20 アルフレッド
「……っていうか、諸々、百歩譲って全部本当だとして。澄んだ人間って、なんだ?」
それから、どれくらい経っただろうか?
なんとか、回復した様子のセオドアが、精霊王の少年に向かって疑問を投げかけてくれた。
セオドアのその質問に、今度は精霊王の視線が、ちらり、と私の方を向いたことを不思議に思いながら首を横に傾げれば。
「身体の一部に赤が入っている人間を、僕らはそう呼ぶ。
……まぁ、これはお前達人間にも、対外的に見た目で分かりやすくそう言っているだけで、僕達は体感的にそれがどういう人間か分かっているが、な」
という言葉が返ってきて、私もセオドアも「……っ!」と、思わず咄嗟に言葉も出てこず、身体が強ばってしまった。
身体の一部に『赤』が入っていることの意味は、誰よりも、私達が一番、よく分かっている。
……だからこそ、自然、それに対する反応も人一倍、過敏になってしまう。
「本来ならそうじゃない人間は絶対に泉には近づけない。
……姫さんとやらのその髪の毛。これほど綺麗な赤毛ならば、当然ここに来られるだけの素質を持っている。
子供達も久しぶりに、素晴らしく透明な純度の高い人間が来たと大喜びだったぞ。
それに、お前も、だ。瞳に赤が入っているだろう? だから、ここに来ることが出来た」
「……もしも俺に、赤が、一つも入っていなかったら……?」
「泉の手前でお祓い箱だ。
姫さんだけが先に進めて、お前は森を彷徨ったあと、森の出口に戻されていたであろうな」
「……そうか、ならよかった。
自分の目に赤が入っていることを生まれて初めて感謝することになるとは思わなかったけど」
何度かの遣り取りが続いたあと、精霊王である少年に向かってそう言ってから、セオドアが安堵したようにため息にも似たような吐息を溢すのが聞こえてきた。
私と、はぐれないでいたことで、良かったと思ってくれているのだと思う。
「うむ、良かれと思ってのことだったのだが、脅かしたのならすまなかったな」
それから、私達の様子を見て、精霊王が申し訳なさそうな表情で謝罪してくれるのが目に入ってきた。
「しかし、僕はまだしも他の子はもう長いこと、この森から出られずにいるのだ。そればかりか、生まれてから一度として、この森から出たことがない者もいる。元々は、人好きのするような子供達ばかりだから、勘弁してやってくれ」
『えっと、……ごめんね? ごめんねっ』
『僕達、脅かすつもりなんてなかったの』
『本当だよ!』
そうして、彼の謝罪に合わせるようにして今まで黙っていた周囲の精霊達もこぞって謝罪してきてくれる。……ちょっとだけ悪戯っ子な雰囲気はあるけど、根は優しい子達なのだろうな。
物語に出てくるような精霊のイメージに本当にぴったりだなぁ、と私が内心で思っていると、精霊達は、私とセオドアの周りをふわふわと漂って。
『美味しいごはんをタダで食べれて……』
『久しぶりに、泉だけじゃない、力の源にはしゃいじゃった』
と、申し訳なさそうな声を溢してきた。……そうして、精霊の一人が、私にそっと近づきながら『ごめんね、お詫びに少しだけ、僕の力を使っておくれ』と、声をあげ、パッと、私の顔の前で両手をかざしてきた。
……瞬間。
「……っ、ぁっ!」
バチっ、という音がして……。
反発するような、そんなエネルギーが出て、身体に鋭い痛みが走ったあと。
「姫さんっ!!」
こぽり、と……。自分の口から、真っ赤な鮮血が、ぽたぽたとこぼれ落ちるのが分かった。
咄嗟にそれを受けとめることも出来ずに、突然の出来事に驚いていると、セオドアが私の状況を確認したあと、精霊王と、精霊達に向けて。
「何をしたっ⁉︎」
……と、低い声を出しながら、腰にさげていた剣を抜くのが目に入ってきた。
「その娘は能力を使ったことによって、身体が悲鳴をあげていて、体内に黒い澱みが溜まっている。それを、ほんの少し癒やしただけだ」
そうして、ぽつりと諭すように溢された精霊王の一言に、信じられない、という顔をして、未だ、緊迫した空気に包まれるセオドアの、その手を私は震える手のひらでそっと握った。
「待って、セオドア」
「姫さん……っ?」
「私は、大丈夫です……」
……口から血は出ているのに、確かに私の身体はほんの少し、いつもより軽くなっていた。
