312 肌の検査
あれから、私達はみんなで、城下の街をほんの少しだけ歩いたあと。
最近、巷で少しずつ人気が出ているという、香水のお店に立ち寄ることになった。
此処に来るまでの間、クッキーのお礼にプレゼントをしてくれるということで、事前に私が行きたい所をルーカスさんが聞いてくれたものの。
私自身、特に欲しい物も、買いたいものもなくて、デートスポットに関してもよく分からず……。
中々、これといってきちんとした案が出せないで困っていたのを見て『……じゃぁ、こんな所はどうかな?』と。
これから行くことになった香水のお店も含めて、靴やバッグなどが売ってるブティックなど。
私が知らないようなお店を、幾つも提案してくれたルーカスさんに本当に有り難いなぁ、と感じてしまう。
結局、靴やバッグだと値段もそれだけ張ることになるし……。
それに比べたらお値段も手頃で、消え物だから『そこまで贈る方も負担にはならないかな……』と思って、香水系のお店を選ばせて貰うことにしたんだけど……。
話題の豊富さも含めて、人一倍そういう事にアンテナを張っていて、直ぐに話を広げられることが素直に凄いと思うし、尊敬する気持ちが湧いてくる。
【ルーカスさんって、王都で流行っているお店だったら、その殆どを知っていそうな雰囲気があるよね……?】
こういう時のルーカスさんのスマートさというか、洗練されたような動きには、私自身、いつも見習わなければいけないことがあるなって、思わず感心してしまう。
そうして、お店の前まで辿り着くと。
ルーカスさんが入り口の扉を開けてくれて、レディーファーストで先に入ることを促してくれたため、私はみんなよりも一足先に店内へと足を踏み入れた。
シャンデリアに、黒を基調とした、スタイリッシュでモダンな雰囲気のお店の中は……。
幾つか置いてあるガラスケースに、香水の瓶が小綺麗に並べられていて、さっきのカフェとはまた違う、大人っぽい雰囲気に何だかドキドキしてしまう。
このお店は、香水だけじゃなくて、香りの付くようなものなら何でも取り扱っているらしく。
例えば、リップなどのメイク用品から、ボディーソープ、シャンプーなど、身体のケアをするための商品、匂いつきの入浴剤などの雑貨も含めて幅広く取りそろえているみたい。
とはいっても、私もさっき、このお店に来る道中にルーカスさんから聞いた浅い知識しかないんだけど。
お店に置いてある商品も女性物の割合が多いためか、店内は、女性のお客さんが殆どを占めていて……。
男性がこういったお店に来ること自体がまず、珍しいのだと思う。
さっきのカフェでもそうだったけど、お店に入った瞬間、周囲の注目は一斉に私達に向いた。
というか、“私”というよりも、これは明らかにお兄様とルーカスさんに“視線が集中している”といった方が正しいだろうか。
誰でも気軽に立ち寄れるような雰囲気のお店じゃなくて、ブランドとしてきちんと確立されているような高級店だということも影響しているのか。
さっきのカフェほど、人の数は多くなく。
また、買い物客のプライベートな空間を“ある程度保つ”ために、それぞれに店員さんが必ず1人以上は付いて接客にあたるシステムになっているため……。
こちらに対して表立って話しかけてくるような人がいないのは勿論のこと。
不躾にジロジロと見てくるというよりは、チラチラと、横目で気に掛けてくるような視線の方が圧倒的に多かったりはしていて。
ここでも、お兄様とルーカスさんの女性人気が高いことを、思いっきり肌で感じながらも。
私自身、内心で、ホッと安堵してしまった。
行く先々で、あれこれと文句を言われたり、トラブルが起きてしまうようなことは、出来るなら避けたいし……。
幾ら、人から侮辱されるようなことに関して、自分がそういう状況に慣れているとはいえ、一日に何回も頻発して起こってしまうと、流石に辛いものがある。
とはいっても、嫉妬のような感情を向けられることは初めてのことだったから、今後同じようなことが起こった場合の対応に関しては今一、どうしたら良いのか自分でも分からないんだけど。
あの後……。
お兄様とルーカスさんがセオドアから、私がカフェで侮辱されたことについて、更に詳しい情報を聞いてくれていたし。
彼女達の身元に関しても『みんなで共有』してくれたから。
名前を覚えるのが苦手な私でも、その名前を覚えることには成功することが出来て……。
今後、彼女達に関しては、テレーゼ様の傍にいるような『赤を持っている人に批判的な貴族』とかと一緒で、一応、危険リストに登録しておこう、とは思っているものの。
セオドアとオリヴィアが助けてくれた上に、セオドアがその場でお父様の名前を出してくれたことで、あれだけ最後に怯えたような雰囲気だったから……。
――きっと、必要以上に大事になるようなこともなく、これからは大人しくなってくれると思うんだけどな。
私が、みんなにそう説明しても。
いつも私のことを心配してくれるセオドアだけではなく、ルーカスさんもお兄様も、懸念が拭えなかったのか、一様に険しい表情を浮かべながら……。
【それで終わればいいが。
そういうのは俺たちの見えない所で、段々とエスカレートしていくようなものだろう……?
