322 時を司る能力の可能性
「アリス、身体の具合はどうだ?
この世界の全てに干渉して時を巻き戻すのと、1人の時間を巻き戻すのとでは、自身にかかる負荷に大分、差があると思うのだが……?」
そうして、続けてアルにそう言われて、私はセオドアに受け止めて貰っていた腕の中で、自分の身体の具合を確認するように視線を向けた。
――瞬間……。
こぽ、と……。
熱く込み上げてくるものから、自分が血を吐いてしまうという感覚はいつものようにあって……。
咄嗟に、手のひらでそれを受け止めたあと、私はアルの言葉に同意するように、こくりと頷き返す。
今、アルに言われたとおり、5分ほど遡り、この世界の全てに干渉して時間を巻き戻す能力を使うのと。
たった1人、アルの時間を1年分巻き戻すのとでは、身体の負担はかなり違う気がする。
いつもの感じだと、アルに癒やしの魔法を使って貰うまでは、息切れも酷く、立っているのもやっとで、直ぐに頭痛や吐き気に襲われていたけれど。
そういった反動が一切出ていないというのは言い過ぎにしても、かなり軽減されていると感じるし、そういう意味で言ったら、私の身体にかかる負荷自体が軽くなっている証拠なんだと思う。
そうして、私が血を吐いたことで……。
どんなタイミングであろうとも、いつでも飲めるようにと、ロイから処方して貰っていた薬を片手に待機してくれていたローラが。
「アリス様……っ、お身体は大丈夫ですか……っ!?」
と、慌てて声をかけてくれた。
あまりにも心配してくれたのか、私の顔色も含めて、全身をくまなく確認するように見てくれるローラに、『心配しないで欲しい』という気持ちを込めて見返したあと。
私は、口元を緩めながら、微笑んで。
「……っ、ローラ、心配してくれてありがとう。
身体の負荷に差があるって、今、アルにも言われた通り。
能力を発動した時の反動で……。
どうしても、頭痛や吐き気は少しだけ感じてしまう部分はあるんだけど、いつもほど大きな反動は出てないと思うから大丈夫だよ」
と、なるべく安心して貰えるように声をかける。
能力を使った時に血を吐くのは、いつものこととしても。
アルに癒やしの魔法を使って貰ったり……。
日頃からロイが“私のために処方してくれている”頭痛薬や、吐き気止めを飲まなくても、普通に誰かと会話が出来るくらいの余裕はある。
前に、古の森に来て練習した時。
アルに言われたように、今後も、この感じで最小限の魔力で自分の能力をコントロールして、身体に馴染ませていけば。
以前、ヒューゴと一緒に洞窟に行った時みたいに……。
熊に襲われたアンドリューを守るために、突発的に能力が出てしまって、必要以上に魔力を使いすぎてしまったことによる大きな反動なんかも、減らしていけるんだと思う。
……あとは、もっと、上手く能力が扱えるように。
私自身が、自分の能力については、現状、大まかにしか“分からない”ことだらけで、きちんと知らなければいけないなって感じているし……。
そういう意味では、普段から『1回能力を使ってしまう』と。
どうしても、その反動から、立て続けに何度も使えなくて、もどかしい思いをすることが多かったから……。
今、そこまで反動が大きくなくて、自分の身体に負担があまりないのなら、このまま能力を使うことを続行して、試してみたいことは幾つかある。
「姫さん、例え、体調がそこまでしんどくなかったとしても……。
頭痛薬と吐き気止めは、一応、飲んでた方がいい」
それから、今の今まで、ずっと私のことを支えてくれていたセオドアに対して。
『受け止めてくれてありがとう』とお礼を伝えて、自分の足のみの力で立ち上がって離れると……。
ローラと一緒で、私の身体のことを心配してくれたセオドアが、声をかけてくれた。
その言葉に素直に従って、一度、こくりと頷いたあと。
私は、ローラが持ってきてくれていたロイに処方して貰った薬を、水と一緒に遠慮なく飲ませて貰う。
「えっと、アルは身体は大丈夫そう、かな……?
