318【テレーゼside】
来客が来たと知ったルーカスが気を利かせて、私の元から去ったあと。
入れ替わりで、バートンが侍女の案内で此方へとやってくる。
私の一番古くから仕えている側近の侍女が、ルーカスが此処に来てからも、一切手を付けなかったティーカップを一度下げたあとで、バートンの為に新しいカップを持ってきて……。
そうして、何も言わずとも、私の前に置かれていた空になったティーカップと客用のティーカップの二つに、再びトポトポと紅茶を適量注いでいくその動作を、確認するように見たあとで。
ゆっくりと視線をバートンの方へと移せば……。
私と目が合ったバートンが立ったまま恭しく、その頭を下げた。
「帝国の咲き誇る大輪の花にご挨拶を。
お忙しい中、急遽、お邪魔するようなことになり、誠に申し訳ありません」
そうして、私の視線に促されて、先ほどルーカスが座っていた私の対面の席に今度はバートンが腰掛ける。
どんなに紳士然を装って、その格好を身綺麗にしていようとも、細身のルーカスと丸々と太ったバートンでは、体重の重さにはどうしても違いがある。
その、瞬間……。
ギシリと、アンティーク調の椅子が悲鳴を上げるように音を鳴らして、その状況に、どこまでも不快に感じて眉を寄せれば……。
バートンは私の表情を見て、私が今、この男のその動作を不快に思ったのだということを、しっかりと把握しながらも。
謝罪するようなしおらしい姿などは一切見せてこずに、楽しそうに口元を緩め、その眉尻を下げた。
「いやはや、医者の不養生とは、本当に良く出来た言葉ですな……。
私自身、周りにいる病人を治すことには長けていても、自分の健康については、どうしても疎かにしてしまう。
お蔭で、こんなにもぶくぶくと肥え太ってしまいました」
そうして、一度も、私に会いに来た本来の目的である筈の『本題』に入ることもなく。
この場の雰囲気を温めようとしてか、ただ上っ面の言葉を並べ立ててくる目の前の男に焦れて、私は小さく溜息を溢す。
「まさか、そのような下らないことを言う為だけに、わざわざこの私に時間を割くことを強要して、会いに来た訳ではないのであろう?
場を温めるような、掴みの為のトークならば必要無い。
……そもそも、そなたのソレを幾ら耳にしようとも、冬のこの厳しい寒さを真に温めることなど出来る訳もなく、私の身体は冷えきっていくだけ。
日頃から体調管理なども碌にせず、食べたいものを好きなだけ、ただ、思いのままに贅を尽くしているからそうなるのだ」
「おや……、これはこれは、痛い所を突かれましたなぁっ……!
相も変わらず、貴女はいっそ、ストイックなくらいに自分にも他人にも手厳しい御方だ」
そうして、私の嫌悪交じりの一言にも、特に顔色を変えることもなく。
機嫌の良さそうな素振りで、まるで思ってもいないことを、調子を合わせて口にするこの男に……。
呆れた視線を向けた私は、自分の手元にあったティーカップを手に取って、一度、ゆったりと優雅な仕草で中に入っている紅茶を口にする。
さっきも、ルーカスと会話をしていた時に、一杯分、口にしているから……。
別に今、特別、喉が渇いている訳ではないが。
それでも、皇宮で仕入れている最高級の品質であるこの紅茶の匂いは、その香りも一級品で、嗅いでいるだけでリラックス出来る効果がある。
私自身、陛下と婚姻して第二妃という立場にならなければ、恐らく一生、口にすることもなかったであろうこの紅茶は、その味も含めて、個人的に毎シーズン取り寄せて『茶葉が湿気てしまわぬよう』厳重に保管しているくらいには、全てが気に入っている。
「それで? ……そなたが、どうしても私の耳に入れておきたい話とは一体、何なのだ?」
