイナーさんから目線をずらしたシベルのデザイナーさんが……。
「ですが……」
と、一言、前置きをしてから、目を大きく見開いたあと、顔を上げ。
パチンと自分の手に持っていた扇子を閉じて、ジェルメールのデザイナーさんの方へと、パッと向けるのが見えた。
「今年の建国祭で行われるファッションショーでの優勝は、勿論、シベルが頂きます。
昨年に引き続き、前人未踏の2冠を達成することこそが本望。
国から贈られる栄誉あるトロフィーの金色の輝きは、私のお店にこそ相応しい」
そうして、まるで、宣戦布告とも取れるような、勝ち気な発言に。
お客さんやスタッフも含めて、周囲の人達の動きが凍り付き、店内の温度が一気に下がるような気がしたんだけど。
「あら……? うふふっ、それはどうかしら……?
昨年は、惜しくも僅差で敗れてしまいましたけど、今年のウチはひと味違いますわよ?
私のデザインの幅も、持っている引き出しも広げてくれる、素敵な助っ人のお蔭で、今、まるで新人時代に戻ったかのように、創作活動をするのが本当に楽しいんですのっ!
自分の中にない新しい風を取り入れることが出来て、私自身、心身共にパワーアップしている自覚がありますわっ!」
と、この状況下で、ジェルメールのデザイナーさんだけは全く動じておらず。
その瞳の輝きに、色を失うこともなく。
まるで、その『宣戦布告』を、真っ向から受けて立つと言わんばかりに、シベルのデザイナーさんを見つめ返したのが見えた。
【何て言うか、バチバチと。
2人のバックにまるで、竜と虎が睨み合っているような幻覚が見えるんだけど、どう考えても私の気のせいなんかじゃない、よね……?】
「……くッ……! 皇女様のことですね……?
最近になって、ジェルメールのブランドイメージとはまた違う“あの方”のデザインが世間を賑わせているというのは、私も感じていますが……。
ほんの少し、皇宮と関わりがあるからといって、狡い手を……っ」
「あら、嫌ですわっ! 狡い手だなんて……っ!
人脈は宝だと言うでしょう?
勿論、今回のファッションショーにジェルメールとして衣装を出す以上、全て皇女様の案になってしまうことは、デザイナーとしては問題がありますので。
今回の建国祭では、あくまで、相談相手としてアイディアを参考にしつつも、しっかりと私自身のデザインに落とし込んで、正々堂々と勝負を挑むつもりですわ」
「……ふんっ! 物は言いようですね。
相も変わらず、面の皮が厚い方だこと……!」
「まぁっ! そっくりそのまま、その言葉、お返しします……っ!」
それから、突然、ヒートアップする話の矛先が私になったことで、思わずキョトンとしてしまいながら……。
2人の間に、デザイナーとして、ライバルとして、目に見えて完全な亀裂が入っていることを感じたものの。
お互いに遠慮無くズケズケと物を言い合っていることから、『その、遣り取り』を見るに、まるで旧知の仲というような、不思議な感じがして、私は目を見開いた。
もしかして、ジェルメールのデザイナーさんとシベルのデザイナーさんは、昔から、凄く関わりが深い間柄なのかもしれない。
氷炭相容れずとか、犬猿の仲って言ったら、しっくりくるかな……?
「それで、お話はそれだけでしょうか……?
わざわざ、そのようなことを宣言するためだけに、ウチのお店に?
最近になって、経営の母体が変わったと聞きましたが、デザイナーがお店を開けても大丈夫なんですの?」
「問題ありません。
一日私が抜けたくらいで、立ち行かなくなるほど、ヤワな店ではありませんので。
それよりも、ウチの経営の母体が変わったというのは、どこでお聞きに?」
「あら? 別に不思議なことではないでしょう?
