300【セオドアside】
普段から底なしに優しいとはいえ、ほんの少し戸惑った様子ながら、まるで遺恨も何も感じさせないくらい……。
アズの姿で、第二皇子に接する姫さんの姿を見て、俺は孤児院の壁に寄りかかったまま、眉を寄せた。
デビュタントで第二皇子から謝罪されたっていうのは、勿論あるんだろうけど……。
さっき、孤児院の中で……。
血が繋がっているのかどうかは分からねぇが、兄妹っぽい子供が無邪気に走っていった時の姫さんの顔は確かに、それを羨ましいと思うような感情が浮かんでいたと思う。
皇族でもある姫さん達、兄妹の中で、実際は第一皇子も元々赤を持って生まれてきているにも関わらず……。
未だに、皇族の中で唯一、姫さんだけが赤を持っていると世間的には思われているし。
皇宮の中は、そこで働く色々な人間の思惑なんかが渦巻いて交差する場所だ。
決して、快適に過ごせる程、生易しい場所ではなく、常に自分だけが優位に立とうとするようなドロドロとした誰かの感情が複雑に入り交じっている。
姫さんの護衛騎士になる前に、騎士団に所属していた頃の俺ですら、やっかみだとか、そういう“いざこざ”みたいな物に巻き込まれることがあって、そう思うんだから……。
もっと、宮廷貴族やらも含めて、国の中枢に関われば関わるようになる程、そういう物に巻き込まれやすくなってしまうだろう。
人の目も多く、俺自身も経験したことはないが、普通の一般的な温かみのある“家族だけ”の生活が送れない場所で。
特に姫さんは、持って生まれてきた抗いようもない見た目の所為で、必要以上に周囲から今まで蔑まれて生きてきているから。
本当に欲しいものも、その願いも……。
その欲求を感じた瞬間に、自分には相応しくないだとか、『願うことすらいけないこと』だと我慢して、手放そうとしてしまう。
最近になって、皇帝や、第一皇子とは大分打ち解けて、和解してきたから、それに関しては良いことだと思うが……。
本来の家族に向けられる愛情面でいったら正直なところ、それでもまだまだ足りないくらい不足しているんだと感じてしまう。
特に、皇帝も第一皇子も、似た様な雰囲気で、今ひとつ、考えていることが表に出てこずに分かりにくいタイプだし。
どちらにせよ、姫さんに対して思うことがあるんなら、ストレートに表現してやれれば、また違うだろうに、どいつもこいつも、とにかく、アプローチが下手すぎるんだよな……。
最近になって、第一皇子は、かなり、マシになった方だけど。
アルフレッドみたいに、素直に考えていることが表に出てさえくれれば、多少は姫さんも甘えやすくなるかもしれねぇのに。
まぁ、それだけじゃなくて“皇族”という特殊な生まれという意味でも、存在そのものが公に出なければいけないという立場上、どうやったって全員、普段から公私の私の部分なんてあってないようなものだし。
そういう意味でも、やっぱり普通の絵に描いたような家族の関係が持てるとは到底、言いにくいだろう。
実質的には、一人一人が、本当に心が落ち着けるような、プライベートな時間なんてないと言われればそうなのかもしれない。
だからって訳じゃねぇけど、姫さん自身も、今まで自分が置かれてきた環境から、甘え下手で、その欲求を出てきた瞬間に、上手く取り繕って隠そうとしてしまうし。
複雑に入り組んだ誤解が雪解けして……。
急に、本当の家族のように和やかなものになっていくってのは、きっとどうやったって無理で、どうしても“そこ”に時間はかかってしまう。
そうして、どんなに叶えてやりたくても、俺じゃ、そういった姫さんの家族に対する願望を叶えてやることは出来ない。
俺が姫さんの本当の家族っていう訳じゃねぇのは、勿論のこと……。
俺自体も昔から家族の愛ってものには飢えて生活してきてるから、どういう風にしてやれば一般的な“家族”みたいな愛情を注いでやれるのか、っていう所は正直言って分からない部分の方が大きい。
