296 スラムで救った子供たち
『アズ』と懐かしい名前を呼ばれて、口元を緩めながら、その質問に肯定するように頷けば。
「やっぱりっ……! そうだと思ったんだっ!」
と、パァッと一気に表情を明るくしたスラムで4番と呼ばれていた男の子が此方に駆け寄ってきてくれた。
そうして、ぎゅっと、腕を掴まれたかと思ったら、そのまま……。
「ねぇ、早くっ……! こっちに来てよっ! みんな、ずっとアズに会いたいって思ってたんだっ!」
と、ぐいぐいと引っ張られて。
私はそのまま、縺れそうになる足を引きずりながら、彼に誘われるようにして、なし崩し的に孤児院の一室に入ることになってしまった。
室内に入ると、貴族の人たちからの寄贈で賄われているんだろう、玩具などが沢山、置いてあったり、子供たちがのびのびと遊べるような広いスペースが確保されているのが目に入ってくる。
それから、スラムで出会った時は、身体もガリガリで……。
更に、健康状態に関しても“気持ちが不安定”だと書かれていたとは到底思えないくらい、しっかりとした様子で話をすることが出来ている4番と呼ばれていた男の子を見ながら……。
体格に関しても、きちんと栄養を摂ることが出来ているんだな、と思える状態になっていて、心の底から安堵していると……。
腕を引っ張られたまま、あっという間に、子供たちの中心にまで連れて行かれた私は。
「ねぇ、みんな聞いてよっ! アズが約束を守って僕達に会いに来てくれたんだっ!」
と、大きな声で、自慢げに紹介されて、そこでようやく周囲にいる子供たちの方を見る余裕が出来て、彼らへと視線を向けた。
さっきまで、玩具で遊んでいたのか……。
数字の形をした積み木が辺りに散乱しているのを見ながら、1番と呼ばれていた子達から、6番目に至る子まで……。
セオドアとギゼルお兄様と一緒に、スラムで助けた子供たち全員が揃っていて、ホッと一安心しながら。
きちんと衣食住が保障されているであろう、彼らの現在の境遇に、じわじわと実感するように、本当に良かったと、感慨深いような嬉しい気持ちが湧き出てくる。
「え、っと……みんな、久しぶり。……そのっ、覚えてくれてる、かな?」
そうして、何故か私を見て、時が止まったかのようにシーンと静まり返ってしまった子供たちの状況に、ドギマギしながら、もしや、忘れられてたりするのでは、と……。
内心でひやりとしながら、声をかければ。
「わーっ、アズっ! 本当に、本当にっ、会いに来てくれたんだっ……!
私たちずっと、アズのことを、心待ちにしてたんだよっ!」
と、彼らの中で……。
唯一、1人だけいた女の子が私に向かって声をかけてくれたのを皮切りに、ワッと一斉に声をあげながら、子供たちが私に向かって駆け寄ってきてくれた。
それから、あっという間に、彼らに取り囲まれてしまったことと……。
「なぁ、アズっ! 元気にしてたかっ?
ギゼル皇子様はっ、よく孤児院に遊びに来てくれるんだぜっ!」
「あのさ、アズ、聞いて欲しいんだけどさっ!
俺ら、アズに教えて貰った計算のお蔭で、同じ院の子たちから、数式を教えて欲しいって引っ張りだこなんだっ!」
「アズ、あのねっ!
スラムで暮らしてた時とは大違いで、此処にいると、決まった時間にご飯がきちんと出るんだよっ!
