優しい人達
楊の膝を蹴って飛び出した猫が真っ直ぐに向かった先は葉子であり、葉子は楊のためにソーダ水をグラスに注いでいた。
ミントまで添えてだ。
わぉ、それは僕も欲しい。
「ひどーい。俺はあんこちゃん型に空いた心の穴を埋めて欲しかっただけなのに。」
「かわさんて、猫にはそれほど好かれないですよね。」
「そうなんだよ、葉山。猫はちゃんと飼ったことがないからかな。わかるのかな。」
「僕はかわちゃんのママの路子さんからもお祖母ちゃんの千代子さんからも、かわちゃんが散々猫を拾ってきたって聞きましたよ。一時は楊家が猫でぎゅうぎゅうの猫屋敷になったって、それはもう恨みがましく。」
楊は僕にとろけそうな笑顔をむけた。
うわっ、僕の胸がどきりと高鳴った。
「かわちゃ。」
「俺は拾う専門だから。」
楊は僕に最低な言葉を返し、その後は何事もない顔で山口に向かっていた。
「それで山口はどうする?家が決まっていないならウチにくるか?もう俺はシェアハウスでもしてローンを返していかなきゃ、家計が火の車なんだよ。」
「ハハハ。あの程度の金額でかわさんの手料理が食べれるのなら、条件が良すぎですよ。山口も世話になったらどうだ?」
後から入ってきた髙もソファに座りながら山口を誘ったが、僕の頭は髙の言葉に自然にうんうんと同意して上下に動いていた。
楊の料理は味がいいのは勿論だが、盛り付けがカフェご飯風のワンプレートで、そこがまた気軽に食べやすいのだ。
良純和尚には、単なるお子様ランチ、と馬鹿にされているが。
「そうですよね。かわさんの手料理は美味しいんですよねぇ。やっぱり住まわせてもらおうかな、あの、子供部屋に。でも、猫は鳥を取っちゃうし。」
「駄目ですよ。酷い。俺だって家を出たいのに。皆一緒で俺だけ仲間外れですか!」
立ち上がって抗議する葉山は、優しいが繊細な人でもあるのだ。
「もう、本当に馬鹿な人達ねぇ。葉山君は今のまま、山口君の部屋に寝泊りすればいいじゃないの。時々自宅に帰って山口君に居候をすればいいのよ。」
ソーダ水を人数分持って来た情け深い葉子が、素晴らしい提案までも僕達に授けたのである。
「あぁ、そうか、そうすればいいですねぇ。」
喜ぶ葉山は立ち上っていたついでかそのまま彼女から盆を受け取ると、彼は皆にソーダ水を配り始めた。
すると、一緒にグラスを配ろうと手を出しながら山口がおどけた。
「えー、狭いのは嫌だなぁ。」
「それにします。俺行くからね。今日から行こうかな。決めた。今日一緒に帰ろう。」
葉山は本当にギリギリだったようだ。
山口を射貫く目がもの凄く目がギラギラしている。
そんな馬鹿な若者を笑って見ていた葉子は、もう一つ提案した。
「それじゃあ、いい提案をしたご褒美に、私はこの猫を貰うわね。」
彼女の足元にくっ付いている茶色の毛玉の脇の下に手を入れて持ち上げると、うにゃんと伸ばされた猫は彼女のなすがままに彼女の腕の中に納まった。
腕の中から僕らを見下ろすその顔は、不機嫌そうだが物凄く満足そうで偉そうでもある。
葉子は本当にこの不細工具合が気に入ってしまったらしい。
あるいは金持ちの豪邸が気に入った猫による人格操作を、葉子が無意識のうちに受けたのだろうか。
とにかく不細工猫は、豪邸での優雅な暮らしを手に入れたようだ。
「えー、じゃあ、僕は引越しが必要なくなっちゃったのですね。」
心なしか残念そうな口調の山口に、楊はいつもの楊だった。
「来たかったら来ればいいじゃん。俺はいくらでもカムカムよ?」
若者二人はその言葉にニコニコと喜んで、そして、髙は、あの船上で鬼畜だった髙は、柔らかな表情で山口に微笑んでいた。