321 最小限の力を使う練習
あれから、10日ほど時間が経過して……。
ようやくほんの少し、慌ただしかった日常から一時的に解放された私は、今日はセオドアとローラとアルと一緒に、古の森にやってきていた。
といっても、このタイミングで古の森に来ないと……。
これから先に待っている建国祭が、差し迫ってしまっていて。
その準備などに追われて、中々、またここに来るタイミングが掴めなくなってしまうから、というのが理由としては一番大きかったりするんだけど……。
――ファッションショーで着る洋服を、ジェルメールのデザイナーさんと共同開発しなければいけないというのもあるし。
そのタイミングで、エリスのご両親や商人さんを王都に招待して、ジェルメールでクッキーの発売に関しても、早急に話を進めたかったりもしているし。
この間、カフェで偶然会って“交流を持つ”ようになった、私の洋服のファンだと言ってくれたオリヴィアからは……。
『先日は皇女様にお会い出来て、本当に嬉しかったです』という丁寧な手紙が早速届いて。
今、どういうものが好きかなど、徐々にではあるものの、お互いの個人的なプロフィールを教え合ったりして、物語に出てくるような友達としての遣り取りも出来ていると思う。
私にとっては『初めて出来た女の子のお友達』だし、どういう風な距離感で接したら良いのか悩むことばかりなんだけど。
それでも、オリヴィア自身も、少しずつ仲良くなれたら良いな、という気持ちを持ってくれているのか、前に私に初めて会った時のように、グイグイと来るような感じではなく。
たまに、凄く興奮したような感じで、洋服のことについて熱く語ったりしてくれている部分が垣間見えたりすることがあるものの……。
手紙では、貴族の令嬢らしく、きちんと礼節を弁えたような遣り取りを心がけてくれている気がする。
だから、込み入ったような話はまだ、あんまり出来ていないんだけど……。
――出来れば、建国祭が始まる前までには……。
【騎士団のこともあって、もう少し仲良くなっておきたいなっていう気持ちがあったり……】
勿論、純粋に騎士団のことだけじゃなくて、アズとしてではなく、皇女としての私にとっても“初めてのお友達”だから。
オリヴィアと友達として“交流”を持てることが凄く嬉しいな、とは思ってる。
後は、ハーロックがお父様に頼まれて、建国祭の行事について、リストアップしてきてくれると思うから。
建国祭の間に、私が公務として絶対に出なければいけない行事の確認は、しっかりとしておかなければいけないだろうし……。
今パッと思いついただけでも、これだけやらなければいけないことが出てきているから、これから私自身、またどうしても、慌ただしく忙しい日々を送るようになってしまうと思う。
だから、今回、古の森にやってきたのは、アルが精霊さん達の様子を見に来るついでに……。
前にブランシュ村で、ヒューゴと一緒に黄金の薔薇を採取しに洞窟に行ったとき。
熊に襲われてしまった冒険者のアンドリューを守るために、咄嗟に魔女の能力が出てしまったあの時みたいに、能力を使った時、私自身にかかる負荷として、必要以上に反動が大きくなってしまわないように……。
もしも今後、仮に突発的に能力が出てしまうようなことになっても。
日頃から、常に“最小限の力”のみが使えるように、身体に魔力を馴染ませ、コントロール出来るようにしておくことで、無駄な魔力の消費を抑えることに繋がるからと……。
より、詳細に扱えるよう、能力の練習をしに来ていた。
そのためには、以前アルが私に言ってくれたように、この世界の全てに干渉するような大きな力を使うんじゃなくて、“一個人に対して”能力を使うことで、身体にかかる負担を出来るだけ軽くさせ。
自身の、能力のコントロールの安定化を図るのが一番良いみたいだから……。
今日はアルに手伝って貰って、重点的にその練習をすることにはなる、と思う。
皆には、まだ伝えていないものの、前にお兄様と一緒に禁書庫に行った時にも考えていたことだけど。
人を若返らせた時に、使った能力自体も巻き戻るのなら……。
若しくは、人を若返らせるんじゃなくて『魔女が使った能力に対してのみ時を巻き戻す』ということが有効なのだとしたら……。
もしかしたら『私の能力』で、ベラさんみたいに既に“能力”をかなり使っていて、寿命を消耗してしまっている魔女のことを補助的な感じででも“助けられる”かもしれないし。
私自身の能力の可能性を探る意味でも、今回の練習は凄く重要なものになるかもしれない。
「うむ……、アリス、僕に遠慮などは必要無いぞ。
事前に、お前達と出会ってからの“記憶の忘却”を防ぐための魔法は自分にかけておいたし、何年巻き戻そうとも僕が赤子になるようなこともないのだ。
ほら、どーんと来るがいいっ……!」
……古の森に来るのは、デビュタントの前くらいに来た時以来になるだろうか。
皇宮だと、どうしても“他者の視線”があるから。
今回もエリスに留守を任せて、昨日の夕方、砦に着いた私達は、そのまま“一泊”したあと。
久しぶりに古の森の中にある泉に寄って、歓迎するように近寄ってきてくれた、精霊さん達と少しだけ戯れて。
ローラの作ってくれたサンドイッチを、お昼ご飯にみんなで食べてから……。
元々、砦にある訓練場として使われていた場所に出て、一応、念の為にと準備運動をし終えたタイミングで、アルが私に向かって両手を広げ、張り切った様子で声をかけてくれた。
その姿を見ながら……。
「おい、アルフレッド。……騎士同士がやりあうような、ぶつかり稽古とかを、するわけじゃねぇんだぞ。
姫さんが時間を巻き戻すだけなのに、お前が両手を広げて、受け入れ体勢になって、どうすんだよ」
と、どこか呆れたような視線で、セオドアが苦笑すれば。
「むっ……! ……言われてみれば、そうだなっ。
つい、なんとなく“いつも”の、アリスとハグをする時の調子だったのだが……っ!
