327 男爵領で採れる野菜のブランド化
あれから、みんなで意見を出し合ったお蔭もあって……。
だいぶ、夫人の作ったクッキーについて、ジェルメールの店舗内で、販売の見通しがついてきたと思う。
最初、エリスの両親である男爵や夫人は『販売して貰えるだけで、凄く有り難いことなので……』と、まるで商売っ気がなかったんだけど。
そこは、ジェルメールにお願いしただけあって。
デザイナーさんも、カフェ部門の職人さんも、特に偽ったりするようなこともなく、きちんとした契約を交わそうとしてくれているのが、傍から見ても理解出来て……。
私は1人、お互いを橋渡しするような形で間に入っていただけに、内心でホッと安堵していた。
ちなみに、最初は夫人の作ったレシピを、ジェルメール側が、高い金額で買い取り……。
今後、クッキーの販売に関して、クッキーの考案者である夫人に対し『売上金から、何%か支払う』ような制度を取ろうかという話も出たのだけど。
夫人のレシピを最大限に活かして、美味しいクッキーを作るには、どうしても、他の領地で採れるものと比べて出来が良い“男爵領で、採れる野菜”が必須になる上に……。
レシピの権利を完全に渡してしまうと、ジェルメールのみでしか販売することが出来なくなってしまうだろうし。
私自身は、今後、完全にジェルメールに『レシピの権利』が移ってしまうよりは、夫人のレシピに関しては、男爵側が持っている方が良いと感じていたから……。
最終的には、当初の予定通り、男爵領で作ったクッキーを、ジェルメールへと送って貰う方法を取ることになって『本当に、良かったなぁ……』と思う。
「問題は、男爵夫人のみがクッキーを作るということになれば、一日に販売する個数に、どうしても制限が出てきてしまうことですよね。
クッキーを頂いて食べた感想として、率直な意見をお伝えさせて貰うならば、これから絶対に売れるという確信がありますし。
うちとしては、一日の販売個数に関して、出来るだけ多く確保して売りたいというのが本音なのですが……」
そうして、みんなの会話が途切れたタイミングで、カフェ部門の職人さんからそう言われて……。
私は『確かに……』と、頭の中で同意してから、その懸念について、内心で思考を巡らせていく。
話に加わってくれていた商人さん曰く、男爵領から王都までの配送期間を考えれば、2日もあれば届けられるとのことではあったものの。
夫人1人が作るには限度があるとはいっても、商人さんが何度も往復する手間賃を考えれば、出来るなら配送に出す曜日などを決めて、なるべく一度に、纏めて送って貰うのが一番効率が良いと思う。
問題は、その個数だけど……。
『一日に、どれくらい、クッキーの個数が作れるか』ということを、カフェ部門の職人さんが夫人に問いかけて……。
全員が、どうすれば一番良いのかと、その方法について頭を悩ませているあいだ。
ふいに、閃いたことがあって、私はみんなに向かって、口を開いた。
「……あのっ、もしも、可能であれば。
男爵領で暮らしている女性達の手を借りるのはどうでしょうか?
夫人と一緒に、“クッキー作りをしたい方達”を雇うことで、人手を増やせば、個数の問題に関しても解決するはずです。
勿論、普段からの男爵の人柄で、村人達との距離が近く“仲が良い”からこそ、出来ることかなと思うのですが……」
私自身、以前、男爵の領地に行かせて貰った時。
そこに、暮らしている農民達が、人が良い男爵と同様、凄く温かかったことを思い出しながら……。
今の段階で、現実的に叶えられそうな範囲で、慎重に提案すれば。
「皇女様、それは、我が領地に住んでいる村人達に協力を仰ぐということでしょうか……?」
と、男爵から驚きに目を見開かれたあとで……。
再度、確認するように問いかけられて、私はこくりと頷き返した。
「はい。……えっと、この場合、どういう言葉が適切なのか、凄く難しいんですけど。
村おこしの一環のような物だと思って頂ければ……。
クッキーの販売が軌道に乗れば、今まで、農業だけを収入源としていた方達の、新たな収入にもなりますし。
地域を活性化させるために、どの領地も特産品などがあることを思えば、別におかしなことでもなく……。
男爵領で作っている野菜自体が、他の領地とは一線を画すようなものですし、“ブランド”になると思うんです。
そういうのも、ジェルメールで販売するクッキーを通して、アピール出来れば……。
副産物として、今後、男爵領で採れるお野菜を求めて“自分の店でも扱いたい”と、他の商人さん達と契約を交わすことも出来るかもしれませんし。
村人達も自分たちが作ったお野菜が、世間一般に広く周知されて、ブランド化されることで、モチベーションも上がるかな、って思いまして」
それから……。
なるべく分かりやすく伝わるように、自分の意見をしっかりと纏めて、説明すれば。
「いやぁ……、驚きましたっ……っ!