温かな紅茶に、ホッと、一息吐いてから。
改めてバートンに向かって、今日、ここにやって来た理由を此方から問いかければ。
バートンは、私を見て、やけに勿体ぶったような仕草で、含み笑いを溢しながら……。
侍女に出された紅茶を私と同じように、一度口に含んだあとで、ゆっくりと口を開いていく。
「いえ、そろそろ建国祭の時期ですし。
最近、ただでさえ、何かと世間の注目の的にもなっている忌々しい呪い子でもある“あの方”に、これ以上目立たれるのは良く無いと思いましてな。
僭越ながら、あなたの立場をより良い物へと持ち上げる為に、私と、貴女を支持している魔女狩り信仰派の貴族数人で協力し合い、“あの呪い子”を排除するお手伝いをさせて頂きたいと、動き始めた所です」
そうして、私の目を見て、真っ直ぐにそう言ってくるバートンのその言葉に、思いっきり眉を寄せ。
私は先ほど、ルーカスが持ち込んできた『市井の情報』に、思考を巡らせた後で……。
目の前で、まるで褒めてくれと言わんばかりに、良いことをしたと信じ切っているようなバートンに向かって口を開く。
「……そなた、まさかとは思うが。
アレと懇意にしている“ジェルメール”を近隣の店舗を使って、妨害しているとか、言わぬよな?」
そうして、釘を刺すように、バートンに向かって今、思い至ったことを問いかければ。
私の質問に、バートンは驚いたような表情で目を見開き。
「……いや、これは驚きました。
流石はテレーゼ様。……既に、我々が動き出したことをご存知でしたか……っ!」
と、大袈裟に私に向かって問いかけてくる。
その言葉に、『矢張りそうか……っ』と、内心で思いながらも、親切でやったことなのであろうが、本当に余計なことをしてくれたものだ、と……。
私は、ギリっと、歯噛みした。
【勝手な真似を……っ!
アレに手を出していいのは、私だけだ……っ】
それから、沸々と湧き上がってくる苛々とした感情を抑えきれずに……。
「そなた。……そんなにも、お粗末な事を仕出かして、陛下に追及されたら、一体どう責任を取るつもりなのだ?
アレは今、陛下の寵愛を一身に受けているのだぞ?
当然、アレの名前を使って、アレのことを貶めようとしているその店のことを、陛下が既に認識していないとでも……?」
と、バートンに向かって低い声を出しながら、私は先ほどルーカスから聞いたばかりの情報を“どんな馬鹿”でも分かるように、噛み砕いてハッキリと説明してやる。
今まで、この男のことは、自分の名声を高める為にはどのような手段を用いても手を尽くす、のらりくらりと上手く立ち回って生きてきた『賢い狸』だと思っていただけに……。
こんなにも直ぐにバレてしまいそうな、お粗末なことに手を出したと聞いた段階で。
『一体、どうしてそのようなことをしたのだ?』という怒りに打ち震えながら、私は目の前の男のことを今まで高く評価しすぎていたことを恥じる。
それから……。
――お前達が、余計なことをしてくれたお蔭で、万が一にも此方にまで火の粉が飛んできたらどうするつもりなのだ?
という意味合いも含めて、目の前の男を睨み付ければ。
私が思いの他、喜んだ様子もなく。
逆に苛立っているということに気づき、直ぐに自分の仕出かしたことが拙かったのかもしれないと、把握したのだろう。
さっきまで『手土産を持ってこれた』と、ほくほく顔で、流暢に喋っていた目の前の男の表情がサッと変わる。
「……おや、喜んで頂けると思ってのことだったのですが、申し訳ありません。
ですが、貴女が危惧しているようなことを、いの一番に、この私が気づけないとでもお思いですか?
