髙の見舞いの目的は
玄人が目覚めた翌々日には、髙が犬まで連れて世田谷の病院に押しかけて来ていた。
前日の楊の不幸を知ったからだろうと考えたが、髙は玄人の病室にほんの数分いただけで直ぐに出てきたのだ。
玄人の隣には急遽入れられたベッドがあって、そこに玄人の鬼祖母が横になっていたうえに、玄人自身は泥人形のように殆ど動けずに寝ているだけなのだから当たり前か。
否、俺に入り口前で彼の愛犬を抱かせていたのだから、彼は見舞いを数分と最初から決めていたのだろう。
エントランスに戻ってきた髙は俺から愛犬を受け取ると、目線だけで俺に「ついてこい。」と促したのである。
そこで俺は髙が玄人に会いに来たのではなく、俺こそが目的であったと確信した。
病院の駐車場に隣接する広場には、ベンチと遊具が幾つか設置されている。
俺はベンチの方に歩いて行き、愛犬をかまいながら座っている男の隣に座った。
彼の愛犬は俺が邪魔か怖いのか、地面に下ろされるや俺達のそばから駆け出していき、その先で虫か何かの影に興味を持ったらしく、その動く何かを捕まえようとぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。
髙は愛犬が自分から離れると、背中をベンチの背もたれにもたれさせて両足をだらしなく投げ出し、目を愛犬に見据えたまま俺に独り言のように語りかけてきた。
「顔に怪我が一つも無いのには驚きましたね。先日までの怪我の痕さえも顔にはない。」
俺も彼に倣ってベンチに深く座り、彼の犬を眺めながら答えた。
「死んで生き返ったからでしょうかね。俺が最初に発見した時は死んでいましたよ。」
「死んでいた、は信じられますよ。あの真っ黒な腹部を見れば。内臓の一つや二つは破裂していてもおかしくはない状態です。」
「ええ。腹も胸部もぐちゃぐちゃでした。止めに喉までも切り裂かれた死体でしたよ。なぜか喉には傷など一切見当たりませんけどね。俺の幻覚でしょうか。」
「ふふ。奇跡でも起こったんですかね。立松警備の研修所で異常な殺人事件が起こっていたらしいですから。知っていますか、立松誠は首を切り裂かれていましたよ。」
俺はゆっくりと髙に振り返り、髙は鋭い目で俺を見ていたが、恐らく俺がしているだろう顔と同じぐらいの訝し気な表情を徐々に顔に浮かべて来たのである。
「俺は殺してはいませんよ。」
「それじゃあ、立松も南部の報復殺人ですね。」
「もって。なんですか?南部って誰です。俺は残念ながら誰も殺していませんよ。死なせて楽にさせてどうするのですか。一生残る傷跡と後遺症を抱えて生きていくのが彼等のクロに対する贖罪でしょう。」
本当の意味で無表情になった髙は、珍しく何を言っていいのかわからないと、楊のように目玉をぐるぐる動かし始めている。
「どうかしましたか?」
「いや、え?あ、そうか。いや。」
「どうかしましたか?」
「あの、あのですね。玄人君を誘拐した立松警備の立松誠以下の実行犯、つまり事件当日に研修所に詰めていた人間に生存者がいません。そして、立松誠の死因と部下の死因は違います。それで、ですね。彼らは止めを刺される前に酷い暴力を受けた痕跡が全員ありまして、我々はその拷問痕も以前立松に拷問されて死にかけた南部の仕業だと思っていたのですけど。」
俺は失敗したかもしれないと、お喋りな自分の口元に手を当てた。
「やっぱり。いくつかと言いますか、玄人君が拷問されていただろう部屋での二名は確実に山口で、病院に玄人君を放り込んだのも山口だとは思っておりましたが、やっぱり、あなたも確実に関わっていたのですね。」
内容の割にはあまり責めるような口調でなく髙は言い切ると、面倒だという風に首を振り、それから俺の考えもしなかった言葉を続けてその口から吐いたのである。
「これからも何も知らないを通してくださいよ。山口が関わっている事とね、一般人に知られたくないことが満載の案件ですから。立松警備の大量殺人事件は、火事による一酸化炭素中毒による全員死亡になります。立松の研修所ではなく、立松の北倉庫で遺体が発見されると報道されるはずですから、あなたはこれから玄人君にもかわさんにも余計なことは一切他言無用でお願いします。」
研修所の俺の起こした暴行事件が全く報道されないどころか、裕也がドイツ語で依頼していた立松の北倉庫の被害の報道ばかりだったのである。
北倉庫は花火が暴発したかのように華々しく爆発し、三日たった今も燃えているらしいと今日もテレビが騒いでいたが、俺はその建物が燃え盛る理由を知らせた髙に茫然としていた。
「火事を起こしたのは、警察?」