……まぁ、でも、普段とは違い、今回は僕だけに“その能力”をかけることになるからな。
恐らく、どこかの身体の部分は、少しでも触れあっておいた方がいいだろう。
例えば、アリスの手のひらから、僕の身体に向けてエネルギーを放出するような感じだと言えば分かりやすいか?」
と、アル自身には、騎士同士が練習をする時のようなぶつかり稽古のつもりは一切なく。
普段からの名残みたいなもので、私に対して、ハグをする時の調子で声をかけてくれたみたいで。
どことなく気まずそうな表情で、そう言ってくれたあと、補足するように説明してくれた。
確かに、そう言われてみれば、“1人にだけ”時間を巻き戻すような力を、どうやって使えばいいかよく分からなかったけど。
手のひらから、自分の魔力をアルに向かって放出するような感じだと言って貰えると、凄く分かりやすい。
アルのお蔭で、何となく、朧気ながらも“能力を使うイメージ”を掴むことが出来た私は……。
『ありがとう』と一度お礼を伝えたあとで、時を巻き戻す能力を使う前に、表情を硬くして真剣な顔をアルに向ける。
「あのね、……アル。
練習の前に“一つだけ”約束して欲しいことがあるんだけど……。
幾らアルが、私の為に、自分の身体を差し出してくれていて。
記憶を忘れないようにと、自分自身に魔法をかけて、大丈夫だと思っていても……。
もしも、時間を巻き戻すことで、アルの身体に負担になってしまうようなことが起きたら駄目だから、そうなった時は、遠慮なく、私に教えてね」
そうして“精霊”だから、多少巻き戻した所で、何も問題はないはずだと……。
私の練習の為に、その身体を差し出してくれることになったアルに、もしも万が一にも、何か問題が起きてしまったら、直ぐに伝えて欲しいと念押しするように声をかければ。
「うむ、案ずることはない。
勿論、“その時”は、きちんとお前に伝えるし、そうなったら、別の方法を考えてもいいんだからな」
と、アルが、口元を緩めながら『その辺りは、何も心配要らないから僕に任せろ』といった感じで安心させてくれるように言葉をかけてくれた。
その言葉と反応で、アルに対して絶対の信頼を感じながら。
私は、前にも此処で練習した時と同じで……。
セオドアやローラに見守られている状況下で、余計な雑念が入ってこないように、すぅっと一度、深呼吸をして、頭の中で、自分の能力を使うイメージを整える。
今まで、この世界全体に干渉して時を巻き戻すことはあっても、誰か1人に向けて、その力を発揮したことはない。
その上で、自分の能力を使うことで『何か問題が起きてしまうかもしれない』という、恐怖や不安は、どうやったって心の奥底にあって、そう簡単に拭いきれるものじゃないし。
【もしも、私が巻き戻したことで、アルの身体に良からぬことが起きてしまったら……?】
という気持ちに苛まれながらも。
私は、なるべく“それら”を頭の片隅に追いやって、目の前に立ってくれているアルの胸にそっと手を当てて意識を集中させる。
――目の前にいる、アル、ただ1人の時間を、巻き戻す……。
どれくらい“戻す”ことにするかは、此処に来るまでの馬車の中で、事前に話し合って決めていて。
とりあえず、今まで膨大な魔力を使って“この世界の全て”に干渉していたから、あまりにも緻密なコントロールは難しいだろうということで。
まずは、1年と決めて、戻してみよう、ということだった。
あくまで、私がイメージするのが1年で、直ぐに直ぐは、そんなにきちんとコントロール出来ないだろうから、その誤差については仕方がないとアルは言っていたけれど。
それでも、なるべく、誤差が大きく出ないようにと……。
以前、デビュタントの前に練習しに来た時と同じように、自分の感覚を頼りに“身体の中をかけ巡っていく、エネルギー”をたぐり寄せるように、全神経を傾ける。
それから、なるべく『明確な時期』を頭の中で思い描いて、“1年前”にアルの身体を巻き戻したいということを、願掛けのように祈ったあと。
【巻き戻れ……っ】
と、いつものように、強く念じていく。
その瞬間、周囲の刻が一瞬だけ止まったような感覚がして……。
いつもとは違い、この世界全てが巻き戻ることはなく、対象者であるアルの身体だけに、自分の手から漏れだす光のようなものが当たることで、エネルギーが放出され……。
私自身、どういう風に表現すればいいのか、分からないんだけど。