その辺りの対策はきちんと練っておりますとも」
そうして、心外だと言わんばかりに目を見開き。
形ばかりの謝罪をしておきながらも、続けて、私が怒っていることに対しては『きちんと対策を練っている』と豪語してくるこの男に。
私は、不本意ながらも、怒りを鎮めるように自身の呼吸を整え、目の前の男へと顎をしゃくって続きを促した。
「テレーゼ様は、最近流行りの、架空の店舗を運営する犯罪集団の手口はご存知ですかな?」
それから、いやに勿体ぶりながらも。
にやりとその唇を歪め、前のめりになって私に向かってそう言ってくる目の前の男に嫌悪感を感じながらも私は首を傾げる。
「架空の店舗を、運営……?」
「えぇ、運営されているようで、その実体はきちんとした運営など一切されていない。
客が見える所だけ、見栄え良く取り繕って見せている、見かけだけの張りぼての店舗のことです。
当然、中身は詐欺同然で。……売っている商品の製法なんかも適当で、あたかも近隣にあるハイブランドの2号店のように装い、短期間の内に荒稼ぎをし。
大きな問題が起こる前に、店舗ごとささっと放棄して、その姿をくらます詐欺集団の手口なのですが……」
そうして、更に詳しく説明してくる目の前の男に……。
ルーカスが言っていた内容と、今、バートンが話しているその内容が一致することに、私自身、僅かばかり興味が湧いて口元を緩める。
まさか、世間で、そのような手口が横行しているとは、夢にも思っていなかったが。
基本的にその立場から、普段、金や権力を求めて、高い治療料で有力な貴族を診ることはあっても……。
市井の人間を診ることなど殆どなく、人々の注目が集められ、名声を高められると判断した時だけにしか、慈善事業に動かないこの男が、最近市井で流行っているという、そんな手口を知っているということは……。
その詐欺を『主犯格』として取り仕切っているのは、恐らくは名の知れたどこかの貴族なのであろう。
詐欺や犯罪というものは、決して立場が弱い世間的にも弱者の人間がするものだけではない。
どちらかというのなら、権力を握っている者こそ、そういった悪知恵を働かせ、更に自分の懐を潤しているということは往々にしてあるものだ。
「“売り子”と呼ばれる人間には、身分も何も持っていない、ある程度みすぼらしくない、見た目がそこそこでマトモに見える、言葉遣いなど最低限の教育を施したスラムの人間を使っています。
売り上げ金を盗まれないように、店舗には、1人、責任者が立っていますが、それも末端の雇われの身。
成功報酬は、薄汚れたスラムの人間を小綺麗にしてやって、ある程度の賃金を保証するというものだが。
いつ、どこでバレてもいいように、末端の人間は上にいる主犯格の存在が誰なのかは知らないように出来ている」
「ふむ、成る程な。
役割を細かく分担させることで末端の人間を作り出し、バレた時の為にスケープゴートにする。
要するに、蜥蜴の尻尾切りという訳だな?
その詐欺について多少は理解した。
……だが、不動産はどうするのだ?
店舗を借りる際、ある程度の人間の身分がないと、店を借りられないようになっているであろう?
まさか……、不動産ごと、グルだとか、言わぬよな?」
そうして、バートンから説明されたことに。
今、市井で出回っているという特殊な詐欺についてある程度の理解は追いついてきたものの……。
不動産関係の目を掻い潜ることは出来ないだろう、と視線を強くして問いかければ。
バートンは、その質問が降ってくること自体、まるで予想していましたと言わんばかりに、してやったり顔でその瞳を思いっきり狐のように細めてくる。
「それに関しては、地方にいるような実在する田舎貴族の名前を使っています。
王都の近くに暮らしているような貴族だと、アクセスが良く、不動産の人間にも、どうしても現地に赴いて確認を取られてしまいやすいですからな。
敢えて、偽物の使者を用意して、地方にいる実在する田舎貴族の名前を使い、証書を本物同様に偽造することで、発覚を遅れさせる。
そのロスタイムの間に、綺麗さっぱり手を引いて、全ては闇の中。
まぁ、手紙などで確認されないように、郵便を管理している人間にも、美味しい思いをしたいが為に、我々に手を貸しているような人間がいると思ってくれていいかと」
それから、はっきりとそう明言されたことに、頭の中で今の話を整理するよう、私は思考を巡らせる。
バートンが今、持ち込んできた話の解釈が、私の中で間違っていないとすれば……。
恐らく、主犯格はバートンとも懇意にしている貴族であり。
