306 鉄の掟
あれから……。
私達はお父様の執務室を出て、みんなで一緒に城下に来ていた。
ここまでは馬車で来たとはいえ、ジェルメールもある王都一番の大通りに出て、みんなで歩いているとやっぱりどうしても目立つもので。
……前にルーカスさんに御茶会の時のお詫びにと、ジェルメールに連れて行って貰った時と一緒で。
今日は特に、お兄様もルーカスさんもいるからか、貴族のご令嬢達からの熱の籠もったような視線がビシバシと飛んでくる状況になってしまい、私は思わず1人、みんなの中心で縮こまってしまった。
なるべく、気配を消して『私の存在が誰の目にも入らなければ良いなぁ……』と、努力はしてみたんだけど……。
ただでさえ自分が、一般的な人達よりも目立つ赤色の髪を持っている以上は、やっぱり、どうやったって、隠れるのは無理だったみたいで。
此方に注目してくる好奇の瞳からも、ひそひそと話される噂話からも逃れることは出来なかった。
「まぁ、っ……! 御覧になって。
殿下とルーカス様だわ……っ! 偶然お会いすることが出来るだなんて、何て、幸運なのかしらっ!
眉目秀麗で、お二人が並んで歩かれていると、本当にそれだけで、目の保養になりますわ~。
それに、あちらの子供は、陛下から特別扱いを受けている特殊な立ち位置にいる方ですわよね?
確か、名前は“アルフレッド様”だとか……?」
「えぇ、確か噂では、陛下からのご紹介で皇女様のお傍にずっと付いていらっしゃるんだとか。
……あと、あちらの黒髪の騎士は、皇女様の護衛騎士、かしら……?
ノクスの民……、初めて拝見しましたけど。
随分逞しく、まるで狼みたいに、ワイルドな感じなんですのね。
一体、皆さまで、何のお話しをされているのかしら?
殿下やルーカス様も含めて、連れ立って何処かへお出かけすることが出来る皇女様がとっても羨ましいですわっ」
そうして、彼方此方から聞こえてくる言葉に、前に城下に来た時も思ったんだけど……。
彼女達の噂話は、なるべく声を潜めながら聞こえていないように話しているつもりでいて、はしゃいだり興奮したりしている所為か、意外にも声が大きく、丸々、此方には筒抜けだったりする。
そして、やっぱり、お兄様とルーカスさんだけじゃなく、アルやセオドアも人目を引いて目立ってしまうんだなぁ……。
と、ぼんやりと考えてしまった。
お兄様もルーカスさんも、こういう状況には普段から慣れっこなのか、貴族のご令嬢達が二人を見て遠巻きに『きゃっきゃ……』とはしゃいでいても、特に気にした様子はなく、堂々としているし。
アルは、彼女達の視線の意味を全く分かっていない様子で。
「むぅ。……人間とは不可思議なものだ。
ああやって、他人の話をして、わー、きゃー、と興奮しているのがイチミリも理解出来ぬ。
僕の噂話をして、一体何が楽しいのであろう……?」
と、不思議そうに声をだしているし、セオドアはいつもの三割増しくらい眉間に皺が寄っているように感じるんだけど……。
『この中にいる私って、やっぱりどう考えても、本当に異質だよね……』っていうことは、彼女達に言われなくても自分でも感じていることなので、より、肩身が狭い思いになってしまう。
そうして、なるべく早く、ルーカスさんが予約してくれているカフェに着かないかな、と内心で思いながら、遠巻きに私達を見てくる貴族のご令嬢たちの集団から抜けようとしたところで。
彼女達の口から……。
「……それより、聞きまして?
最近、ルーカス様が皇女様にプレゼントを贈られるっていう噂があるみたいなのですが、本当なのかしら?
今まで、どなたにも平等にお優しくされていたルーカス様は、特定のお相手とそういった関係になったりなど、一度もありませんでしたのに……っ!」
「まさかっ……! 有り得ませんわ。
贈り物は殿下と親しいルーカス様が、あくまでも近いお立場にいらっしゃる皇女様に対してしているだけでしょう?
それ以上の関係だなんて、冗談でも言わないで下さいませっ。
ルーカス様はファンも含めて、本気の恋をしている令嬢も多い御方。
ですが、そういった状況を良しとせず、互いに牽制しあって、決して踏み込んでお近づきになってはならないと、一線を引くための“鉄の掟”が作られているのはご存知でしょう?
