最高の褒め言葉
孝継が一番可哀想だと思う理由は、金と献身を玄人に一番捧げながらも、その玄人に彼の行いが全く知られていない所にあるだろう。
孝継は玄人の大怪我を知るや病院を突撃し、手術室から出たばかりの玄人を特別室に押し込めると俺をも部屋から追い出し、一晩中玄人のベッドの脇に座って意識のない彼の付き添いをしたのである。
だが翌日には、病室前の廊下で寝ていた俺を叩き起こし、自分が追い出したはずの俺に頭を下げて玄人の世話を頼んで来た。
「え?あいつの目が覚めたなら、もう少しいてあげればいいじゃないですか。」
「いや、だって、僕が手を握ったから玄人の痛みが増しちゃったんだよ。」
「いや、目覚めりゃ痛みも目覚めるもんだし。」
「僕が痛みをあの子に与えたなんて!でも、目にしたらぎゅうっと抱きしめたい!痛々しくて愛らしすぎる!玄人を抱き締めたい!そんな自分を抑えられない。そんな苦しみの中に僕はあるんだよ!」
「わかった。帰れ。」
そして、完全に意識が戻って目覚めた玄人に面会もせずに、横浜の自宅に引っ込んでしまったのだ。
それから孝継から俺への「クロちゃんの具合を逐一報告して」メール攻撃がひっきりなしにあることを考えたら、俺こそ可哀想な人間のような気もするが、とりあえず、孝継は可哀想な奴だろう。
「いや、一番可哀想なのはクロか。クロは可哀想だ。」
「そうですね。あんなに酷い目に合ってばかりです。」
俺が可哀想だと言ったのは、孝継が玄人の手を握ると玄人が痛がったと聞いて、俺も玄人にできる限り触れていなかった事に気が付いたからだ。
咲子を抱き上げる俺に彼が向けていた瞳は、捨て犬の様では無かったかと今更に気が付いたのである。
さらに、これこそが武本家親族が玄人に行っている振る舞いそのものだったのではないのか、と。
死んでほしくないから、記憶が戻らない様に近づかない。
痛みを受けて欲しくないから、痛みを受けない様に彼に触れない。
「そうじゃないですよ。金持ち連中の大事な子供だと可愛がられながらも、おかしな遺言ルールに従った彼らによって遠巻きに見守られているだけの状態を言っているのです。」
「そうですね。その遺言ルールを知らないからこそ彼は可哀想だ。みんなに愛されなくなったのは、自分が別の人間だからと思い込んでいる。思い込もうとしているでしょうか。」
けれども、玄人が幸せなままだと彼が鬱になることも無く、この俺と引き合わせられる事もなかったのだ。
俺にとっては玄人の不幸が良かったといえるのかもしれない。
「まぁいいか。これから俺が幸せにしてやれば、これまでのあいつの不幸は、俺に幸せにしてもらうための必要な段取りだったという事になる。」
「はい?え、それでおしまいですか?え?可哀想は?」
俺の妄言を髙はまともに受け取ったのか、珍しく素っ頓狂な声をあげていた。
「あいつは不幸だからこそ鬱になって、俺の手の中に落ちて来たんでしょう。そこで楊とあなたに出会って、山口と葉山にも生まれて初めてのお友達になって貰っている。葉山も何か傷ついてやけっぱちな部分があるし、あなたの言う通りに山口は確実に壊れている。山口は壊れているからこそ相模原東署に流されて、玄人に出会えたのだと思いませんか。」
「え?僕が昔に山口を見捨てて山口が壊れているから良かったと?え?」
「あいつらは、お互いに壊れていてこそのお友達ですからね。」
髙は俺の言葉にぽかんとして、忽ち笑い出した。
彼の笑い声で彼の手の中の子犬は目覚めると、地面に降りようとしたのかぴょんと彼の膝から飛び上がって髙の膝から転がり落ちたのである。
しかし飼い主にすぐさま体を掴まれて降ろされたので、彼女はそっと地面に降り立つ事が出来て怪我は無かった。
犬はそれが楽しかったのか、二本足で立って髙の膝に再び乗ろうと体を伸ばしてクンクンと鳴き、髙は嬉しそうに再び子犬を抱き上げた。
「この子も怪我をしたから僕の子供になれたということですか。あなたは破戒僧だ。ひどいな。酷い物言いだ。それでも、その言葉でこれからを考えられる。いいですね。いい考え方かもしれませんね。こんな壊れた僕にはね。」
そう言うと彼は俺に深々と頭を下げ、ベンチに座る俺を置いてきぼりにして意気揚々とした後ろ姿を見せつけながら帰って行った。
俺は「これでいいのか?」と思いながらも、彼からの最高の褒め言葉に頬が緩んだ。