それは多分、精霊王の言う通り、この小さな精霊さんが私の事を癒やしてくれたからだと思う。
――そうして、この現象に、私は一つだけ心当たりがあった。
「能力を使ったら、今のように血が出るのですが……。もしかしてそれも、あなたの言うように体内にある澱みを外に出そうとしている結果なのでしょうか?」
「……っ!」
私の確信めいた問いかけに、セオドアが驚いたような顔をして、此方を真っ直ぐに見つめたあと、安心させるように頷いた私に、抜刀した剣を鞘におさめるのを見届けてから、精霊王が真剣な表情で、こくりと頷く。
「……うむ、なんとか身体が力についていこうとしているのだ。説明もなしに子供達がすまなかったな」
「いえ。私の事を思ってしてくれたことは、分かっています。
……こちらこそ、突然のことで、私の騎士が申し訳ありません。
私の為を思ってしてくれたことなのです。……非があるのなら、責は私が……っ!」
「……っ、姫さんっ……」
「いや、大丈夫だ。
先に勘違いされるようなことをしたのは此方の方だからな、おあいこというやつだ。
……だがそうは言っても、それだけで完全に、お前の身体にある歪みが解消された訳ではないだろう」
そうして、どこまで言ってもいいのか、と、言葉を選びながら、セオドアを一度ちらりと見たあとで、此方に対して視線を向けてくる精霊王に私はこくり、と頷き返した。
(六年もの、月日を巻き戻したことだけは言わないで下さい)
『承知した』
一瞬だけ、視線でそう交わし合ったあと。
「お前の身体は、過度な能力の使用のせいで歪んでいる。そして、それを癒やしてやれるのは僕達精霊だけだ」
と、精霊王は私に向かって言葉を濁さずに伝えてくれる。
彼のその言葉に、セオドアが私を見て、心配そうな顔をしたあと。
「……早とちりしたさっきの非礼は、謝る。
……申し訳なかった。でも、一つだけ、聞いてもいいか?」
と、私達の会話に躊躇いながらも入ってきて、神聖な泉を指したあと、精霊王を真っ直ぐに見つめて声を溢した。
「あのエリクサーは、姫さんを癒やすのに繋がらない、のか?」
純粋に私を思って、そう言ってくれているその言葉に、けれど、難しい顔をしたあと、精霊王がふるり、とその首を横にふる。
「あれは、確かに万病に効く。
……だが、能力によって消耗した身体には、何の効果ももたらさないのだ。
お前達のその力は決して病ではないからな……」
『どうしようも出来ない』 と、はっきりと出された一言に……。
「……そう、か」
と、肩を落としたセオドアが此方を心配そうに見つめてくるのが見えた。
私を思ってくれているセオドアの、その気持ちが伝わってくるだけでも、充分嬉しいことだから、万能薬が効かないと言われても特別がっかりはしなかったんだけど……。
「だが、娘……。
僕なら、ほんの少しでもお前の力による消耗を遅らせることが出来るだろう」
「本当かっ⁉︎」
と、突如降ってきた精霊王のその一言に、パッと目の前が開けたかのように顔をあげるセオドアとは反対に、私は思わず戸惑ってしまった。
「うむ、お前ほど綺麗に澄んだ人間なら、僕の力を貸すことが出来る。
元来、精霊との契約は対等に力を持った者同士でしか行えない決まりだ。この中で、お前と契約できる精霊は僕以外にはいない。お前達のような人間は好きなのでな、もしも、お前が望むのならば、僕が契約してやろう」
「……っ、」
思ってもみなかった突然のその言葉に、直ぐに、こくり、と頷けなかったのは……、元々、自分の身体を『癒やす』ことなんて全く考えてこなかったから、突然そんなことを言われても困惑してしまうというのが正直な所だったからだ。
「何を迷うことがあるのだ?」
そうして、精霊王にそう言われて、私はなんと言えばいいのか分からずに、言いよどんだあと。
「能力を使用すると、身内に不幸が及ぶと聞いているのですけど。……それは、本当ですか?」
と、ずっと気になっていたことを、精霊王に問いかけてみることにした。
「何だ、ソレは……? 聞いたことがないぞ。そんなものは、誰かが作り出した迷信であろう」
そうして、返ってきたその一言に、心の底から『……良かった』と、ホッと安堵する。
「……あなたと、もしも契約したら、自分で自由に能力を使うことは出来ますか?