だから、第二皇子が改心したんなら、第一皇子と一緒で『アズじゃなくて、姫さんのことをもっとちゃんと見てやってくれ……』っていう想いが強いんだけど……。
第二皇子の性格上、中々、素直になれなさそうだし、やっぱり難しいんだろうかと、盗み聞きしておいてなんだが、こっちが勝手にやきもきしてしまう。
今、改めて、二人の会話や遣り取りを聞いてても思うけど。
アズに対して……、自分の親友に対して向ける“感情”の、たった一部分だけでもいい。
【その感情を、姫さんに対して向けてくれたなら……】
それだけで、ほんの少しでも何かが変わるかもしれないのにと、こうして期待するだけ、無駄なんだろうな……。
正直、姫さん自身が、アズと第二皇子の親友同士の関係を壊したくなくて。
自分の正体を第二皇子に知られたら“どうなるのか”、恐くて言い出せないんだと思うんだけど、その気持ちは俺にも理解することが出来る。
今まで、周囲にいる殆どの人間から“自分の存在そのもの”を強く否定されて生きてきたんだ。
心の弱い部分を刺激されて、全てを正直に話してしまった時、今ある状況が、明るく全て好転して上手くいくだなんて……。
想像でも、そんな、楽観的なことは思えないし。
真実を知った時、どんな反応をされるのかと、恐れや不安が先に出てしまうのも当然だと思う。
だからこそ、第二皇子に対しても、このままアズとして嘘を吐き通すと決めたんだろう。
本当に欲しいものから“目を背けながら”も、兄妹としてではなく、親友として、今ある第二皇子との関係性を壊したくないという姫さんの気持ちが痛いほどに分かるから……。
親友に対して接しているつもりで、別にこの件に関して“悪気がある訳じゃない”と分かっていながらも、俺は、何も知らない第二皇子に対して僅かばかりの怒りが湧いてきて、小さく唇を噛んだ。
――俺がもし、姫さんの本当の兄妹だったなら、絶対に姫さんのことを悲しませない。
自分に出来る最大限の感情で、大事にするし、愛情を注ぐつもりだ。
不安な夜があるのなら、その度に落ち着くまで抱きしめてやるし……。
自分に自信がないのなら、姫さんが理解してくれるまで、どんなに姫さんが優しい性格をしているのかとか。
どれほど、そのお蔭で救われている人間がいるのか、とか。
例え世界が敵に回ろうとも、俺にとっては姫さんが“唯一無二の大切な存在”なんだって、毎日、語って聞かせる。
誰かにとっての特別になりたいと思っても……。
その人にとっての特別じゃないと知ったときの虚しさは、きっとその状況になった人間にしか分からないだろう。
それが、家族に対する親愛であるにせよ、仲間に対するものであるにせよ、たった一人の特別な関係としての愛情であるにせよ。
俺も姫さんと出会うまでは、実の母親にすら“いい加減”で蔑ろにされてきたし、何処に行っても、余所者扱いだったから、分かる。
そういう意味では、第二皇子にとっての“アズ”は、たった一人の特別な友人にカテゴライズされるはずだ。
……でもそれは、あくまでスラムの情報屋としてのアズであり、皇女としての姫さんに対するものじゃない。
どんなに、姫さんが第二皇子に心を砕こうとも……。
それはまるごと全部、アズの手柄になって、姫さんに対しては何一つ残らない。
『それで、本当にいいのか……』と思ってしまうのは、俺が姫さんのことを誰よりも大切に思っているからだと思う。
それと同時に、俺自身、自分が今まで大切にされてこなかった生き方をしてきたが故に、1人で生きて行くことの孤独や苦しみを知っている分……。
姫さんには、同じ思いをして欲しくないと感じてしまう。
――俺にとっての姫さんは、いつだって、たった一つの希望だ。
それは、姫さんが俺に対して居場所を作ってくれたから、だとか。
普段から優しく愛情を向けてくれるからというだけではなく……。
姫さんが、常日頃から、赤を持つ者に対して自分に出来ることはないか、どういう風に動けば良くしていけるのかと頭を悩ませてくれているのを知っているからだし。
