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お前を失うのならば鬼になろう(馬4)  作者: 蔵前
十二 僕に死を与えるのは僕
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僕は決めたくない

「クロちゃん、いい加減に立とうよ。」


 自分を守る様に体育座りして自分を抱え込んでいる僕は、恥知らずにも僕に声をかけた白い男をじろりと見上げた。


「どうしてそんなに怒っているのかな。」


 僕を誘拐したという男は、今までの拷問は自分が与えた幻影だと笑ったのだ。

 けれど僕が受けた拷問は現実で、僕が見た幻影の中で殺された人々の苦しみも、過去に遭った現実のものだ。


「あなたが嘘つきだからです。」


「本当にあった事よりも、嘘だと思っていた方が気が楽でしょう。」


「だけど、どうしてあなたが自分がやったと――。」


 僕は途中で言葉を飲み込んだ。

 どうして彼がそんな嘘をつくのかわからないが、わかり易い拷問を行ったあの男よりも、意味の解らない振る舞いをする男の方が底が知れなくて恐ろしいと気が付いたからだ。

 座り込んだままの僕は、彼から何も聞くべきではないと、耳を塞いだ上に、体育座りしている足をぎゅうっと自分の体に押し付けて全身が球体になるくらいに身を丸めた。


「あぁ、真ん丸になって可愛い。裸ん坊だから赤ちゃんみたい。」


「あぁ、どうして!」


 耳を塞いでいるというのに、彼の歌うように喋る言葉は、一言一句、僕に正確に聞こえてくるのである。


「どうして!どうしてあなたは僕にこんなことをするのです。」


「あんな不細工な立松誠を怖い憎いと思い浮かべるよりも、僕みたいなハンサムの方がいいじゃない。そうでしょう。ただの親切だよ。」


 立松と違い僕に嘘ばかり囁く男は高齢で真っ白い髪をしているが、確かにそこらにいないほどの見事なハンサムであるのだ。

 それだけではない。

 立松が身に着けていた物よりも数段は上の仕立ての良い白いスーツを着込み、上着の下からは宝塚の男役のようなビーズで輝くベストを覗かせているという、恥ずかしいほどの嘘くさい洒落物なのだ。


「い、意味が、わ、わかりません。あ、あんな、あんな、怖い、怖くて痛い思いをさせられているのに、ぜ、全然、僕を助けてくれなかった。そんな人の言うことを、ど、どうして聞けると思うのですか。」


「助けたでしょう。怪我のない君は、今、僕の目の前にいる。」


 僕は少々体を解いて、右手と裸の体を見比べた。

 痛みのない体も右手も傷一つないが、見つめ続けるうちに徐々に僕の右手に黒々とした小さな穴が穿たれていき、胸部から下腹部まで全て赤黒い痣が浮き出てきた。


「嘘つき。怪我だらけの僕が痛くないのはこれが精神世界で、精神世界だという事は、僕は死んでいるのですね。僕はとうとう死んでしまったのですね。」


 ふうと、息を吐く音がして、反射的にその音の方向を見返してしまった。

 音を出した白い男は、僕をじっと見つめており、声を出さずに口元を動かしただけで僕に答えたのである。


「まだ。」


「まだ?」


「まだ。生死を決めるのは君の選択。確実に生き延びたいならね、僕の言うことを聞こうか。そして、せっかくの生死を決めるという機会なんだよ。僕の言うことを聞けば、生き返るだけじゃなくてね、素晴らしい人生と寿命も君が獲得する事も出来るよ。欲しいでしょう。長い長い寿命。」


「嫌です。あなたは、だって、怖いもの。」


「あら、しまった。僕に脅えた君は僕の言う事には何でも従うかなぁって思ったのに。ほら、拷問は僕じゃ無かったって事で。ね?怖くなんか無いよ?」


 そんなろくでなしのことを平気で口にした怪しい高齢の男は、動かない僕に苛立ちを見せることもなく、僕から視線を外すと突然に適当な歌を歌いだした。


 ニェ、シュイ、ティ、ムニュ、マトゥシュカ。

 クラスヌイ サラファン。


 呪文のような歌詞で子守歌みたいなゆっくりとしたメロディであるが、どこか懐かしい、でも、もの悲しさのある曲だった。

 僕は男に脅えながらも、その見事な歌声に聞き惚れてしまっていた。

 でも、もう少し低い声、例えば良純和尚がこの歌を歌ったらどんな風になるのだろうかとも考えた。


 あぁ、良純さん。


 僕はそっと周囲を見回した。

 僕を守ろうとなぜかしてくれる動物たちの霊が、胴体部分のない蜘蛛のような姿をした彼らが、僕らを遠巻きにして近づけない。

 男の引いた白線が彼らをけん制しているらしく、彼等は白線の向こうに大量に積み重なって円を描いている白線の壁のようになってざわざわと蠢いているだけなのだ。


 僕と男は黒い壁を持つ円柱の中に閉じ込められた標本のようだ。

 真っ白い男の姿が、ホルマリンによって色素が抜けた標本を想起させるから猶更だろう。

 いや、標本が光を纏えるはずが無い。

 光を帯びた彼が周囲を照らし、皮肉にも僕を暗闇から救ってもくれているのだ。


「あれらを呼べれば君は僕から逃げられるのにね。」


 僕は膝に顔を埋めた。


「おや、方法を知っているか。先日の昏睡で思い出したのかな。それならどうして彼らを使おうとしないの。彼らは君の術具じゃないのさ。」


「僕は変異したくない。」

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