305 ファッションショーのモデル
「そう、……だな。
お前が高級衣装店で洋服を共同開発しているのは私の耳にも入ってきていたが……。
まさか市井で、そんなことになっていようとは。
関係の無い店舗で、勝手にお前の名前が使われていて、迷惑を被っているのだとしたら、皇室から正式に抗議することは可能だ。
貴族が頻繁に利用する店での噂話というのは、存外、馬鹿には出来ないものだ。
広まる時はあっという間に広まるだろうし、それで、お前の誤った情報として悪評が広まるようなことになれば元も子もないからな」
そうして、少しの間、黙って色々と考えてくれていただろうお父様が顔を上げて……。
私に対して、そう声をかけてくれたことに、私は内心で『良かった……』と、胸を撫で下ろした。
皇室から正式に抗議することが出来るのなら、ジェルメールもこれで、ほんの少しは営業がしやすくなるだろう。
……このまま、何ごともなく、ライバル店が大人しくなってくれたら良いんだけど。
相手の店舗に関しては、ジェルメールのデザイナーさんに話を聞いた限り、自分のお店が売れるためなら手段は選ばないっぽい雰囲気があるし。
『大丈夫かな……』と、内心で不安に思う気持ちは、まだほんの少しだけある。
「あの……、私の抗議で、どこかのゴシップ誌に取り上げて貰えるようなことは出来ないでしょうか?
私の作った洋服のデザイン案だけではなく、ジェルメールのオリジナルデザインに関しても被害に遭っているそうなので……」
そうして、追加で、何とかして大変な状況に追い込まれてしまっているジェルメールを助けられないものかと、お父様に声をかければ……。
「そうだな。
正式に抗議をするついでに、どこかのゴシップ誌に正確な情報を流すことは可能だろう。
その辺り……、ハーロックに上手いことやっておくよう、通達しておく」
と、お父様から最大限の配慮をして貰えるよう、約束を取り付けることに成功して、私は心の底からホッと安堵する。
普段からジェルメールにはお世話になっている分だけ……。
今、自分に出来ることがあるのなら惜しみなくしてあげたい気持ちがあるし。
皇室の正式な抗議と、きちんとした情報がゴシップ誌に掲載されれば、少なくとも世論は一斉にジェルメールの擁護に傾くんじゃないかな……、って思うから。
私自身、巻き戻し前の軸で、自分の悪い噂が『有ること無いこと面白おかしく記事に書かれる辛さ』みたいなものは実感しているから、本来なら、ゴシップ誌を使うという手段自体、あまりしたくはないけれど。
それでも、真っ当に営業をしているお店が不利益を被るのは、やっぱりどう考えても可笑しいと感じてしまうし。
ジェルメールのデザイナーさん自体は、普段から明るくて。
『営業妨害には負けないし、不死鳥のように何度でも蘇ってみせる』と言っていたけれど、きっと私達や表に見せていないだけで、クレーム対応なども含めて、その苦労は相当なもののはずで。
少しでもその負担を軽くしてあげられるのなら、それに越したことはないと思うから。
お父様がハーロックに頼んでくれるのなら、きっと余程のことがない限り、例えゴシップ誌であろうとも、きちんとした情報が掲載される可能性の方が高いだろう。
そのことに『一先ずはこれで、安心出来る』と。
私が頭の中で、一生懸命、ジェルメールのことを考えていたら……。
「それで、……っ? お前は、建国祭で、ファッションショーのモデルになるのか?」
と、何処となく、躊躇いがちになりながらも、お父様から声がかかったことに、私はハッと現実に意識を引き戻した。
「え? ……あ、っ、そ、そうなんです。
毎年、建国祭では、王都中のお店が集まって、優秀な店舗を競い合う大会のようなものが開かれるんですよね……?