その状況をご本人であるルーカス様が知らない筈はありませんしっ。
状況を把握した上で、特別な一人を作られることもなく、常に誰に対しても平等に接して下さっているのですから」
という、言葉が聞こえてきて、私は首を傾げた。
何処から聞きつけてきたのか、その出所が全く分からない噂話に。
私自身……。
【ルーカスさんが私に贈り物をしようとしているって、一体、どうして、そんな噂が立っているの……?】
と、思ってしまう。
そうして、そっと窺うようにルーカスさんを見上げれば、ルーカスさんは彼女達の噂話を聞いて、一瞬だけ唇を噛みしめたあと、何処か嫌そうな雰囲気で苦笑いをしていて。
その表情の変化に『やっぱり、どう考えても、ルーカスさんが私に贈り物をしようとしているなんて、あり得ないよね……、?』と、感じていたら。
「……ルーカス。
お前、今後、何かアリスに贈り物をする予定があるのか……?
一体どうして、そんな噂が立っているんだ……?」
という、ピンポイントで私の聞きたいことを代弁してくれた、お兄様の訝しがるような声が聞こえてくる。
それに対して……。
「あー、何て言うか……。
今日、お姫様にクッキーのお礼をしようとしていた事が、多分、間違って広まっちゃったんだと思うんだよね。
噂の出処に関しては、俺もきっちり把握してるんだけど。
防ぎようもなく、どうしようもなかったっていうか。……俺が軽率だったっていうか。
まぁっ、そんなに、怒んないでよ、殿下」
と、ルーカスさんが困ったような声を出せば……。
「……オイ。女達のあの視線の大半は、アンタに送られるものだろう?
ファンだの、ガチ恋だの、俺には関係ねぇし、どうだって良いが。
一線を引くための“鉄の掟”ってのは何なんだよ……?
ただでさえ“姫さんが目立つ”のは避けたかったのに、これじゃ、針のむしろじゃねぇか」
と、今度は、セオドアが唇を尖らせながら、ルーカスさんへと視線を向けて、懐疑的な声を出してくるのが聞こえてきた。
セオドアの反応に関しては、きっと、私のことを心配してそう言ってくれているんだな、っていうことが分かるから……。
「……あ、あの……っ、セオドア、私のことを心配してくれて、ありがとう。
でも、私なら、大丈夫だよ……っ」
と、そこに関して、人の目を引いて注目を浴びてしまっていることに、私自身、さっきから内心でドキドキと緊張していたものの……。
『そこまで、大きな問題だと捉えなくても大丈夫』だということを分かって貰えるよう、お礼を伝えたあとで。
確かにセオドアの言うように、ルーカスさんに向けられる貴族のご令嬢達の熱い視線みたいなものと、その話の内容については私も気になってしまって。
聞いても良いものなのかどうか分からず、思わず、一人、そわそわしてしまった。
「いや、……それについては、うん。……本当に、返す言葉もないっていうか。
ごめんっ。……いつの頃からか分からないんだけどさ、いつの間にか俺のファンクラブみたいなのが出来てて。
それを作った人物達を中心に、“風紀を乱す人間は許さない”みたいな暗黙の了解みたいなものが結成されてっ。
ほら、俺って、基本的に誰に対してもテキトー……っていうか、面倒事は避けてにこやかに振る舞ってたでしょ?
で、勘違いして熱烈な行為を向けてくる人間も後を絶たなくて、縁談の申し込みなんかも、そりゃぁ、いっぱい届いててさ。
そういう状況の中で、非公式なんだけど、主に“俺のファンクラブ”に入っているような貴族のご令嬢達の間で……。
抜け駆けして、必要以上に俺に近づくのは禁止だとか、俺は誰か1人のものじゃなくて分かち合うみたいな、細かいルールが出来ちゃったみたいなんだよね」
それから、ルーカスさんから、困ったような声色で、詳しい説明がぽつりぽつり、と降ってくれば。
それに対して眉を寄せたのはお兄様だった。
「……だから、前々から言っているだろっ?
お前が今まで“その状態”を野放しにして、周囲に均等にいい顔をして、愛想を振りまいてきた結果がこれだ。
その状況下で、もしも万が一、アリスとお前のことが公になったら……、どうなると思う?