皇族という人の上に立つ人間で、立場のある姫さんが、周囲から大切にされていることで、俺自身がガキの頃から叶えられなかったものを一つ一つ、傍で感じることが出来るからだと、思う。
要するに、勝手に姫さんの幸せを願うことで、それが叶っている状況を傍で体感していたいという、身勝手な気持ちの押しつけのような物だ。
それでも、いつだって、自分の事はお構いなしに周囲のことを気に掛けてくれる姫さんだからこそ。
他の誰よりも幸せでいて欲しいと願うのは、決して見当違いのものではなく……。
もしも仮に、俺と同じ立場で姫さんの傍にいることになった人間が他にもいたとしたら、絶対にソイツも俺と同じことを思うだろうなっていう自信がある。
【まぁ、だからといって、今の俺に出来ることなんざ、本当に限られてんだけど……】
――だからこそ、悔しい気持ちも同時に湧いてくる。
それが、もしも、どうしようもないくらい相性が悪くて、お互いに折り合いが付かず、忌み嫌い合うような状況になってしまってるんならまだしも……。
過去に、あれだけのことを言われてきても、姫さんは全てを赦してしまえるような優しさを持っているし、第二皇子のことを本当に心の底から嫌っている訳でも無い。
第二皇子が、第一皇子の秘密を守りたいが故の暴走と……。
周囲の意見を信じ切って、姫さんの事を、勝手にこうだと決めつけて攻撃してきたことに対して、俺自身、まだ思う所がない訳じゃないが。
それでもアズに向ける感情も含めて、第二皇子の素の部分を見てると根っからの悪い人間って訳じゃないだろう。
だから、何かが上手く噛み合えば本当にすんなりと事が運びそうなのに。
兄妹っていう、例え半分であろうとも、確かに血の繋がりがある状況の中で、色々と姫さんと家族の関係を見てきた上で……。
もしも、俺が同じ立場だったなら、姫さんと『こういう距離感で接するのに……』って、思うことが多すぎる。
そうして、兄という立場でそれが許されているにも関わらず。
デビュタントの時に少し謝ってきただけで……。
現状、姫さんと向き合う時間も、歩み寄る時間も、自分からは積極的に作ろうとしないように見える第二皇子を見ていると、どうしても複雑な気持ちと“もどかしい気持ち”が湧き出てくるのを抑えることが出来なかった。
姫さんの感情が手に取るように分かるだけに、俺が姫さんに肩入れしてしまうっていのは自分でも自覚してる。
それと、もう一つ……。
姫さんから、家族として本当は仲良くしたいと想われているのに、それを素直に受け入れることが出来ない第二皇子の不器用さが多分目に付くんだと思う。
俺が幾ら、ここでやきもきしながら頭を悩ませたって、本人達次第だから、口を出す訳にもいかねぇし……。
家族のことに関しては、本当に難しい問題だなって、改めて痛感する。
俺自身、ガキの頃に母親から育児自体を放棄されてきた人間だから分かるけど、自分の中でどんなにその感情を一切なかったものとして折り合いをつけて、前に進めたつもりでいても……。
時折、ふとした瞬間に、心の奥底の、愛情に飢えたガキの頃の俺が顔を出すことがある。
そうして、それが無意味な物だと内心で分かっていながら、良い方向に期待しちまうんだ。
もしかしたら、俺のことを、棄てたくなかったかもしれない……。
母親の立場上、金銭的な面で仕方がなくて、本当は、状況が許せば、今も、一緒にいてくれたかもしれない……。
そうだったら、俺は……、って。
――愛情なんざ、これっぽっちも、一度も向けられたことがねぇのに、な?
俺自身、未だに、家族からの愛ってものを、本当の意味では捨て切れていない。
叶えられなかった願望だけを、ぎゅうぎゅうに押し込めて『もう二度と出てくんなよ』って、すっぱり切り離して捨てたつもりでいたとしても。
何もない時に、フラッシュバックするかのように、思い出すことがある。
やった方は覚えていなくても、やられた方はいつだって、何年経とうが傷になって残っちまうものだ。
【それを、これから先も永遠に、一生、縛られたままでいるなんて馬鹿らしい】
そう、思うだろう……?
