308 本当に好きなもの
紅茶と一緒に運ばれてきたケーキに、見ているだけでも凄く幸せな気分になってくる。
『早く食べたいな……』という気持ちで、そわそわとしていたのが伝わったのか。
私の正面に座ってくれていたルーカスさんが苦笑しながら……。
「お姫様、遠慮せずに食べていいよ」
と、声をかけてくれた。
「あ、ありがとうございます。……頂きます」
一緒に運ばれてきたフォークを手に取って、キウイや苺などのフルーツが溢れ落ちてしまいそうなくらいに載っているタルトを恐る恐る刺して一口分すくったあと。
そのまま口に運べば、キウイの酸味や苺、クリームの甘さが一体になって、ぶわっと口の中いっぱいに広がってきて、あまりの美味しさに感動してしまう。
こういうデザートって、私が好きだから特にそう思うのかもしれないけれど。
本当に、食べているだけで『温かく満たされるような気持ち』を運んできてくれるなぁ、と思いながら……。
「……とっても、美味しいです」
と、思わず、ふにゃり、と笑顔になって。
きっと人気店って言うくらいだから、普段から凄く賑わっているんだよね、と感じつつ……。
『わざわざ予約を取って、連れてきてくれてありがとうございます』という気持ちを込めて、ルーカスさんに向かってそう伝えれば……。
「そんなにも喜んで貰えるなら、お姫様を今日誘った甲斐があったよ」
と、口角を上げて人好きのするような笑みを此方に向けてくれたあと、ルーカスさんが、アールグレイの入ったティーカップに優雅に口をつけるのが見えた。
今、ルーカスさんの手元に置かれているケーキは、チーズはそのままだけど、珈琲の代わりに紅茶を使用しているという変わったティラミスで……。
前に、私のデビュタントが執り行われた時に選んだドリンクの種類を見ても、少し感じたことだけど。
何となく、みんなの好みの中でも、一番、ルーカスさんの好みが分かりにくいな、って思うのは……。
ルーカスさん自体が、多分いつも、自分の好きなものを好んで選んで食べているというよりも。
その時に流行っているようなものや、少し奇をてらったようなものを率先して食べて、貴族としての事業に役立てようとしている傾向があるからだと思う。
そういう意味では、ルーカスさんが本当に好きなものだとか、そういうことさえ、私は何にも知らないんだなぁ、って改めて思ってしまう。
これがアルならば、ちょっと変わった東の国特有のお茶である抹茶だとか、栗や、木の実を使ったピスタチオとか、何となく自然由来のものが好きだと感じるし。
セオドアは基本的に、甘すぎるものが苦手で、珈琲風味のものとか、ビターなものを選ぶことが多いから、好みに関しても分かりやすいし。
お兄様に関しては、一番オーソドックスだからこそ、洗練されたシンプルなものを選ぶ傾向があるように感じるけど。
ルーカスさんに関しては、本当に全く好みが見えてこなくて……。
『本当は、一体何が好きなんだろう……?』と、ちょっとだけ気になってしまった。
「……お姫様、俺の顔に何かついてる?」
そうして、思わず、といった感じで、ジッと見過ぎてしまっていたのか、気付いたらルーカスさんに困惑したように苦笑いをされながら、そう、問いかけられて。
私は、慌ててふるりと、首を横に振った。
「いえ、あの……っ。
ルーカスさんって、いつも流行りのものとか、変わったものがあったら、そっちを優先して頼むことが多いので……。
いつも頼んでいるものの傾向がバラバラで、好みというか、本当に好きなものって何なのかな、ってちょっとだけ気になってしまって……」
そうして、素直に今自分が思ったことを白状すると、ルーカスさんは私の言葉を聞いて、まるで予想外のことを聞かれたと言わんばかりに目を見開いてくる。
その表情を不思議に思いながら、首を横に傾げれば。
「あー、言われてみれば、確かにそうだね……っ。
いや、自分でも自覚はあったっていうか。
寧ろ、これが染みついちゃってるから、基本的には“流行りのもの”とか、“変わったもの”を選ぶようにするのが当たり前になってて。
じゃぁ、何が一番好きなの? って聞かれたら、逆に難しいかもしれない」
と……。
ルーカスさんは、本当に困ったようにくしゃり、と顔を歪ませて笑みを浮かべてくる。
そのあまりにも珍しい姿に、びっくりして目を瞬いていると……。
「っていうか、俺は、多分……、基本的には、何でも良いんだろうね。
変な話だけどさ、俺……、嫌いなものって殆ど、ないんだよ。
で、その上で、……周りの人間の好みってあるじゃん?
