不幸で弱々しい生き物だけれども
玄人からスマートフォンを受け取った坂下は、いかにもなベテラン警察官の声を出して玄人の祖母に呼びかけ始めた。
楊が余所行きの声と小声で揶揄っている。
しかし、そんな良い声を出した所でも相手の反応がイマイチのようで、再び自己紹介から始めた。
「私、はい、先ほど申し上げた通り、神奈川県警警備部の坂下克己警部でございます。いえ、ですから、詐欺ではなくて、はい、本当に警察でして。あの、すいません?もしもし?もしもし?」
どうやら通話を切られたらしい。
玄人は坂下にスマートフォンを突き出されて、受け取りながらも目線を坂下から避けて弁当を食べている。
「玄人君。君のおばあちゃんが僕をオレオレ詐欺だと決め付けるんだけど、どうして?」
玄人は目線を絶対に坂下に向けない。
「ねぇ、どうして?」
坂下は玄人の隣に膝を降ろすと、がっちりと背中側から玄人を抱いた。
「どうしてかな?玄人君。話してくれないと、俺は君のほっぺを舐めるよ。」
坂下の脅し方は楊と似ていた。
これが体育会系という奴か。
当たり前だが文系の玄人は本気で慌てだして、坂下への言い訳をたどたどしくし始めた。
「ぼ、ぼぼ僕から祖母に電話した事がないから、えと、あの、オレオレ詐欺だと思い込まれてしまいました。」
坂下が凄く良い笑顔で玄人に微笑んだ。
「でも、訂正も何もしないで俺に電話を渡しちゃったんだ。」
「ひゃっ、あの、おばあちゃんに説明するのが面倒になっちゃって。」
玄人は坂下に頭をバシッと軽く叩かれた。
「あーもう、そんなにクロトを苛めないで下さいよ。かわいそうに。」
弁当を食べ終えたらしき山口が坂下から奪うようにして武本をぎゅっと抱きしめ、抱きしめられた玄人は再びきゅうっとなっていた。
「ほら、俺たちはそろそろ行かないと。」
そこに山口から玄人を引き離した男が現れたのだ。
葉山は山口から玄人を引っ張り出すようにして立たせると、彼の肩を仲間にするような感じで軽く叩いた。
玄人は葉山のそんな仕草に大喜びだ。
彼は同世代の同性に仲間に入れてもらった経験がないからか、そういった仲間と認められたような仕草に一々感動するのである。
その証拠に、今や玄人の顔には満面の笑みが広がっている。
葉山によって輝いた美少女顔を目にすることで、玄人の後ろの山口は不満顔で、反対に武本を見上げる形の坂下が呆けてしまったのにはお笑いだが。
「じゃあ、クロ、ご馳走様。それでは、松野さん。会場をありがとうございました。」
「会場ってなによ。」
「それじゃあね。葉子さん、また。」
山口も軽い挨拶をすると、若い二人組は仕事へと消え、再び玄人に視線を戻すと、彼はソファの脇にしゃがんで丸くなっており、電話でなにやら話していた。
「だから、さっきのも僕だって。ここ松野葉子さん家。オレオレじゃなくて、島田のおじいちゃん家がこの間の殺人者に狙われているかもって。そう。人前で正太郎じいちゃんに電話を掛けて安否確認していいの?そう、そういう電話。だから、僕も騙されていないって。おばあちゃんが無くした翡翠のブローチは、丸鏡台の引き出しの奥に入っているって。あるって。だから、引き出しから零れて奥に行っちゃったの。青森に電話して家の者に確かめてもらえばいいでしょう。」
玄人は自分が注目されている事も気付かず、電話を切って振り向くとバンと座卓に置き、そして偉そうな顔つきのまま坂下を押しのけるようにして座卓の前に座り直したのである。
それも胡坐になってだ。
数分のうち、彼のスマートフォンが座卓上で揺れ、彼はそれを偉そうなそぶりで受けた。
「そう、あったでしょ。そう、僕本人。騙されていないって。いいの?いいんだね。え?何?ちょっとまって、買ったばかりの友禅の行方なんか僕が判るはずないでしょう。翡翠は昔からのウチの品だから判るけど、それは判らない。どうしても、だったら、加奈子伯母さんのお店で好きなのを持っていけばいいでしょう。真っ黒な太陽みたいな、すごくいい柄が見えるよ。え、そこに隠していたの。何をやっているの。うん、いいんじゃない。いいよって。じゃあ、切るからね、切るよ。」
再びバンっと座卓にスマートフォンを置いていたが、俺はこんな乱暴な振る舞いをする玄人を初めて見た。普通の子である。
会話内容は普通じゃなかったけれども。
「おい、真っ黒な太陽って何だ?」
「さぁ。そんな柄が見えたってだけです。初めて見えた柄だから、新人絵師の作品でしょうか。加奈子伯母さんは職人を育てるのが好きですからね。」
どうして着物の柄が判るのだと背中にぞっとしたものが走ったが、俺同様に背中に何かが走ったらしい楊が、おどおどと玄人に続けて尋ねていた。
「武本くん。翡翠とか友禅って、何?ちゃ、ちゃんと説明してくれる、かな?」