アリス、もしもお前が、今後も誰かに何かを言われるようだったら、直ぐに俺に助けを求めるようにしろ。……何なら、父上でもいい】
と、お兄様からは何度も言い聞かせられてしまった。
「いらっしゃいませ。
皇太子殿下、皇女殿下、ルーカス様、そして、アルフレッド様……ですよね?
皆様お揃いで、本日は当店に立ち寄って下さりありがとうございます。
この度は“皇女殿下が身に纏うパフューム”を探しにいらっしゃったんでしょうか……?
それとも、男性用の香りをお探し、で……?」
そうして、私達がお店に入ると直ぐに、スタッフの1人が、サッと私達に近寄ってきて、にこりと営業スマイルを浮かべながら、声をかけてくれた。
「あー、いやっ。……メンズじゃなくて、女性用の物を探してるんだけど。
皇女殿下が付けるための、そこまで香りが派手じゃない、子供でも安心して付けられる物とか置いてあるかな?
それか、バス用品とかでも良いんだけど」
それから、テキパキと店員さんと遣り取りをしてくれていたルーカスさんが。
さっきのカフェでのトラブルを考慮してくれてか、なるべく周囲にいる人に、私に対して贈り物をしてくれることが聞こえないようにと、声のボリュームを落としてそう言ってくれたあと……。
「お姫様は、どんなものがいい……?
香水でも、バス用品でも、身体をケアするような商品でも、好きなもの、選んでいいよ」
と、私に話を振ってくれた。
「あ、えっと、特にこだわりはないんですけど……。
私自身、あまり、香水は付けたりしないので、入浴剤とか、ボディークリームみたいな物だと、嬉しいです」
そうして、ルーカスさんと店員さんに向かって私がそう答えると、目の前で、接客モードに入ってくれていた店員さんから直ぐに、『承知しました……!』という言葉が飛んでくる。
それから、矢継ぎ早に……。
「当店では、まず、お肌のチェックをさせて貰うのと。
本来、誰しもが持っている匂いの診断をさせて頂いたあとに、その方に合うものをご提案させて頂いているんですけど。
……皇女様は、お好みの香りなどはありますでしょうか?
柑橘系だったり、フローラル系のものだったり、あとは石けんのような匂いなど。
もしも、特に好みの香りがないようでしたら、皇女様の本来持っている香りとのブレンドを考えて、肌に合わせたものを幾つか、此方でご用意致しますが……?」
と、私に向かって声をかけてくれた。
その言葉に、咄嗟に、『……何でも大丈夫です』と言いかけた私は、はたと思い至ることがあって、口を開いたまま、一瞬だけ固まったあと……。
「あ、あの……っ、香り自体に、特別好みなものはないので、比較的何でも大丈夫なんですけど。
ジェンティアナ、……リンドウの香りがするような物だけ、出来れば避けて頂けますか……?」
と、口にする。
私の言葉を聞いて、店員さんは少しだけ驚いたような表情を浮かべたけれど。
直ぐに『承知しました』と一度だけ頷いて、私達の傍から離れて、お店の奥の方へと入っていってくれた。
肌のチェックだなんて、初めてのことだけど、何か簡易的な検査をするキットみたいなものがあるんだろうか?
そういうのも含めて、色々とお勧めしてくれるような商品だとか……。
お店のショーケースに出ていないようなものなど、一式、取りに行ってくれているのかもしれない。
「……ねぇ、お姫様っ……。
リンドウって、確か、お姫様のお母様、前皇后様が好きだった花じゃなかったっけ……?」
そうして、私と店員さんの話を横で聞いてくれていたルーカスさんから、戸惑ったように不意に質問が飛んで来て……。
そう言えば、以前、ルーカスさんにはお母様が好きだった花のことを、話していたんだったっけ?
