304 遠い過去の記憶
「あの、お父様……。
婚約の話とは、全然関係のないお話になって申し訳ないのですが、もうすぐ、建国祭があると聞いて……。
私自身、参加しなければいけないパーティーや催し物などはあるんでしょうか?」
私が“建国祭”について、お父様に向かって声を出せば、虚を衝かれたように目を見開いたお父様が……。
「あぁ……。そういえば、何もかも、お前にとっては初めてのことだったな」
と、声をかけてくれた。
――お父様にしては珍しく、その事を失念していたのだろうか……?
ただでさえ、日頃から仕事人間で忙しいお父様だから、そういうのを説明すること自体、忘れていても何ら可笑しくはないし……。
こういうのって、本来なら、お母様に教えて貰うことだったりするんだと思う。
もしくは、側近の侍女達という可能性も……。
ただ、私の場合、傍に付いてくれている人が、新米の侍女だった頃から私にしか仕えてこなかったローラと、まだまだ新米の侍女であるエリスのみだから。
どっちも、建国祭について、私に教えてくれるだけの詳細な知識を持っていなかったんだよね。
一応、ローラも、建国祭で開かれる催し物の内容については、多少、分かる部分もあって……。
この間、セオドアと一緒に教えてくれたんだけど、私がどこまで参加すればいいのかについては『詳細には把握出来ておらず、本当に申し訳ありません』と、平謝りされてしまった。
別にローラが悪い訳ではないので、そのことに関しては全然問題ないし。
何なら今まで私に付いていたローラより年齢も立場も上の侍女達が、伝えるべきことを一つも伝えてこずに、こういう時“いかに仕事をしていなかったか”ということが、浮き彫りになってしまっただけなんだけど……。
「そうだな……。
お前が、絶対に参加しなければいけないものは、建国祭の初日に行われる開会式に、皇族全員が揃うパレード、騎士達など国の為に日頃から働いている功労者に贈る勲章の授与式もだ。
後は、この間、デビュタントも終えて、既に社交界に参加出来る資格を有していることから、有力者が開く夜会にも幾つかは、参列しなければいけなくなるだろうな」
そうして、少しの間、思考を巡らせながら……。
今、パッと思いつくものを挙げてくれたのだろう。
お父様からそう言われて、事前にある程度ローラやセオドアから聞いていた内容と、そこまで大きく変わらなかったことにホッと安堵しながらも。
私自身が、色々と行事に参加しなければいけなくなりそうなことには変わりがなくて……。
『何だか、大変そう……』と内心で思いつつも、私はお父様に向かってこくりと頷き返した。
「そうなんですね……」
「……あぁ。
既に、お前宛てに届いている招待状も幾つかあった筈だ。
だが、まだまだ年齢的にも、お前1人で判断出来るようなものではないし。
お前が行かなければいけない夜会に関しては、私が決めた方がいいだろう。
ハーロックに、お前が絶対に参加しなければいけない催し物と合わせて、追って通達させるように手配しておこう」
「あ、ありがとうございます……っ!」
それから、お父様にそう言って貰えたことで……。
『お父様の執事でもあるハーロックが、リストアップしてくれるのなら安心だな……』と、私は一先ず胸を撫で下ろした。
というか、今の今まで全然知らなかったんだけど。
自分の関与していない所で、建国祭の時に開かれる夜会について、既に幾つかは、私にも招待状が届いていたんだなぁ……と、思う。
――やっぱりこの間、皇族として、デビュタントを執り行ったのが大きいのかな……?