ジェルメールのデザイナーさんに、私とセオドア……私の騎士と一緒に、モデルになってくれないかとお願いされて……」
そうして、傍に控えてくれていた、セオドアと2人で目配せをしあったあと……。
「あ、勿論……っ。
絶対に出なければいけない公務があるのなら、そちらを優先させるつもりです……!」
と、お父様の反応から……。
【もしかして、ファッションショーの日にちと、皇族として公務で出ないといけない催し物の予定が被っていたりするんだろうか……?】
と、思い至った私は、慌ててお父様に対して声を出した。
――もしもそうなのだとしたら、ジェルメールのデザイナーさんにお断りの連絡を入れなければいけなくなってしまう。
内心でわたわたとしながら、1人、頭の中で色々と、その場合、どう動けばいいのか……。
これからの段取りについて考えていれば。
「あぁ、公務とそれらの日程が被っていることは恐らくないだろうから、安心しなさい。
建国祭の期間中、優秀店舗を決めるにしても、そのどれもが基本的には日中開かれるものだし、お前が参加することに対して怒っている訳でもない」
と、お父様からそう言ってもらえたことに、落ち着きを取り戻しながらも……。
じゃぁ、一体、どうして……、お父様は、そんなにも“何かを、言いにくそうな感じ”で声をかけてきたのだろう、と。
お父様の意図が今一、よく分からなくて、私は首を横に傾けた。
そうして……。
――それから、一体、どれくらい経っただろう?
多分、時間にしたら、数分程度のことだと思うんだけど……。
「……コ、コホンっ、その、なんだ……っ、折角だからな。
娘の晴れ舞台なら、見に行かない訳には、いかないだろう……っ?」
と……。
ほんの少しの時間、黙ってしまったお父様の口から……。
咳払いと共に、あまりにも思いがけない言葉が飛んで来て、私は思わず、びっくりして目を見開いてしまった。
「……えっ?」
今、お父様の口から言われたことが信じられなくて。
思わず、訝しげな声が口をついて出てしまって、直ぐに『拙かったかも……』と感じたものの……。
だって、困惑するのも仕方がない、と思う。
普段、基本的には公務で忙しく、時に、寝食すらまともに取れていないんじゃないかと思うことがあるほど、仕事人間のお父様が……。
わざわざ、時間を空けてまで、私のファッションショーを見に来ようと思ってくれているだなんて想像も出来なかったから。
それって多分、公務の部分じゃなくて、私的に見に来てくれる、ってことだよね……?
「あ、あのっ、ファッションショー、を、見に来て下さる、んですか……?」
「あぁ。……だからっ、さっきから、そう言っている」
「あ、……ありがとうございます」
私が恐る恐る声をかければ。
普段は威厳があって、滅多に変わることのないお父様の顔が、ほんの少し伏し目がちに下げられるのが見えて、私は思わずぱちぱちと目を瞬かせた。
……もしかして、だけど。
――もしかしなくても、これは、照れてくれているんだろうか……?
お父様の、あまりにも珍しいその姿に、頭の中が混乱して、はてなでいっぱいになりながらも、何となくじんわりと嬉しい気持ちと……。
お父様の照れた姿が、こっちにまで感染してきてしまって、思わず私も恥ずかしくなってしまう。
あ、あと、正直言って、ファッションショーに出るのなんて、私自身も初めてのことだし。
そういう意味でも、お父様にきちんとした姿が見せられるのか、不安な気持ちも湧き出てきてしまった。
そうして、お父様の反応に、1人焦って、テンパっていたら……。
「あー、……陛下、皇女様、お話中にすみません。
そんなにも、楽しそうなことになってるなんて思ってもみませんでしたけど。
折角だから、俺も、皇女様のファッションショー、見に行こうかな……。
ねぇ……っ? 殿下も、その日に何も予定が入っていなかったら、見に行くでしょ?」
と、ルーカスさんが私達の方を見ながら、そっと声をかけてくれた。
きっと、ルーカスさんには悪気なんてものはなくて。
どちらかというのなら、これは私への優しい配慮で……。
どうせなら、人数が多い方が良いんじゃないかと、家族であるお兄様も誘って一緒に見に来てくれようとしているだけなんだろう。
だけど、私自身……。
【ど、どうしようっ! どんどん、知り合いが見に来てくれる率が増えてしまってる……っ!】
と、一気にハードルが上がったような気がして。
恥ずかしさから、顔から火が出そうなくらい熱が集まってきて、オロオロしてしまった。
「あぁ、お前に誘われなくても、アリスの話を聞いた段階で俺も見に行くつもりだった。
というか、一体どうして、アリスと一緒にお前がファッションショーのモデルとして出る予定になっているんだ……?
