喉の痞えのようにして、重苦しさが己をむしばむ
西日が煩いといつもの黒眼鏡を掛けた。
同じ風景でありながら、シェードがかかった違う風景に視界が変わる。
俺が見ている世界と、玄人の見ている世界は違うのだろうか。
隣の楊は確実に違ってるだろう。
彼は病室で玄人に逃げられたと叫んでいた時よりもしょぼくれており、印象的な彫の深い目元には泣いたかのように赤くなっていた。
瞳には光も消えている。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないかもしれない。あぁ、胃がむかむかする。」
病院を出る前に彼の相棒の髙からの電話があり、彼はその電話の内容を笑顔のまま聞いていたが、通話が終わりスマートフォンを懐に片付けると、病室のトイレに駆け込んで吐きだしたのである。
電話の内容は昨日の早朝に楊が立ち会った貯水池からあがった水死体についてだが、その死体の身元と死因が殺人と確定した事と、被害者達が世田谷区民であるが相模原東署の案件になったのだという知らせだ。
池に浮かんだ三体の遺体が、玄人のマンションに落書きをした三人であったのだ。
「まぁ、ろくでもない奴らでも、死んだって知らせはねぇ。」
「そんな情報程度で僕は吐きません。身元は俺が立ち会った時点で俺が判ったからね。殺されたって言うのもね、わかりすぎるほどにわかっていたさ。俺はね、ちびに伝え辛いなって考えていた程度だよ。俺が吐いたのは、ただの寝不足。死体を見たぐらいじゃ、ベテランさんの俺が吐くわけ無いでしょう。」
「死体を見たぐらいじゃ吐かなくなった自分に反吐が出たのか。――そうじゃないだろ。どんな死体か知らないが、お前はその死体をクロに変換してしまったんだろ。」
「――すごいな、お前。俺じゃないのに俺よりも俺を知っていやがる。そうだよ、俺はね、昨日の哀れな死体風にちびが殺されるイメージが湧いたんだよ。俺が事件を解決できなければ、ちびがそんな目に遭うってね。でもさぁ、そんなイメージが湧くってさ、俺はサディスティックな変態なのかね。それでちびが俺から逃げるのかなぁ。」
「――ただの職業病じゃないの?かわちゃんさ、いい加減に警察を辞めたら?」
「――潰しがきかないから無理。」
楊はぽつりと悲しそうに言うと、玄人のように頭を下げてとぼとぼと再び歩き始めた。
そしてしばらく俺の脇を歩いていた彼がぴたりと足を止めると、下げていた頭をあげて目の前に聳え立つ建造物を睨みつけたのである。
俺達の目の前には、玄人の母校だった小学校の校舎が聳え立つ。
世田谷にしては広い校庭だと見渡せば、遊具がいくつかあるのだが、大人の目が無い所で事故が起きて欲しくないのか、ビニールテープでジャングルジムも鉄棒も子供が入れない様にぐるぐる巻きにされており、まるで殺人事件が起こった現場の様であると俺は一瞬感じた。
「クロの事を考えているせいか、この小学校は暗く見えるね。」
「暗いっていうか、俺達が小学校の時って、もっと開放的じゃなかったか。なんか、建物自体もものものしいっていうかさ。」
「あぁ、後付け工事の耐震補強がされているからね。」
白い外壁には全て交差した鉄骨がバツ印を作っているという風に、建物全体に鉄骨フレームが張り巡らしてあるせいであろう。
「ここまでやっても、耐震ってさ、横揺れに関しての耐震でしか無いんだよね。建物が倒壊する揺れは、横揺れでなくって縦揺れだというのにね。」
「不動産関係の男が、耐震補強が無意味ですって、そんな怖いことを公言するなよ。」
「無意味でもないけれどね。実際に少々の揺れに対して壊れにくくなる。そして、耐震を施した事によって地震保険の保険料が安くなる。」
「あぁ、保険。俺の自宅を全損にしてくれなかった保険。住めないのに。」
「恐れ入りますが、何か御用でいらっしゃいますか?」
くだらない話をしていた俺達はいつの間にか小学校のエントランスに入っていたようで、木でできた靴箱がずらっと並ぶ懐かしさもある風景の中におり、俺達に声をかけたのはやせぎすの高齢の男であった。