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JKとリハビリテーション  作者: ぽっすん
5/9

落ち込む後輩

  ***


 終業後、病棟から降りて志賀はスタッフ室へと向かう。

 今日のスケジュールは決して介助量が多かったわけではないのに、いつもより疲れを感じるのは何故だろうか。


 背伸びしながらモタモタ歩いていると、スタッフ室前から何やら喧騒が聞こえてきた。


「なんで確認しなかったんだよ」

「すみません」


 どうやらミーティングスペースで誰か叱られている様子だ。前を通らないとスタッフ室に入れないので、やむなく接近する。

 叱られていたのは篠原だった。篠原が頭を下げているのは指導担当の岡田だ。


「すみませんじゃなくて、理由は?そこがわからないと再発を防ぎようがないだろ」


 岡田は随分とご立腹らしい。なんとも高圧的な物言いだ。よっぽどのことがあったのか?

 今この状況で二人の間に割って入れる程、図太いメンタルはしていないので、そそくさとスタッフ室に入る。


「なんかあったんすか?」


 近くにいたスタッフに話しかける。


「センサーの付け忘れで患者が離棟して、病棟はてんてこ舞い。さっき見つかったらしいけど、家族がバチギレらしい」

「ありゃー。それは大変」


 どうやら、患者の脱走防止で設置しているセンサーマットをオフのままにしてしまったらしい。リハビリから帰ってきて、アレつけるの忘れるんだよなぁ、と志賀も以前同じ失敗をした事を思い出した。


「志賀くん、フォローしてあげてね」

「篠原をですか?」

「そうそう。仲良いでしょ?」


 仲がいいというか、篠原が一方的に絡んでくるだけなのだが、反論しても仕方ないので「うぃーす」と返事しておく。

  一、二年目の指導は基本的に四年目以降のスタッフが行う。その間に位置する三年目のスタッフは、叱られた新人スタッフのメンタルフォローに回ることが多い。


 つい去年までは自分も叱られる立場だったので、励ましの言葉なら幾らでも思いつく。

 今日は特に予定もないので、篠原の愚痴を聞きに行ってやろう。



 説教から解放されて戻ってきた篠原は、目を真っ赤にしていた。しかし、目元の化粧が大崩れしてないところを見ると、涙腺の決壊はなんとか持ち堪えたらしい。「飲みに行くか?」とだけ聞くと、ぐもった声で「はい」と返ってきたので、篠原がアクシデント報告書を書き終えるまで待って、駅前の飲み屋に向かった。


 そういえば、こうして篠原とサシで飲むのは初めてだなと気付く。飲みに誘っただけでパワハラと言われる時代だが、コレはセーフか?そもそも男女二人での飲みに誘うとかセクハラにならないかな。余計な心配が頭を過ぎったが、大人しくついてくる篠原をみると、どうやら杞人の憂らしかった(そうであってくれ)。



  ***



 向かったのは駅前の居酒屋。二人掛けのテーブル席に着き、生ビールを一つとカシスオレンジを頼む。

 程なくして、先出しの創作料理と共に酒が運ばれてきた。


 あれこれ注文するのが面倒だったので、そのままコースメニューを二人分頼むことにした。


「じゃ、まぁ、ひとまず乾杯」

「乾杯です」

  勢いよく半分ほどビールを呷り、本題を切り出した。

「災難だったな」

「ホントですよ」

「その言い方だと、篠原は悪くないのか?」


 志賀の問いに篠原が食い気味で答える。


「私はセンサーを付け忘れたわけじゃないんです!リハビリが終わった後、お部屋にご家族さんがいたので、帰る時にはナースさんに声かけするように頼んだんです。それなのにあの家族達、声かけを忘れた挙句、私が付け忘れたせいで脱走したってめちゃくちゃ騒いで。私が頼んだのは長女さんだったんですけど、そんなことは聞いてないし知らないって突っぱねられて、長男さんも『こっちのせいにするのか』って」