俺自身が一番、そう感じている筈なのに、過去の記憶なんてものは簡単には消えていかねぇし……。
ちょっとでも向けられた、一瞬の優しい横顔だとか、機嫌の良い日に優しくされただとか、そういうことですら頭にこびりついて覚えていて……。
『もしも……』だなんていう、ありもしねぇ幻想が、ひょっこりと顔を出す。
そうして、その度に、痛みがぶり返しては、自分の内面を鋭利に傷つけていく。
トラウマなんてもんは、人それぞれだとは思うが、一度、心の奥深くに根付いた物は、いつまでも太ぇ顔して、しぶとく居座りやがる。
自分のコントロールで、俺が思う瞬間に一切合切、何もかもを手放せれば、きっと楽なんだろう。
……だけど、そういう訳にはいかないのが、現状で……。
結局いつだって、捨てたつもりの物が、影のようになってヒタヒタとぴったり自分の身体に纏わり付いて離れていかない。
今はマシになった方だけど、姫さんが夜に魘されることがあるのも、それと同じことだろう。
どんな、悪夢を見て、何に怯えているのか、俺には今も分からない。
姫さんの過去を思えば、俺ですら、心当たりは山のようにある。
……でも、だからこそ、姫さんには幸せになって欲しいと思う。
――自分を犠牲にした生き方をして欲しくない。
今まで、人から傷つけられた分以上に、きちんと周囲から愛されて、大切に思ってくれる人間の傍で心穏やかに過ごして欲しい。
そう思うのは、きっと、俺のエゴなんだろう……。
自分が叶えられなかったものを、誰かに投影しているって意味では、今の姫さんと一緒かもしれない。
俺が頭の中で色々と考えている間にも、自分の耳に流れてくる第二皇子と姫さんの会話は大分、終盤に差し掛かっていて……。
互いに別れの挨拶とも取れるような遣り取りを交わしたあと、第二皇子が部屋の中に入るそのタイミングで、アズに対して、外に出るよう提案してくれているのを聞きながら……。
俺は、今、頭の中で考えていた事を、スパッと切り替えて……。
自分もそろそろ動かないといけなくなるな、と思いつつ、今の今まで自分の背を預けていた壁から離れて、一瞬だけ、姫さんと第二皇子がいる廊下の方へと視線を向ける。
その瞬間、仮面越しの姫さんと視線が合って、思わず本音の部分が抑えきれず『……本当に、これで良かったのか?』と問いかけるような視線を向ければ……。
姫さんはこくりと、頷いたあとに、俺から意識を外して、出口のある方へと視線を向けて第二皇子の背を追いかけていく。
仮面をしている所為で、その表情は見えないけど、兄妹としてではなく第二皇子の親友として向き合うことに『本当にそれでいい』と、すっぱりと諦めているような穏やかな顔をしているんだろう。
……姫さんがこの関係に納得しているんだとしたら、これ以上、今の俺に出来ることは、何一つない。
一つずつ、小さな一歩かもしれないが、確かに状況は良くなってんだ。
それが例え、姫さんに向けられるものではなく、アズという架空の人物に向けられる感情だとしても。
だけど、願わくば……、と、そこまで考えて思考を止める。
誰かに期待するくらいなら、自分で動いた方がよっぽど建設的だ。
人を変えることは中々出来なくても、自分を変えることなら直ぐに出来る。
それと同じで、誰かの想いを変えることは無理でも、俺自身の想いは俺だけのものだ。
姫さんにしてやりたいことがあるのなら、俺が可能な限り、寄り添って叶えてやればいい。
それが、例え、家族という関係性で見た時には、傷の舐め合いみたいな擬似的なものだったとしても……。
俺は小さくなっていく二人分の背中を遠巻きに眺めながら、小さく溜息を溢し、第二皇子が子供のいる部屋に入っていくまでの、その瞬間をそっと見届けることにした。










