表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ

剣岳山頂の錫杖の持ち主はどこへ行ったのか?

作者: 夢のもつれ

 剣岳はその名のとおり、現在でも登頂が極めて困難な山として知られており、古くから立山とともに信仰の対象となっていたにもかかわらず、初登頂は1907年(明治40年)の陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らによるものだから、まだ110年ほどしか経っていない。


 1907年といえば日露戦争直後の旧陸軍が最も輝かしい時代で、だからこそ未踏の剣岳を制覇することは陸地測量部の威信を掛けた一大事業であったと想像することは許されるだろう。


 ところが、彼らは苦難の後、その山頂に立った時に意外なものを発見した。古い時代の錫杖と鉄剣の先らしいものである。柴崎らより千年以上前の8世紀頃に既にこの山に登った者がいたということになる。


挿絵(By みてみん)


 ≪富山学遊ネットの「文化財」から検索:https://www2.tkc.pref.toyama.jp/general/stdydtl.aspx?stdycd=00083760&libcd=≫


 ぼくはたぶん深田久弥の「日本百名山」でこの話を読んで、強い印象を受けた。それを最近、ふと思い出して(というかその錫杖がイメージとして浮かんできて)、山岳信仰やその対象となった山について、ウィキをあちこち見ているうちにこのエピソードの異常さに改めて驚いた。


 例えば立山に初登頂したという佐伯有頼(676年頃~759年?)には立山の神の化身の白鷹と阿弥陀如来の化身の熊に導かれたという伝説がある。白山に717年に初登頂したと言われる泰澄には妙理大菩薩を感得したという伝承がある。これらが事実かどうかといったことはどうでもいい。ぼくが問題にしている事は次のようなことだ。


①7~8世紀頃に都から北陸へ至る道から見える荘厳な山に登ることで、宗教的権威を獲得する動きがあった(それは佐伯有頼が越中の国司の一族とされていることから推測されるのだが、俗世的な権力・権威とも密接な関係があっただろう)。


②初登頂すなわち開山した者は特別の宗教的権威を得るに至った。


③それらの山は東海道の富士山、中山道の御岳などとともに長く信仰の対象となったため、山や開山者に関連する神社仏閣も宗教的利益を得た。


 これが本当かどうかの論証は面倒だからやらないが、そんなに間違ってはいないだろう。剣岳の初登頂が①の動きの中で行われたらしいのに、しかも白山はおろか立山だって問題にならないくらい困難な登山であったのに、それが歴史にも伝承にも全く残っていないのは不思議と言う他はない。


 ぼくは昔ちょっとだけ登山をやっていたことがあって、立山は黒部ダムから標高差1500メートルを2日かけて登った。立山黒部アルペンルートを使えばサンダルでも山頂に立てるのに反発したわけだが、途中で会った人たちには感心されたり、あきれられたり、ともかく物好きだと思われたのは間違いない。そのわずかな経験から言っても、現代において登山はどの山に登った(例えば中高年を中心として「日本百名山」制覇とかがブームになっている)なんてのはどうでもいいことだと思う。


 どれだけの標高差をどんなルートで登るかが問題で、その意味では立山は、北アルプスの槍ヶ岳や穂高岳に比べればそんなにむずかしい山ではない。もちろん北陸側から登ったわけではないから迂闊なことは言えないけれど。


 それはともかく、そうした経験があるから古代において、人里からどう考えても最低2500メートルはある標高差を大した装備もなく、登った人たちの体力と精神力には素直に感動する。夏だって3千メートルの高地では陽が沈めばあっという間に気温は下がり、稜線は常に強風が吹き、体感温度は軽く氷点下だろう。


 満月の明かりがどんなに明るいか、月のない夜に星明りでどれだけ物が見えるか、ほとんど想像もできない人が少なくないだろう。


 だから、そうした人たちのリーダーが②のような権威を持つに至ったのは当然だと思う。現代でも比叡山の千日回峰行の行者を信者たちは拝んでいる。生き仏だと言う人もいるし、それは実感に即した言葉だと思う。


 人間の体力と精神力の限界まで引きずり出すのが修行だと思うが、比叡山延暦寺のそれはとてもシステマティックで、京の鬼門を守護してきたあそこらしい。で、その内実は仏とか如来とかの光とか声とかを見聞きしたということだろう。それを宗教的体験と呼ぶか、幻覚・幻聴つまりは精神異常の一種と取るかはその人次第である。


 修行の中身がわりと開示されているから延暦寺を例に引いたわけで、別に古代に初登頂した人たちとどっちがすごいとか比べる気はないけれど、あえて言えば先人がいる方が楽に決まっている。とすれば剣岳に登頂した人物の宗教的体験の深さ(精神医学的異常さと言ってもいいけど)は現代の修行者にはもはや到達できないレベルなのかもしれない。


 こう考えてくるとかえって剣岳の山頂の錫杖の持ち主が何の記録も言い伝えも残さずに、登頂した後、かき消えてしまったのは、かえって当然のような気がしてくる。彼は上人と呼ばれる人たちをも超越した境地、本当の意味での解脱を達成したのではないか。


 だとすればそうした者にはもうこの世にはどこにも行く場所はないし、行く必要もない。解脱が現在という時間からの脱出であるとするならば過去とか未来とかの区別もないだろう。


 これはあまりにも唐突な結論かもしれないが、わからない人にはいくら論理立てて説明してもわからないだろう。初登頂の後、山頂か下山途中に体力の消耗か事故で死んでしまい、次第に腐って骸骨は強い風に吹き飛ばされたとか、無事下山して名もない僧侶として里の小さな村で生涯を終えたとか言ってもらった方がいいのだろう。だって、それが自分たちの凡庸な一生の延長上のお話だから。


 でも、子どもっぽいぼくはそんなことは信じない。そんなことは裏山、里山でもありそうな話であり、そんな生ぬるい話は剣岳に似つかわしくない。三千メートル以上の山は富士山以外はだいたい登ったけど、森林限界を突破して行くとそこには全く違う世界が広がっている。下界の人間に何がわかるものか。そして、剣岳の標高は2998.6メートルだそうだ。つまりそこに立てばあなたの頭は三千メートルを超える。


 精神の高みにおいても森林限界はあるだろう。彼は今ふうに言えばパラレルワールドに行ったのかもしれない。あるいは(独我論的には同じことだが)自分が存在しない世界にこの世界をちょっとだけ編集し直したのかもしれない。ぼくはお釈迦様の入寂をそう理解している。


 でも、それは超自然的現象とか、宇宙論的・超越論的問題というふうには別に思わない。


「あの山に登れば自分も世界も変わるかもしれない」


 そういうふつうの人間が抱く日常的な想いの先にあるものを語っているのだから。で、錫杖と剣先は彼の子どもっぽいいたずらじゃないかとぼくは想像している。名前も何も残す気はないけれど、自分の次に登って来る人間をちょっとびっくりさせるために。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