一年の時間を巻き戻してるし、身体に、何か問題とか起きたりしてない?」
そうして、能力の反動に関してはまだあるものの。
自分が落ち着いたタイミングで、アルに向かって声をかければ。
アルは私に視線を合わせてくれながら……。
「うむ、特に問題ない。
巻き戻された瞬間は、大凡、一年ほど前の記憶が出てきて、古の森の泉に子供たちと過ごしていた感覚が強かったのだが。
脳が、一気にお前達に会った記憶を思い出していってな。
お蔭でほんの少し、頭の中は慌ただしかったが、今は既に落ち着いているし、身体的に何か異常なことも起きていない」
と、しっかりと自分の状態を説明してくれた。
アルの反応からも、巻き戻したことによる弊害とか、どこにも異常は出ていなさそうでホッとする。
それから、ロイの処方してくれた薬が効くのを待って、ちょっとだけ休憩させて貰ったあと。
『これなら、まだ、動けそう……』と。
自分の身体が問題ないということをしっかりと確認した上で、私は、みんなに向かって、今、自分が思っていることを、おずおずと正直に口に出すことにした。
「ねぇ、アル……っ。
私の能力って、時間を未来に進めることと、過去に巻き戻すことと。
あと、この間、アンドリューを助けた時みたいに、一時的に時間を止めることとあると思うんだけど。
私自身、自分の力が、一体“どれくらいの範囲”で使えるものなのか、もっと、詳しく知りたいなって感じてて……。
もしかしたら、何かの拍子に、必要になってくるかもしれないし。
出来れば、能力の反動で身体にかかる負担も、そこまでしんどい状態じゃないから、今日、もうちょっとだけ力を使ってみてもいいかな……?」
そうして、問いかけるように出した、私の言葉に……。
もしかしたら、このまま続けて能力を使うということに対して、私のことを心配して『反対されちゃうかも……』と、事前に予測していた通り。
セオドアとローラはやっぱり、あまりいい顔をしなかったんだけど……。
予想に反して、アルは、私の顔を真っ直ぐに見つめてくれた上で。
「うむ……。
僕が今、パッと見ただけでも、アリス、お前にかかる身体の負担は大分軽減されている。
その上で、どの程度の範囲まで、一体、どれくらい有効なのか……。
自身の能力の使い方を“詳細に知っておく”ということは、決して悪いことばかりではないと、僕は思う。
それが、自分の力を自在に操れることにも繋がるし、魔力を身体に馴染ませて、安定を図るという意味でもメリットにもなり得るからな。
だが、自身の寿命を大幅に削るようなことになるから、あまりにも、大きい魔力を扱おうとするのは、どんな状況でも絶対に反対だ」
と、声をかけてくれた。
その言葉に、真剣な表情を浮かべて、一度、頷いてから……。
「うん、私自身、自分の負担になってしまうような、大きな力を使おうとは思ってないよ。
ただ……、例えば、今日、もしも能力のコントロールをするのならと、幾つか持ってきたものがあるんだけど。
人に対して時間を巻き戻せるのなら、もしかしたら、植物とかに対しても私の能力は有効なのかな、って思って……」
と、私は、今日、ここにくる前に用意して訓練場の隅に置いていた植木鉢に視線を向ける。
3つ用意した植木鉢の中には、それぞれ既に、一つだけ花が咲いて、幾つかは蕾をつけた状態のものと、土に種を植えただけの状態のもの、それから完全に茶色く枯れてしまった状態のものがある。
もしも、植物に対しても自分の力が有効なのだとしたら……。
それが物であれ、人であれ、対象のもの全体に対して。
『巻き戻し能力』がかかるだけじゃなくて、一部分のみにかけても巻き戻すことが出来るかなど、試しておきたいことは沢山ある。
例えば、同一の植物ではあるものの、一個の蕾にのみ魔法をかけることで。
他の蕾や既に咲いている花には影響を及ぼすことなく、たった一個の蕾の時間を未来に進めて、そこから一輪だけ“花を咲かす”ことが出来るのかとか……。
種を土に植えただけのものを、肥料や水を一度も与えることなく成長させることが出来るのかとか。
それと、逆に、完全に枯れてしまった花など。
『生命力が、既に停止してしまっているもの』に対して、自分の能力を使うことは出来るのか、とか……。
そう言ったことも含めて、前に禁書庫にみんなで行った時から、今日、古の森に来るまでの間に。
皇宮でも、自分で思いつく限りのことは、一通り、頭の中でシミュレーションして、それに必要なものもなるべく用意出来るようにしていた。
――後は、それを、試してみるだけ。
特に、もしも一部分のみに、私の能力をかけることが出来るのだとしたら……。
誰かを若返らせるようなこともなく『魔女が使った能力に対してのみ、時を巻き戻す』ということも、出来る可能性は高くなるんじゃないかな……?