私にしか感じられないような、誰か1人の人生を巻き戻しているという確かな感覚が、手のひらを通して、伝わってくる。
「……っ、う゛っ……ふ、ぅっ、!」
そうして……。
――熱のような。
自分の身体を巡って、手のひらから出てくる、迸る一点集中のエネルギーの塊を……。
思ったよりも扱うのは凄く大変で、反発して跳ね返ってくるような力に押し潰されてしまわないよう、必死で足に力を込める。
それでも、ぶるりと、身体が震えて……。
額から、冷や汗がぽたりと落ちてくるのを感じて、私は小さく唇を噛んだ。
世界の全てに干渉して巻き戻していた『いつも能力を使っていた時』よりも、緻密なコントロールが必要になるだろうということは、事前にアルに聞いていた通りで……。
文字通り、身体の負担は軽減されても、一切の気を抜くことは出来ないと、自分でも感覚で理解出来る。
一度、集中力を切らしてしまえば、必要以上には出てこないようにと必死に抑え込んでいる強い魔力が、今にも余分に出てしまいそうな感覚がする。
そうなったら、対象者でもあるアルの身体を1年戻すよりも、もっと過剰に巻き戻してしまうことになりかねない。
コントロールをして、1年の時間を、ただ巻き戻すだけでいい。
それ以上でも、それ以下にもないように、と。
研ぎ澄ました感覚を、更に鋭く尖らせて……。
――それから、どれくらい時間が経っただろう。
自分の手のひらから、アルに向けて放出されていた光のエネルギーが、やがて収束するように、徐々にその輝きを失い。
空気に溶けるように“光の粒”になって、キラキラと、パァァっと広がるように辺りに向かって掻き消えていく。
その瞬間、今の今まで、止まっていた時間が動き出し……。
「……っっ、んぅ……っ」
反動で、ふらっと、立ち眩みのような感覚がして。
ガクン、と……。
その場に倒れそうになった所を、傍で立ってくれていたセオドアが、咄嗟の所で手を伸ばしてくれて、後ろから私の身体ごと受け止めてくれる。
それから、息を呑んだローラが『アリス様……っ!』と声を出して、此方に向かって駆け寄ってくれるのが見えて。
そうして、私の前にいて、私の魔法を受けてくれていたアルは、ゆっくりと閉じていたその目を開いて……。
まるで、初めて、私たちに出会ったというように、知らない人を見たといったと感じで、驚いたような顔をしたあとで。
どこか、困惑した雰囲気で“自分の手のひら”を、グー、パー、と、ギュッと握ったり開いたりして、確認するのが見える。
当然、アル自身、精霊だから“パッと見た”だけでは、そこに変化はなく……。
その時間が巻き戻ったとは、到底思えないんだけど、それでも、確かな手応えはあったと思う。
あとは、アルの身体が問題ないかということと、記憶の忘却や混濁が起きていないかということは、きちんと確認しておかなければいけない。
私達のことを、まるで“初対面”だというように見てきたアルに対して、もの凄く不安な気持ちが大きくなりながら、内心でビクビクしつつ、アルの方を恐る恐る見つめると……。
「ふむ……。
巻き戻されたことによって、この身体で“一瞬だけ失われた記憶”が、一気に逆流するように流れこんでくる。
いや、逆流というと、少し違うな……。
若返ったこの身は、本来、一年分の記憶を体験してはいないのだし、それによって一時的に脳が違和感を感じているといった方が正しいか。
……成る程、時を巻き戻す能力を“個別に使う”とこうなるのか。
勉強になることばかりで、面白い……っ!」
と、自分の身体について、驚きながらも。
精霊としての、知的好奇心が刺激されたのか。
今の状況を頭の中で正確に分析し、ワクワクと好奇心を抑えきれないような、楽しげな声を出してくるアルに……。
私自身、不安と恐怖心を感じながら、心配していた気持ちが大きかっただけに、思わず、呆気にとられてしまう。
そうして、再度、私達の方へと視線を向けてくれたアルは……。
「アリス、そんなに、不安そうな顔をしなくても大丈夫だ。
僕がお前達のことを、忘れる訳がないであろう?
……どうやら、きちんと、成功したみたいだな。
恐らく懸念していた誤差に関しても、そこまで出ていないと考えていいだろう。
初めてにしては上出来だ。……かなり精密にコントロール出来ている」
と……。
私に対して、太鼓判を押すように満足そうに破顔して、そう声をかけてくれた。