295 普通の兄妹
子供たちにクッキーを配っている間、スラムで救った子供たちを、周囲を見渡して探してみたけれど、残念ながら見つけることが出来なくて……。
やっぱり、彼らは孤児院の中にいるんだろうな、と思いながら。
私は一先ず、外にいる子供たちと少しだけ触れあったあと……。
寄付のため、書類にサインをしに、神父様に案内されて、建物の中の応接室のような場所へと移動させて貰うことにした。
此処に来る間でも思ったことだったけど、教会も含めて孤児院の中は隅々まで綺麗に手入れが行き届いていて。
接している子供たちも、みんなそれなりに身だしなみを整えることが出来るくらいには、きちんとした生活を送れているみたいでホッとする。
「申し訳ありません、皇女様。
お手数ですが、此方の書類に簡単にで構いませんので、今回寄付して頂ける金額の記入とサインをお願い致します」
それから、部屋の中にあるソファに座らせて貰って、神父様から出された書面に目を通したあと、自分のサインをしてから今回寄付する金額を書き込めば、拍子抜けするくらい簡単に手続きを終えることが出来た。
事前にお父様から、書類に目を通してサインをするだけ、と聞いてはいたものの。
あまりにも簡単すぎる手続きに、普段、契約書などにサインするような機会もなければ、大きい金額がこれで動くと知っているだけに、何となく小心者の私は本当にこれで大丈夫なんだろうかとドキドキしてしまう……。
そうして、神父様が、書面に目を通し、私のサインを確認してくれている間、ほんの少し手持ち無沙汰になってしまった私が、暫く室内をぼんやりと眺めていると。
応接室の机に置いてある、神父様の仕事用の書類だろうか……。
整理もされておらず、雑多に置かれた、その書類の束に、思わず吸い込まれるように目線を移した私を見ながら……。
「いやはや、片付けも碌に出来ていないままで申し訳ありません。
ここ最近は、国からの通達もあって、孤児院で、子供たちを受け入れる上限の枠も増えたり。
新しい赤子の誕生での出生届や、身分を剥奪される貴族の除籍に関するものまで、何かと忙しい状況が続いておりまして。
整理整頓すら出来ずに、思うように、仕事が進んでいない状態にお恥ずかしい限りです」
と、苦笑したようにそう説明して貰って。
私は、その言葉にきょとんとした後で……。
――そう言えば、教会と一口にいっても、本当に色々なことをしているんだっけ。
と、頭の中で、何とか自分の持っている淡い知識を引っ張り出してくる。
この世界の、どこの国でもそうだと思うけど……。
教会は、孤児院の他に、病気の人達を診るための診療所があったり、貴族の人など上流階級の人達の、戸籍に関する管理など、本当に様々な役割を担っていて……。
当然、お医者さんと神父様だと業務内容も含めて、それぞれに担っている役割も違うけど、大きく一つの括りで言うのなら、どちらも教会の敷地内で働いている人だという点で一致している。
……神に仕えているとされる、神父様に働くという言葉を使うのは、可笑しい気もするけれど。
それで、お医者さんも教会と密接に関わりがあるため、ロイも含めてだけど、大抵の医療従事者は黒の神父服を着ていることが多いんだよね。
本題から少し話が逸れちゃったけど。
一般的な市民に関しては、その数も膨大すぎて、まだまだ戸籍の管理なんてものはされていないんだけど……。
自分たちの土地を持っている貴族や、役職のある宮廷貴族など、上流階級の人達に関しては国や都市が管理するために、必ず最寄りの教会に戸籍の届け出を出さないといけなくなっている。
それが、出生に関するものにしても……。
何か問題を起こしてしまったことで、除籍するような場合であろうとも。
後は、次男だったり三男として生まれてきた貴族の子息で、長男で跡を継がない人の場合は個人的に貴族籍を抜きに来る人もいるみたい。
今、私に対して、神父様が話してくれた内容は、『近頃、そういった複数の出来事が頻発して重なったために、片付けられていない書類が重なってしまっている』ということなのだと思う。
地方の教会の場合は、診療所が無かったり、戸籍の登録などが出来ない場所もあって、本来の、祈りの為だけでしか機能していない教会や、診療所のみが併設されている場合もあったりするけれど。
王都や都心部に近い教会は、診療所と、戸籍の管理が出来る建物と、孤児院が全て併設されていて、その殆どを教会一つで賄っていることが大半だ。
だからこそ、一つの教会の中では、神父様も、役職のある人も含めて複数人いることが普通なんだけど。
それでも、日々の仕事が処理しきれずに溜まってしまっていることを考えると、もしかしたら人材不足なのかもしれない。
「あのっ、教会で従事している方達の人材は、足りていますか……?
