ふりだしへすすむ
またスマホを手に取った。壁に貼ってある紙、赤文字でドカドカと書かれた「東都大学合格!」の文字が視界を掠める。絵空事にすぎない。これを書いたやつはよっぽどの楽天家らしいな。
手元の液晶に視線を移した。横のボタンを押すと小さく端末が振動し、黒く冷たい画面にメーカーのロゴが浮かび上がってくる。それを見届けてまたスマホを机に戻した。小さいくせに重いこの携帯、一度電源を落とすと再起動にやたらと時間がかかるのだ。それは使い込んだせいなのか、そもそも寿命なのか。お気に入りの機種とはいえ、さっさと買い替えてやりたいポンコツである。しかし、だいぶ前に買ったモノであるからして、もはや同種の新品なんてどこのショップでも見かけない。スマートフォンはその登場以来恐竜的進化を続け、半年前の機種がロートル扱いなんてザラにあることだ。それが三年。メーカーサポート、利くのかな。全てが発展を遂げる中で前に進まないものをわざわざ欲しがる人はいない。需要もないのにいつまでも補助はしないだろうな。
机のポンコツが震えた。起動プロセスが終わった合図だ。手にとって、見慣れたロック画面を右にスワイプしてやる。トークアプリと電話、あとはいくつもウィジェットがない殺風景なホーム画面が表れる。その数少ないうちの一つ、ファイル閲覧ツールのアイコンをタップしてやる。履歴からページを開くと、数秒のロードののち、徐々に姿を表す合格発表の硬い題字。その下で規則的に並ぶ数字がなんだか歪んで見える。頭がぐらぐらしてきた。
スクロールする。無数の数字が流れる。
スクロールする。昔見た映画を思い出した。
スクロールする。あの数字は緑色だったか。
スクロールする。汗で指が滑った。
スクロールする。右端のシークバーが合わせて動く。
スクロールする。スクロールする。スクロールする。
スクロールできない。できなくなった。指は動くが画面は固まったままだ。もう無機質なゴシック体の数字は姿を消し、整えられたホームページのリンクが並んでいる。
わかっていたことだ。上に流した数字にぼくの受験番号と一致する数列はない。ムダな足掻きに過ぎないのだ。たとえ受け取り先のスマホがポンコツだからといって、それをどうこうしたところでそもそも大元のホームページにない数字が現れるものか。そんなこともわからないやつは馬か鹿のたぐいだ。
パーカーの袖が冷たい。スマホをぞんざいにマットレスへ投げつけ、机に散乱したちり紙もくずかごに放り捨てた。仰々しく並んだ赤本の横、コルクに留められた写真の中で三年前のぼくが制服に着られている。ぼくは写真立てを手に取り、仏頂面のそいつと目を合わせた。この頃はまたこんな惨めなことになるなんて想像もしなかった。次は違うぞ。そう思ってたんだよな。
もう見たくない。持っていたくもなくなった。それでカッとなって、そいつを力任せに机に叩きつけた。ポコッと呆気ない音がして、写真を留めている板が半ばから折れる。保護シートの向こうの陰気な顔も歪んだ。到底入学式という晴れ舞台の写真には見えない。まあ元から晴れた顔などしていないのだ、当然のこと。
ぼくは笑った。口角が上がるのがわかる。可笑しかった。ぼくはきっとその写真と同じ顔だ。表情の話じゃない。相貌の話でもない。ぼくはおなじ顔をしている。
三年。暑くなったり寒くなったりを三回も繰り返すほどの時間が経って、不合格の三文字はまた同じように無表情にぼくを襲った。いや、襲うもなにも、ぼくから離れてなどいなかったのか。
ぼくは前に進んでいない。