その辺り……。
巻き戻し前の軸の時のことを考えると、私に来る招待状って、私を裏で操りたいタイプの人達から送られる面倒なものが大半で、本当に碌なものじゃなかったし。
そもそも、巻き戻し前にデビュタントさえして貰えていなかった私は、今回の軸みたいに、正式な手順を踏んだ招待状が送られてくること自体、初めてだから、何だか緊張してしまう。
前にエヴァンズ夫人から誘われたりした時みたいに『御茶会』の誘いや。
年が近いというだけで、アルも含めて『婚約者候補』として、自分の子供と是が非でも引き合わせたいと熱望するような手紙は、今までにも届いたことがあるけれど。
それらに関しては、私の年齢が考慮されていて、基本的に、昼間に開かれるものだけだったから……。
それに、夜中のパーティーといえば、巻き戻し前の軸、誰にも喋りかけることすら出来ず。
誰かに喋りかけられることもなく……。
基本的には腫れ物扱いで、ずっと壁に寄りかかって飲み物の入ったグラスを持ったまま、無心で時間が過ぎていくのをただ待つだけの苦痛な時間を過ごした、嫌な記憶が蘇ってくる。
たまに、私に喋りかけてくる人がいたと思ったら、少しだけ自分より年齢が高い貴族の令嬢達からの侮蔑が混じったような、クスクスとした笑い声とか。
あとは、何とかして私に近づきたいと思ってるような、貴族の人ばかりで……。
当時は、周りにいる全ての人が敵だと感じてしまっていたから、誰とも喋れる人がいなくて、本当に辛かったんだよね……。
そもそも、私自体も、もう少し勇気を持って誰かに話しかけたり。
『きちんと、人脈を作ったり努力しなければいけなかったんだろうな……』というのは凄く感じているんだけど、その切っ掛けも中々、自分では掴めなかったし、世間の私に関する評判も最悪だったから、何にも出来なかった。
だから“今度こそ”は、ほんの少しでも話せると良いなぁ、と感じるし……。
誰か近しい感じで、お友達になってくれるような人がいれば嬉しいなって思うんだけど。
現在の私の年齢的に、どうしても周りは年上ばかりの状況で、パーティーに参加することになってしまうと思うから、今の状況で友達を作るのは多分、難しいんだろう、な……。
基本的にシュタインベルクの貴族で、小さい頃からパーティーへのデビューが許されている人は、皇族以外だったら、皇族に準ずるとされている公爵家の子供とか、皇族と幼なじみの間柄で一緒にデビューが許された場合のみに限られる。
前者は“お母様”がその立場で。
後者はウィリアムお兄様と一緒にデビューが許されていた“ルーカスさん”とかになるだろうか。
後は、貴族間同士、小さな頃から友達として関わりのある子供たちが、誕生日会の行き来をしたり……。
親同士に繋がりがあって、比較的、身内のパーティーで、子供同伴でもOKな場合など特定の状況でのみ、パーティーへの参加も許されているけれど。
我が国での『きちんとしたデビュー』に関しては、みんな成人する16歳前後になる。
私の場合は、年齢的に近い友達もいないから、誕生日会などに行くことも出来ないし。
そういう意味でいったら、本来は、今も送られてくる婚約者候補や、友達候補の手紙の中から、良さそうな家のお誘いを受けた方がいいのかもしれないとは思うんだけど……。
どうしても、それらのお誘いに二の足を踏んでしまうのは、巻き戻し前の軸の時のことも考えたら、誰が敵で、誰が信用のおけそうな人なのか、正直に言って、今の段階では判別がつきにくいからだった。
後は、身近に、そういった話を気軽に聞ける人がいないというのも、それに拍車をかけていると思う。
ルーカスさんと一緒にデビューをしたウィリアムお兄様はともかく、ギゼルお兄様はアズを初めて出来た親友だって言ってたくらいだから、他の人との交流は今も持っていないはず、だよね……?
私と同じように、公爵家の娘として10歳の時に、デビューしたお母様はどうだったんだろう?
その辺り、お父様に聞いても良いものなのかどうか分からなくて、私が物思いに耽っていたからか……。
「アリス? ……どうした?」
と、お父様に声をかけられて、びっくりした私は、思わず肩を震わせてしまった。
「いえ……。そのっ、なんでもありませ、ん……っ」
そうして、あたふたとして、条件反射のように取り繕って声を出せば。
そんな私を見ながら、眉を寄せたお父様から。
「何でもないということは無いだろう?
思いついたことがあるなら、どんなことでもいいから、正直に話してみなさい」
と、そう言われて、私は返事に困って『……あ、う……、』と声を出したあとで……。
隠しても仕方がないから、正直に今、自分が思ったことを話すことにした。
「あのっ……、えっと……、人脈を広げる意味でも、親しい友人を作ったりした方がいいのかと思いまして……。
ウィリアムお兄様は、ルーカスさんと一緒にデビューをしたんですよね……?