皇女様は、そのお年で、本当にびっくりなくらい、商才に長けていますね……っ!
うちの従業員にも見習って欲しいし、前にもお伝えしましたが、是非とも私の秘書になって一緒に盛り立てて頂きたいくらいです」
と、何故か商人さんから、手放しに褒められてしまって、私は思わず照れくさくなって、はにかんでしまった。
「はぁ……、本当にそうですわよね。
何度も言うようですけど、皇女様が皇女というお立場でなかったら、絶対に、色々な方面から引く手数多ですのに……っ。
あー、もうっ、勿体ないですわ~!」
そうして、ジェルメールのデザイナーさんから、まるで自分の事のように、自慢気にそう言われて、1人、褒められ慣れていない私は……。
【それ以上、褒められたら、林檎みたいに真っ赤に赤面してしまう……っ!】
と、みんなからの温かい目線に嬉しいやら、恥ずかしいやらで、あっぷあっぷしてしまう。
「村人達を雇用するという案は、私では絶対に出てこなかったでしょうが……。
確かにそれなら、関わった人間全てに利がある話ですし、うちの領地にとっても凄く良い提案で。
是非とも、その方向性で進めていきたいと思います」
それから、男爵にそう言って貰えたことで、自分の意見が受け入れられたことにホッとした私は……。
『とりあえず、重要な局面を乗り切ることが出来て、本当に良かったなぁ……』と、内心で思いながら……。
まだまだ、売上金をどっちがどのくらい取るのかなど、細かい金銭の遣り取りに関しては、これから更に詰めて、話を進めていくことになると思うけど。
――これで、エリスの負担も、少しでも軽くなるんじゃないかな……?
と、感じていた。
前に男爵領に行った時は、エリスが手紙を書く為の便箋代ですらケチって、そのお金を実家に回しているっていう話だったし。
私自身も男爵とは、ちょっとしか関わっていないにも関わらず。
その人柄に関しては凄く良いものの、いっそ、心配になるほど“騙されやすそうなタイプ”だなぁ、って思ってしまうくらいには、ハラハラしてしまう場面が、今日だけでも幾つもあったから。
正直、私自身もそういう腹芸とか、人の裏を読むのが苦手なタイプだから、人様の事に関して、どうこう言えないんだけど……。
それでも、今回の一件が、少しでも男爵や夫人、それからエリスの役に立てたのなら、本当に良かったと思う。
全てが上手く流れていることに、自然、口元が緩んで、にこにことしながら、みんなの遣り取りを聞いていると……。
金銭のみならず、私が直接、関わることもない、一日の販売個数から逆算して『どれくらい一度に出荷するのか』など、具体的な数字に関する話がメインになってきたので……。
そのタイミングで休憩をするように、さっき、ジェルメールの新人さんが持ってきてくれた、紅茶のティーカップに口をつける。
私自身、特別、数字に強い訳じゃないし、ここには商人さんみたいなプロもいるから、その辺りは口を挟まずに、お任せしてしまった方が絶対に良い。
自分が良かれと思ったアイディアに関しては口を出しても……。
私よりも断然出来る人がいるのなら、そこに関しては、余計なことをしない方が、きっと上手くいくだろうし。
ゆっくりと温かい紅茶を飲んで、ホッと一息吐いていると……。
「アリス様……!
一銭にもならないことなのに、我が家のために、本当にありがとうございます……っ」
と、こそこそっと、近くに座っていたエリスが話しかけてくれて、私はふるりと首を横に振った。
「ううん、私自身、こういうことをするのは全然苦じゃないし、気にしないで。
ちょっとでも、エリスの役に立てたなら、本当に良かった」
そうして、にこっと、微笑みながらエリスに向かってそう伝えれば。
「いえ……っ、ちょっと、どころではありません……っ!
本当に、何から何までお世話になりっぱなしで。
このご恩をどうやって、お返しすればいいのか……っ!」
と、もの凄く慌てて、恐縮したように、そう言われてしまった。
その言葉に、別に誰かからの感謝や見返りなんかを期待して、こんなことをした訳ではなかった為、私は思わずきょとんとしてしまう。
「姫さん、きょとんとしすぎだぞ……。
今、頭の中で何を考えてるか、当てようか?