その人が、すっごく好きなもの。
それって当たり前だけど、人それぞれに違ってさ、盛り上がる話題だって、バラバラで……。
立場上、どうしても周りの人間の好みに合わせて動いた方が楽だし、そっちの方が人の懐に入りやすくて話が盛り上がるってのも分かってるから、色々とその場その場で人に合わせているうちに、そういうの、分かんないっていうか、あやふやになっちゃってんのかもね」
そうして……。
まるで、本当に困ってしまって、道に迷ってる迷子の子供みたいな表情を浮かべてるルーカスさんの姿に、きゅう、っと胸が痛んで……。
「そっ、そうなんです、ね。
……あのっ、私も少し、その気持ちは分かるような気がします」
と、思わず、声を出してしまった。
私の場合は、極端に人から嫌われるのが恐いっていう気持ちが、多分どこか、未だに根深く、自分の中にあるからだと思うんだけど……。
人は自分とは違う存在を、時として、受け入れてはくれない場合があるから。
赤い髪を持っている私を差別的な視線で見てくる人が大半なように……。
あまりにも際だったような自分の特徴や個性を、表には出て来ないようにと、周りに迎合して殺してしまうようなことは、あると思う。
私とルーカスさんでは育った境遇も何もかもが違うと思うけど……。
言っていることについては、何となく理解出来るところもあって、つい、その言葉を肯定するような感じになってしまったんだけど。
「あぁ、まぁ、確かにね……。
そういう意味では、俺とお姫様には似てる部分があるよなァ……。
けど、お姫様は置かれた環境や状況で、そうすることしか許されなかった部分があるでしょ?
俺の場合は、本当に自分が望んだ結果っていうか、自発的なものだからね。
自業自得っていうか、なんていうか……」
と、ルーカスさんから苦笑しながら、返事が戻ってきて。
私はきゅっと、自分の開いていた口を閉じた。
まるで、『この話はもうおしまいにしよう』と言っているかのように、その視線で、今、明確に一線を引かれたことに気付いたから……。
そうして……。
それ以上、続けてこの話を広げるのは、逆にルーカスさんの負担になるかもしれない、と思いながら、頭の中を必死に回転させて別の話題を探す。
「あ、えっと、……ルーカスさんのティラミスも、みんなのケーキも、どれも凄く美味しそうですよね、……?
もしも、城に持ち帰れることが出来るなら、私の侍女でもあるローラやエリスにも折角だから、食べて欲しい、な……」
そうして、その結果、自分の口から出てきたのは……。
ルーカスさんに対して、別の話題を探そうと必死になっていたから出た訳ではなくて、私がフルーツタルトを食べた時に思った本音だった。
何でもそうなんだけど、独りぼっちで食べるご飯が、機械的というか……。
どこか、事務的になってしまって、美味しくないように。
私自身、こういう時、誰かと一緒に分かち合えることが凄く嬉しいなって、思うから。
『折角だから、ローラや、エリスも一緒に来ることが出来れば良かったのにな……』って思いながら、ぽつりと声を出してしまった、独り言に近い私の言葉を……。
「……姫さん、ケーキは溶けるから、無理かもしれねぇけど。
さっき……、フィナンシェとか焼き菓子系のものなら、ショーケースの中に置いてあったから、幾つかを土産に買って帰れば、侍女さんも喜ぶんじゃねぇか?」
と、セオドアが拾って、声をかけてくれた。
「本当……っ? 全然気付かなかったけど、焼き菓子なんて、置いてあったんだね……?
見つけてくれてありがとう、セオドア。
どれにしようか“選ぶ”の、今から本当に楽しみだね……っ!