もしかしたら、魔女に対して『自分の力が有効なんじゃないか』ということは、今、伝えても、きっと心配させてしまうだけになるだろうし、一先ずは、みんなには言わないことにして。
あくまで、自分の能力の可能性を探る意味で……。
『こういうこととか、出来ないかな……?』と、持ってきた植木鉢の中の植物を見ながら、自分の考えをしっかりと説明すれば。
予想以上に私が色々と考えていたことが意外だったのか、私の話を聞いた全員から、もの凄く驚かれてしまった。
「ふむ……。
確かに、植物を使うというのは、その状態の変化も視覚的に見て分かりやすいし、いいアイディアだな。
出来るだけ、最小限の魔力を使うという点においても、小さい植物を“その対象”にすることで、魔力を身体に馴染ませ、コントロールの練習には打って付けだろう」
そうして、私の考えてきた色々と試してみたいという気持ちに、少しだけ考えるような素振りをしたあとで……。
アルから、お墨付きとも思えるような言葉を貰えて、私は、ホッと胸を撫で下ろし、心の底から安心する。
一先ずは、否定されてしまったり、心配だからと、止められるようなことにならなくて本当に良かった。
「……しかし、アリス、中々面白い所に目を付けたな。
お前の言う通り、生命の維持が既に止まっているものにも、時間を戻すことは有効なのかという点と。
植物の“一部分のみ”にかけても効果があるのか、というのは僕も世の中の理について研究する者として、純粋に気になる所ではある。
それと、植物が、肥料などの栄養や、水もない状態できちんと育つものなのか、という点もな。
過去はまだしも、未来には、それこそ無限の可能性がある。
水や栄養を与えていない種のままの状態の植物には、今の段階で、この先、花が咲く未来と、発芽しない未来と両方残されている訳だからな。
たった一つの種という“個”によって、運命という名の元に、未来というものが既に定められているのか。
はたまた枝分かれをした無限の可能性である未来の“一つ”をランダムに選びとるものなのか、興味深いものだ」
そうして、精霊として、色々なことを知識として知っておきたいという知的好奇心を抑えきれない様子で。
その瞳をキラキラとさせながら、アルが私に向かって、声をかけてくれると……。
「……けど、アルフレッド。
それで、姫さんの身体に、滅茶苦茶、負担がかかったりはしないか……?
この世界の“全部”に干渉しなくて良くなった分、確かに俺にも、目に見えて分かるくらい1回の魔法を使った時の反動は軽くなってはいるとは思う。
それでも、一日に何回も能力を使うってのは、正直、姫さんの身体に負荷をかけちまわねぇか、心配なんだが」
と、セオドアが私の身体を心配して、アルに向かって言葉を投げかけてくれた。
その横で、ローラも私を見ながら、もの凄く不安そうな表情を浮かべてくれていて、私は2人のその姿に思わず、キュッと胸が痛んでしまう。
「うむ。……セオドア、お前の言っていることはよく分かる。
だが、皇宮から古の森に来るまでの時間と距離を考えたら、そう、何度も此処にきて、練習出来るものでもないしな。
この間の、洞窟での魔力の暴発とも取れるような、自分の身を守るために、突発的に能力が出てしまうということも、今後、絶対に起きることがないとは言い切れぬ。
あの時は奇跡的に、アリスに副次的な作用として、身体に異常などを来すことなく、無事だったが。
次、もしも同じようなことがあったとき、そうならないとは、言えないだろう?
……ならば、今、少しだけ負担はかけるかもしれないが、ここでなるべく、魔力が身体に馴染むくらいには練習をしておいた方が良い」
それから……。
私のことを心配してくれる2人に向けて、アルが、色々と考えた上で私達にも分かりやすく、もう少し、ここで練習をしておいた方が良い理由についても、説明してくれるのを聞いて……。
私自身、そこまで考えられていなかったけど……。
確かに、古の森自体に、頻繁に来ることが出来る訳じゃないというのはその通りだなぁ、と思うし。
皇宮でも色々と行事があったりで、慌ただしい毎日を過ごしていることを思えば、多少、ここで無理をしてでも、なるべく早く、最小限の魔力だけを使うということに身体を馴染ませておいた方がいいというアルの判断は、目から鱗だった。
それと同時に、例えこうして、意見が違ったとしても……。
みんなが、いつも私の身体のことを一番に考えてくれているのが分かって、本当に有り難いなぁという気持ちが湧いてくる。
だからこそ、ほんの少しでも自分の能力の使い方を知っておくことで、これから先の未来に備えておきたいとも……。
「何かあれば、直ぐに、僕の魔法を使ってアリスを癒やすことは可能だし。
必要以上にアリスの負担にはならぬよう、その魂の具合は僕がきちんと見ているから、お前達は、そこまで心配しなくていいぞ」
それから、アルにそう言って貰えたことで、セオドアもローラも、私のことを心配してくれながらも。
最終的には、私が自分の能力の可能性について、色々と試してみたいと思うその気持ちを汲んでくれた。
そうして、みんなに見守られながら、私はもう少しだけ、自分の能力を使うことにして……。
改めて、目の前にある植木鉢の中に入っている植物に目を向ける。
どれから試そうかと、凄く悩んだんだけど。
やっぱり、一番は『魔女が使った能力に対してのみ時間を巻き戻すことで、その寿命も戻せるんじゃないか』ということが一番気になっていることだったから、そこからしてみようと決めて。
私は、アルの胸に手を当てた時と同じように、植木鉢の中の、蕾になっている植物の一部分にそっと手を触れながら……。
さっき、アルの時間を一年間だけ巻き戻したのとは違い。
今度は未来へとほんの少し進めるつもりで『未来へとほんの少しだけ時を進めて、この蕾だけが、花を咲かせますように……』と、強く念じることにした。










