317【ルーカスside4】
――お姫様のことも、俺のこともそうだけど、まるで、物のような言い方をする。
内心でそう思いながら、俺から離れて再びテレーゼ様が俺の対面に座り直しているその間に……。
俺はテレーゼ様には見えない角度で、ほんの少しだけ苦い笑みを溢した。
いっそ“感情”なんてなくて、ただ無機物のようにいられたら、良かったのかもしれない。
彼女の気持ちも、俺の気持ちも、この方からしたら、どうでも良いんだろう。
まぁ……。
――たった、1人に向けられる。
今のあの子の“淡い恋心”にもなっていないような……。
ほんの僅かばかり色付いた“その想い”に関しては、気付かせないままでいた方が、あの子の将来を考えた時にはもしかしたら、良いのかもしれないんだけどさ。
正直、今の今まで自分のことを買い被っていた訳ではないんだけど。
それでも、この方に、俺の性格を考慮した状況で、俺自身の動きを“ある程度、予測”されていた上に、自由に泳がされていたことに関しては、暫くは、立ち直れないかもしれないくらい衝撃的だったし……。
これ以上、この方の前で迂闊なことは出来ないと、改めて気を引き締めざるを得ない。
そうして、決定的に、俺とこの方の考えが、合わないと感じながらも。
その思いを、表に出すことだけは絶対にしないように……。
細心の注意を払いつつも、俺は、張り詰めていた緊張感が解れたこのタイミングでフォローするように言葉を発した。
「ですが、テレーゼ様。
俺は、陛下の寵愛が、お姫様“ただ1人”に偏っているとは到底思えません。
女の子と、男児では扱いの差もあるでしょうが、陛下は殿下のことは勿論、ギゼル様にも平等に愛を注いでいると思いますよ。
……あの方の感情が、……本当に、どうしようもないくらいに、分かりにくいだけで」
そうして、にこりと笑みを溢しながら……。
俺は、有りのまま、陛下の現在の現状をしっかりとテレーゼ様に伝える。
堅物っていうか、本当に融通が利かないっていうか……。
基本的に、今までにも仕事一筋で来たような、陛下は、そういうの、マジで苦手っていうか、拗らせまくってて……。
言葉選びから、表情の変化に至るまで。
――全てにおいて、人に対して、愛情表現を向けるのが、不器用なだけなんだよな。
口に出さなければ、貶していないのと一緒だから。
内心で、陛下のことをボロクソに貶しながらも、俺は今日、お姫様と婚約の報告をしに行った時の陛下を思い出していた。
……最近になって、お姫様のお蔭で、陛下の感情にも段々と人間味が染みだしてきて、ボロが出るようになってきたなぁ、とは感じるし。
俺も、お姫様のことを自分の娘として大切に思っている陛下のことは、正直、あんな風に、俺たちのデートにも殿下を付けようとしてきて“心配してくる”のは、想定外のことではあったものの……。
でもだからって、殿下のこともギゼル様のことも、陛下が蔑ろにして放置しているのは見た事がないし。
普段の陛下を見れば……、まぁ、殿下との遣り取りに関しては、事務的なことも多いけど。
それは、うちの親父と俺との関係に似たようなもので、そこに愛情がない訳では決してないと思う。
だから……、ほんの少しでも分かってくれれば良いなという感覚で、テレーゼ様にそう伝えたんだけど。
俺のその言葉は多分、逆効果だったんだろう。
