島田正太郎の行方
松野邸でダージリンのアイスティーを啜り、傍らの山口の怒りの合いの手を受けながら、僕が彼らの所業を葉子に語っているのは、船上クルーズから帰還した後、良純和尚によって僕は松野邸に捨て子されているからである。
松野邸は迎賓館のような公人スペースと葉子の完全なプライベート空間の豪邸が合体した作りになっており、迎賓館の方は女王様謁見室と僕が勝手に呼んでいる応接間と会議室にもなる食事室とそれに連なるスタッフ常駐の調理室、来客用の二部屋の豪華客室と警備員とスタッフ用の宿舎までも完備している。
警備部の坂下が仕事で葉子に会うのは公人スペースの応接間で、僕が彼女に初めて出会った場所もそこだ。
捨て子されたと言っても、僕は葉子に私人スペースの方の客室に案内され、実のおばあちゃん家のように寛がされているのであり、僕の方は美味しいごはんと高級な個室を与えられている以上、文句など無いどころか、大いにありがたく幸せだ。
そして僕達が今集っているこの部屋は、楊班の刑事達が自分の隠れ家のようにあの弁当を広げた私人スペースの方の居間である。
ソファは足のないクッション性が重視された物で、ふかふかの毛足の長いカーペットに埋もれるように存在していて、座るとクッションは温かく僕を包み、そのまま至福の時に導かれるようだった。
「それで島田さんは今どうしているの?」
葉子の問いに僕が紅茶とソファで至福に浸って役立たずとなっていたので、そんな僕に吹き出しそうな顔をチラリと向けた葉山がありがたいことに答えてくれた。
「警察の現場検証もありますし、しばらく横浜港にヨットを停泊させて遊ぶそうだと聞いていたのですが、なぜか相模原市内のホテルに泊まって相模原東署にいついています。」
重要人物の彼は、本部で最初は恭しく扱われて事情をお伺いされていたはずなのだ。
「え、うそ。こっちにいるの?」
至福に浸っている所ではない。
驚いてソファから身を起こした僕に対して、葉山は肯定の頷きを見せると続きを話し始めた。
島田が変人過ぎて面倒になった本部が、楊のいる相模原東署に正太郎を押し付けてしまったのだという。
「いいお爺ちゃんなんですけどね、仕事に付いて来たがるのですよ。よっぽど怖い思いをされたのか、刑事の後をくっ付いて回って。なぜか尋問もされたがって。」
「尋問を?おじいちゃんが?」
「本部でね、僕を玄人にしたみたいに尋問してごらんって頼んだら、謝るばっかりでそこは体験できなかったからね。一度はされてみたいねぇ。犯人扱い。」
葉山が正太郎の口真似をして語ると、葉子は文字通り腹を抱えて笑い出した。
「それは酷い。島田さん凄い。」
正太郎は、あのシージャックがとっても楽しかったのだそうだ。
横浜港で別れる時に、彼は満面の笑みで僕を凍らせる事を言い放ったのである。
「玄人が元気になった訳がわかったよ。あんな出来事が毎日じゃあ、楽しくって仕方ないよね。」
「ぜんぜん、ぜんぜん楽しくないって。」
僕は大きく右手を振って、必死に否定するのが精一杯だった。
正太郎は恐怖で惚けてしまったのかもしれない。
「大変ね、あなた達。馬鹿が上司だと馬鹿な人が増える一方よね。」
葉子が笑いを含んだ声音で言いながらの膝の上の茶色の毛玉を撫でると、毛玉はにゃあと鳴いて仰向けになった。
この茶色一色の猫は本当に不細工だ。
エキゾチックショートヘアという種類らしいこの子は、葉山が捜査した事件の被害者の飼い猫であり、身寄りが無くなったからと葉山が引き取ったのだが、彼が猫アレルギーだったから飼えなくなったと僕は聞いていた。
「友君が猫アレルギーで飼えなくて、山口さんが猫を飼える物件を探している間に葉子さんが猫を預かっているという話でしたよね?今、アレルギーは大丈夫なのですか?」
つい聞いてしまったが、葉山はなぜか嬉しそうに微笑んだ後、ちょっと肩を竦めて答えてくれた。
「猫アレルギーはウチの出戻りの姉だよ。」