玩具も遊びきれないくらい、本当に沢山用意されてるのっ!」
などと、私に対して近況報告や喋りたいことが一気に溢れて止まらなかったのか。
あの日、スラムで他の子供たちを救うためにナイフを隠し持っていた、体格の良い5番と呼ばれていた男の子も含めて、複数の子供たちから口々にあれこれと教えて貰いながら……。
私は混乱しつつも、一つ一つ丁寧にみんなの話を聞いていく。
いつの間にか、計算の遣り方を教える先生側として、他の子供たちから引っ張りだこになってて凄い、だとか。
きちんとした生活を送れていて、本当に良かった、とか。
目まぐるしく変わっていく話題に付いていきながら、子供たちの言葉に一つずつ返事を返して。
暫くの間、子供たちの間で、わちゃわちゃと揉みくちゃにされていた私は……。
少し経ってから、子供たちが落ち着いたのを見計らったように。
『おい、お前等、そこまでにしといてやってくれ』と、声をかけてくれたセオドアに、ひょいっと抱き上げられて別の所に降ろして貰う形で救出して貰ったんだけど。
それでも、スラムで出会った時と比較して……。
暗く陰っていた表情が明るくなって、彼らがこうして元気に生活をしてくれていて本当に良かった、という気持ちしか湧いてこずに、嬉しい気持ちでほっこりしてしまった。
「あっ、なぁなぁっ、もしかして、テオドールっ!?」
「わっ……! アズだけじゃなくて、テオドールも来てくれたんだ?」
そうして、このあいだ会った時とは、全く違う格好をしているにも関わらず。
背格好を見ただけで、子供たちにはバレバレだったのか……。
それとも、私の傍にいる大人だから、分かったのかは不明だけど。
……何も言わなくても。
セオドアがテオドールだということが、子供たちからは、すんなりと見破られてしまっていた。
私を見つけてくれた時と同様、はしゃいだ様子の子供たちに取り囲まれて、少しだけ困ったような表情を浮かべながらも……。
孤児院に来てから、最初に会った男の子への対応にしてもそうだったけど。
面倒見のいいセオドアは、自分がテオドールだということに関しても、特に否定することもなく……。
ローラとエリスにも協力して貰って、私がこの室内にいる子供たち全員にクッキーを配っている間。
『体力仕事は任せろ』と言うように、アルと一緒に、子供たちと遊んでくれたりしていたんだけど。
スラムで救った子供たちだけではなく……。
私達に興味津々といった感じで、室内にいた複数の子供たちに取り囲まれて、色々と話を聞いているうちに……。
「あのさっ、この孤児院の中でも……。
スラムで僕達を救ってくれた2人の活躍のことを、みんなに話した甲斐もあって、アズとテオドールはヒーローとして一躍大人気なんだよっ……!」
「そうっ! ……あと、ギゼル皇子様もねっ!」
と、彼らから教えて貰った途端……。
一瞬だけ、セオドアが子供たちに向かって眉を顰めたのが見えた。
そのことに、私はどうしたんだろう、と1人、首を傾げる。
「へぇ……?
お前達が、スラムでのことを話してくれたお蔭で、俺達がこの孤児院で人気者になってんのか?」
そうして、やんわりと、セオドアにそう聞かれた子供たちが……。
まるで誇らしげに、こくこくと、頷いてくれると。
「……あぁ、だけどな、俺等は事情があって正体がバレたら拙いんだ。
ヒーローってのは、あくまで、俺たちの裏の顔で……。
今後も、お前達のように危険な目に遭っている奴らのことを助けるために、絶対に秘密にしなきゃならねぇことだ。
もしも、何かの拍子に世間に正体がバレちまったら、その途端に、俺等には危険が迫っちまう」
と、ほんの少し険しい表情を浮かべ……。
普段、優しいセオドアにしては珍しく、低い声色で脅かすように子供たちに向かって声を出していて。
それを聞いた子供たちが、真剣な顔つきになって、ゴクリ、と息を呑んだのを聞きながら……。
私は、どうして突然、セオドアがそんなことを言い出したのか分からずに、混乱してしまう。
「いいか? 俺たちの身の安全は、最早、お前達に懸かっていると言っても過言じゃない。
お前達のように困っている人間を、今後も救うことが出来るように……。
例え、ギゼル皇子であろうとも。
俺たちの存在や、お前達に会いに此処に来たということに関しては、絶対に誰にも言わないで、秘密に出来ると約束してくれるか?」
そうして、セオドアが子供たちに向けて、そう言ってくれたことで……。