例えば、大切な人を、どうしても守りたい時、とかに」
一度目の人生の時もそうだったけど、私が、この手に持っているものなんて本当にあまりにも少ないから……、非力で、何の後ろ盾もない私が、大切な人を守るには唯一、能力を自由に使いこなすことしかないことは嫌ってほど理解している。
(巻き戻し前の軸の時に殺されてしまったローラみたいに。……何かあってからでは、遅いから)
だからこそ能力を自由に使えるようになりたい。
――私でも、誰かを守れる術が欲しい。
「うむ、精霊と契約した人間の方が力のコツを覚えやすいから、今よりも格段に使いやすくはなるだろうな」
そんな、私の質問に、彼がもたらしてくれた答えは、希望だった。
「何より、この契約は僕達精霊にとっても決して悪いものではない。
お前達の数が減った影響で、僕以外の子供達はこの森からは出られず、自由に外へ歩き回ることも出来ずに暮らしていたのだ。
……代わり映えのしない毎日。それが、どんなに、窮屈で、退屈なものなのか、お前達にも想像くらいは出来るだろう?」
そうして、精霊王はそう言って、精霊達に慈愛に満ちたような穏やかな視線を向ける。
精霊達は、そんな彼の周りをふわふわ、くるくる、楽しそうに、嬉しそうに飛び回っている。
「僕は精霊王だから、僕を通して子供達にも久しぶりに、生きる糧を与えることが出来るし。
何より、契約を交わした僕の目を通じて、広い世界を子供達にも見せてやることが出来るから、お前には感謝することになるだろう。
精霊は受けた恩は絶対に忘れない。お前がお前の大切な者を守りたいというのなら、この力を惜しみなく貸してやろう」
そうして……。そう言い切ったあと、精霊王は、泉から出てきて私の前に手を差し出した。
「お前にしか出来ぬことだ。
僕達も、お前を助ける。……その代わりに僕達のこの、鬱屈とした毎日を救ってくれ」
彼のその一言に、私はこくり、と頷いて、その手を握り返した。
(……大切な人を守ることが出来るのなら、私にとってそれほど重要なことなんて他にないから)
断る理由なんて、それこそ、どこにもなかった。
「……ありがとうございます。私でよければ」
「うむ、決まりだな。お前の名前は?」
「アリスです」
「僕の名は、アルフレッド。
契約には、真名を介す必要があったのでな。……気軽に、アルとでも呼んでくれ、アリス」
彼が私にそう言った瞬間、ふわり、と私の腕に『赤色のブレスレット』が巻き付いてくる。
見れば、精霊王である『アル』の腕にも同じ赤色のブレスレットが巻き付いていた。
「それは、僕との契約の証だ。これから、宜しく頼んだぞ、アリス。それと……」
「セオドア、だ。……姫さんと、契約してくれて、改めて感謝する。アルフレッド」