“そんなこと気にしなくても良いのになぁ”とか、思ってるだろ……?」
「えっ……? セオドア、どうして分かったのっ……?」
「正直に、顔に全部書いてある」
私がエリスと会話をしていたら……。
そっとセオドアが、今私が考えていたことに関して『まるで、全部理解している』と言わんばかりに、声を出してくれて。
その言葉に、思わずびっくりしてしまう。
「……うぅ、そんなに、顔に全部出ちゃってる……?」
流石に“嘘”もつけずに、思ったことが、顔に全部出てしまうのは……。
皇宮で色々な人を相手にしなければいけない、皇族という自分の立場的なものを考えても、あまり良く無いよね、と思いつつ。
1人、考えていたことが思いっきりバレていることに恥ずかしくなって、頬に両手を当てながら、肩を落としていると……。
「アリス様の素敵な所ですから、落ち込む必要なんてどこにもありません」
と、ローラがにっこりと、私に笑顔を向けてくれた。
「うむ、正直者に悪い者はいないしな。
出来れば、どれほど世の中が汚かろうが、性根の部分では、心が澄んだ生き物でありたいものだ。
僕も、そういうのは苦手だから、アリス、お前の気持ちは本当に良く分かるぞっ……!」
そうして、アルが励ましてくれるのを聞きながら……。
セオドアも良い意味で声をかけてくれたんだろうし、本当に私の周りにいる人達は、誰をとっても『いつも優しいなぁ』と……。
みんなの優しさに、じんわりと温かい気持ちに包まれたような感覚になりつつ。
「エリス、セオドアにも、私の考えがバレちゃってたくらいだし。
私自身は本当に何も思ってないから、必要以上には気しないでね……?」
と、改めてエリスに声をかければ。
「それでは、私の気がすまないので……っ。
今後も、アリス様に誠心誠意、精一杯、お仕えしますね……っ!」
という、エリスからの決意表明のような言葉が返ってきて、私はふわりと笑みを溢してから……。
「うん、ありがとう。
そう言ってくれると、凄く嬉しいな」
と、エリスの目を真っ直ぐに見つめて、声に出してお礼を伝える。
そうして、私達がみんなで、ほのぼのとした一時を過ごしていると……。
その間に、契約書を交わす所まで、話は進んでいたみたいで。
ちょっと目を離していた隙に、男爵が緊張した面持ちで、手をぷるぷると震えさせながら、契約書にペンでサインをする所みたいだった。
それから、私たちの視線を感じとったのか、男爵が顔を上げて照れたように笑みを溢しながら……。
「いや……、お恥ずかしい限りなのですが、一度、友人に騙されてしまっているので。
契約書にサインをするというのが、知らず知らずのうちに、恐怖症みたいになっておりまして……。
少し、深呼吸する時間を頂いても宜しいでしょうか……っ!」
と、声を出しながら、胸に手を当てて、スーハー、と息をするのが見えて、私はぱちくりと目を見開いた。
そうして、決心がついたのか、勢いでサインをするその姿に。
何となく心配する気持ちと、きっと、領地を経営する者としては、あまり良くないのかもしれないけれど、憎めない男爵の人柄のようなものを感じて、思わずほんわかしてしまった。
それから……。
――数字の面で、細かいことが大まかに決まったら……。
次は商品を、どういうパッケージで売り出すかなど、その辺りのことを話し合うのだと思う。
この間、ジェルメールのデザイナーさんと、勝手にパッケージについて、どんな感じのものがいいのか、話していたことから着想を得てくれていたのか。
今日、話し合いをするにあたって、幾つか良さそうなものを、既にデザイン画を描いて、こんな感じの完成図になるという見本を上げてくれていて。
そこは、流石、本来は洋服店なだけあるなぁ、と思ってしまった。
【その辺りも、ジェルメールの職人さんと、男爵夫人の好みによるものが大きいだろうし、私自身はそこまで介入しなくても、もう大丈夫そうかな……】
内心で、そう思いながら……。
一先ず、仲介役としての役目はこれで終わりだろうと、一仕事終えた感じでホッとしていると。
ジェルメールのデザイナーさんと目が合って……。
「皇女様、クッキーの件に関して、私達の手から離れて“少し休憩”されているところ、本当に申し訳ないのですが……。
次は、ファッションショーの洋服をどうするか、一緒に考えて欲しいですわ~!」
と、申し訳なさそうに、そう言われて……。
『完全に自分の役目が終わった気になっていたけど、そう言えば、そっちの件はまだ全然手つかずだった……』と思い直した私は、ソファに腰掛ける自分の姿勢をそっと正した。