と、思いながら、私はこくりと、頷き返した。
「はい。そうなんです。
そのっ……、リンドウの香りを嗅ぐと、どうしてもお母様のことを思い出してしまうので」
私が控えめに、おずおずと、リンドウの香りだけはどうしても駄目なのだということを、ルーカスさんも含めてみんなに説明すると……。
みるみるうちに、この場の雰囲気が重苦しくなりながら、“みんなの表情”が私を気遣うように一気に曇ってしまったのを見て。
慌てて……。
「あ、あの、それ以外だったら、本当に大丈夫で……」
と、言葉を続ければ。
「いや、お姫様、ごめん、……思い出したくもない事だったかもしれないのに。
俺が不謹慎だったよなっ……?」
と、ルーカスさんから逆に謝られてしまって、私はふるふると首を横に振った。
本当なら、私自身が忘れなければいけないことだと思うんだけど。
リンドウの匂いを嗅ぐだけで、お母様が亡くなった時のことが呼び起こされてしまうのは……。
――あの日、お母様自身が、いつも身に着けている“リンドウの香水”の瓶を持っていて。
お母様がナイフで刺されてしまったその衝撃で瓶が地面に落ちて、その拍子に蓋をしていたコルクが抜け、トクトクと中身が溢れだし……。
狭い室内の中で、ぶわり、とむせかえるような、リンドウの香りが充満してしまったから、で。
どうしても……。
どうしても、最期のお母様の顔と、言葉が離れなくて。
そうして……。
ギュッと首を絞められて、息が、出来なくて、涙で滲んだ視界と苦しい思いをしたあの時の感覚がぶわりと、蘇ってくる感覚がしてしまうからだった。
まるで、昨日のことのように今も鮮明に思い出してしまう……。
心の奥底に封じ込めて、忘れてしまいたかった『その記憶』を、問答無用で表に引っ張りだしてくる、そのトリガーとなり得る“リンドウ”は……。
今も、見るだけなら平気ではあるものの、匂いを嗅ぐのは未だにどうしても無理だった。
1人、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、ルーカスさんに向かって『本当に気にしないで下さい』と、声をかけていると……。
「皇女様、お待たせしてしまい、申し訳ありません。
先ずは、お肌のチェックから始めましょうか……?」
と、店の奥の方から、ベストなタイミングで店員さんが戻ってきてくれて、私はホッと胸を撫で下ろした。
ルーカスさんには申し訳ないけれど、店員さんと会話をすることで、気も紛れるから、本当にこのタイミングで帰ってきてくれたのは、有り難いな、と感じてしまう。
「皇女様はまだまだ、お若いですから……。
ツルツル、スベスベのお肌で、私共のように、しっかりとケアをしたり、保湿が必要だったりはしないでしょうが……。
逆に刺激成分が入っているものだと、肌荒れしかねないので、その辺り一つずつ、チェックさせて頂きます」
そうして、私にはよく分からないけど、幾つかの瓶を持ってきてくれて、何かの成分の入った液体を順番に手の甲に落として、問題がないか、きめ細やかに見てくれるみたいで。
この検査が終わったら、自分によりフィットするような商品を、選んでくれるのだと思う。
何て言うか、凄い“至れり尽くせりのサービス”だな、と感じながら、大人しく店員さんのチェックに従っていた私に……。
暫く経ってから、店員さんが。
「どれもそこまで大きな問題はなさそうですが……。
皇女様は少しだけ、お肌が敏感なようですので、あまり激しい成分の入っているものではなく、優しいオーガニック由来の商品をお持ちしますね」
と、声をかけてくれた。
正直、一滴垂らして肌の様子を見てくれている店員さんと同じように、私自身も恐る恐る“自分の肌の様子”を確認してみたんだけど。
一体どれに反応して、どれが駄目だったのかなど、全く判別することが出来なくて、ほんの少し落ち込んでしまう。
だからこそ、こういう職業に就いている人のことは、本当に凄いなぁと思うし。
出来るなら、自分が一体何の成分に反応があったのか、今後の為にも教えて貰いたいなって、感じるんだけど。
――やっぱり、そういうのって“企業秘密”だったり、するのかな……?
