少年リアム1
リアムはセントラルシティーで生まれた。リアムの父親であるアラン・リングトンは陸軍大佐で、戦場にて重大な作戦を任される中央軍の現場指揮官だった。アランはセントラルから陸軍に志願した多くの青年を束ねて隊を率いていたが大本営の命令を違反したとし任務失敗の汚名を着せられたのだ。
アランのことで周囲から後ろ指をさされていたリアムだったが、それでも誰より父親を尊敬し、いつか自分も立派な軍人になり父親の汚名を晴らすことを夢見ていた。
「あいつ体弱いからヴァームを上手く扱えないないんだろ、じゃあ軍人にはなれないよな」
「あいつの親父は任務中に重大な命令違反を犯して何人も部下を殺したらしいぜ」
ざわつく集団からそんな聞えてくる。
リアムは生まれてすぐに急性の伝染病を患い、そのことが原因で物心ついても身体が弱く、更に小児結核を引き起こしていた。そのためヴァームエナジーの扱いが難しく、みんながいとも簡単にやってのける事でもリアムにとっては大変な事だった。
校庭に描かれた一周五百メートルのトラックを十周。これは中等部の学校で実施されている基礎体力トレーニングだ。
自分を侮辱する集団を見やりつつ、大きく深呼吸、残り半周の距離をリアムは再び走り出した。ゴールラインを走り抜けるとさきほどまで薄ら笑いを浮かべていた集団と目が合う。気まずい沈黙が圧となって押し寄せいいようのない不快感がこみ上げる。クラスには陸軍人を志望する体格のいい男子がたくさんいたから、虚弱体質なくせに筆記の成績だけは秀でているリアムは、彼らにとって面白くもなく、陰湿ないじめの標的には格好の獲物だったのだ。
「オレは走り切った」
そうつぶやいて惨めな自分を鼓舞してみたがダメだった。唇を噛みしめて握りしめた拳の中の爪が突き刺さる。焦りにも似た痛みが体中に染み渡りリアムは呼吸を整えグラウンドを逃げるように立ち去った。おかげでこれ以上自分を蔑む言葉を聞かずにすんだ。
その帰り道、路傍に咲いた花を一輪つんだ。リアムは自分の手に持った花の名前を知らない、きっと図鑑で調べれば何かしらの名前がついた花なのだろうがひまわりや桜と言った誰もが知っている花とは違いそこに咲いていても見向きもされない。それでも・・・・・・、土と日光そして少しの水があれば堂々とどんな花も開花することができる。人もそうであってほしいとリアムは思う。今はそれが正しいことだと信じたかった。
ふと気がつけばすでに太陽が西の空に隠れ初め、夕暮れが迫り空の色彩を変えていた。
「帰ろう」
自分にはっきり聞こえるようにつぶやくとリアムは家路に急いだ。
「ただいま母さん」
学校がある街の中心地から僅かに外れたところの小屋に入るとリアムの母であるエレナ・リングトンが暖炉に火をつけようとしていた。
「寒いの? 母さん」
「おかえりなさい、春先は陽が落ちるとすぐに寒くなるからリアムが帰ってくる前に部屋を暖めておこうと思っていたのだけれど遅かったね」
振り返ろうともせずに暖炉に火をつけることに夢中になっている。
「俺がやるよ、早くベッドに戻って」
リアムの言葉を無視してようやく火が点ったようだ。その時に舞い上がったススを咳き込んで苦しそうに胸を抑える。
「ほらいわんこちゃない」
「大丈夫だってリアムは肺が弱いからそんなことさせられないよ」
リアムが手渡したコップ一杯の水を受け取ると、一口飲み深く深呼吸をして言った。
「その花?」
「あぁ道で拾って、デッサンしようと思って」
「リアムは絵が上手いから、絵描きになればいいのに」
「ハハッ」
肩をすくめる。
「ご飯できてるから」
リアムはエレナが作るシチューが大好きだった。胃腸が弱く牛乳が飲めなかったリアムにとって魔法のような料理だった。
「おいしかった」
「ねぇリアム」
エレナはリアムが食べ終わるのを見計らって声をかける。
「なにも軍人にならなくてもいいんじゃないかな」
「いやオレは軍人になる」
「あなたのお父さんのような人生がすべてじゃない、リアムにはリアムの人生がある」
「だったら軍人になって敵と戦うのが俺の人生だよ」
そう言うとリアムはばつが悪そうに席を立ち食器を片付ける。部屋にひとつだけある机にむかった。
「なにか学校であったの?」
見透かしたようにエレナは言った。
「何でもないって」
リアムは早口で否定した。
「いつもは都合が悪くなるとさらっと流す癖になにか嫌なことがあったとき核心に触れられると意地になる、父さんにそっくりだからわかりやすいのよ」
リアムは暖炉に目を向ける。ローストしたアーモンドのような色彩の茶色い目に映る火の明かりを飲んでつぶやく。
「悔しいんだ」
ぱちぱちと火が音を立てる。
「じゃあ母さんは悔しくないのか、父さんはなにも悪いことはしていないんだぞ。国のために戦っていただけなのになんで死んでまで責任を負わなくちゃいけない!」
「しょうがないの、それが戦争というものだから」
さらりとエレナが言った。とても重要なことを、まるで帰り道で雨に降られ近くの店の軒下で待ちぼうけをくらう少女のように。そしてそれは、エレナが至って真剣に現実を受け入れたことを示していた。リアムはそれが心の底から悔しくて仕方なかった。
「いいリアム、戦争というのは絶対に敗北は許されないの。そして将校はその行動に数百人の兵士の命を預かっている。父さんも覚悟して戦場に向かったわ、私はそんなアレンを誇りに思ってる。でもあなたまで戦場に行くことない」
リアムは急に悲しい気持ちになった。
「周囲からなんと言われようが、嫌がらせを受けようが私はあなたが生きていてくれればそれで・・・・・・」
「わかってるよ、でもやっぱり・・・・・・」
喉まで出かかったその先の言葉をリアムはお腹に飲み込んだ。リアムはエレナの体調がよくないことを知っていた。そして生まれ持った自分自身の持病のこと、このままじゃダメだということ。それでも僅かに残る可能性にかけてみたい。
「母さん俺はいつだって母さんと一緒にいるよ」
そう言い残してリアムは自分の部屋に消えた。
その夜、リアムは厚手のシャツを身にまといベッドに入った。
「オレの人生か」
何度もそう口が動いていた。そう繰り返すたびに体の奥底から唸りを上げる感情の正体がわからない。父親の面影を思い出していた。僅かに残った追憶のかけらを拾い集めようやく完成した一人の男の覚悟を称えた。たとえそれが死んで戦犯と揶揄された男の最期だとしてもだ。
そうしている間にも夜は深まり、頼んでもないのに新しい朝がやってくる