お前は、従者の立場だろう?」
「今年のファッションショーが、“護りたいあなたへ贈るプレゼント”っていうのがテーマ、らしい。……です。
だから、ジェルメールのデザイナーから、騎士である俺が姫さっ……、皇女様と、一緒に出るよう、お願いされたっつぅか……。
適任扱いされた感じだ。……です」
「いやっ、お兄さん、……その敬語は、本当に無理がありすぎるでしょ……っ?
取りあえず、“です、ます”を語尾に付ければ何とかなると、思ってる……?」
そうして、話の矛先は何故か私からセオドアの方に向いて。
一応、お父様がいる手前、普段の喋り方じゃ拙いと思ってくれたのだろう。
語尾にですをつけて、なるべく苦手な敬語を使って、話してくれるセオドアに。
思わずっ、という感じで……。
ルーカスさんの突っ込みが入って、私は慌てて、みんなの声に被せるように声を出した。
「あ、あの……っ。セオドアの言うことは間違ってなくて。
セオドアは、ジェルメールと、私の為に、受けてくれることになったんですっ……」
どちらかというのなら“セオドア”は、本来はこういうの、絶対に苦手なタイプなのに、私の為を思って受けてくれていたから……。
それで、セオドアが皆から不思議に思われて、責められるようなことがないようにと、一生懸命、声を出す私に。
「ジェルメールと、お姫様のため……?」
と、ルーカスさんが首を傾げて、私の言葉に反応して質問をしてくれた。
そのことに、話の矛先がまた私に戻って、ホッと安堵しつつ……。
「はい。……えっと、ジェルメールのデザイナーさんの交渉が上手くて、丸め込まれたっていうか……。
その、っ……私がモデルになって……。
もしも仮に、その年のベスト店舗賞にジェルメールが選ばれたら、私のイメージアップにも繋がるから、って……」
と、みんなに事情を説明していたら、何だか更に恥ずかしさが込み上げてきてしまった。
ジェルメールのデザイナーさんは、今年こそベスト店舗賞に選ばれることを目標にしていて、洋服作りにあんなにも情熱を傾けているのに。
私自身、モデルとしての自信みたいなものは一切ないから、段々と『役不足なんじゃ……』と思えてきてしまう。
私の発言に、合点がいった様子で、ルーカスさんは『成る程ね、そういうことか……』と頷いてくれたんだけど。
本当に自分に『ファッションショーのモデルが務まるのかな……』と、不安に思う気持ちが出てきてしまって、少しだけ、しょんぼりしながら、俯いていたら……。
「確かにそのテーマなら、アリスの騎士でもあるお前が適任者扱いされても不思議ではないな」
というお兄様の声が聞こえてきた。
それから……。
「確か、あの大会って、部門別に分かれていたはずだけどさ……。
毎年、どの部門に関しても、王都中の店舗が集まって、市民も巻き込んで熱いバトルが繰り広げられるんだよね?
市民達が、お祭り騒ぎに盛り上がって、結構、熱狂しているイメージがあるんだけど……」
と、いうルーカスさんの声が聞こえてきて、私は内心で『そんなにも、凄い大会だったの……?』と思いながら、ドキドキ、ビクビクしてしまう。
「オイっ。
姫さんを不安にさせるようなことを言うんじゃねぇよ。……です」
「……お兄さん、俺はそれで、誤魔化されないよ……っ?」
そうして、ルーカスさんのジトっとした目つきに。
私のことを思って声を出してくれた、どこまでも、しれっとした様子のセオドアを見ながら……。
何か言われるかもしれないと思ったけれど、とくに、そこまで大袈裟に反応をしないところを見ると……。
お父様自体、割とそういうのに寛容で。
仕事をきちんとしていれば、と思ってくれるタイプの実力主義の人で本当に良かったな、と思う。
セオドアが、いつも、私のことを考えて行動してくれているのが分かっているだけに。
極力、お父様にもそうだけど、敬語をあまり喋れないというだけで、その評価が下がるようになってしまうのだけは避けたいと感じるし。
こういうのって、きっと、本来なら主人である私がきちんとしないといけないんだよね。
ローラもそうだけど、私にとって、身の回りにいてくれる人は『大切な人』で……。