ローラや、エリスにも食べて貰えたら、凄く嬉しいなっ……!」
私自身、此処に来た時は他の人達の視線ばかりが気になって、全くそのことには気付いていなかったけど……。
焼き菓子なら、溶ける心配もないし、時間を気にせずローラやエリスにお土産を買って帰ることが出来る。
直ぐに私の意図を察してくれて、優しく提案してくれたセオドアに感謝しながら……。
『ケーキもこれだけ美味しかったんだから、きっと焼き菓子も絶対に美味しいはず……』と、ワクワクした気持ちになって、早速、何を買ってかえろうかと、1人、後でショーケースの中を見るのが楽しみになっていると……。
「あー、お姫様って、本当に……。
お兄さんだけじゃなくて、従者一人一人のことを、大事に思っているんだね……?
なんていうか、自分のものは買って帰ったとしても、自分に仕えている従者に対して、普通はそこまでしないでしょ?」
と、困ったような笑顔で、ルーカスさんに、声をかけられてしまった。
確かに、そう言われてみると……。
私のみんなへの接し方は、本当に距離が近すぎるのかもしれない。
でも……、一般的な従者への関わり方って、誰からも教わっていないから、よく分からないし。
何でもそうなんだけど、今まで巻き戻し前の軸も含めて、常に自分が一人だったことを思ったら。
ローラが来てくれて、セオドアが来てくれて、アルが来てくれて……。
そうして、エリスが来てくれて、たまにロイが顔を見せに来てくれるような“今の状況”に、凄く嬉しい気持ちが湧いてくるし。
今まで当たり前に『誰かが傍にいてくれる状態』が普通ではなかった分だけ……。
独りぼっちの寂しさを知ってしまっているから、今の幸せをみんなと一緒に共有出来るのが、本当に嬉しくてたまらないんだけど。
――やっぱり、傍から見ると、私の遣り方は可笑しかったり、変だったり、するのかな……?
「いえ、あの……、私がみんなを大切に思っているっていうのは勿論なんですけど。
私自身、いつも、みんなから貰ってばかりなので、何か出来たらな、っていう気持ちの方が強くて。
あと……、みんなと一緒に美味しい物とか、思い出を共有することが出来たら、私自身が凄く嬉しい気持ちになるんです」
例え、周囲にどう思われたとしても、みんなが喜んでくれると私自身も嬉しい気持ちになれるから。
みんなを思ってやっていることであっても、きっと、巡り巡ってこれは、自分のためでもあるんだろうなって思えるし……。
その関係を崩したくはないと、どうしても思ってしまう。
私が恐る恐る、自分の考えを口にすれば……。
「あぁ、うん、大丈夫。
それが悪いことだって、否定している訳じゃないよ。
ただ、お姫様みたいな考え方をする方が、言ってみれば特殊っていうか……。
基本的に貴族と“その使用人”だなんて、雇用関係が成立している以上は、どうしても線引きはあるし、家族に近しい関係で接するのって珍しいことだしね。
俺自身は昔から、比較的使用人達とも近い距離で、仲の良い状態で育てられてるから、お姫様の考えは素敵だなって思うけど」
と、ルーカスさんから返事が返ってきて、自分の考えが丸ごと否定されなかったことに、ホッとした気持ちになる。
「確かに、言われてみれば、俺も使用人達とは絶対的な距離があるな……。
慕われてはいるだろうし、信用もされているが、アリスとこの男みたいに距離感がかなり近かったり、アリスの傍にいる侍女達とアリスの関係とまではいかない。
その辺り、俺も含めて、傍でマトモに教えてやれる人間がいなかったのも、問題だったんだろうな」
そうして、フォローに入ってくれたお兄様に申し訳なさそうにそう言って貰えて、私はふるりと首を横にふった。
「いえ……っ、あのっ、過去がどうであれ、私は今、お兄様と家族として関われるのが凄く嬉しいです」
そうして、にこっと口元を緩めて微笑めば、お兄様が私に柔らかい笑顔を向けてくれるのが見える。
普段、周囲に自分の目のことがバレないようにと、無表情がデフォルトのお兄様だけど。
最近、私にこんな風に優しく笑顔を向けてくれることが凄く増えて、そのことを、一人、嬉しいなって、思っていたら……。
「っていうかさ。
俺、さっきから“ずっと気になってた”ことがあるんだけど、今、言ってもいい?」
と、前置きした上で……。
「お兄さんと殿下ってさ、ちょっと前まで、思いっきり、いがみ合ってなかった……?