自分が主犯だと発覚しないように、何重にも用心しながら、実在する田舎貴族の名前を使い、必要な証書を本物同様に偽造することで、店舗を借りる。
……それにも、雇った人間を使っているのだろう。
そうして、スラムで適当に見繕ってきた見た目がそれなりに整っている、みすぼらしく見えない人間を言葉遣いをマトモに覚えさせた上で接客させ。
王都で流行っているハイブランドの2号店を装い、短期間で荒稼ぎをしたあとに、夜逃げ同然で店をもぬけの殻にする。
――当然、不動産屋がそのことに気付いた時には後の祭り、ということだ。
手紙で確認しようにも、その手紙が地方の田舎貴族に届かないんじゃ、確認のしようがない。
埒が明かないと焦れて、不動産屋が、田舎貴族に会いに地方へと乗り込んだとしても、証書が偽造されたものでは、当然、その田舎貴族に肩代わりさせる訳にもいかず。
家賃については貸した時の最低限のものしか払われず、恐らく殆ど泣き寝入りをしなければいけなくなってしまうだろう。
そこで、更に時間を経過させることで、この詐欺の全貌の発覚を可能な限り遅らせる訳だ。
【……私が思いついた訳ではないが、聞けば聞くほどに、よく考えられている】
最初っから『王都で流行っている店の2号店』を謳っているのだとしたら、最低限の労力とコストのみを使い、短期間で充分に資金を稼ぐことは可能だろう。
もしも私がその件に関わっていたとして……。
ジェルメールのように“高級衣装店”を装うことにしたのなら、例えば、5着以上の大量注文を受け付けることで、ジェルメールで受ける時よりも1着分の金額を格安にして。
総合的に見て、得なように判断させながら、“大量注文”で1人辺りの金額を大幅に増やして金を巻き上げ……。
集められるだけ、資金をかき集めて、商品を届けるその前に雲隠れのように姿を消す手法をとる。
まぁ、実際、何人かには商品を届けても良いが、バートンの言うように製法の甘いしっかりとしていない安く作られた模倣品を送りつけ。
恐らく大量のクレームが届いた頃に注文してきた人間には商品さえ送らず、夜逃げ同然に店から、忽然とその姿を消すであろうな。
「ならば、ジェルメールの近隣に出来たというその店舗は、そこで働く人間も含めて、本来は“実体のない”幽霊店舗同然という訳だな?
だが、どのような状況であれ、陛下に認知された以上、その手口は今後、使いにくくなってしまうはずだ。
アレに下手に、手出しをしようと思ったのが運の尽きであったな?」
私自身、其処には一切関与していないことだから、他人の事業に、面白いことを考えるものだと。
まるで、他人事のようにケラケラと笑みを深くして、目の前の男へと視線を向ければ……。
バートンは、私を見ながら。
「所詮は何度も使うことは出来ない、最初っから期限の決められた使い捨てのものですし。
いずれ、その手口がバレるのでしたら、手を引くタイミングは出来るだけ早い方がいいですからな。
その引き際は、きちんと見定めておりますとも。
いやはや、しかし、騒ぎが大きくなる前の準備期間も含めた“この2年”ほど、王都近くの不動産屋を狙って私も随分とそれで、荒稼ぎをさせて貰いました」
と、声を出してくる。
――全く、この、狸めが……っ!
どこまでも善良に、私の為を装いながらも、この男が、真に私の為だけに動く筈がない。
当然、そこに自分の利益が絡んでいないと、梃子でも動かぬくせに、随分と私に恩着せがましい言い方をしてきたものだ。
「それで……?
どうせ、最後に手を出すのなら、アレと懇意にしている“ジェルメールごと貶めよう”と、わざわざ狙って、あの店の近くに架空の高級衣装店を作ったと?」
そうして、バートンの持ち込んできた話の全容を直ぐに把握して、私が声をかければ。
バートンは『流石は、テレーゼ様ですな。……本当に話が早い御方だ』と、まるで、正解だと言わんばかりに表情を綻ばせ、にんまりと悪人顔の目つきをしながら私の方を見てくる。
「日頃から、あの“呪い子”にはやきもきしておいでの、テレーゼ様の心労をほんの少しばかり、軽くしたいと思いましてな。
幸い、その事業に手を染めている貴族は貴女のことを、心から崇拝し尊敬している方のようでして。
最後を飾るのに相応しい“事業”は、あの呪い子を貶めるような物であれば、あるほど、良いと……」
「フン……っ、!
どんなに耳触りのいい言葉を並び立てて、“事業”であると強調したところで、詐欺は詐欺。
それ以外の何ものでもない。
私を、そなた達の都合のいい犯罪の免罪符にされてはいい迷惑だ。
どんなに上手いこと、諂おうとも、結局は自分たちが、ただ甘い汁を吸いたいだけであろう?
それで、私の懐は潤ったと思うか……?