あまり、セオドアとは『主従』という、カッチリと縛られてしまうような関係を築きたくないと思っていたけど。
前にデビュタントの時に、お兄様やテレーゼ様の主治医であるバートン先生にも指摘されたように、セオドアとは、今度一緒に、2人で言葉遣いの勉強をする時間を取ってもいいのかもしれない。
私自身にはそのままのセオドアで接して欲しいと思うけど、これからセオドアが外に出た時に必要以上に嫌な思いをしないためにも……。
私が、内心でそう思っていたら……。
「まぁ、ベスト店舗賞に関しては国が選出する訳ではなくて、あくまでも市民参加型であり、シュタインベルクの国民の投票で、その年の優秀店舗が決まるものだからな。
どうしても、熱狂的になるのも、盛り上がるのも、仕方のない部分はある。
普段、娯楽に飢えている市民達のガス抜きのためにと始めた大会だが、国の政策としては功を奏しているだろうな」
という、お父様の真面目な声が聞こえてきた。
「一般市民からの投票で全てが決まるため、誰もそこに介入することは出来ず、勿論、不正などは一切行われることのないきちんとした大会だ。
それ故に、ベスト店舗賞に輝けば“その年の顔”として、注目されることは間違いないだろう。
お前の髪色のことで何か言ってくる連中もいるかもしれないが、出場する以上は、ベストを尽くして頑張りなさい」
そうして、前にジェルメールのデザイナーさんに言われたことと、似た様な言葉をお父様にかけてもらって、私は内心でドキドキしながらも『はい、お父様……』と、こくりと頷き返した。
それだけ大きな大会だとは、今の今まで夢にも思っていなかったし……。
今も、自分にモデルが務まるのかという不安な気持ちがない訳じゃないけれど。
出場する以上は、ジェルメールにも、一緒に出てくれるセオドアにも迷惑をかけないよう、一生懸命、自分に出来る限り、頑張りたいと思うから……。
みんなが見に来てくれることについては“少し恥ずかしい……”と思いながらも、私がお父様へ向かって『頑張ります』と声を出していれば……。
「うむ……。
建国祭では、美味しい物を売っている屋台も沢山出るのであろう?
今から、凄く楽しみで仕方がないのだが……っ。
アリス、ファッションショーとやらだけではなくて、期間中、絶対に僕と一緒に屋台を見てまわろうなっ!」
と、アルが私に向かって、はしゃいだ声を出してくれた。
場の空気を一気に明るくしてくれるようなアルの言葉に、私自身凄く救われるような気持ちになって、癒やされながら『……うんっ』と返事を返したら。
「あー、アルフレッド君に先、越されちゃったか……。
俺も、建国祭の時にも、お姫様に、デートのお誘いをしようかと狙ってたんだけど」
という、本当にそう思ってくれていたのか……。
それともリップサービスでそう言ってくれたのか分からない、茶目っ気たっぷりなルーカスさんの言葉が聞こえてきたあと。
「……オイ。
お前、建国祭みたいに人が多い状況で、表立って、アリスを連れ回すつもりなのか?
あり得ないだろう? 冗談でも何を考えているんだ?」
と、お兄様の声が聞こえてきたのと。
「……ルーカス。
お前が、今後、アリスとデートをする時は、必ず私に許可を取るようにな……?」
という、お父様の低い声が聞こえてきて、びっくりしてしまった。
それでも、さっきお母様の話題を出した時に比べたら、随分と場の雰囲気が、柔らかく和やかになっただろうか……。
何て言うか、セオドアやアルやお兄様、それからルーカスさんも傍にいてくれるからかもしれないけど。
こうして賑やかな雰囲気でお父様と話せることって今まで、あまりなかったから……。
――凄く新鮮だし、嬉しいな……。
内心で、ほっこりとした気持ちになりながら、いつまでもこうして話していたいけど、お父様は多分忙しい仕事の合間を縫って時間を作ってくれているだろうし。
この後、ルーカスさんがデートをするために、予約を取ってくれたであろうカフェの時間もあるだろうから、あまり長居は出来ないだろう。
私は、みんなの話に耳を傾けながら、そろそろ出た方が良いんじゃないかな、と……。
確認するように、ルーカスさんへと視線を向けた。