ぷしゅ~って
俺は玄人がオカルト物件であったことを失念していた。
六月六日の午前六時に生まれた彼は、見えないはずのものが見えるという特技を備えているオカルト物件であり、俺が彼に出会った最初の待ち合わせでは、あるはずのない道からやって来たと言い張り、その道は数年前に潰されたと聞くや、あからさまに「しまった。」の顔をした奴だったのである。
「どうしよう、百目鬼!ここ、ここから消えたんだって。イリュージョン?ちびはイリュージョンもできる人なの?それともイリュージョンな人に誘拐されたの?」
見舞いに来た楊が布団を捲ると玄人の姿はなく、世田谷の病院に入院していた重症のはずの玄人の姿が病院から完全に消え失せていたのだという。
それは俺が自宅に玄人の衣服を取りに出かけていた間の出来事であり、俺が着替えを持って彼の病室に戻ると、楊一人が茫然とした態で豪華な病室のベッドに腰かけている場面に出会ったという次第である。
「消えたって、ぱっと目の前から消えたのか?」
「違うって。俺の顔を見た途端にぷくって布団に包まっちゃったのよ。そんで、どうしたんだよって、布団をぱんと叩いたら、ぷしゅーって。」
混乱しているのか、身振り手振りと擬音を入れて説明する楊の言葉が幼稚化していた。
「つまり、クロが寝ていた筈の布団の膨らみの中には玄人がいなかったということか。」
「そう。掛布団を剥いでみれば真っ白なシーツだけでさ。ちびの姿どころか、ちびがしていた点滴の管がシーツに染みを作っている有様。何なんだよ。もう、がっかりだよ。俺の顔を見てあんなに脅えた顔をしなくてもいいだろ。」
「それは仕方が無いよ。あいつは死にかけて脅えているんだ。右手の甲の骨に五寸釘だぞ。腹は蹴られた内出血で真っ黒だしな、肋骨は三本も折れているんだ。」
しかし俺は怪我の程度と受けただろう拷問を考えるに、玄人は落ち着いている方であると考えていた。
それが危険な兆候だと思うよりも、どうして身に受けた謂れのない暴力についてそれ程までに静かに流すことが出来るのかと、俺の方こそ玄人の状態に怒りと混乱を抱いてるほどなのである。
「そうだよ!ちびったらまだちょこまか動き回れるほど回復していないんでしょう。大丈夫なの?どこかで倒れていない?もう一回ナースコールして、ナース達に院内を捜索してもらったらいい?」
「もう一回って、ナースコールはしていたのかよ。病院はクロの行方不明を知っていたのか?俺がここに着いた時には誰も何も言わなかったぞ。」
青い顔をした楊は、玄人の寝ていた筈のベッドを体で横に二分するように、ばすんと音を立てて横に転がり、「あー。」と叫び声をあげながら両手で顔を覆ってしまった。
「どうしたんだよ。」
「あー。騙された。ちびは絶賛ビップな患者様じゃねぇか。畜生、山口め。あいつだ。あいつ。あいつがちびと示し合わせて俺から逃がしたんだ。畜生。あいつだったらイリュージョンぐらいできるはずだ。俺と一緒にせいやって布団を剥いだんだもの。」
俺はその状況が手に取る様に理解が出来た。
布団にくるまって人型の空間を作った後、玄人は膨らみを壊さない様にして下の方に体を丸めたか移動したのだ。
人は他人の体に触れる時、できる限り肩上部分を狙うものだ。
「山口は足元の方を掴んだんだな。」
「そう。でもどうしてそんなことするの。外に出たいんならさ、俺に言えばいいじゃん。戻ってくるお前にだって、こんなことしたら心配させるだけだろ。」
「本当に、なんでだろうね。」
ベッドにくの字になって転がっている楊は両手を未だに目元に当てており、その姿は泣いているような姿にも見え、俺は彼の左肩を慰める様に叩こうとした。
「俺が怖いからなんだろうけどさ。」
俺は彼の肩を叩くのではなく、そっと肩に触れるだけにとどめた。
「まだ混乱しているだけだよ。拷問中におかしな幻覚を見るのはよくあることだろ。」
楊が玄人の見舞いに来たのはこれで二度目だ。
一回目は叫ばれて気絶されたのだから、この二度目の今日に関しては、楊はさぞ気負っていたことだろうと思われる。