厄介な後輩
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「先輩、昨日仕事終わり何してました?」
「は?」
翌日、スタッフ室に入ると、先にデスクに就いていた篠原が目も合わせずに問いただしてきた。どことなく語気が強い。なんだその浮気を見抜いた団地妻みたいな態度は。
昨日といえば花火そっちのけで逢坂の横顔を見つめ続ける幸せな時間を過ごしていた訳だが、そんな答えを返せばセクハラで御用だ。
というか、今まで篠原がプライベートの事を聞いてきたことなど無かったのに、今日はいきなりどうしたのだろうと、志賀は首を捻る。まさか目撃でもされていたのだろうか。
「花火大会、誰かと行ったんですか?」
篠原の詰問は続く。
「え?いや、昨日はすっかり忘れてて」
「観てないんですか?」
「いや、仕事終わりに思い出して」
「そのまま誰かと行ったんですね?」
いや、絶対知ってるだろこの反応。なにこの娘、超怖い。
「逢坂さんが案内して欲しいって。それで、行きました」
外堀の埋め方に狂気を感じたせいか、敬語になってしまった。
「二人きりで?」
「きりって言い方するとなんかエロいな」
「いや、それは意味わかんないです」
えー?″二人きり″ってなんかエロくない?急に距離が迫った感じしない?しないか、しないな。
「先輩、やっちゃいましたね」
「いや、ヤってはないよ」
「朝からやめてもらっていいですかセクハラで訴えますよ」
「あれぇ?今そっちから言ったよな!?」
「私が言ったのは! 逢坂さんに手を出してしまいましたねという意味です!」
だから手は出してないって!と言っても水掛け論なので、沈黙で継ぎの句を促す。
「逢坂さんは秘密のファンクラブがあるくらいの、リハ科のマドンナなんですよ。二人きりで花火を観に行ったなんて知れたら、先輩刺されますよ」
「マジか、俺の作ったファンクラブそんな物騒な事になってんの」
「冗談なんで、乗らなくていいです」
「え? 冗談? あ、はい。冗談ね、はは」
「まさかホントに作ったんですか?」
「いや冗談冗談さすがにそれはない」
危ない。うっかり墓穴にダイブするところだった。
逢坂ファンクラブというのは確かに存在した。逢坂のキュートなポイントについて語り合っていた、SNSのグループチャットの名前である。
人生の華やかさに飢えた独り身の寂しい哀れな男性陣(自分を飲みに連れて行ってくれる先輩達)が、酔った勢いで「今日の逢坂さんはこんなに可愛かった」と情報を共有し始めたのが事の発端だった。
意外と盛り上がりったので、いつも飲むメンバーのグループチャット名を「逢坂ファンクラブ」としたのだ。
先輩達に続々と春が訪れ、飲みに行く機会が減ったのでグループチャットは解散したのだが、まさかこんなところで再び名前を聞く事になろうとは。(恐らく篠原は口から出まかせ言ったのだろうが)
「で、お前はなんで昨日の事知ってるの?」
「とある情報筋から聞きました」
「嘘をつく時は相手の目をみましょう」
「うぐっ…たまたま駅で見かけたんですよ!」
「ということは篠原も昨日花火を観に行っていた」
「そうですけど。あ、誰と行ったとか聞いてきたらセクハラですよ」
世知辛いな最近の若者は。誰と行っていたか聞きたいのは確かだが、別に篠原のプライベートに興味があるわけではない。断じて、これっぽっちも。というか今お前がまさにそのセクハラを俺にしてきている訳だが?と腹が立ったので、強行策に出る事にした。
「職場の人?」
「だから、セクハラですって!」
「大丈夫、俺はお前に微塵も性を感じない」
「ホントに訴えてやりましょうか」
「いいから、誰の口を封じればいいのか知りたいだけだから」
「こわっ」
「恐怖を感じてるのはこっちだわ。お前が刺されますよなんて言うから」
「嘘です。刺されはしないです。安心して夜道を一人で歩いてください」
今度は目を見て言ってきたので、本当に嘘なのだろう。ビビらせよってからに。
とはいえ、逢坂と花火に行ったなんて話題は、広まらないに越したことはない。篠原に借りを作りたくはないが、それよりも保身が優先だ。
「絶対に言いふらすなよ」
「誰に何を?」
篠原が無性に殴りたくなるニヤつき加減で聞き返してくる。
「だから! 他の誰にも、俺と逢坂さんが花火に行ったことを…」
「志賀くん、そんな大声で言わないで欲しいな」
困ったような照れたような、それでいて威圧感のある声が後ろから発せられた。
振り返ると、今日もバッチリ美人の逢坂が、人差し指を唇に当てながら立っていた。その視線は自分に加えて、篠原にも向けられていた。
「お、逢坂さん…おはようございます」
志賀は慌てて辺りを見渡す。いつも通り業務開始時刻より早く出勤しているおかげで、ここにいる三人以外の人間は見当たらなかった。間一髪だ。
「と言うわけだ篠原。他言無用で頼む」
「じゃあ今度ご飯奢ってくださいね」
「揺する気かよ」
「口止め料としては安い方じゃない?」
「逢坂さんまで乗らないで下さい。コイツホント容赦ないんで」
「先輩、最近駅前に新しく焼肉屋さんが出来たらしいですよ?」
もっと可愛いもんを頼めお前は!