お母様の時は、どうだったのかな、って、ちょっとだけ疑問に思って……」
そうして、1人縮こまりながら、お父様に向かって声をかければ。
私の口からお母様のことが出たのが、そんなにも予想外のことだったのか……。
お父様どころか、この場にいる全員が固まって、どこか張り詰めたような空気感になるのを私自身、肌で感じ取ってしまう。
何も考えずに、思ったことをありのまま発言してしまったけど。
多分、みんな……。
私が10歳の時に起きてしまった『拉致事件』のことを、気にしてくれているんだよね……?
私自身は巻き戻し前の軸の時から考えても、体感的には大分時間が経っているけど、みんなからすると、私があの事件に遭ったのは、本当につい最近のことだと思っているだろうし。
ローラや、ロイも含めて、今も、あの時のことで、私がかなり精神的に傷を負っていると思っている節があるのは感じていたし……。
あの事件以降、お祖父さまとは少しお母様のことについて話したりしたけれど、今まで、お父様がお母様についてどう思っているのか、恐くてその話題には触れないようにしていた自覚はもの凄くある。
だからこそ、私がここでお母様のことについて触れたのが、意外だったのかもしれない。
「あ、あの……、答えにくい、質問をして、その……っ、」
あたふたとしながら、取りあえず謝った方がいいのかも、と……。
『……申し訳ありません』と言いかけた所で。
「いや。……お前の母親の場合は、そうだな。
10歳の時にデビューをしていたが……。
親しい友人などはおらず、やはり周りは大人だらけの中、過ごしていたと思う」
と、お父様から、きちんとした返答があって、私は驚きに目を見開いた。
「そ、そうなんですね……」
まさか、ちゃんとした回答を貰えると思ってなかった分。
直ぐには、それ以上の言葉が出てこなかったんだけど……。
「幼い頃は、天真爛漫によく笑う子供だった。
だが、いつの頃からか、笑うこともなくなって、日に日に荒れるようになっていってな。
皇后という役目そのものも、私のことについても嫌っていたんだろうし、私自体も、お前のことも含めて、きちんとアイツのことを見てやれていなかったんだ」
そうして、思い出話のように、遠い目をしながら……。
少しだけ、後悔の滲んだような声色で、お父様からそう言われて、私はびっくりしてしまう。
私の記憶にあるお母様は、病弱であると、自室に籠もりがちで……。
いつ見ても、どこかアンニュイで、もの悲しい表情を浮かべていて、決して、天真爛漫に笑うような人ではなかった。
体調の良い日は庭に出たりもしていたけれど、それでも、活発に動いたりしている姿を見たこと自体、私にはなくて……。
お父様の語るお母様の像が、まるで自分の記憶とは合致しないことに、お母様は過去、どんな風に過ごしてきたんだろう、と……。
つい、1人、思いを馳せてしまう。
それと同時に、お父様がお母様に嫌われているのだと思っていることにも、私からすると、びっくりで……。
私の中のお母様って、いつもその瞳が私の方を向くことなんてなくて、お父様の方にだけ視線を向けていたと思っていたから、余計。
【もしかして、2人の間に、何か行き違いみたいなものがあったんだろうか……?】
――それとも、私が知らないだけで、お父様の言うようにお母様はお父様のことを嫌っていたのかな?
