君を可哀想と言うもんじゃない
僕が病院に運ばれて意識を取り戻すまでの一昼夜、外は物凄い豪雨だったのだという。
目を覚ましてからは連日が快晴で、だからか、毎日のように相模原東署の人達が僕の見舞いにと足を運んでくれた。
そして今日は入院して八日目。
僕の病室に、僕の名前が書かれた半紙が、僕の親族の一人によって飾られたのだ。
「永遠子でとわこ?え?どうして?」
祖母の姉である島田広子は、思い出せる限り若かりし頃から竹下夢二の絵のモデルのような美人であった筈だが、数年会わない間に真っ白なおかっぱのカツラを被ったジュゴンのような女性になっていた。
そして彼女はおかしなサブカルチャーに嵌ってしまったのか、僕の死ぬほどの怪我は僕自身が転生した証だからと、命名書をぺたりと病室の壁に貼り付けたのである。
もちろん、横になっている僕にその命名書が見える様にと、かなりベッドをギャッジアップしていたが。
寝たきりに長時間の六〇度は辛いよ、お婆ちゃん。
「え、転生したって、え?なんで命名書?そしてどうして、永遠子?」
「あら、不苦労でもいいのよ。好きでしょうフクロウさん。ふふふ。」
僕はテンションの高い広子の相手を彼女の夫に投げてしまいたかったが、三か月ぶりの妻はやはり強烈だったのか、夫である島田正太郎は飼育員の号令を待つ水族館のオットセイの状態だった。
僕はこのまま怪我が辛いと、ナースコールを押して人払いをすべきのような気がしていた。
まともに自分で座位も保っていられない状態の僕なのだ。
ナースコールの一つや二つ、ナース達にはどんとこいではないであろうか。
僕がナースコールに手を伸ばそうとしないようになのか、ジーとベッドがゆっくりと僕の楽な三十五度ぐらいまで降ろされた。
体が楽になった操作をしてくれたのは、気遣いの上手な葉山であったことにほっとした。
葉山も島田夫妻を警護と言う名目で彼等と一緒に僕の見舞いに来てくれたのである。
彼は僕と目が合うと軽く左目を瞑った。
「お七夜に見立てるなんて、広子さんは面白いですね。それじゃあ、俺からはお七夜を越えたクロにお祝い品だ。」
葉山が持っていた紙袋から縦長の箱を取り出すと、その箱を僕に手渡した。
甲に穴が開いて右手が使えない僕を思ってか、僕の膝の上に置いてくれた包装されたそれは、僕の膝にずっしりと来たが本当に重いわけではない。
渡されてすぐに僕はそれが何なのか知りながらも、いや、知ったからか、受け取ると直ぐに葉山に開けて欲しいとお願いした。
僕はこのお菓子が大好きなのだ。
葉山は目を細めていいよと笑い、僕に「おめでとう」と文字のあるカステラを見せつけた。
見せつけただけでない。
彼は僕にお祝いの言葉を言ったのだ。
「生還おめでとう。」
「おめでとう?」
「うん。君は生き残った。君を可哀想なんて言うものじゃない。君をよくやったと褒めるべきでしょう。よく頑張ったねって。」
彼は兄が弟にするように、僕の頭をガシガシと撫でてくれた。
僕はそこで可哀想な被害者から、英雄になれたような気がした。
「君は本当に頑張った。良く帰って来てくれた。」
「友君。」
葉山の目元には光るものがあり、僕はそれだけで胸が一杯で大粒の涙が溢れてしまいそうだ。
「そう、そう、それなのよ。私が言いたかったこと。あぁ!本当に友君は賢くて可愛いわ。こんなお婆ちゃんにも紳士で、その上、正ちゃんと違って私の気持ちを分かってくれるのだもの。」
広子の喜びの声で僕の涙はきゅっと戻り、いい加減にこのハイテンションな人をどうかして欲しいなと、僕は彼女の配偶者にお願いすることにした。
しかし、飼育員に見放されたオットセイは、広子に分かってくれないと言われて僕の病室の隅でしゅんといじけてしまっている。
「だって、広ちゃんが僕の船に乗ってくれないから、心が離れちゃったんじゃない。」
島田夫妻は正太郎が広子の気性に時々逃げ出す事もあるが、基本的には相思相愛の夫婦なのである。
「あの、どうして広子さんは正太郎さんの船に乗ってあげないのですか?」
常識的な葉山の質問に彼女は軽く肩を竦めると、男しかいないものと、簡潔に答えた。
「スタッフが全員男性でしょう。つまらないじゃないの。話し相手もいないのに船に閉じ込められるなんて。」
「ねぇ、広ばあちゃん。それじゃあ話し相手を雇ったら。」
「雇った人間と友達付き合いができると思うの?」
「でも、エステティシャンだったら、友達のように付き合えないと上手くいかないって、広ばあちゃんが昔に言っていたじゃないの。」
僕は僕の姿を目にして二泊ほど入院をした祖母を思い出していた。