テレーゼ様は俺の言葉に、どこまでも不満そうな顔をしながら、その言葉を一蹴するように首を横に振った。
「確かに、陛下が、ウィリアムやギゼルのことを見ていないかと問われれば、見ていないことはない。
だが、アレにかける愛情とは、やはりどうしても差があるのは事実だ。
例え、そなたの瞳に、そうは見えなくともな」
多分だけど、テレーゼ様自身、そこに関しては入り込みすぎて、極端に視野が狭まってしまって、きちんと客観的に見れていないんだろう。
俺自身、テレーゼ様の方が、殿下とギゼル様の扱いに差があるように感じてしまうけど。
それについても、きっと言った所で、本人は無意識でのことだろうから、理解も出来ないはずだ。
恐らく『私はギゼルにもウィリアムと同様に接している』だとか、『長男を支えるのは次男の役目であろう?』だとか、そういう言葉が返ってくるだけだろう。
今までにも何度か説得を試みては、その都度、失敗しているし、分かりきっていることだから、必要以上には言葉にしないことにして……。
俺は更に表情を柔らかくして、ふわりと、テレーゼ様に向かって笑いかける。
「貴女が、彼女をどうしても抑え込んでおきたい理由については理解しました。
……それで、これから先の未来、婚約者候補として名乗り出た俺に“彼女の将来”を縛っておいて欲しいのだということも。
だから……、という訳ではないのですが、一つ、お伺いしたいことがあるんですけど……。
今日、陛下に彼女と一緒に婚約の報告をしに行った際、あの子と関わりの深い高級衣装店でもあるジェルメールの妨害を、彼女の名声を貶めるような遣り方で、新しく出来た近隣のブランドがしているという話が出ていたのですが……。
もしかして、其方の件にも、貴女が深く関わっておいでですか?」
そうして、今日、陛下と会った時に話題に上がったことで、俺自身が気になっていたことを問いかけるように質問すれば……。
テレーゼ様は俺の予想に反して、思いっきりその眉間に皺を寄せ。
まるで不快だと言わんばかりに、俺の方へと低い声を出してくる。
「何だ其れは? ……一体、何処から出てきた情報だというのだ?
……私は、一切関わってはおらぬ」
それから、ハッキリと明言された強い否定の言葉に。
てっきり、この件に関しても、もしかしたらテレーゼ様が“裏で関与しているんじゃないか”と、疑っていた分だけ、もの凄く拍子抜けだったというか。
俺自身、この方が関わっていないのだとしたら『その裏には特に誰もいないのか……?』と、思ってしまうんだけど……。
「でしたら、今の話は忘れて下さい。
……陛下にその情報が伝わったことで、正式に皇室から抗議するという話になったので、もしも貴女が関わってのことだったなら、陛下の追及が伸びてくるその前に……。
そこからは、手を引いた方が良いとお伝えしたかっただけなので」
……と、俺は、内心で動揺したことなどは一切出さず。
直ぐさま、あくまでも、自分がその情報を得るためではなく、テレーゼ様のことを心配して声をかけたのだと強調して伝えておく。
「フン……っ、そのように、直ぐにバレてしまいそうなお粗末なことを“この私”がする訳がないであろう?
だが、アレの事を貶めようと、私以外に別の勢力が動いているとでも言うのか……?
……っ、気に食わぬっ! 何処の誰かは分からぬが、余計なことを……っ!