想像しなくても、結果は火を見るよりも明らかだろう?」
……元々、地声が低い方ではあるお兄様だけど。
いつもよりも、更に低い声色になっているお兄様に、思わずびっくりしながらも。
ルーカスさんが、周りに均等に接していたことが、私とルーカスさんの婚約に何の影響があるんだろう……?
と、私自身、あまり、お兄様の言っていることにピンとこずに、首を傾げた。
ただ、お兄様の発言がよく分かっていないのは、私とアルだけで……。
見れば、セオドアも厳しい表情を浮かべているし。
ルーカスさんも『……それについては、全面的に俺が悪いし、反省してるよ』って、声に出して、本当に申し訳無さそうな表情を浮かべているしで。
みんなには、その意味がきちんと伝わる話だったんだと思う。
「あ、あの……っ、私とルーカスさんの婚約が周りの人に知られたら、何か、不都合なことが起きたり、するんでしょうか……?」
そうして……。
『話の腰を折るような状況になってしまうのは申し訳ないなぁ……』と感じながらも、一応、自分に関することだし、私が知らなければいけないことなんじゃないかと思って、問いかければ。
「あぁ、いや、……うん。
お姫様に火の粉がいかないように、俺が事前に根回しするから、そこは安心してくれていい」
と、ルーカスさんにそう言われて、私は更に頭の中をはてなでいっぱいにして、困惑してしまった。
ただ……、私とルーカスさんの婚約自体。
2人の間では“仮初め”のものだから、大々的に世間に向けて発表するようなことになるかも、まだ分からない状態だし。
――よく分からないけれど、お兄様が心配するようなことは起きないと思ってもいいのかな……?
結局、一体、どんな不都合が生じてしまうのかは、みんなに問いかけてみても明確な答えが返ってこずに、分からないままだけど。
ルーカスさんも『事前に、根回し……?』をしてくれるみたいだから、きっと、大丈夫なはず……、だよね。
少なくとも、私自身が何か、対策のような物を練って、努力しなければいけないような話ではなさそうでホッとする。
それと同時に、そういえば、以前にもみんながいる時に、似た様な話が出てきたことがあったなぁ、と思い出した。
確か、あの時は、ルーカスさんに好意を抱く人が多くて『その全てを精算してからにしろ……』って、お兄様がルーカスさんに言ってたんだっけ……?
前にその話が出てきた時は、人の好意を精算することが出来るのかな……、って思ったけど。
もしかして、普段から、縁談の申し込みなんかも絶えず送られてきている状況があるのなら、その全てにきちんとお断りするのが、お兄様の言う、精算って意味に繋がるのかも。
だとしたら、ルーカスさんは、今までそういった申し込みが送られてきても、きちんとした返事は書かずに保留にしてたっていうことなんだろうか。
エヴァンズ家は、シュタインベルク国内でも地位も名誉も確立されている由緒正しい家柄だから。
慎重に相手を選ばなければいけないのは周知の事実で、縁談の数も多いだろうし……。
家柄同士の問題もあるため、時期がくるまでは、舞い込む縁談の全てを『一度保留』にしていても別に可笑しなことではない、と思う。
だけど、もしも今までずっと保留にしている状況があったのなら。
このまま、ルーカスさんが“他の人との縁談”を、同時期に一斉にお断りしたら。
それこそ、誰かとの婚約が結ばれた、とか……。
本命というか、1人に絞ったんじゃないか、っていう噂が広まってしまうんじゃないだろうか?
私自身、きっと、特にそれで困ることはないと思うんだけど、一応、2人の関係が仮初めの婚約である以上は、あまり表立っては“婚約”のことを、知られない方がいいのかな……?
元々、ルーカスさんも、そのつもりで動いてくれているんだもんね……。
それでもやっぱり、一斉にお断りするようなことになったら、貴族のご令嬢たちから『ルーカスさんの相手は誰なんだ……』って、探られて、有ること無いこと憶測が立ってしまうと思う。
私にダメージがなくても、それで、ルーカスさんの方が何か大変な思いをしてしまうようなことは、出てきてしまうかも。
そうなってくると、ルーカスさんは、今のまま“他の縁談”に関しては断らずにいた方がいいんじゃないかな?
あ、でも、そうだとしたら……。
今度は、お父様の承認が降りた以上は、他の縁談にきちんとケジメを付けておかないと、ルーカスさんにしてもそうだけど、エヴァンズ家が不誠実だと思われてしまう……?
これが、仮初めの婚約であるということは、私とルーカスさんだけの秘密で、みんなには言えないし。
【……???】
……どうしよう?
