307 王都で人気のカフェ
そうして、ルーカスさんが私に向かって手を差し出してくれた瞬間。
「……オイ、どさくさに紛れて姫さんのこと触ろうとするんじゃねぇよ」
と、本気で怒るまではいかないけれど、ムスッとしたような、セオドアの声が聞こえてきて、私は目を瞬かせた。
「……あーあ、これ、一応デートなのにさぁっ。
本当に、どこまでも、格好がつかないんだから。
殿下もお兄さんも、お姫様のことを過剰に心配しすぎだよ」
それから、ほんの少しだけ、ルーカスさんとセオドアが視線を交わしあった後で。
私に差し出してくれていたその手を引っ込めながら……。
「あー、はいはい。……分かった、分かった。
そんなに、“おっかない顔”して牽制しなくても、お兄さんの大事な大事なお姫様に、これ以上のこと、今日はもう、何もしませんってば」
と、どこか呆れたような顔をしながら、ルーカスさんが苦笑いをするのが目に入ってきた。
その表情の意味がよく分からなくて、私は困惑してしまう。
私からすると、セオドアが本気で怒っているようには一度も見えなかったんだけど、ルーカスさんからしたら、何か感じることがあったんだろうか……?
それとも、普段、本気で怒っているセオドアのことをあまり見ていないから、勘違いでそう思ったのかな……?
どうしてかは分からないけれど。
アルと私以外……。
お兄様も含めて全員が、何となく言葉は交わさないのに、視線だけで、何を言いたいのか『お互いに通じ合っているような雰囲気』を出しているような気がして。
みんなが何を言いたいのか、未だにその表情の変化と意味を上手に読み取れない私は、そこにどういう意味があるんだろうと気になってしまう。
そうして、あまり、勘違いをしている様子でもなかったんだけど。
もしも、ルーカスさんが勘違いをしているのなら、セオドアのことをフォローした方が良いのかな、と。
声をかけようか迷って、1人、オロオロしていると……。
「むぅ、お前達……っ。
いつまで、そうやって、お互いに顔を見合わせているのだ?
美味しいデザートが僕達のことを、早く食べて欲しいと、待ってくれているんだろう?
予約というのは、確か自分の身分を店員に告げればいいのだったよな?
エヴァンズの名前を店員に言えば通してくれるのなら、お前達の事を放って、僕とアリスは先に店内に入ってもいいか?」
と、ほっぺたを膨らませながら、焦れた様子でアルがみんなに向かって抗議をするように声を出したのが聞こえてきた。
……前にお兄様が、丘の上のレストランを予約してくれた時のことを覚えていたんだと思う。
素直なアルらしく、美味しいデザートを早く食べたいと言わんばかりの表情をしていて、みんなと違って、はっきりと表情が読めて凄く分かりやすい。
アルのその言葉のお蔭で、みんなを取り巻く空気が一気に、柔らかく和やかなものになったのを感じてホッとしながら……。
「んじゃ、まぁ、入りますか」
という、ルーカスさんのその場を纏めてくれるような言葉を聞いてから、私達はルーカスさんが予約してくれていたお店へと足を踏み入れた。
そうして、ルーカスさんの先導で“お店の中”に入ると、笑顔で対応してくれたホールスタッフに誘導されて、直ぐに私達は個室へと通された。
その間も、珍しいものを見るかのように、既に来店していたお客さん達からの視線は避けられず、男女問わずジロジロと好奇の目で見られたりはしたんだけど。
年代物のウッド調のテーブルが置いてある個室に入ってからは、その心配がなくなって一先ずは安堵する。
このお店自体、内装にも凄く力を入れてこだわっているのか、壁にくっつくような形で付いている棚に、表紙が見えるように本が置いてあったり……。
店内は、雑貨や花瓶などが品良く飾られていて、凄くお洒落な雰囲気だった。
私達が席につくと直ぐにメニュー表を置いてくれて『……お決まりになりましたら、此方のベルでお呼び下さい』と、一度丁寧なお辞儀をしたあとで、洗練された動きをしながらスタッフは個室から出ていった。
以前、お兄様と丘の上のレストランに行った時は、既にコースメニューをお兄様が事前に予約してくれていたから、こうやって自分がメニュー表を見ることなんてなかったけど。
ゆっくりと、メニューを見る時間を与えてくれているのは凄く有り難いな、と思うし。
『何でも好きなものを頼んでいいのかな……?』と、初めてのことに胸が高鳴ってドキドキしてしまう。
ただ、メニュー表を見るその前に……。
私自身中々、こういう所には来ることが出来ないし、折角、流行りのカフェに来たのなら、どうしてもセオドアにも一緒に食べて欲しいという気持ちがわき上がってきて……。
テーブルを囲む椅子に関しても、余っているのを確認してから。
さりげなく、私の席から“少し離れて”後ろに立ったままでいてくれているセオドアの方を振り向いて視線を合わせたあと。
「あ、あの……。
もし、ルーカスさんさえ良ければ、なんですけど。