そこに関与していない以上、一切、潤ってなどいないであろう?」
「えぇ、仰る通りです。
……しかし、今回の詐欺に関しては、今までのものとは少し毛色を変えております。
いや、実際、あの店で働いている人間にも、店舗自体もそれまでの事業と同様に大事になる前に手を引かせる手筈は整っているのですが……。
その状況下で、時間稼ぎとして混乱させている間に、別口で、建国祭に出る予定だった“王都でも流行りのハイブランド”の店舗を買収してましてな。
……ジェルメールが危機的状況になれば、あの呪い子は黙っておられぬかと思いまして。
数日前に、私共の予想通り、あの子供が、ジェルメールのデザイナーと接触したという情報は手に入れました。
恐らく建国祭でジェルメールを優秀店舗にするためにと、ちょこまかと動いて手を貸すつもりなのでしょう。
まだ、全容をテレーゼ様にお話する訳にはいきませんが、クレーム対応で、建国祭前にジェルメールのデザイナーの時間を可能な限り奪っておりますし。
最近になって、ファンなどという訳の分からぬ勢力が現れ始め、悪目立ちをしているあの子供の鼻を明かし。
建国祭のファッションショーで、大手を振ってあの呪い子が関与しているジェルメールごと面目を潰してしまえる、いい機会ですから。
この機を絶対に逃すわけにはいきませんし、この老体に鞭を打ってでも、テレーゼ様にとっても利があるように、最高の結果を御覧に入れましょうとも」
そうして、普段人々の前で取り繕っている姿とは違い。
猫背になりつつ、ズズっと、ティーカップに入った紅茶を決してお世辞にも品が良いとは言えない動作で啜りながら。
自信に満ちあふれたような表情で、アリスを貶めるための作戦を意気揚々と此方に話してくるバートンに。
私は……。
――そうだった
と、思考を巡らせて思い出す。
この男は常に、自分が一番でいないと気が済まない男。
例え、それが本来の職業である医者という立場に関わらず……。
常に自身の名声を高め、周りからの注目と賛美に囲まれて生きていたい男なのだ。
それが、最近になって、徐々に皇宮の中で褒め称えられ、何かと話題の中心に上って、その存在感を増している“アレ”のことが心底、気に食わない理由でもあるのだろう。
皇宮の中にも、目には見えないだけで様々な勢力図が存在する。
私とこの男は、ある意味で利害が一致するようなこともあり。
それぞれに利益をもたらす関係だからこそ、互いの名声が高まろうとも、ある意味別の場所で生きていて交わることはなく、互いに絶対に敵にはならぬと認識しているが……。
最近の宮中の噂で持ち上げられている、アレに対して、この男が私と同様に良い感情を持っていないことは明白だ。
そもそも、私の傍にいることで、積極的にその腕を褒め称えてやって、日頃からバートンの自尊心を満たして、良い思いをさせてやっているのだから。
バートンも、アレを排除する為に、私に手を貸すつもりで、それこそ緻密に計画を立てながら動いてきたのであろう。
私に黙ったまま、魔女狩り信仰派の貴族と一緒に画策をして、勝手に“アレ”に目を付けて、動き始めたことに思うことがないわけじゃないが。
バートンや魔女狩り信仰派の貴族が、幾ら私の為を思って動いたと言っても……。
其処に必要以上に深入りして関与していない以上は、例え陛下にその事実が公になっても、その時、私は、知らぬ存ぜぬを貫き通せばいいだけのこと。
「バートン、私は、一切、何も聞いてはおらぬ。
……そなたが、勝手に、魔女狩り信仰派の貴族と共に動いたことだ。
何も考えられぬ木偶の坊とは違い、そなたたちが知略をめぐらせた策なのであろう?