何なら、お姫様にちょっとでも近づこうものなら、どっちもお互いが気に入らないって顔して、牽制し合ってたじゃん?
ねぇ……、一体、いつから、そんなにも仲良くなったの?」
怪訝な表情を浮かべたルーカスさんから、そう言われて、突然の話の転換に私はキョトンとしてしまう。
お兄様とセオドアは、育った環境とかも違う所為なのか……。
確かに以前から喧嘩みたいな遣り取りをすることが多かったように私も感じるし、今も二人で話している様子を見たら、そう思うこともあるけど。
普段お兄様と近しい距離感で接しているルーカスさんから見ても、二人の距離が少し近づいたって感じるのなら……。
やっぱりこの間、みんなで、ブランシュ村で過ごしたことが大きかったのかも。
以前から、相性の問題もあるけど、出来ればセオドアとお兄様が仲良くなってくれたら良いのになって思っていた私は、嬉しくなって、パァァ、っ、と目を輝かせた。
「あ、あの、ルーカスさんも、やっぱり、そう思いますか……っ?
この間、お兄様と一緒に旅行に行った時に、ちょっとだけ距離が近づいたんじゃないかな、って私も思ってたんです……っ!」
そうして、はしゃいでしまう気持ちが抑えきれずに、声を弾ませながら、そう伝えると。
「いや。……距離など、特に近づいてもいないし。
今も……、この男のことは、そこまで好きな訳ではない」
というお兄様の言葉と……。
「右に同じく。
……つぅか、アンタの目、節穴か?
どこをどうやったら、俺等が、仲良くなってるって思えるんだよ?」
というセオドアの声が聞こえてきて『やっぱり、まだ難しいのかな……』と、がっかりした気持ちになって、私はほんの少し落ち込んでしまう。
「……いや、でもさぁ……。
気付いてるのか気付いてないのかは分からないけど、こういう時、絶対にお互いがお互いに邪魔するだろうなって場面で、一切、邪魔してこないじゃん?
例えば、お姫様に対するお兄さんの言葉に、つい口を出してくる殿下が……とか。
お姫様に対する殿下の言葉に、お兄さんが眉を寄せて露骨に嫌そうな顔したりとか。
そういうの、今日、全然、ないと思うんだけど」
そうして、二人の関係を不思議に思った様子で、ルーカスさんに更に追求するように問いかけられて。
「あー、そりゃ、まぁ……。
姫さんに対して、攻撃してきたり、必要以上に裏があって近づいてきている訳じゃねぇのが分かってるから、そういう意味では信用している。
それに、姫さんにとって、気に掛けてくれる家族ってのは必要だろう?」
「……意見が同じになるのは嫌だが、俺も似たようなものだな。
その身体能力も含めて、アリスに危険が及ばないように、この男が信用出来るのは間違いのないことだから、認めてはいる。
……あまりにも近い距離なのは、今も納得がいかない時もあるが、アリスが従者に対して近い距離で接して欲しいと思っている以上は仕方がないだろう?」
という、セオドアの回答と、お兄様の回答が聞こえてきて、私は目を瞬かせた。
「うわー、……お姫様を挟んで、意味の分からない関係になってて、正直びっくりするんだけど。
絶対に、お互いがお互いに仲良くなってるって、意地でも認めてこないじゃん……っ!」
そうして、そんな二人の様子を見て、どこかゲンナリとした様子で、ルーカスさんが疲れたように声を出してきたのが聞こえてきているあいだ。
みんなが、こうやって色々と話している間も……。
一人、黙々とマイペースに美味しそうにケーキを頬張っているアルと視線があって。
「アリス……っ、このピスタチオのケーキ、大当たりだったぞ。
お前の頼んだフルーツタルトは、一体、どんな味だったのだ……?」
と、聞かれた私は『アル、……良かったら、私のも少し食べてみる?』と、提案してみる。
「うむっ、そうするっ……!
ならば、交換っこをしようっ! 僕のも遠慮せずに食べてくれたらいいぞ」
それから、嬉しそうに“にぱっ……!”と、表情を綻ばせたアルにそう言われて。
ルーカスさんを筆頭に、みんなが喋り始めて、わいわいと一気に賑やかになった状況から、一人先に離脱して……。
あまりマナー的には良くないことなのかもしれないけれど、私はアルと自分のお皿を交換っこすることにした。