アレに、手を出して良いのは私だけだっ!」
そうして、ギチっと、歯軋りするように歯をかち合わせ。
怒りに打ち震えるように、その身体を震わせたあとで……。
俺に向かって、思いっきりドスの利いたような低い声色で言葉を出してくるこの方を見ていると、お姫様に対するその執着が、あまりにも異常なのではないかと思ってしまう。
【嗚呼……っ。
というか、これは多分、自分の大切な物を奪われるかも知れないっていう、嫉妬だけじゃない、な】
その感情を、一体、どう表現すれば良いのかは、分からないけれど。
もしかしたら、さっき……、この方が『本物の宝石にはなれない』と自分のことを、そう評したように。
――まるで、自身の、最大のライバルかのような……。
決して追いつけることもなく、叶えられなかった、届かなかった、前皇后様に向けていたその感情の矛先を、前皇后様からお姫様に反映させて、見ているのかもしれない。
テレーゼ様の隠しもしないドロドロとしたような感情にあてられて。
こっちまでズーンと重たく憂鬱な気持ちになってしまいそうだな……、と感じながらも、俺は何とか自分自身を自制しながら、気力を保つ。
気を抜けば、何もしていないのに、“根こそぎ”体力を奪われてしまうような、そんな感覚に陥ってしまいそうになる。
「テレーゼ様は、今、ご自分のなさっていることが、正義だと……?」
そうして、ぽつりと、問いかけるように声に出した俺の本音は、本当は出すつもりなんてなかったんだけど。
思いがけず、口から出てしまったものは仕方がない。
この方と、俺の間にある『絶対的にわかり合えないという壁』に、諦め半分でいながらも、まだ。
それでも、そうならないようにと、今なら間に合うのではと、期待してかけた言葉に……。
無言でティーカップに3分の1ほど残っていた紅茶の残りを全て飲み干したあとで。
「逆に問うが。……ルーカス、そなたの言う正義とは、一体何を定義してそう言っているのだ?」
と、テレーゼ様から質問を質問で返されて、俺は予想もしていなかったその問いかけに、思わずグッと言葉に詰まってしまった。
そうして、言葉を探して何も言えないでいる俺を見ながら、テレーゼ様がクッと喉の奥を鳴らして、心底愉快な物を見たというような雰囲気で、深い笑みを作り出してくる。
「……そなたの価値観か?
教えてくれ。……何を以てすれば、正義になり得るのだ?」
そうして、まるで俺のことを『まだまだ子供』なのだと言わんばかりの母のような視線で、詰めるようにそう言ったあとで。
テレーゼ様は、真っ直ぐに俺を見つめて……。
「正義だとか、悪だとか、そんな単純な言葉では到底言い表せぬ。
この世界はいつだって、様々な人間の思考が複雑に絡み合って、裏も表も表裏一体。
相反するように見えて、根本的な部分では常に密接に結びついている。
……見方が変われば、立場が変われば、“そんなもの”、どうとでも転ぶ」
と……。
まるで小さな子供に言い聞かすような声色で、教えるように俺に言葉を出してくる。
「私は私のやっていることが“一般的に見て”、正しい事だとは欠片も思っていない。
だが、私自身は、私の今やっていることが、真に正しいと信じている。
今まで、私の生きてきた歳月に、してきた自分の行いが、例え、世間から間違っていると非難されようとも……。
認めたくはないが、所詮、私にも卑しいあの男の血が入っているのだ。
……ならば、近くで見ているだけの赤の他人が何を言ってこようとも、そんなものはただの戯れ言に過ぎぬ。
私は私の護りたいものを護り、この手にあるものに全力を注ぎ、ただ、自分の信じたその道を貫くだけ」
それから、ハッキリと、自信に満ちた表情で言ってのけるこの方を見ていると……。
まるで、俺自身がとんでもなく矮小な人間のように思えてきて、俺は張り詰めた緊張感を緩和させるように、溜息にも近いような吐息を溢した。
俺が今、口から出した“その吐息”は白く濁り……。
空気に乗って、冬の寒い風と共に、あっという間に掻き消えていく。
……違う。
――間違っても、呑まれる、な……っ!
そうして、気付いたら、足下がグラグラと揺れて……。
崖の下から“足首を掴まれて”身体ごと引きずり込まれそうになる感覚に、俺は自分自身を鼓舞するように内心で叱咤する。
良くも悪くも、この方は、周りを振り回すだけの圧倒的とも思えるほど強烈な力を放ちすぎている。
いっそ清々しいほどに、自分のやっていることは、世間一般的に見て非難されるかもしれないのだと分かっていながらもなお、その考えを改めることはないと断言出来るのだから恐れ入る。
ただ、これで、どう足掻いても、どう転ぼうとも、俺とこの方の間にあった価値観の相違にミシミシと音を立ててヒビが入り。
その亀裂は、この先にいくほど、広がっていってしまうばかりだと、明確に分かってしまった。
【何か問題が起きて、痛い目に遭って、初めて、その暴走を止めることが出来ると僕は思っています。
まぁ、あの女が、それで改心するかどうかなんて、知りませんけど……。
僕は正直、あの女がどうなろうと、どうだっていい。
だけど、それでも、あなたは大切な妹のことで、少なからず恩義を感じているんでしょう?
