黄色はどちらにも転ぶから
僕は死んだ玄人が吐き出した、あの蜘蛛達の一匹だったのではないか。
何もないプールの底を見つめ続けていると、プールの底に沈められた少年の姿だけが具現した。
彼はのっそりと立ち上がり、黒く染まりながらプールから上がり、のそのそと歩いてプール場を出て行った。
「あの日僕は生き返ったけれど、死んでいた僕は死神に成ったのだと――。あるいは、僕も、あれも、死んだ玄人が放った術具の一つなのかもしれない。」
「違うよ。違う。」
山口はそういって僕に振り返る。
彼の猫の目のような瞳は泣いていたのか煌めいていて、その綺麗な瞳の温かさで、彼は僕を断罪する気が一切ない事を知った。
彼は僕の背中に両腕を回すと、僕を優しく抱きしめた。
「違うから。たとえそうだとしても、あれはもう君じゃないよ。あれがしたと言い張る事に、クロト、君が思い悩む事なんて何一つ無いんだ。」
僕は彼の優しさに顔をあげると、彼の両肩を掴んで自分の頭を彼の首元に当てた。
温かい彼のぬくもりと、安心できる彼の鼓動の音。
いつのまにか山口は僕を抱きしめなおしていたが、何時もの冗談のぎゅうと抱く抱き方ではなく、慰めて寄り添うためのような抱き方で、僕はいつしか父親代わりの孝継にしがみ付いていた幼い玄人の気持ちに戻っていた。
今の僕は愛されている完璧な子供だ。
「淳平君、ありがとう。」
目を瞑ると、ざわざわざわざわと僕の足元で騒ぎ立てるものを感じた。
蜘蛛達も僕を慰めようと、僕を守ろうとしているのだ。
それなのに僕は彼らに感謝するどころか彼らに脅える様になってもいる。
戻って来いと呼び寄せておいて、常に僕を包むようにいる彼らに何と酷いことか。
言い訳をさせて貰えれば、僕の怯えは、昔はぶくぶくと蠢いているようにしか感じなかったのに、ざわざわとした彼らの騒々しさが僕に何かを訴えているからだ。
言葉がわかるようになったら、僕は変わる?
変わってしまったから、僕は彼らの騒々しさがわかるようになったの?
「僕を殺した人達を僕は殺し続けている。これは楽しいよ。僕を君の中に戻せばきっとその楽しさを楽しめるのにね。」
深夜、毎晩毎夜、蜘蛛達のざわめきが大きくなると、僕だと名乗ったあの死神が僕の枕元に必ず立っていて、そして、僕の耳に彼が殺した人間の名前を吹き込むのである。
いじめの主犯の林裕一、小島尚吾、金田覚、藤井龍、松崎美喜、鈴木麗子、奥田勇。
そして、立松に殺された里桜の妹の安藤夕映子。
僕は山口に頼んで林と安藤以外の七名の死亡についての裏付けを取ってもらっていたが、その作業に必要だろうと、世田谷の自宅に置いてある小学校の卒業アルバムを取ってきてもらい、そのまま彼に押し付けてもいる。
それなりに楽しかった中学校や高校の卒業アルバムは残っていないのに、不幸ばかりで僕が載っていない、卒業式にも出ていない、それなのに手元に残っているアルバムである。
山口は自分のものを自分で捨てられない僕の習性を知っているからか、アルバムの処分をも請け負ってくれたが、いじめの実態を確認したいから加害者を色分けするようにと僕に色ペンを手渡した。
彼はやはり根っからの刑事なのかもしれない。
「記憶喪失の君には無理かもしれないけれど。」
「いいえ。名前も覚えていないけれど、映像は記憶にありますから。それに、今の僕には教えてくれる蜘蛛がいる。」
僕は他人を煽る人間が一番怖い。
だから、記憶の中で玄人のいじめをはやし立てている子供達を赤丸で囲んだ。
それから、確実に実行犯だという子供達を青で、そして、残った子供達を全部黄色で丸を付けた。
「赤が多いね。青い子は安全?林君も青だよ。彼は整形していたから間違った?」
「いいえ。青はブルーな気分だから、出会うとブルーな気持ちになるから実行犯です。赤は、煽る人達。彼らが騒ぐといじめが始まるの。まるで、彼らが号令をかけているように。」
「……黄色は?」
「今は大丈夫でも、どちらにも転ぶから、…………注意。」
「もう怖くはないから。」
彼はそこで僕を今のように抱きしめて、しばらく寄り添ってくれたことも思い出した。
僕だけを求めて、僕からの愛が無くとも、僕だけを愛している孤独な青年の体は温かく優しく、僕は彼に愛を返せない代わりに、今の自分でできる限りの力で抱き締め返した。
「ありがとう。淳平君。」
「いいよ。それよりも病院に戻ろうか。君も疲れて来ているでしょう。」
僕は病院を逃げ出していた。