差し出がましいかと思ったんですけど、何か困っていることがあるのなら、もし良ければ、今日の視察で見た状況として、私からお父様に事情をお伝えすることは出来ると思います」
何となく、その状況に、大丈夫なのかなと勝手に心配になってしまって、神父様に向かってそう声をかければ……。
神父様は私と目線を合わせた上で、にこりと人好きのするような穏やかな笑みを向けてくれながら。
「いえ、皇女様、ありがとうございます。
人員については、人手不足という程ではないので問題ありません。
それにギゼル様も、スラムでの一件以降、度々、この教会には足を運んで下さっているので、“困ったことがないか”と、我々の意見をよく汲んで下さるんです。
それで、その、困っているという程ではないのですが、いつもふらっと気軽に、前触れもなく突然来られるので、有り難いとは思うのですが……」
という言葉を返してくれた。
ギゼルお兄様が、この教会に頻繁に足を運んでいるというのは驚きだったけど。
お兄様が、頻繁に足を運んでこの教会のことを見てくれているのなら、運営などについて汲み取れる所は既に汲み取っている筈だし、大丈夫かなぁ、と内心で思う。
それと同時に、もごもごと言葉尻を濁す神父様を見て、私は思わず苦笑してしまった。
ギゼルお兄様は、何て言うか良くも悪くも一直線に突き進む猪突猛進な所があるから、本当にフットワークが軽く、気軽に立ち寄ることがあるんだろうな……。
私自身も、特に自分を特別扱いして欲しいタイプじゃないから、神父様たちにも予定があるのならそっちを優先して欲しいとは思うけど。
一応、お兄様も皇族ではあるので……。
それで、突然来られると、どうしてもそこに人員を割かざるを得なくなって、対応に苦慮してしまうという教会側の人達の気持ちは手に取るように理解出来てしまった。
ただ、私自身、ウィリアムお兄様とはかなり親しく話せるようになってきたけど、ギゼルお兄様とはデビュタントの時に話した以来で、未だにぎこちない会話になってしまっているから。
今日ここで、彼らの話を持ち帰って、彼らの苦労をお父様に報告することは出来るけど。
私からだと知ったら、特に、お兄様のプライドを傷つけるようなことになって、嫌がりそうだし。
それで、ギゼルお兄様を刺激するようなことになってしまったらと思うと、彼らの苦労は分かっていても、どうにもしてあげられないのが、もどかしい。
「えっと、ギゼルお兄様が頻繁に来ているようでしたら、私が出るまでもないですね。
……少し、安心しました」
そうして、彼らが突然やってくるお兄様に困っているということを、そっとスルーしながら、穏やかに微笑んで声をかければ……。
「えぇ。……いや、皇女様に話すことではありませんでしたよね。
そのっ、私共も、ギゼル様が来て下さることには本当に有り難いと思っているんです。
面倒見もよくて、子供たちとも遊んで下さいますし、何かと不便なことはないかとお声がけしてくれるものですから」
と、神父様から返事が戻って来て、私もホッと胸を撫で下ろした。
私の記憶にある、ギゼルお兄様の表情はいつも怒っているものばかりだったから、誰かの面倒を見ているお兄様と言われてもあまり想像することは出来ないんだけど。
お兄様自身も自分がスラムで救った子供たちのことを、関わった手前、ただ教会に預けるだけではなくて、その成長を見届けなければという責任感のようなものがあるのかもしれない。
スラムで、アズとして出会った時のお兄様は、元々毛嫌いしている私では聞けないような話を、本当に素直に色々と話してくれていたし。
根本的な性格は、熱血漢というか、きっと、熱いものを持っている人なんだと思う。