「なぁ、……!
アリス、時間があったら、僕もその“肌のチェック”とやらを、やってみたいのだが……っ!」
そうして、私が1人、そわそわとした気持ちで、再度お店の奥に向かって行った店員さんの帰りを待っていると、アルが私の袖を引っ張って、こっそりと声をかけてくれるのが聞こえてきた。
見れば、アルも思いっきりそわそわしていて。
私と正反対なのは、何でも珍しいものがあれば挑戦したいというアルらしく……。
その瞳が新しいことに対する“知的好奇心”で、ワクワクと満たされている所だろうか。
「うん。……気になるなら、アルもやっていいと思うよ。
さっきの店員さんが戻ってきたら、アルも一緒に肌のチェックが出来るか、聞いてみようか?」
それから、私がアルに向かって、声に出してそう提案すると。
「うむっ! ……絶対にやるっ……!」
と、はしゃいだような雰囲気でアルが答えてくれる。
その瞬間、セオドアが私の腕をそっと引いてくれたあと……。
「なぁ、姫さん。……アルフレッドの肌って、一体、何で出来てると思う……?
まさか“人体”にはない、変な成分が混ざりあって、謎の化学反応とか、起きねぇよな……?」
と、こっそり、私にだけ聞こえるように小声で耳打ちしてくれて、ハッとしてしまった。
【……た、確かに……っ! 言われて見れば、そうかも……っ】
セオドアの意見は、本当にもっともなもので。
私自身、特に気にもしていなかった……、というか、今、セオドアに言われるまで思いつきさえしなかったものの……。
もしも、人体に液を垂らした時に起こる普通の反応とは『全く違うような反応』が出てしまったら、どうしようと、目の前でウキウキしている様子のアルに視線を向けたんだけど。
流石に、目の前で『僕もアリスと同じように、肌チェックとやらを、いっぱいするっ!』と元気に声を出しているアルに、今さらやめて欲しいと止めることは出来なくて……。
私は、とりあえず、何ごともなく、無事でありますようにと、願うことしか出来なかった。
そうして、私の祈りの甲斐も虚しく……。
「あ、あれっ? ……可笑しい、ですね。
アルフレッド様、も、申し訳ありませんっ……っ!
もう一度、しっかりと、検査をさせて頂いても宜しいでしょうか?
使っている液が古くて、もしかしたら、違う成分が混入してしまっているのかも……?
液を垂らした途端、青く光ったり、黄色く濁るだなんて、前代未聞というか、初めてのことです……っ!」
と、思いっきり、戻ってきてくれた店員さんを困惑させて、大いに悩ませることになってしまった。
「あー、アルフレッドは、自室で植物を育ててるから、なんていうか、その成分が手に付着していたんじゃねぇかな? なぁっ、姫さん……っ!」
そうして、珍しく慌てた様子のセオドアが何とかフォローに入ってくれて、有り難いなぁと感じながら、私もセオドアの言葉を全力で肯定しながら。
「きっと、そうだと思います……っ!
その……っ、今度お店に来た時は、何も触っていない状態で、再度検査をさせて貰えたら嬉しいです」
と、声に出して、アルの肌チェックに関しては何とか無事に乗り切ることが出来た。
アルだけが、私達の動揺をよく分かっていない様子で『……お前達、何を言っているのだ?』と問いかけてくるような視線を向けていたんだけど。
「アルフレッド、お前、前に自室で植物を育てているって言ってただろう?
恐らくだが、その成分が手に付着していたから、そんなことになっているんじゃないか。
一先ず、今回の肌チェックに関しては、残念だが諦めるしかないだろうな」
と、私達の必死のフォローと、目の前のアルの肌チェックで出てしまった反応を見て、何も言っていないのに全てを察してくれたお兄様が、ダメ押しでアルにそう言ってくれると。
「ふむ、……植物に水をやったあと、普段から手は洗うようにしているのだが……。
確かに、珍しい植物を育成しているが故に、そうなることもあるかもしれぬな。
何て言うか、しっかりと肌の様子をチェックして貰えると思っていただけに残念だ」
と、何とか、アルも納得してくれて……。
後で城に帰った時、どうしてそうなったかきちんとアルには説明しておこう、と感じながらも、私はホッと胸を撫で下ろした。