それなりに、勝算はあるのだろうが、私は第三者として建国祭の間、高みの見物を決め込ませて貰うことにしよう」
アレに必要以上に手を出されることに関しては気に食わないが。
私の関与していない所で……。
自分に危険がないと分かった上で、安全な観覧席の、一番の特等席に座っていながら、周到に用意された舞台の結末がどうなるのかを眺めておけるのなら、これほど愉快なことも他にないだろう。
建国祭の前座にするには、充分な程に、退屈しのぎになりそうな良い余興だ。
「だが、最終的にアレに手を出していいのは、この私だけ。
今回は黙認してやるが、次に、私に黙って、アレに手をだすような勝手な動きをすれば、幾らそなたでも許しはせぬ」
そうして、しっかりと釘を刺すことは忘れずに、バートンに向かってドスの利いた声で言葉を出せば。
バートンは私の目を真っ直ぐに見つめたあとで。
「いやはや、本当に恐ろしい御方だ。
喜ばせようとしただけで、貴女を怒らせたかった訳じゃありませんからな。
……肝に銘じることにします」
と、声を出してきた。
***********************
それから、バートンが皇后宮から立ち去ったあと……。
自室に戻って、少しだけその疲れを癒やすように身体を休めている間、部屋の扉がコンコンとノックされるのが聞こえて来た。
「失礼します。……テレーゼ様。
お休みになられている所、申し訳ありません」
それから、特に呼んでもいない、何もない状況で、私の側近でもある侍女が、突然やってきた事に眉を寄せ……。
「一体、どうしたというのだ?」
と、声をかければ、珍しく戸惑ったような仕草をしながら。
言いにくそうに、口を開きかけては、言葉を紡ぐことを躊躇っているその様子に、焦れて。
言いたいことがあるのなら、はっきりと口にしろ、という視線を向ける。
「その……っ。
最近になって、前皇后様が亡くなられてから、皇后宮の中にある調度品を一新させ、テレーゼ様のセンスを存分に発揮されて、思うように変えておられたと思うのですが……」
そうして、侍女の口から、私の一番嫌いなあの女の敬称が出てきて、思わず不機嫌になりながら隠しもせずに顰めっ面をすれば。
続けて……、私の側近である侍女は、一冊の本のようなものを見せてきたあとで。
「売却しようとした、あの方の部屋に置かれていた棚の中に入っていたそうです。
勝手に処分していいものかどうか分からず、その判断を伺いに参りました」
と、私にソレを手渡してくる。
ずっしりとした重みのあるアンティーク調のそれは、随分と、使い古された本というか……。
手に取って確認して見れば分かるが、これは本ではなく、恐らく日記のようなものであろう。
鍵付きであることから、かなり厳重に誰にも見られないように、保管していたのであろうということが窺える。
――あの女の日記
あの女の私物というだけで、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という東の国の諺にもあるように、私自身、これを見ても、ただただ嫌悪感しか湧いてこないのだが……。
こんなもの、わざわざ私に判断を仰がずとも、さっさと処分してしまえばいいのにと、視線を向ければ。
直ぐさま、私の表情の意味を察して……。
「故人の物ですし、“その亡くなり方”が、あまり良いものではなかっただけに、不吉なものだと恐れて棚を買った商人が返してきたそうです。
あまりにも不気味がって、初めは、売却した棚ごと返してこようとしてきたのだとか。
私共も、曰く付きの物を勝手に処分する訳にはいかないので……」
と、申し訳無さそうに、謝罪された。
一体、何を恐れることがあるのか。
――こんなもの、暖炉の火に焼べてしまえば、それで終わりであろう。
本当に、馬鹿馬鹿しい限りだ。
……だが、あの女が、何を思ってこの日記を書いたのかは、多少気になる所ではある。
別に、これはあくまでも興味本位からくるものであり、まかり間違っても、それ以上でもそれ以下でもない。
何の因果か、偶然、私の手元に見て欲しいと言わんばかりに、転がり込んできたのだ。
これを開ける為の鍵は既に紛失しているものの、金の金具として錠が付いているが、無理やり壊せば、絶対に中が見れぬという訳ではない。
それに、あの女が使っていたものも、最早その全てが、現在は文字通り私のものになっている。
中を見てから、これの処分をどうするのか決めても、決して遅くはないであろう。
まぁ、どうせ、あの女の私物を残すつもりなど毛頭ないし。
私には不要な物でしかないだろうから、最終的に、この手で処分することにはなるだろうが……。
「そなたたちが、気に病む必要は何処にもない。
……私が、この手でコレについては責任を持って処分しておいてやろう」
私は、此方に向かって、心配そうな表情を浮かべる側近の侍女に。
いつも、鉄仮面とも思えるくらい表情を変えずに、そつなく仕事をこなしている癖に、そなたもいい歳をして、中々可愛らしい所があるものだな……。
と、思いながら、口元を緩めて、深い笑みを作り出した。