折角なので、王都でも流行っていて美味しいと言われている、ケーキを食べて欲しくて。
セオドアも、同じように、席に座っても良いですか……? セオドアの分も、私が出すので……」
と、声をかければ……。
「あー、お姫様は、本当に……。
騎士で、従者でもあるはずのお兄さんに、甘いんだね……?」
と、ルーカスさんから、からかうような表情で苦笑されてしまった。
「主従の関係にしては、あまりにも、距離が近すぎるっていうのかな……。
まぁ、だからこそ。……日頃から、お兄さん自体、お姫様のことしか目に入っていないんだろうけど」
そうして、小さく、ぼそっと何か言われたことが聞き取れず。
「あの、ルーカスさん……。
ごめんなさい、聞き取れなくて。今、何て……?」
と、声をかければ。
「……いや、何でもないよ。
そりゃぁ、日頃から、こんだけ優しくされていたら……。
ぬるま湯に浸かっているみたいに居心地が良くなって、可愛い小鳥の傍を、離れたくなくなるよなぁ、って思っただけだから。
まぁ、あんまり対外的に見ても、良い物ではないんだけどね。
ここは個室で、店員以外は誰も見てはこないし、お兄さんが座ることについて、お姫様がそうしたいのなら別に構わないよ」
と、了承してくれた。
前半に言われた“含み”のあるような言葉の意味は、今一、よく分からなかったけど。
ルーカスさんがセオドアも一緒に座って良いって言ってくれたことが嬉しくて……。
『ありがとうございます』と声にだしてお礼を伝えて、思わず口元をゆるゆると緩ませていると。
「あーあ、にこにこ、本当に嬉しそうな顔しちゃって……。
お姫様、騎士のお兄さんだけじゃなくて、俺のことも、ちゃんと見て欲しいんだけど。
あまりにも2人の仲が良すぎると、普通なら、よく思わないのが当然だし。
一応、俺たち、これからそういう関係になるんだけどさぁ。
本当の意味では“そのこと”、あんま、多分理解していない、よね……?」
と、言われて、その言葉の意味がよく分からず、私はキョトンとしてしまった。
「アリスは、そのままでいいと俺は思う」
そうして、お兄様にそう言われたことで……。
たまにある、ルーカスさんとお兄様の言っていることに食い違いが出てきてしまい、どっちの言っていることを真に受ければいいのかと、私が1人、混乱していると。
「あー、出た出た、甘やかし、全肯定……っ。
殿下もお兄さんもさぁ、本当に、お姫様には甘いっていうか……。
このまま、籠の中に入れられた状態で。
過保護に大事に大事に育てられたら、男が向けるそういう感情にも気づけない“純粋無垢な人間”が出来上がると思うんだけど、そっちの方がどう考えても問題でしょ?
外は危険でいっぱいだし。……そういうの“お姫様自身”が、今から、ちょっとずつでも、覚えてかないといけないと俺は思うんだよね」
というルーカスさんの声が聞こえてきて、私は首を傾げた。
お兄様とセオドアが優しくて、私のことをいつも思って大事にしてくれているのは、日頃から私自身も感じていることだし。
今までの私の境遇が境遇だっただけに、多分、必要以上に……。
いつも心配からルーカスさんに対して、どうしても色々と言ってくれるようなことになっているっていうのも、きちんと理解してるんだけど。
一般的に、周りの人から見えている私達の関係に関しては……。
お兄様とセオドアのように、大切に思って優しくしてくれているのって、過保護になってしまうんだろうか?
その辺り、今まで誰にもマトモに愛して貰った覚えがないせいで。
そういう一般の人が知っている常識に関しては凄く疎いんだろうなと、自分でも認識してはいるものの。
もしかして、今の自分の状況は『あまりよくないのかな……』と、不安になりながら、困惑してしまう。
「外に危険が沢山あるってのは、俺も同意するし。
……アンタの言いたいことに関しては、分からねぇこともねぇけど。
そもそも、そういう感情を知る以前に、姫さんには圧倒的に本来貰えるはずの“基本的な愛情”が足りてねぇんだよ。
そんなのは別に、今、覚えなくても、後回しでいいだろ?」
そうして、セオドアにそう言って貰えたことで。
私自身、ルーカスさんに言われていることも、お兄様に言われていることも、セオドアに言われていることも、全部『特に間違ってはいない』のだろうな、と……。
ストン、と腑に落ちたというか、納得することが出来た。
人の数だけ、色々な考えがあるのはきっと当然のことだし。
みんな、それぞれに私のことを考えてくれながら、『こうした方が良いんじゃないか』って、提案してくれていることに代わりは無いんだよね。
「あ、あのっ、私以上に、私のことを考えて下さって、本当にありがとうございます。
よく分からないんですけど……、ルーカスさんの言うように“そういうこと”、これから、ちゃんと覚えていけるように頑張ります……っ」
だから、真面目な表情で、みんなに向かってそう伝えたんだけど。
――私の反応は、何か間違っていたんだろうか……?