結局、来週末に焼き肉に行くことになった。新しくオープンした焼肉屋というのが叙々苑だと判明し、流石に奢るのが辛いと逢坂に泣きついたら、三人で行って篠原の分を折半しようと提案してくれた。
逢坂も来ることを篠原に伝えると一瞬頬が膨らんだが、「じゃあ遠慮なしにもっと食べられますね」とすぐ笑顔になった。
厄介な後輩を持つと苦労する。なんで俺が集られなければならないのか。そもそも先輩に生意気すぎない?指導担当はちゃんと躾しよろと心の中で愚痴をこぼす。
「志賀ちゃん志賀ちゃん」
「はぁ、俺も人の金で焼肉が食べたい」
「大丈夫? 連れて行ってやろうか?」
「あ、はい。え? いえ! 大丈夫です!」
思わずバカみたいな独り言が漏れていた。
志賀は振り返りながら姿勢を正す。自分のことをちゃん付けで呼ぶ人間はリハ科に一人しかいない。主任の金沢だ。
「辛いことがあったら上司に相談ね」
「うぃっす。なんでもないです」
金沢は普段から飄々としているが、気配りのできる素晴らしい人格者だ。昼休み返上の業務続きでも、今の職場をを辞めてやろうと思わないのは彼の存在が非常に大きい。
三年目になって少し砕けて会話できるようになったが、この人に悪く思われてはいけないと、無意識のうちに背筋が伸びるのに変わりはなかった。
「ところで何かご用が?」
「あぁそうそう。昨日新患で渡した膝の女子高生ね、しっかりリハビリしたいって希望だったから回リハ方向で」
「あれ、靭帯再建って回リハいけるんですか」
「膝の疾患だからいけるよ。期限は短いけどね。どのみち夏休み終わると同時に退院って言ってるらしいから、一ヶ月くらいだと思う。ハーフは逢坂さんに頼んどいたから」
「わかりました。スケジュール組んどきます」
「よろしくねー」
回リハというのは回復期リハビリテーション病棟の略だ。
ここは積極的な社会復帰を目指す人達が入院する病棟で、対象疾患となる患者しか入棟できない。対象疾患は人工関節置換や脊柱の骨折、脳神経疾患をはじめとした、比較的病態が重度なものが多く、回リハ病棟に元気な女子高生が入棟するイメージはなかった。
回リハ病棟の患者はカンファレンス等の業務が多いため、担当が二人制となっている。
今回の相方は逢坂さんとのこと。一年目に指導担当してもらっていた時以来のハーフだった。正直に言うと、緊張する。
逢坂は仕事の早さが半端ではないのだ。実際に書類を作成するスピードもさることながら、仕事に取り掛かるタイミングが非常に早い。
十日後に退院と言われれば、他の人間は退院の三日前くらいに退院時サマリー(情報提供書)を書き始めるのだが、逢坂は伝えられたその日のうちに仕上げてしまう。
基本的に仕事を積み重ねず、それでいて処理するタスクの優先順位付けも間違わない。彼女が仕事に追われている姿を見たことがなかった。
そんな彼女に指導された自分は新人の頃、ハーフの患者の退院が決まった次の日には「サマリー書けた?」と聞かれ、その日の午後によし書こうと電子カルテを開くと既にサマリーが作成されている、という出来事をしばしば経験した。
仕事の消化速度を彼女に合わせるとかなり焦る。もちろん逢坂は、これが普通だとでも言わんばかりの態度なので、他の人に合わせたりしない。遅い仕事を待つほど彼女は優しくない。相手が一年目だろうとそれは変わらず。一年目のスタッフは初めのうち、サマリー等の書類が一人で作れるように練習を行うものなのだが、逢坂はわざわざその機会を作ってくれたりしない。機会はこちらから奪わなくては、なんでもないような顔で「もう書いといたから」と言われてしまうのだ。
指導担当した新人が一人前に育とうが育つまいが、逢坂はそんなことは露ほども気にしてはいない。それに気付いてからは必死だった。
仕事の出来ないダメ人間にならないため、なにより逢坂に愛想を尽かされないための毎日だった。
結果、″仕事が早い″と評されるまでに成長することが出来た。(それでもまだ朝早く出勤してはいるが)
後手に回ってばかりだった一年目とは違う。成長した自分を見せる時が来た。見てろよ、全部先手を取ってやるぞーと、志賀は鼻息を荒げた。
午後、神崎の病室を訪ねる。昨日とは違う病室。神崎は今日の昼に回リハ病棟に転棟となっていた。
「失礼しますよー。神崎さーん」
「あ、来た来た」
カーテンを開けると、神崎が待ってましたと言わんばかりに身を乗り出していた。
「ん?なに?」
「遥先生が午前中に来て、午後に志賀さんがまた来るよって言ってたから」
ハルカ…先生?記憶を辿ると逢坂の下の名前だった。逢坂は今日が初回の介入な筈だが、もう下の名前で呼ばれているのか。流石女子高生。距離の詰め方が尋常ではない。そういえば高校時代、話したことないのにいきなり下の名前で呼んでくる奴とかいたなぁ。
物思いに耽りそうになったが、センチメンタルになると老いを実感するので、思い出を頭の中から取り払った。まだ若いから。
「そうそう。今日からリハビリは一日二回ね」
「もう先生と話したいことが山盛りなんだよー」
神崎が枕を抱えながらケラケラ笑う。嫌な予感がして、額に汗が滲んだ。
「ひとまずリハビリ室に移ろうかな」
「はーい」
ニヤニヤしながら素直に車椅子に乗り移る神崎。
昨日の時点ではこんなに愛想よくも馴れ馴れしくもなかった。自分と接点のないところで態度が急変したということは、即ち誰かとの会話で自分の話題が出たということだ。
その予想は間違っていなかった。