ようやく私自身も、セオドアが子供たちに向かって“どうして、そんなことを言い出したのか……”。
その理由について、理解することが出来た。
――確かに、お兄様には、アズやテオドールがこの孤児院に来た、ということは知られない方が良いだろう。
もしも何かの拍子で、お兄様に、私たちの情報が入ってしまって……。
アズとテオドールが、変装した私とセオドアだったという事実に勘づかれてしまったら、大変だ。
ギゼルお兄様自体、一度、出会ったっきりである私達に対して、そこまで興味もないと思うけど……。
それでも、アズの時に、普段では決して話すことが出来ないようなお兄様の本音の部分を色々と聞いてしまっているだけに。
もしも、私がアズであると正体がバレてしまったら……。
多分それだけで、お兄様自体、凄く気まずい思いをしてしまうと思うし。
仕方が無かったとはいえ、図らずも別人を装って、騙すようなことになってしまったという負い目があるだけに、それで、どういう風に関係性が変わってしまうのかも想像出来ない。
だからこそ、このまま“アズとテオドール”は、お兄様とは二度と接触しないで消えてしまった方が良いんだとは思う。
多分、万が一にも。
今後、お兄様の前で、アズとテオドールの2人の姿で、もう一度会うことになるなんて状況は起きないだろうけど……。
それから……。
真っ直ぐな子供たちは、セオドアの芝居がかったような台詞に、感化されたのか。
真面目な表情で、私達の正体が誰にもバレないように、この室内にいる子達の間だけで秘密にしておくことを約束してくれた。
なんていうか、セオドアの台詞だけを聞いていたら、私達が大それたようなことをしている、裏で活躍するスーパーヒーローみたいになってしまっているんだけど……。
スラムでも、身体能力が高くて、向かってくる敵を1人残らず倒して、文字通り、ヒーローのような活躍をしてくれていたセオドアはまだしも……。
私のやったことと言えば、子供たちの説得と、自分の能力を使って時を巻き戻したことくらいで、そんなに大きな活躍をしたとも思えないから……。
セオドアと一括りにされながら、キラキラとした純粋な瞳を向けられて。
「……スゲー! 格好いいっ!」
だとか……。
「僕達みんなで、ヒーローの秘密を守るんだっ!」
などと言われると……。
何となく、子供たちの夢や期待に応えられるだけの人間ではないのになと、申し訳ない気持ちが湧いてきてしまう。
そして、こういう時のセオドアの機転の利かせ方は、本当に上手いなぁと思わず感心してしまった。
子供たちの誰もが、全く嫌そうじゃなくて。
寧ろ、秘密を共有出来ることが嬉しいのだと言わんばかりに、率先して私達の秘密を守ろうとしてくれているのを見ながら……。
ローラやエリスも交えて、みんなで、子供たちと触れあう時間を持ってから、どれくらい時間が経っただろうか。
そろそろ、日が沈みそうなくらいになってきて、城に帰らなければいけない時間が差し迫っていたため……。
私は一緒に、色紙を折ってくれていたローラに向かって。
「ローラ、エリスと一緒に、神父様に私達が帰ることを伝えてきてくれるかな?
忙しそうにしていたら、お見送りは特に必要無いって言ってくれたらいいから……」
と、言付けを頼むことにした。
自分で神父様に会いに行って、帰る旨を伝えようかとも思ったけど。
そうなれば、神父様は、確実に私の為に時間を割かなければいけなくなってしまうのは目に見えているから……。
出来ることなら“仕事で忙しい状況を邪魔したくない”という、私の気持ちを汲み取って。
阿吽の呼吸で『はい、承知しました』と頷いてくれて、エリスと一緒に目配せをし合い、立ち上がってくれたローラが……。
「アリス様……。
良ければ、アルフレッド様と、セオドアさんと一緒に、先に馬車の方へと戻っていて下さい」
と、子供たちに聞こえないよう、私の耳元で声を出してくれた。
この部屋にいる間……。
私とセオドアは、スラムで会った子供たちも含めて、みんなに本当の身分をバラすのもどうかということで……。
ローラやエリス、それから、普段嘘を吐くのが苦手なアルも、子供たちの夢を壊さないようにと一緒になって、私達の名前をアズとテオドールの方で呼んでくれていたから。
そう言ったことも含めて、配慮してくれるローラに感謝しながら。
2人が神父様に声をかけに行く為に、部屋から出て言ったのを見送ったあと……。