ならば、今、あの女のことを、ここで止めてあげるのも、ある意味、愛情なのでは?】
そうして、どうしてか、こんな時になって、以前酒場でナナシに言われた言葉を思い出す。
ただ、淡々と、ありのまま、事実だけを突きつけるようなナナシの言葉を……。
ジャケットの内ポケットに入れた小瓶が音もしない筈なのに、中に入った液を揺らすようにタプンと、音を立てた気がして。
膝の上から、無意識に俺が自分の手を胸の方へと上げようとした所で……。
「テレーゼ様、ルーカス様との大事なお話中失礼します。……バートン先生がいらっしゃいました」
という、侍女長の控えめな声がかけられて、俺はハッとしたあとで、咄嗟に自分の腕を元あった定位置の膝の上に降ろす。
「見て分かる通り、今、ルーカスと話し中だ。
だが、バートンか……。一体、何の用で私に会いに、ここまで?」
「それが、どうしても耳に入れておきたい大事なお話があるとかで……。
申し訳ありません、私も詳しくは。……本日はお引き取り願いましょうか?」
そうして、テレーゼ様と侍女長の遣り取りを見ながら、俺は小さく溜息を溢したあとで、苦笑した。
「……いえ、今日はただ、テレーゼ様へお姫様との婚約の件を報告しに来ただけですし。
貴女がお忙しい方だということは、俺もきちんと把握していますとも、マイロード。
お客様として、バートン先生がいらっしゃったなら、それこそ、そちらを優先して下さって、構いません。
今日のところは、俺はこれで、失礼します」
それから、邪気のない笑みを顔に貼り付けてから、サッとスマートに立ち上がったあと、おどけたフリをして、大袈裟に主人に尽くす狗を演じて、一礼して見せれば。
「ゆっくりと話せず、慌ただしくして、すまなかったな。
アレの婚約者になった以上、そなたがあまり頻繁に此処へ来るのは都合が悪い。
……ルーカス、次にそなたに会うのは建国祭の時になるやもしれぬな」
と、テレーゼ様にそう言われて、俺はその言葉の意図を正確に汲み取ってこくりと頷き返した。
なるやもしれぬ、というあやふやな言葉を使っているだけで、実質それは『会いに来るな』という命令だと思った方がいい。
……俺とテレーゼ様が頻繁に会っているということが、お姫様のみならず陛下にも知られれば、そこから綻びが出るかもしれないと危惧してのことだろう。
どこまでも“慎重派”の、この方らしい対策だ。
俺は内ポケットに未だ、どうしていいか分からず、その対処に迷っている“ナナシから押しつけられた爆弾”を抱えつつ、欲望渦巻く皇后宮から一歩外に出ることにした。
その際、テレーゼ様のお客様として来られていたという、医者のバートン先生とすれ違う。
俺のことを認識した上で軽い会釈をされて、俺もそれに応えただけの、ほんの僅かの短い遣り取りだけではあったものの……。
俺自身が仮面を被っているっていうのも、勿論あるのかもしれないけど。
いつお会いしても、世間一般で言われているような“その高い名声”とは裏腹に、あの人からは、あまり“いい気”を感じない。
何処となく、内に秘めたような胡散臭さを感じながらも、外に出れば……。
さっき、テレーゼ様と話していた時とは打って変わって、新鮮な酸素を取り込めて、ここに来て久しぶりに、きちんとした呼吸が出来たような気がした。
明けましておめでとうございます。
今年も、宜しくお願いします。