俺達は既に時間をロストしている
俺が玄人のメールを読むや直ぐに彼を迎えに行こうと席を立ったのだが、裕也が俺の腕を掴み、自分について来いとまで真剣な顔で俺に命令さえもしていた。
「これはお前の計画か?お前がクロを囮に使ったのか?」
「それは違います。ですが、クロちゃん関係なしに僕は立松を探っていました。あそこは人殺しの請け負い会社ですよ。僕が、彼等の本当の本社へ誘導いたします。」
話し方まで変わった彼はカーゴパンツのポケットからイヤホンマイクを取り出すと耳に嵌め、俺の腕を掴んだまま喫茶店の外へと足を早めた。
「裕也君!僕は何をしていたらいい?玄人は大丈夫なんだろうね。」
「当り前でしょう!」
裕也は俺の腕を引きながら、孝彦に振り向きもせずに叫んだ。
だが、唇をきゅっと噛んでから孝彦に振り返った顔は、いつものにこやかな博多人形スマイルであり、彼はその顔で孝彦が余計な動きをしない様に年上の親戚に仕事を与えたのである。
「孝彦ちゃんは孝継ちゃんに繋ぎを取って。僕はちょっと大騒ぎするから、頼むよ!」
「わかった。」
それから俺達は出口に向かったが、出口には以前にも見た長柄警備の改造車が既に止まって俺達を待っていた。
現金輸送車型のこの車は、通常現金が乗っている筈の後部が秘密基地のような内装に変えてあり、運転席の後ろにはモニターが設置されて、助手席の後ろとなる左側にはパソコン二台が設置された長机と固定椅子がある。
俺達はその後部のハッチから中に乗り込んだ。
俺達が乗り込むや、車は指示を裕也から受ける事も無しに動き出した。
全て計画的なのかと裕也に振り向けば、以前はモニターの下に設置されている椅子に座って指令を出していたが、今の彼は乗り込んだドアの横についているバーを右手で掴んだまま、イヤホンをつけているのと反対の左耳にスマートフォンを当てて、流暢なドイツ語で相手と話をしていた。
「僕は今から立松と戦争する。君達も三十分以内に参加して貰えるかな。陽動で立松の北倉庫を君達に襲撃して欲しい。急でごめん。君達も仕事中なのにね、本当にごめん。」
裕也はスマートフォンを片付けると、何事もないようにコンソールと反対の右側で長椅子代わりになっているツールボックスの蓋を引き開けた。
「はい。この制服に着替えてくれるかな。立松さんのその他大勢になりましょう。」
「そうだな。北倉庫を襲う奴らもその制服で侵入するのか?」
裕也はぽかんと口を開けた間抜け顔を俺に見せた。
「どうした?」
「えー。良さんて、ドイツ語が分かるの?」
「当り前だろ。俺は他にも、イタリア語とフランス語と英語もいけるぞ。」
俊明和尚の趣味にオペラ鑑賞もあったのである。
「まじで?あちゃあ。」
「どうした?」
「えーとさ。あの、僕が会話した相手の事は忘れてくれる?まだクロちゃんには会わせられない人達なんだ。」
「もしかして、峰雄を落とし穴に沈めたのはお前とそいつらか?」
「僕は違うけど、そう、それはあいつら。あいつらは本気でどうしようもない人達だからね。……だからさ、クロちゃんに傷が一つでもあれば、僕も良さんも命が無いね。」
ツールボックスの前でしゃがんだままの裕也の沈んだ声は、玄人に対する俺の不安を掻き立てた。
「あいつは確実に無事では無いんだな。」
しばしの沈黙の後、裕也は答えた。
「わからない。」
「わからないのか?」
「ごめん。乗り込んだ車から拷問が始まるのか、着いた先なのか、僕にはわからない。言えるのは、クロちゃんが誘拐されたとみて、すでに二十分もロストしているんだ。二十分あれば、どれだけ人を苦しめる行動を取れるんだろうってさ。」
俺は着ていた服を脱ぎ捨てると、少しでも時間を惜しむようにして立松警備の制服を着こんだ。
こんな服に着替えずとも、俺は堂々と門から押し入って、立松全員に引導を渡してもいい気持ちであるのだ。
最後は目の前の裕也になるだろうが。
「あの人形の意味している被害者のために、お前は動いていたんだな。」
「うん。偶然ね、死体の遺棄現場を僕は知ったの。そこで遺体の身元も簡単に割れたよ。安藤里桜。殺された彼女はうちの元社員の娘さんでね、娘が誘拐されたと彼は立松に特攻して、失敗して、家族ともども行方不明なの。だったの。僕が彼を一時の激情で首にしなければ、彼は立松に中途採用されることも無くて、それでも立松に目をつけられたとしても、きっと安藤一家はうちの保護を受けて生きていたかもねって話。」
「遺体を発見しておいて、お前は警察沙汰にはしなかったのか?」