その分、一度こうだと思ったら、その考えを直ぐに曲げるのは難しいというか……。
自分の信じている道を、ただひたすらに真っ直ぐ進む人っていうのが、何となく、私が感じるギゼルお兄様の印象になっちゃってるんだけど。
「それで、皇女様、私自身、実はこのあと、急な仕事で立て込んでしまっていて……。
折角来て頂いたのに、バタバタとしていて、碌に皇女様を案内することも出来ないのです。
代わりに修道女の1人を案内人としてお付けしますので、孤児院にいる子供たちの方にも、良ければ顔を出して頂けると有り難いのですが」
それから、少しだけ言いにくそうにしながらも、神父様に、申し訳無さそうな表情でそう言われて……。
私は頭の中でギゼルお兄様のことを考えるのを中断させてから、ふるりと首を横に振った。
「いえ、皆さま、お仕事で忙しいでしょうし。
ここに来るまでに案内して頂いたお蔭で、大方、子供たちがいる場所についても把握しています。
まだ、クッキーを手渡せていない子供たちもいるので……。
折角なので、孤児院の中で、子供たちと触れあわせて貰おうとは思っていましたが、わざわざシスターを案内人として、私に付けて下さる必要はありません」
そうして、改めて私に対する過剰な配慮は必要無いということを伝えれば。
「本当に何から何まで、どうお礼を伝えれば良いか……。
私共のことも考えて下さり、ありがとうございます。
ギゼル様の時もそうなのですが、貴族の大人が視察に来るよりも、同年代の方が来られる時の子供たちは、遊び相手が出来ることに、嬉しそうにしておりまして。
院内はお好きに歩いて下さって構いませんので、是非子供たちとも、もっと触れあってやって下さい」
と、穏やかな様子で微笑まれて、私はこくりと頷き返した。
それから、神父様と一緒に応接室から出た私達は、神父様と別れたあと、みんなで目配せをしあって……。
此処に来るまでの間に見てきた建物の中を、神父様とは別の方向へと向かって足を動かし始める。
そうして、まずは、スラムで約束したから、あの時、救った子供たちを見つけることを何より最優先にしなければいけないなぁと思いながら……。
この後は、私自身、特に用事が入っている訳でもないため、神父様の言う通り、院内をゆっくりと見させて貰いつつ、みんなで一緒に廊下を歩いていけば……。
展示物として、子供たちが紙に書いたと思われるようなイラストが、所狭しと、院内に貼り出されていたりして、思わずほっこりしてしまった。
【もしかして、ギゼルお兄様も、此処に来たときは、子供たちと一緒に絵を描いたりしているのかな……?】
内心でそう思いながらも、あまりにも、その状況を想像出来なくて、直ぐにその考えを打ち消せば。
院内にある一室の扉が突然開いて、男の子が2人と、女の子が1人、バッと目の前に飛び出してきた。
「……っ、!」
「……っ、姫さん……!」
私自身、直ぐ後ろにいてくれた、セオドアに手を掴まれて引っ張って貰ったお蔭で、ぶつかることも無く無事だったんだけど。
突然、予期せぬ所から人が飛び出してきたことに、心臓がバクバクと飛び跳ねそうなくらい驚いてしまっていたら……。
彼らはそのまま、『早く来いよ! こっちだってば……!』だとか『待ってってば、お兄ちゃん』と言いあいながら、あっという間に楽しそうに廊下を駆けていってしまった。
その後ろ姿を見送りながら……。
もし、私とウィリアムお兄様とギゼルお兄様が、皇族として生まれずに“ただ普通の兄妹”だったなら、あんな感じだったのかな、と一瞬だけ思ったあと、私は自虐的に口元を緩めた。
――あまりにも、その想像が、有り得なさすぎて……