王都で働いている者として、周囲のお店の状況をいち早く把握しておくのも、経営者としては大事なことですもの」
それから……。
そのままの流れで、2人の話を聞いていると、突然、気になる単語が出てきて、私は思わず首を傾げてしまった。
最近になって、シベルの経営の母体が変わったという話題に……。
『巻き戻し前の軸の時に、そんな話、出てきたことあったかな……?』と、一瞬だけ違和感というか、疑問に感じたものの。
ちょっとした引っかかり程度で……。
私自身、今回の軸だけではなく、巻き戻し前の軸の時も含めて、シベルとは一切関わりがなかったし、ただ単にその状況を知らなかっただけかも、と、1人、頭の中を納得させる。
それより、今回、シベルのデザイナーさんが、ジェルメールにやってきたのは……。
【ファッションショーで“ジェルメール”が、どんなドレスを出すのか気になったから、敵情視察に来た】
という気持ち自体は、確かに、ほんの少しは含まれていたのかもしれないけど。
全体的に、正々堂々と、建国祭でライバルになり得る店舗に、真っ向から宣戦布告をするためにやってきた、という意味合いが一番強いのかも。
そう思うと、そこに、特別“大きな問題”が隠れているとも思えず。
こうやって、盗み聞きをするまでもなかったかな、と……。
私自身、安心して、内心でホッと胸を撫で下ろした。
そうして、セオドアと新人のスタッフさんに向かって。
みんなに気付かれないうちに、スタッフルームに戻った方が良いんじゃと、視線を向けようとしたタイミングで……。
「……あっ、イタっ……ッッ、……うわぁっ、うわぁぁぁぁっっっ!」
どうしてか……。
何もない所なのにも関わらず、足を縺れさせて……。
思いっきり、派手にバランスを崩して目の前に向かって、倒れるように転けてしまった、ドジっ子な新人のスタッフさんの姿に。
『あっ……』と、思う間もなく……。
当然、派手な音を出して転んだ“スタッフさんが出したその音”で。
それまで、ジェルメールのデザイナーさんとシベルのデザイナーさんの方にしか向けられていなかった、お店にいる全員の視線が一斉にこっちへと向くのを感じて……。
私自身、今の今まで、こっそりと2人の話を盗み聞きをしていたこともあり、もの凄く気まずい気持ちが湧き出てきてしまった。
「あっ、あのっ、僕……、そのっ。
ヴァイオレットさん……っ、ごめんなさい。
……どうぞ、僕に遠慮なく……っ! お二人で、そのまま話を続けて下さい」
そうして、その気持ちは、緑色の髪をした目の前の新人スタッフさんも同じだったのか……。
一気に周囲からの注目を浴びたことで、目の前でズシャァァという音を立てて転んだ状態のまま。
彼は顔だけ上げると、一瞬だけ、酷く慌てた様子を見せながら、デザイナーさん2人に向かって、絶対に今、使うべきではないだろう言葉を勇敢にも口に出していた。
――派手に顔面から転んでしまっていたし、怪我は大丈夫なんだろうか……?
内心でそう思いながら、私は1人、どうするべきなのか迷ってオロオロしてしまう。
「……全く、お里が知れるというものね。
コソコソと隠れて、人の話に聞き耳を立てるだなんて、まるで、どこぞの鼠のよう……っ!
一体、いつから、このような木偶の坊を雇ったんです?」
「まぁ……っ! どんな理由があるにせよ、ウチの大事な従業員を貶すのは止めて頂けますか?
貴女なら知っているでしょうけど、ウチのスタッフの募集に関しては、常に厳しい制限を設けています。
彼のデザイン案に関して、キラリと光るものがあったから雇用しているんですのっ!
木偶の坊ではなく、未来のデザイナー候補っ! 原石ですわよっ……!」
そうこうしているうちに、デザイナーさん同士で話が進んでしまっていて。
その遣り取りに、途中で割って入る訳にもいかず、私は開きかけた、自分の口をそっと閉じる。
【コソコソと隠れて、人の話に聞き耳を立てるだなんて、どこぞの鼠……】
――木偶の坊……。
シベルのデザイナーさんの口から、新人のスタッフさんに言われている台詞が、自分に対してもグサグサと思いっきり突き刺さっていくのを感じつつ……。
1人、罪悪感に申し訳なくなりながら、その場で黄昏れていると……。
「あっ、あのっ、ヴァイオレットさん。
そのように、僕のことを買って下さって、本当にありがとうございます。
僕、ご期待に沿えられるように、精一杯、頑張ります、ね。
あっ、そうだ。……そう言えば、確か、君も、元々はシベルの“デザイナー候補”だった、んだっけ……?」
と……。
どこか、一生懸命になりながら“声を出していた”新人のスタッフさんの視線が、別のスタッフさんに向けられたのを感じて、私は思わず、彼の視線に流されるように、そちらへと目線を向けた。
緑の髪をした新人のスタッフさんの声かけで、お店にいたお客さんの視線も含めて、一気に注目を浴びたのは、今日、私達に紅茶を持って来てくれた、同じく新人の女性スタッフさんで……。
突然、話を振られてしまったことに、どうすれば良いのかと、1人、困ったような表情を浮かべながら……。
『あ、えっと……』と小さくか細い声を上げたあとで、彼女は、周囲の視線に耐えきれなくなってしまったのか、俯いてしまった。
その仕草から、本当に元々はシベルで働いていたんだなぁ、ということが如実に現れていて……。
私自身、その内容に驚いて、戸惑ってしまう。
――そういうのに詳しくないから、よく分からないんだけど。
働いているお店を辞めたあと、ライバル店へと移動をするのは、別に問題のないことなのかな……?
「あぁ、そう言えば、鼠はこんな所にもいたんでしたっけ?