私達も、子供たちに対して名残惜しい気持ちを持ちながらも、お暇させて貰う為に、動くことにした。
この部屋にいる子供たちは、ある程度年齢が大きい子達ばかりだから、たまに確認しに来る程度で、シスターも余程のことがない限りは、ずっと付きっきりで、彼らの傍にはおらず。
私やアルは、見た目的に該当しないにしても、今日はローラやセオドアなど、子供たちを見ることが出来る大人もいて、複数、手があるし。
【子供たちと、こうして楽しく遊んでいるので……。
もしも、他にやることがあるのなら、そっちを優先して下さって構いません】
と伝えたら……。
やらなければいけない事があったのか、一度、子供たちの様子を確認しに来てくれたシスターには思いっきり感謝されてしまったのだけど。
神父様のみならず、私達が帰ることに関しては伝えた方がいいかも、と……。
彼女達の姿を目に見える範囲で探してみたけれど、この広い孤児院の中で、どこにいるのか分からず、私はセオドアとアルと一緒に顔を見合わせる。
「どうしよう? ……手分けして探した方がいいかな?」
「いや、はぐれるようなことになったら大変だ」
「うむ。……それなら、お前達2人で探して、シスターに帰ると声をかけに行ってくれ。
僕は子供たちから貰った“大切な贈り物”を、先に馬車の方へと運んどいてやろう」
それから、みんなで相談した結果、私とセオドアはシスターに一度声をかけてから、馬車に戻ることにして。
アルが、今日、子供たちと触れあう中で、彼らが作ってくれた折り紙や、私達の似顔絵を描いてプレゼントしてくれた紙などを纏めて、先に馬車に運んでくれることになった。
そうして……。
「みんなっ、機会があったら、絶対にまた遊びに来てねっ!」
だとか……。
「アズ、テオドール、アルフレッド……っ! 一緒に遊んでくれて、ありがとうなっ……!」
と、声をかけてくれつつ、うるうると涙ぐむ子供たちに見送られながら。
後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした私達は……。
先に、子供たちから貰った沢山のプレゼントと一緒に馬車に戻ってくれるというアルとも別れて、孤児院の廊下を歩き始めた。
結局、念の為にと持ってきていたけど……。
【子供たちには服装だけで、自分の正体がアズだって、あっという間にバレてしまったから、仮面は必要なかったなぁ……】
と思いながら、それだけ、今の今まで、ずっと手に持っていた私は。
「思いのほか、子供たちにも、喜んで貰えて凄く嬉しかったな……」
と……。
セオドアに、『今日、子供たちに会いに、此処に来ることが出来て本当に良かった』という感想を聞いて貰いながら……。
シスターを探すために、きょろきょろと視線を動かす。
そうして、私達が暫くそうしていると……。
目的だったシスターは、直ぐに発見することが出来た。
彼女に『もう結構、良い時間になってしまったので、お暇させて貰いますね』と手短かに挨拶をすれば……。
「子供たちのことを皆さまにお任せしっぱなしで、何のお構いも出来ず、本当に申し訳ありませんでした……っ」
と、申し訳無さそうな表情を浮かべながら、平謝りされてしまって、私は気にしないで欲しいと慌てて声をかける。
それから……。
少しだけ、そうやって、話をしたあと、和やかにシスターとお別れをして。
私達は、アルが向かった方向へと逆戻りするような形で、踵を返した。
そうして、廊下の突き当たりにある曲がり角を、曲がろうとした瞬間……。
ピタッと、前を歩いてくれていた、セオドアが何かに気付いたかのように、止まったのが見えたんだけど……。
「……っ、ぅ、っ?」
私は、反射的に直ぐに止まることが出来ずに、思いっきりセオドアの背中に、顔面をぶつけてしまった。
セオドアの背中にぶつかっただけだから、痛みとかは、特になかったんだけど……。
どうして、セオドアが急に止まったのか、その理由が分からずに、曲がり角の先を確認するように覗こうとして、思わず固まってしまう。
――遠くにいる、見覚えのある、金髪の……。
“その姿”は、どう見ても、私自身、よく知っている人で。
「……えっ、? ぎ、ギゼル、お兄様……っ?」
と、声に出したら、お兄様が一瞬だけこっちに視線を向けた気がして……。
私は慌てて、曲がり角から向こうの廊下を覗いていた、自分の顔を引っ込めた。