考えるのさえ、烏滸がましいような光景だなぁ、と思ってしまう。
「姫さん……?」
「あ、っ……セオドア、ごめんね、ありがとう。
直ぐに私の腕を引っ張ってくれたお蔭で、あの子達とぶつからなくて済んだよ……!」
そうして、セオドアに声をかけられて、ハッとした私は、慌ててさっきのお礼をセオドアへと改めて伝える。
こういう場所だから、もしかしたら、本当の兄妹ではないかもしれない、あの子達のことを一瞬でも羨ましいと思った私のこと……。
――咄嗟に、取り繕って隠したつもりだったんだけど。
隠しきれずに顔に出てしまっていたのか、セオドアが私にだけ視線を合わせてくれながら……。
「例え、ちゃんとした家族じゃなくても、姫さんのことを、大切に思ってる人間は此処にいるから。
言ってくれりゃ、いつでも俺が相手になるし……。
何なら、毎日のように、姫さんのことだけ、どろっどろに甘やかすぞ」
と、真剣な声色で言葉に出してくれて、私は思わず慌てて顔の前で両手をブンブンと振った。
「だ、だいじょうぶっ!
……その、兄妹って、一般的には、あんな感じなんだなぁ、ってちょっと思っただけだから。
それに、セオドアにも、ローラにもアルにも、エリスにも、日頃から甘やかされてる自覚はあるから、これ以上、みんなから甘やかされたら、私、本当に怠惰になっちゃうよ……っ!」
そうして、困ったように、声を出したその言葉は、決して嘘偽りのない本心からの言葉だったんだけど……。
「アリス様、そんなことを、仰らずにっ。
私はいつでも、もっとアリス様のことを甘やかしたいと思っていますよ……!
やりたいことや、我が儘だって、大賛成ですのに……っ!」
「むっ? “甘やかし隊”というのは一体なんなのだ? そういう派閥があるのか?」
「なるほどっ! それは妙案ですねっ!
アルフレッド様、今からでも遅くありません、みんなでアリス様、甘やかし隊を結成しましょうっ!」
と、セオドアのみならず、ローラや、アル、エリスまでもが順番に声をかけてくれて……。
「あ、ありがとう。
でも、自分でも子供っぽい願望だなぁ、っていう自覚があって……。
ちょっとだけ、恥ずかしいし、本当に大丈夫だよ……」
と……。
私は、みんなが、私のことを慰めてくれて有り難いなぁ、と心の底から思いつつ。
中身は本当にいい大人である筈なのに、未だに“兄妹とか家族の関係”を羨ましいと思うこと自体……。
何となく子供っぽく感じてしまって、急激に恥ずかしくなって、慌ててみんなへと声をかけた。
このまま、放っておくと、多分みんなが私に対して、いつまでも気を遣ってくれると分かっているから、余計。
それから……。
私達が、院内の廊下で賑やかに喋っていた所為か。
室内にいたであろう、私達の声に気付いた子供たちが、扉から顔だけひょっこりと出して、何ごとかと此方をちらちらと窺う様に見てくるのが見えて……。
顔から湯気が出そうなくらい、更に、私の恥ずかしさに拍車がかかってしまったんだけど……。
室内から、こっちを見てくる男の子の1人に見覚えがあって、私は思わず目を見開いて『……あっ、……』と、小さく声を漏らしてしまった。
多分、扉の方にいた子供たちには、私の声は一切、聞こえてなかったと思うけど。
私の声に気付いたセオドアが、私の耳に届く範囲の小声で……。
「あぁ、スラムにいたガキの1人だな。……確か、4番って言われていた奴だったか」
と、声を出してくれて、その言葉に、私がこくりと頷いたのと……。
扉から顔だけ出している、その子が私を見て……。
「ねぇっ、もしかして、アズっ……?」
と、声を出してくれたのは、殆ど、同時のことだった。
 