本当に、上手くやったものだわ。……ほらっ、言ってご覧なさい。
今まで発表したデザインだけではなく未発表のものまで、ウチのデザインに関して、全てジェルメールに持ち込んでいるんでしょう?」
「い、いえっ……、そんな……っ!
決して、私はそのようなことはして、いません……」
「まぁっ! 失礼なことは言わないで下さいませっ!
貴女が、業界でも有名なほど、スタッフに対してあまりにも厳しい指導を行っているから、ウチが彼女を引き受けたまでのことですわっ!
手厳しい方針なのは構いませんが、それに付いて行けない子もいるんですっ!
シベルのデザイン案を持ち込まれた所で、ウチとお宅の作る洋服のイメージが、全くの別物だということは他の誰でもない貴女が一番理解しているでしょうっ?
アイディアは盗むものではなく、創造する為のもの。
盗んだデザインで勝負するだなんて卑怯なことを、この私がするとでもお思いですのっ……!?」
そうして、私が1人、内心で新人のスタッフさんについて思いを巡らせているうちに。
シベルのデザイナーさんと、ジェルメールのデザイナーさんの間で、先ほどとは比べものにならないくらい『険悪な雰囲気』が漂ってきてしまった。
確かに、私自身もジェルメールのデザイナーさんがそんな卑怯なことに手を出しているとは到底思えないし……。
彼女の言っていることに関しては、本当のことなのだろう、という圧倒的な信頼感がある。
それに、ここでその発言を訂正しておかないと、ジェルメールのブランドイメージに傷がつきかねないものだし、今後の営業にも余波が広がってしまうと思うから、しっかりと否定するのは大事なことだ。
だけど、まるで、本当にそうだと思って失望しているような感じから。
どことなく、シベルのデザイナーさんが嘘を言っているようにも見えなくて……。
何て言うか、デザイナーさん2人と、女性である新人のスタッフさんも含めた3人の間で、凄く行き違いがあったんだろうな、とは感じるんだけど。
第三者である私が、勝手に口を挟む訳にもいかなくて、思わずやきもきしてしまう。
「ふんっ、どうだか……っ。
例え、自分の作品に活かすことはなくとも、情報を知っているというだけで、全ての面で優位に立てるのは間違いのないことですから……。
ですが、まぁ、今日の所は貴女のその言葉を信じることにしましょう」
「えぇ……っ!
私自身も、新人のスタッフである彼女に関しても、後ろめたいようなことは何一つしていないと、神に誓っても良いですわ。
ねぇっ……? 貴女もそう誓えるわよね?」
「あ、っ……えっと、……あ、あの……は、はいっ!
……ヴァイオレットさん、申し訳ありません。……ありがとうございます……っ」
ただ……。
そこはやっぱり、ジェルメールのデザイナーさんなだけあって、特に誰かの手を借りることもなく、自分の力でこの問題を解決してしまった。
まだまだ、疑問が残るような感じではあったものの。
シベルのデザイナーさんも新人のスタッフさんに更に詰め寄るることもなく引いてくれて、本当に良かったと思う。
新人のスタッフさんも、戸惑いながらも、自分の潔白についてハッキリと証言出来たのなら、少しは肩の荷が下りたんじゃないだろうか……。
「話は以上でして?
もうそろそろ、私も仕事に戻らないといけないので、出来ればお帰り願いたいんですけど」
そうして、どことなく纏まりがついて収まってきた話の流れに。
『今度こそ、もう大丈夫かもしれない』と、私が一安心していると……。
「私が本当に宣戦布告をするためだけに、わざわざこんな所までやってきたとお思いですか?
今回ジェルメールに来た目的については、もう一つだけ。
優勝賞品として、あなたに、私と“とある賭け”をして貰うために来たんです」
と、言う声が、シベルのデザイナーさんの口から聞こえて来て、思わず首を傾げてしまった。
「賭け……? 一体なんですの?
お店を賭けるとか、そういう話でしたら論外ですわよっ!」
「いいえ、そう言った“品性の欠片もない”下衆な話などではありませんっ。
何を隠そう……っ、!
今回の優勝者が、今後の皇女様のデザインを独占する権利についてですっ……!」
それから……。
まるで予想もしていなかった所から、突然話の矛先が私へと流れてきたことに。
思わず、びっくりしすぎて、何の反応も返すことが出来ずに、私は固まってしまった。
――そうして、お店の人達の視線が一気に私に向いたことで。
一拍、遅れてからジワジワと、彼女に言われたことの内容の意味に気付いて……。
「え……、? あ、あのっ……わ、私、が景品に……?」
と……。
『一体、いつから、私自身が、賭けの景品になっちゃったんだろう……?』と、全くの寝耳に水だった情報に戸惑いながら
私の口から出た言葉は、さほど、大きい声ではなかった筈なのに、広いジェルメールの店内に、まるで波紋のように広がってしまった。










