ここが最初の地で玄人にとっては最後の場所
ここが最初の地。全ての始まりの場所。
玄人が虐められた小学校のプール場だ。
建物の屋上に設置され、高いフェンスに囲まれたそこは、玄人が殺されてから利用されることが無く、廃墟の雰囲気を醸し出して小学校と言う精気溢れるはずの建物をうらぶれさせていた。
いや、今は春休みだから、どこの教室にも子供達はいないから、この建物自体がもともと廃墟のようなのかもしれない。
それとも、玄人の記憶を通しての印象があるから、僕には小学校が廃墟のようにしか見えないのであろうか。
ここは玄人が殺された現場であり、打ち捨てられた本物の彼の墓場なのだから。
玄人への虐めは四年生から始まって、このプールでの出来事が起こる日まで三年近くにも及ぶ。
虐めの内容は日を重ねるごとに酷くなり、最後にここで玄人は殺され、八年もの時間を経て、ようやくの今、誰もいない小学校のプール場で、保護者用の観覧席に座って空っぽのプールを眺めているのだ。
力尽きた体を山口にもたれさせるようにして、彼と二人で。
「クロトはここで死んだというの?」
彼は僕の肩に腕を回して強く僕を引き寄せているが、僕の顔どころか僕の方も見ない。
彼にしなだれている僕も彼を見ない。
僕達は空のプールを見通しているのだ。
僕の記憶と、現実に起こった場所の記録を読み取りながら。
九月になって最後のプール実技の体育の時間。
空のプールには水が満杯に張られ、太陽光線を波打つ水が反射して、水面はキラキラと眩きだす。
無人だったプールには、子供達の耳を劈く騒々しい笑い声と一緒に子供達の姿が次々と浮き上がった。
まずは静止画。
数人の日焼けした男の子に囲まれた、白い肌の痩せた男の子――玄人だ。
彼は囲まれて怯えている。
僕達が彼を認識し始めて静止画は動画となった。
玄人は怯えて後ずさるが、囲まれていて逃げられない。
彼を囲んでいるのは七人の少年。
七人の少年達から一歩離れた場所には主犯の王がいる。
「ち、近付かないで。」
彼らの行動の意図を感じ取り、玄人は怯え、それは彼らに喜びを与えた。
「先生!僕のバタ足見て下さい!」
「先生!僕のほうも!」
二人の生徒が教師の気を引くが、彼らはその係りなのだ。
教師は自分を呼ぶ子供達の方へ振り向いた。
「やれ!」
命令をしたのは玄人と同じように日焼けをしていないが、玄人よりは色黒の少年。
十一月に死を確認された林裕一だ。
彼の号令で一斉に少年達は玄人に襲い掛かる。
数人に掴まれ抱きつかれ、抗う彼をプールの底に沈めて、彼が浮かばないように全員が足で押さえつけた。
沈められた少年を気付くものはいない。
いや、気付かないのは教師だけだ。
クラスの子供達は全員知っていて、興味深く目を輝かせて虐殺を楽しんでいるのだ。
助けて助けて助けて助けてと、少年は声なき声を必死にあげる。
これは計画的犯罪であるからして、哀れな少年を助けようと動く者など誰一人いない。
沈められた少年は、手足を踏まれて押さえつけられ、あがく事さえもできない。
恐怖で必死に空気を求めるが、気管に流れ込むのは塩素で臭い水だけだ。
暫く後、塩素ではない鉄の味がする最後の空気を含んだ水が沈められた少年の口から吐き出され、彼の苦しみも恐怖も絶望も何もかも、そこで、終わったのである。
ここまでは玄人の記憶をも使った映像の再生だ。
これからはこの土地そのものからの記憶に頼る。
「クロト。あそこに泣いている女の子達がいる。」
山口が指をさすと、プールの端の方でお互いを抱き締めあいながら、玄人の沈んだ殺害現場を見つめている少女達の姿が存在していた。
彼女達は僕の吐いた最後の息、それも赤く濁った水泡を目にして一斉に叫び声をあげ、僕が沈められた地点を指差した。
教師は少女たちの異変にそちらを見て、そして指差された場所の意味を知り、日焼けしているその顔からわかるほどの血の気を失わせた。
「何をやっているんだ!」
教師が子供達を押しのけて底に沈んだ少年を引き上げたが、意識のない少年はぐったりとしているだけだ。
彼は少年を抱えてプールを上がり、プールサイドに横たえて蘇生を試みていたが何の反応も返らない。
すると彼は僕達の方へ駆け寄って来た。
僕達の見学席に教師の私物があったのだ。
彼は椅子に置いてある携帯をつかむと救急へ連絡をし、少年の蘇生を再びし始めた。
しかし少年に反応が戻ることもなく、異変に駆けつけた他の教師達に囲まれ、そしてプール場から別の所に運ばれていった。
風景はそこで終わり、後にはひび割れツタのような草までも生やした空っぽのプールの姿に再び戻った。
「僕の殺人未遂事件後に、この学校ではプールが使用禁止になったのです。プール実技は数百メートル先の中学校のプールで保護者参加で行っているそうです。虐めをする子は親の前では皆良い子ですからね。」
隣の山口は何も言わない。
ただ、僕の手を握る力が強くなっただけだ。
あの日、きっと玄人は死んだ。
あの日以来、玄人の記憶を読めても、僕は武本玄人であるという実感がないのだから。