 話していて感情が昂ぶってきたのか、篠原が再び涙目になる。声も震えてきた。


「そうか。病棟も家族も、患者が離棟までしたら責任を負いたくはないだろうからなぁ」

「立場が弱い私に押し付けたわけですね」

「まぁ、そうなるなぁ」

「私が二年目で、女だから」

「二年目はそうかも知らんが、女は関係ないんじゃ?」

「いえ、私がムキムキマッチョガイなら、あの長男は絶対あそこまでオラついて来なかったと思います」

「そんな篠原は嫌だなぁ」


 捻くれた文句と嫌味と小言ばっかり言って絡んでくる後輩だが、愛嬌があるからまだ許せる。ムキムキマッチョガイがこんな絡み方してきたらすぐに転職するまである。


「まぁ、先輩がそこまで言うなら、ジムに通う案は無しにしてあげます」

「別にそんなに強くお願いしてないけど」

「もう!なんなんですか!いいんですか!?僧帽筋鍛えすぎて首と肩の境目がなくなってもいいんですか?」


 なんだその脅し文句は。


「鍛えるなら大胸筋とかにしとけよ」

「セクハラで訴えます。覚悟しといてくださいね」


 そう言うと篠原はカシスオレンジを一気に飲み干し、店員に生ビールを頼んだ。

 やってしまった。あれ程ハラスメントに気を遣っていたのに。本当に訴えられたらどうしよう。というかお前ビール飲めるんかい。


「それと、岡田さんですよ。私の言い分は伝えてるのに、ネチネチネチネチと。それでも男かってんですよ」

「篠原、それセクハラだから」

「先輩はどうしますか?先輩が私を指導する立場だったら、今回の件で私を責めますか?」


 自分のセクハラ発言を完全にスルーした篠原は、店員が持ってきたビールをそのまま勢いよく飲んで顔を寄せてきた。シャンプーか香水か、甘い匂いがふわりと鼻孔をくすぐり、心臓が一拍大きく跳ねた。


 誤魔化すようにビールグラスを傾け、背もたれに体を預けてから答える。


「今回の件か。うーん。まず患者の家族がセンサーマットの必要性を理解してるかどうか次第かな。誰かがその場を離れる時には、絶対にスイッチを入れとかないといけないって家族に理解があったなら、篠原の対応に間違いはなかっただろうけど、そこの理解が薄かったなら、家族にマット踏まないよう言っておいて篠原がスイッチ入れておかないといけなかったと思う。実際はどうだった?」

  「長女は何回も面会に来てて、私何度も帰る時にナースさんに言うように頼んでました。今回、いきなり『聞いてないし知らない』とか、どの口が言うとんねんって感じです」


 イントネーションのおかしいエセ関西弁には触れず、運ばれてきたコースの肉料理を頬張る。


「コレ美味いな」

「先輩、まだ途中ですよ。先輩が私の指導担当だったら、私をネチネチネチネチ叱りますか」

「そんなにネチネチしてたの?岡田さん」

「そりゃもう。何回説明しても、『それは言い訳だから』だの『どうしたら再発防止できるかに繋げないと』だの。初めに面会中はセンサーを切っていてもいいか聞いてきたのは家族の方なんですよ?だから病棟の決まりに沿って、帰る時にナースさんに伝えるように言ってたのに、そこを嘘つかれたら私どうしようもないじゃないですか。それで岡田さんに、今後はどうしたらいいですかって聞いたら、それを考えるのが仕事でしょとか、絶対あの人答え考えてませんでしたよ。ムカつくーー!」

「まぁ落ち着け」


 赤みのある牛肉におろしポン酢を乗せて、篠原の口に突っ込んだ。


「…おいひぃ」

「だろ?」


 篠原がもごもごと咀嚼する。リスみたいな愛らしさがあった。

  途中、篠原がびっくりしたように唇を抑えた。


「なに?唇噛んだ?」

「いえ、なんでもないです」


 篠原の頬が赤い。酒が回ってきたか。


「それで、結局どう対応することになった?」

「取り敢えず、今後は家族がいてもスタッフがセンサーのスイッチを入れる事になりました。センサーマットつけるので近付いて踏まないようにして下さい、なんて言ったら絶対クレーム飛んで来るでしょうけど」

「まぁそうするしかないわなぁ」

「先輩、そろそろ答えてください。先輩が岡田さんの立場だったら、なんて言いますか?」

「えー。そのたられば必要ある?」

「あります!」

「何を期待されてるのかわからんけども、俺も岡田さんと同じようなことしか言わないと思うよ」

「えぇ…」


 せっかく答えたのに、期待はずれだと言わんばかりの表情をされる。


「甘やかしてばっかりだと篠原のためにならないから」

「私のためを思うなら甘やかして欲しいです。なんなら患者の家族と話してる時に割って入って助けに来てくれてもいいくらいですよ」


 篠原が残りのビールを飲み干して、店員におかわりする。この神経の図太さは決して真似出来ないなと思った。


「篠原がそうして欲しいならそうするけど」

「けど?」

「篠原は割って入られたら、それはそれで悔しいんじゃないかな」

「そんなことないですよ」


 そう言う篠原は志賀の方を見ていない。嘘をつく時は目を見ろとあれほど言っているのに。


「下の代が入ってきたからちょっと焦ってる?」

「焦ってません」

「いや、ちょっとは焦れよ」

「一人前になっちゃったら、誰も助けてくれないじゃないですか」

「どんだけ厳しい職場なんだそれ。ふつうにみんな助けてくれるわ。独り立ちしたからって誰にも頼っちゃいけないなんて決まりはないからな。抱えきれなくなったら、何年目だろうが誰かに相談していいんだよ」


 反応が返って来ないので視線をあげると、篠原は届いたビールのジョッキを両手で持って、面食らったようにキョトンとしている。


「なんだ?どした?」

「それは盲点でした。私、一人でやっていかなくちゃいけないのかと」

「不安だったわけだな」

「そ、そんなことは…」

「みんなそんなもんだよ。ある日突然独り立ちできるようになるわけじゃないからな」

「じゃあ…」


 そこで言葉をきった篠原は、ビールジョッキの気泡を見つめている。頬がほんのり紅潮していて、やけに艶めかしい。

  視線が唇、首筋、僅かに覗く鎖骨へと南下してゆく。その先にはセーターニットを膨らませる双丘がある。


「先輩は私が助けてって言ったら助けてくれますか」


 篠原が言葉を発したので慌てて視線を戻した。


「え?あ、はい」

「やったー!言いましたよ!絶対助けて下さいね」

「ちょっと待て、今のはノーカン」

「おっぱい見てる方が悪いんですよ」

「見てない!おっぱいまではいってない!」

「先輩がエロちょろくて助かります。訴えられたくなかったら、私のこと気にかけて下さいね」


 エロちょろいって何?肩書きとして不名誉にも程がありすぎない?