――考えることが多すぎて、頭の中がパンクしそう……っ!
色々なことを頭の中でぐるぐると思案した結果、何が正解なのか分からず、1人、こんがらがりそうになっていると……。
「……姫さん、どうした?」
と、セオドアから、心配するような声がかかって、私はハッと現実に意識を戻して『……ううん、何でもないよ』と、取り繕って声に出す。
私が、さっと表情を変えたのが、セオドアにはバレてしまったのか。
咄嗟に取り繕ったのが直ぐに見破られてしまい、心配の色が濃くなって、眉を寄せて難しい表情になったセオドアに、……これ以上、嘘はつけなくて。
どういう風にするのが一番良いことなのか、分からない状態のまま、私は……。
「あ、えっと……。
さっきのお話しだと、ルーカスさんがもしも、今まで送られてきた婚約の申し込みを保留にしているのなら……。
一斉にお断りするようなことになったら、それこそ、憶測や噂が広まって拙いんじゃないかな、って思って。
あ、あの、私の年齢を考慮してくれて、まだ公には私達のことについて、きちんとした発表が出来ない状態なの、で……」
と、取りあえず……。
私とルーカスさんの婚約が仮初めであるということを、みんなにはバレないように隠しつつ、声を出した。
それだけで、多分、察しの良いルーカスさんは、私が何を言いたいのか理解してくれたのだろう。
珍しく、その可能性については、考えてもなかったのか、どこか『やらかした……』という雰囲気を出してくれたルーカスさんが。
「あぁ、うん……、そうだね。……確かにお姫様の言う通りだけど。
一旦、それについては……、全部、断らなければいけないのだけは確実だ。
まだ約束の段階であろうとも、皇族とそういった関係を結ぶ上で、不誠実な対応は絶対に出来ない」
と、声を出してくれた。
その言葉に、はらはらと、私が心配の表情を向けていたら……。
「俺はさっき、そのことも含めて、お前に言ったつもりだったんだがな。
お前が縁談を結ぶとなれば、どうしても、相手を探るような憶測が立つのは避けられないだろう?
今、来ている全ての縁談を断るとなれば、当然、その相手については、どうやったって、ある程度絞られてくる。
エヴァンズという家柄を考慮して、しかも今の段階で発表が出来ないとなれば、その相手はエヴァンズと同等、もしくは上の立場にいる人間との婚約か、それとも他国絡みの縁談かの“2択”に絞られる。
お前はさっき、火の粉を振り払うつもりがあるとアリスに言っていたが、本当にそれが出来るのか……?」
と、お兄様がルーカスさんに向かって、眉を寄せながら声を出してきた。
それについて、ルーカスさん自身も、お兄様の意見について間違ってはいない、という雰囲気を見せながら、狼狽していて……。
私は、その、あまりにも珍しい姿にびっくりしてしまう。
「……あー、分かってるよ……。
殿下……、それについてはもう少しだけ、俺に考える時間を頂戴。
大丈夫っ、お姫様に問題がいかないよう、何とか、状況を打破して見せるから……」
そうして、ルーカスさんがそう言ってくれたことに……。
「あの、私にも何か出来るようなことは、ありますか……?」
と、問いかけてみたんだけど。
「いや、お姫様に動いて貰えるようなことは“何もない”かな。
俺が今までしてきたことのツケみたいな物が、巡り巡って今、こうして来ているだけだからね。
それについては、どうやったって、俺自身が解決しなきゃいけない問題だ」
と、ルーカスさんには丁寧に断られてしまった。
そのことに、何も出来ないもどかしさみたいな物を感じながら、こくりと頷くことしか出来ずにいたら……。
「まっ、俺が言うのもなんだけどさ、君に迷惑はかけないつもりだし。
とりあえずは、気分を変えて、楽しもっか?
折角のデートが暗いものになっちゃ、駄目でしょ……?
と言うわけで、お姫様。
長いこと歩かせちゃったけど、王都でもかなり流行っていると噂のカフェが、今、目の前にあります。
折角だから、俺に格好よく、エスコートさせてくれない? ……ほらっ、お手をどうぞ、お嬢さん」
と、私の心配を感じ取ってくれたのか……。
場の雰囲気を明るく変えるように、ルーカスさんが茶目っ気たっぷりに手のひらを上に向けて、ウィンクしながら、声をかけてくれた。