内心で、戸惑いながら、そう思っていると……。
「今、思えば、その立場上、どうしても敵は多かっただろうな。
10歳という若さで社交界にデビューしてから、周りにいる人間達に揉まれて、生まれる前から課せられていた皇后という重圧に耐えきれなくなってしまうのも、仕方がなかったのかもしれない」
と、お父様からそう言われたことで、私は一度、頭の中でお母様のことを考えるのを止めた。
巻き戻し前の軸、きちんとしたデビューはしたことがないにせよ、私自身が社交界に出るようになった頃……。
周りの人の目は、決して温かく優しいものではなかった。
クスクスとした侮蔑の混じったような笑い声、話される有りもしない自分の捏造された悪い噂話。
近寄ってくる人間は、誰しもが自分のことしか考えていないような利己的な人ばかりで……。
時には耳を覆いたくなるようなものも、その場から一刻も早く立ち去りたいと願ったこともある。
もしも、お母様もそういう目に晒されて生きるしかなかったのなら、きっと私と一緒で、バーティーは地獄そのもので、一生抜け出すことの出来ない監獄のようなものだっただろう。
自分が一度、経験してきたからこそ……。
同じ立場に置かれているかもしれなかった“お母様のことを思う”と、複雑な気持ちになってしまう。
そうして、私の目から見たお母様はお父様のことだけを見つめていて、嫌っている様子は無さそうだったけど、な……。
ということを、お母様に嫌われていると思っているお父様に私の口から伝えるのも、何て言うか変な気がして……。
私自身も、お母様が今までどういう風に思いながら生きてきたのか、知らない分。
それが、本当に正解だったのかどうかも分からなくて、何て言ったらいいのか分からず、結局、オロオロとした挙げ句、口を閉じてしまう。
「確かに友人付き合いは大事なことだとは思うが、どうしてもお前の立場上、対等な関係とは言いにくい状況になってしまうだろうからな。
……お前が、誰かとそういう関係になりたいと言うのなら、その候補を選んでやることは出来るが。
今、あまりそういう気持ちになれないのなら、無理をしてまで作る必要はないと私は思っている」
そうして、私が黙ってしまったのを見て、この場にいる全員の視線が私の方へと向いたのを感じながら……。
お父様から、そう言って貰えて、私はこくりと頷き返した。
確かに、自分が皇女である以上は、何の縛りもないアズとギゼルお兄様のような対等な友達という関係を作ることはきっと無理だろう。
あれは、ギゼルお兄様がフランクな人で、尚且つ、アズがスラムで暮らしている人間だからこそ成り立つものであって……。
私と貴族の令嬢が友達になっても、やっぱり、そこに上下関係のようなものが出来てしまうことは避けられないと思う。
普段はあまり感じることがないけれど、ウィリアムお兄様とルーカスさんのように……。
それは多分、自分の年齢が上がれば上がるほどに『実感していくんだろうな……』って感じるから。
そこに関しては、素直に頷けるものだった。
それに私自身、どうしても友達が欲しいかと言われれば、そうではなくて……。
話せたり、友人になれたら嬉しいなっていう気持ちはあるものの、何となく『親しい人を作らなければいけないんじゃないか……』という気持ちからくるものだと自分でも今、はっきりと理解していた。
それに、とりあえず、今は……。
お母様の話題を出してしまって、重たくなってしまったこの場の状況を早急に何とかしなければと内心で焦る気持ちの方が強くなっていて。
私は逸る気持ちを抑えながら、さっと話題を変えることにした。
そうして……。
「あのっ、そう言えば、この間、ジェルメールに行ったんですけど……。
その時、建国祭で、ファッションショーのモデルにならないかと誘われてお受けすることになったんです」
と……。
なるべく、明るい話題を……、明るい話題をっ……!
と、強く意識した結果、セルフで自分自身に『話題の転換、下手くそか……っ!』と、突っ込みを入れたくなるくらい、残念な方向転換だったと思うんだけど。
私の拙い喋り方に、特に誰も突っ込みを入れることなく。
寧ろ、何だか温かな視線を向けてくれて、話を聞く態勢になってくれたことに、有り難いやら、穴があったら入りたいような恥ずかしい気持ちが湧き出てきたものの。
『こういうのは、勢いが大事っ……!』と、私はとりあえず、そのまま続けて喋ることにした。
「それで、その……っ。
それとは、別で、ジェルメールが今、近隣に出来たライバル店から営業妨害を受けているみたいなんです。
その際、私の名前が勝手に使われているみたいで、ジェルメールを助ける意味でも、皇室から正式に抗議することは出来ないかと思いまして……」
そうして、捲し立てるように、テンパりながらも早口で、一息にお父様に向かって事情を説明すれば……。
お父様は私の方を見ながら、少しだけ眉を寄せつつも、直ぐに頭の中で、私が今、説明したことについて思案してくれているみたいで思わずホッとしてしまった。