アル以外……、みんながみんな、揃って、私の言葉に驚いた表情を浮かべていて……。
「いや、姫さん……。
そういうの、無理して頑張る必要なんかねぇからな……?
っていうか、ハッキリ言うけど……、やらなくていい」
「あー、お姫様。
俺から、話を振っておいてなんだけどさ……。
よく分かってもいないのに、“頑張ります”って言っちゃ、絶対に駄目だって。
俺の言ったこと、何一つ理解していないでしょ?
……危険だよっ? もしも、俺が危ない奴だったら、どうするんだよっ?
っていうか、ほら、もっと根本的なことからきっちり教えてあげないとさ、このままの状態で野に放たれると、ヤバいでしょ?」
「オイ……、ルーカス。
人の妹のことを、まるで危険動物かのように扱うんじゃない」
「いや、だって殿下……。
これ、どう見ても、危険動物っていうか、天然記念物っていうか……」
そうして、困った様な雰囲気で、みんなからそう言われて……。
私は何て言ったらいいのか、分からずに口を閉じた。
みんな言葉や意見は違えど、私のことを思って言ってくれてるのだと感じたし、それに対してお礼を言いつつ。
ルーカスさんのかけてくれた言葉に『頑張ります』って言うの、そんなに可笑しいことだったのかな……?
自分でも、その対応の何が良くないことだったのか分からないため、訂正のしようがなくて困ってしまっていると……。
「あー、うん。……とにかく、俺が色々と、性急すぎたってのはよく分かったよ。
とりあえず、ここでずっと話してても埒が明かないし、“ケーキと飲み物”頼んじゃおっか。
好みが分からなくて、先に頼む訳にもいかなかったからさ。
因みにフルーツタルトが一番有名なんだけど、お姫様、メニュー、見える? ……どれがいい?」
と、ルーカスさんが話を切り替えて、メニュー表を分かりやすく見えるように広げてくれた。
「そうなんですね……。
それなら、折角ですし、ルーカスさんが今、勧めてくれた、フルーツタルトにしようかと思います。
アルは決まった? セオドアは、あまり甘すぎるのは得意じゃないから、ビターな感じのケーキがあれば良いよね? 何にしよう……?」
メニュー表の中には、定番っぽいショートケーキやガトーショコラの他にも、ピスタチオを使った『シシリー』というものなど、美味しそうなイラストと共に幾つもの種類が載せられていて、見ているだけでワクワクとした気持ちになる。
その中でも、普段あまり外に出られない分……。
折角だからルーカスさんに聞いた、このお店一番の“オススメのもの”を頂こうと直ぐに決まって、アルとセオドアに向かって声をかければ。
「むぅっ、色々と種類が豊富すぎて、これは想像以上に悩ましい問題だな……っ!
モンブランも捨てがたいし“木の実"を使ったものも、ケーキにした時に、一体どんな食感でどのようなものになるのか、想像も出来ぬ」
と、メニュー表に、くまなく目を走らせていたアルが珍しく眉間に皺を寄せて、思いっきり悩んでいるのが見えて、私は思わず笑みが溢れてしまった。
アル自体、普段は別に人間の食べ物を摂取しなくても生きていけるのに、色々と人間の食べ物を食べているうちに、ハマってしまったのか……。
食べ物に関しては人一倍、というか、精霊にその言葉が当てはまるのかどうかは分からないんだけど。
こういう時、誰よりも一番、生き生きとしていると思うし、そんなアルの姿にほっこりとしてしまう。
「アルフレッド君。
……そんなっ、思いっきり悩まなくても、別にまた食べに来ればいいじゃん」
そうして、苦笑交じりのルーカスさんの言葉が耳を通り抜けたあと。
セオドアとお兄様は直ぐに決まったのか、それぞれに、セオドアはビターな“チョコレート系のケーキ”を……。
お兄様は、シンプルな“苺の入ったショートケーキ”にしたみたいだった。
そうして、アルは思いっきり悩んだ結果……。
「僕は、このピスタチオを使ったシシリーにしてみる」
と、一つに絞ることが出来たみたいで。
みんなのオーダーを纏めて、ベルを鳴らしてくれたルーカスさんが、オーダーを聞きに来てくれたスタッフに手慣れた様子で全員分の注文を頼んでくれると……。
暫く経って、テーブルの上にそれぞれのドリンクと、まるで宝石みたいな色取り取りのケーキが運ばれてきて、私は思わず目を輝かせた。










