情を排せる者
実際に痛めつけられ気絶をし、その度に彼は、立松が以前に殺した人間達の苦しみや過去を、里桜と言う女性の姿で体験するという状態にあったが、叫び痛がるそれだけだ。
結局、彼は自分の力を使わなかったのだ。
耐えきれずに力を使ったのは男の方である。
可愛い彼の手に穴を空けた男の右腕を使い物にならない腕にして、そして、立松を殺したのは彼自身なのである。
「こいつは撃ち殺してはいけないとは、なぜですか?」
立松はワイヤーで肉を深く切り裂かれた右足を抱えて、ぎゃあぎゃあと叫びながら血花を咲かせながら廊下に体を転がせていた。
南部が泣きわめく立松を見つけるや否や立松に銃を向けたのだが、それを男が制止したのである。
そこで南部が自分の要求を通せなければ彼をも殺すという殺気を漲らせ、自分の上司である男を睨んでいるのだ。
「君の受けた痛み、里桜ちゃんの受けた痛みを、彼が受ける事なく簡単に死なせていいの?あの百目鬼君が誰も殺していないのはね、見て来たでしょう、誰も彼も一生残って苦しむ傷を与えたからだよ。もしかして、君が撃ち殺すよりも、これから生きていく方が彼等は不幸だったかもしれないね。……あぁ、しまった。君がせっかく果たせた復讐の高揚感に僕は水を差してしまったかな。ふふ。」
南部は口元に手を当ててくすくす笑う男から目を背け、自分のしてしまった結果を思い出したかのように歯噛みをした。
親友への意趣返しだろうが、単なる救難信号であったのだろうが、今となっては南部自身にもわからないが、ただ一つ間違いない事は、南部のやったことによって、罪のない青年が立松によって拷問されて殺されたのである。
その結果は、南部の復讐の高揚感を全て萎えさせ、死んだ婚約者への気持ちにまで水を差し、後悔しか今は無いのであろうと、男には手に取るようにわかっていた。
理解して、南部を後悔から解放させた上で終わらせなければならない事に、うんざりとした感傷も感じているのである。
半年も一緒にいれば、情が移るものでもあるのだ。
「まぁ、いいよ。こういう反吐の出る仕事はね、自分で成すよりも他人がするのを眺めていた方が楽しいんだよ。仕置人とか仕掛人とか、夜中の時代劇は楽しかったでしょう。」
「時代劇、ですか。」
男は最近はテレビ時代劇などが放送されておらず、南部ぐらいの若者が時代劇自体を知らないという事を忘れていた。
南部の反応に、勧善懲悪で活劇のある楽しいドラマが消えてしまったと、男が抱いている鬱屈が思わず吹き出してしまったのは仕方が無いと言えるだろう。
「面白いのに!」
子供のように声をあげて抗議をしておいて、だが自分の感情的になった行為を誤魔化すかのようにふんと彼は鼻を鳴らした。
余裕があるからこそふざけているという笑顔を顔に浮かべなおすと、男はいつの間にやら叫び声を抑え込み、否、脅えきって声が出なくなったほどに萎縮していた立松を見下ろした。
百目鬼はこの男が逃げるだろうと確信していた。
拳銃を持っていようが、持っているからこそ、その拳銃を手ずから奪われれば、臆病者は脱兎のごとく逃げるのだと想定していた。
人を押さえつけねば回し蹴り一つ当たらない男が、身ぐるみ剥がされた時に何ができるというのだろう。
「すごいね。君は百目鬼君にとって仇であっても、自分の手を汚すほどの価値が無い生き物だったんだよ。そう、生き物。獲物、かな。いや、害獣駆除の方の害獣か。ネズミやモグラ程度の小動物。罠を仕掛けて、かかったら、はい、お終いだ。君は必死で、それはもう、手下など助けようとも一片も考えずに、走って走って走って、ワイヤー糸に自分で足を引っかけたんだね。知っている?糸はここにしかかかっていないよ。君は百目鬼君に行動を完全に読まれているね。」
「は、はひ、ひっ。」
百目鬼と対面した時にも立松は尿を漏らしており、百目鬼の事を思い出させた男の眼下では、立松は再びアンモニア臭をふりまいて、脅えた涙目で男を見上げていることしか出来なかった。
立松には百目鬼は怖かったであろうと、男は思った。
百目鬼は立松に何の感情も見せなかった。
ゴキブリがいたから潰した、そんな行動を立松にして見せただけである。