「クソ…何かにつけて訴える訴えるって、別に脅されなくても篠原の一人や二人、楽勝で面倒見てやるってのに」

「え、先輩らしからぬ男らしい発言」

「気が変わった。お前は一人で生きていゆけ」

「あー!ごめんなさい!先輩かっこいいー!」


 こんな調子で、気付けば二人で大笑いしていた。

 篠原のストレス発散に付き合うつもりでいたが、なかなか自分もストレスが溜まっていたらしい。

 篠原との会話はウザ絡みされるものの、彼女がひとりでに話し続けるため、会話が止まって気まずくなる心配がない。案外、悪くない時間だと感じた。


 高まったテンションは酒のスピードを早める。この時、篠原が酒に強くない事を知っていれば、陽気におかわりし続ける彼女を止めることも出来ただろうに。

 その可能性に気付かない程度には、志賀も楽しく酒に呑まれていた。



  ***



「せんぱぁ〜い」

「寄りかかるな。ちょっとは自分で立て」

「世界が回ってますよ〜」

「回ってるのはお前の目!頼むからシャキッとしてくれ」

「せんぱい歩行介助下手ですよぉ〜」

「お前実は酔ってないだろ!」

「はい!私酔ってませーん!」


 哀しいかな、酔った人間は何故か酔っていないと返事するのだ。

 脇の下から抱えれば首が据わらず、頭を寄りかからせれば足が立たず。これは無理だ!


「すまん篠原、抱えるのは無理だ。おんぶでいいか」

「先輩ならいいれふ」


 了承は得た。篠原がスカートでなくスキニーパンツを履いていてくれて助かった。


「俺なら迷惑かけてもいいって意味ならぶっ飛ばすぞ」

「先輩の背中がいいんでふん」

 背負うや否や、篠原が顔を肩に埋めてくる。

 脱力した人間は驚くほど重い。女性にこんなセリフを聞かせたくはないが、口の端から「おもっ…」と漏れる。


 背負ってから気付いたが、背中に柔らかい感触がある。誓って、それ目当てでおんぶに移行したわけではない。完全に失念していた。

 しかし、ここまで厄介を被っているのだから、それくらいは許されよう。ずるりと落ちかけた篠原をおぶり直すと、アルコールで収縮した血管に圧力がかかったのか、こめかみに鋭い痛みが走った。


「もうやってらんねぇ…」


 志賀の情けない声に反応したのか、篠原が肩のあたりでもごもご何かを呻いている。もう一度高く背負い直して口を自由にしてやる。


「先輩…私…」

「なに?」

「指導担当…先輩だったら良かったのに」

「歳が近すぎるわ」


 懐かれる事自体に悪い気はしないが、それなら普段からもう少し素直になってくれてもいいのにと思った。


「そういえば、お前家どこ?」

「ん〜。先輩…気持ち悪い」

「マジで?それだけは勘弁して?」

「うぅ〜」

「篠原!?それだけは我慢して!?」


 一世一代の大ピンチだ。おぶっている限り逃げ場がない。慌てて篠原を降ろそうとするが、ダムの決壊の方が早かった。


「うぇぇっぷ」

「マジでそれだけは無理無理無理」

「うべぇぇぇぇ」

「あああああああああ」


 ------------------------------------------------


 カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる。頭が痛い。二日酔いだ。

 このまま仕事と言われれば、仮病で休んでしまおうかと考える程の倦怠感だったが、幸いにも今日は休みだ。


 キッチンまで這うようにして移動し、なんとか立って冷蔵庫から水を取り出す。昨日の帰り道に自販機で買って、半分程一気飲みしたその残り。カラカラになった喉に流し込むと、3口ほどで中身が空になった。


「さて、どうするかなぁ…」


 昨日、完全にダウンした篠原を背負ったまま途方に暮れた志賀は、腹を括って自宅に歩いて帰った。

 泥酔した人間を乗せてくれるタクシーはなく、ホテルに入る勇気もなかったからだ。


 不可抗力だった。頭を抱えながら、志賀はうわ言のように「仕方なかったんだ」と呟いた。


「んん…」


 一人暮らしの自分の家から、自分以外の人間の寝言が聞こえてくる。夢ならばどれ程良かったでしょう。

 流行りのPOPアーティストがそんなフレーズをメロディに乗せて歌っていたなと、志賀は哀しく鼻歌を歌って、そのままキッチンの床で2回目の眠りについた。


 篠原の絶叫で叩き起こされるのは、もう数時間あとの話だ。


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