追憶の標
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「お、あったあった」
そう言った俺の両手には、古臭い埃まみれの本が握られていた。
いかにも子供が好みそうな絵と、それに被るようにでかでかと書かれた文字。
『なつやすみのえにっき』
「はあ、それにしてもこんな古いのしかないのかよ」
思わずぼやく。
どうしてこんな事になったのか。俺は改めて考えてみる。
目が覚めたら、知らない部屋の中だった。
ここは何処だろうと考え、知った。
自分の記憶が無い事を。
今までで分かった事と言えば、あの場所が病院で、俺はどっかで頭でも打ったらしく記憶が無く、親族は現在連絡が取れず、大した怪我は無いという事。
幸いにも日常生活に必要な事はしっかり覚えていたから、ついさっき病院で俺の住所を聞いて退院してきた。
医者が言うには、運が良ければそのうち記憶も戻るだろう、との事。
まあ、そんな訳なんだが、なんとももどかしいので昔の日記なんかを読んだら何かの足しになるのでは、と考えた次第だ。
さて、せっかく目的のものを見つけたと言うのにいつまでもぼーっと考え事にふけるのもなんなので、俺は古臭い日記帳に意識を向け、やぶらないよう気を付けながら丁寧に読み始めた。
『八月六日 (あめ)
きょうからにっきをつけることになった。がんばろう。』
目に入って来たたどたどしい文字で書かれた内容に、思わず頬が緩む。
「へぇ、俺ってこんな字だったのか」
懐かしさなどは微塵も感じないが、いかにも子供らしい字を何とも微笑ましく思いながら、頁を進める。
『八月七日 (くもり)
きょうはともだちとうら山であそんだ。』
「ふむふむ……う?」
ふと、視界に映った絵に俺は疑問を覚えた。
「おい、なんで山なのに緑じゃなくて赤ばっかりなんだ?」
クレヨンでぐちゃぐちゃと塗り潰されている色は、赤一色と言っても良い。
不思議に思い更に文を読み進めると、
『かずくんがひみつきちをつくろうっていったから、大きな木をさがして』
「ほうほう」
『モヤシタ』
「何故に!? つーかいきなり片言ですか!?」
『あかい火がきれいだった。おわり。』
「ちょっと待て! 秘密基地はどうした!?」
何だこれは、いや、何だ俺は。何故に秘密基地を作ろうとして手ごろな木に放火かましてんだよ。
しかも燃やして終わりかい。
いや、まあ、子供だし、突飛な行動に至る事もあるかもしれないが……
頭に次々と浮かんで来る様々な意見と疑問を無理矢理ねじ伏せ、俺は頁をめくった。
『八月八日 (はれ)
きょうテレビできのううらやまがかじになったといっていた。火はこわいとおもった。』
「消さずに帰ったのかよ!! 明らかにお前が犯人だよ!!」
なんつー恐ろしい事しやがるんだ昔の俺は。
『あと、おかあさんにおつかいをたのまれた。おにくとたまご。』
「さらりと話題変えやがったなこいつ」
『おにくはかみついたりひっかいたりするから、きらい。』
「お使い!? 明らかに現地調達じゃねえか!? 何させてんだよ母さん!!」
一瞬、親の正気を疑った俺だが、その考えは次の文を読んだ瞬間に爆散した。
『でもおつかいのときにおかあさんがくれるおかねってなんだろう。おわり。』
「こいつだ! おかしいのはこいつだ!! と言うか母さんも察してくれ!! 色々と気付く要因はあっただろう!!」
日記を読み進めるごとに、俺と言う人間が分からなくなっていく。
次はどんな奇行が飛び出すのかと、俺は変な覚悟を覚えながら頁をめくった。
『八月九日 (はれ)
きょうはみんなでおとしあなをほった。』
「……こいつが作る落とし穴か。考えたくもないな」
既に昔の俺に対する認識は変以外の何者でもない。
『まじめなよしおくんがおちた。』
「かわいそうに、よしおくんとやら」
『でてきたらくろかったかみがきいろになっててないふをもっていた。こわかった。おわり。』
「堕とし穴!? 違う、それは違うぞ俺! 決して落とし穴の『落とす』は堕落させると言う意味じゃあ無い!! っつかどんな構造だよそれ!?」
一体何をどうやったらそんなものが作れると言うのだろうか。果てしなく謎だ。
考えれば考える程ドツボにはまりそうなので、俺はなかば投げやりに疑問を封殺して頁をめくる。
『八月十日 (くもり)
きょうはテレビでよしおくんのいえがうつっていた。よしおくんのおとうさんが、けがでにゅういんしたんだっておかあさんがおしえてくれた。でも、テレビのおじさんがいってたみせいねんのげきかってなんだろう。』
「よしおくーーん!? やっちゃったのか!? そうなのか!?」
『よしおくんはけがしてないかしんぱいだった。おわり。』
「怪我よりよっぽど悲惨な事になっとるわ!! 主にお前のせいで!!」
今現在よしおくんがどうなっているかを知る術は無いが、とりあえず俺はできうる限り謝罪の念を彼に送ってから頁を進める事にした。
『八月十一日 (はれ)
きょうはおまつりだった。』
「……で、何したんだこいつは」
もはや過去の俺に常識など求めはしない。
それどころか、無意識に俺の脳がこれを自分の過去と言う事実にさえ蓋をし、全くの別人の行動を見ているのだと軽い自己暗示をかけようと試みている始末だ。かなり末期だなマイブレイン。
とにかく、もう滅多な事では驚かないぞ。
揺るがない自信と共に、俺は文を読み進める。
『はなびがすごかった。』
「なんだ、意外と普通? いやいや」
『いかやきとわたあめおいしかった。でも、きんぎょがとれなくてすごくくやしかった。おわり。』
「あん? ほんとに何もないのかよ」
準備した途端に肩透かしをくらい、何とも嫌な気分が胸中を巡った。
絵も普通の花火だし。何なんだこいつは。
どれほどいろんな見方をしようとも普通以外の何物でもない頁をしばし睨むが、諦めて俺はようやく先に進む。
『八月十二日 (はれ)
きのうのにっきのえをおかあさんにみしてあげた。』
「……へぇ」
何ともいきなり普通の内容に切り替わってしまい、僅かに落胆する自分が、いる?
いや! そんな事は断じて無い!!
普通万歳と脳内で反芻しながら、俺は日記に再び目を落とす。
『おかあさんに、
「きれいなはなびね。」っていわれた。でもぼくがかいたのははなびじゃなくて、はらわたをぶちま――』
俺は日記を閉じた。
「盲点だった。そうか。そういう事か。どうりで花火らしき物が赤一色のはずだよなぁおい」
恐らく、八つ当たりしたに違いない。
考えが至ると同時に、つい俺の口から心中の言葉が漏れた。
「俺、今のままがいい。と言うか、世の中の為にもその方がいいな。うん、確実に」
今この瞬間、はっきりと決意した俺は、二度と見る事は無いであろう日記帳を押し入れの奥にしまう。と言うより投げ込む。
全力で。
「さて、寝るか」
色々と消耗した俺は、力の無い呟きを供に倒れ込むようにベッドに伏した。
これからは平和に生きよう。うん、そうしよう。
「……記憶が戻りませんよーに」
誰にでもなく自分に言い聞かせ、俺は眠りへと落ちていった。
この先どうなるかは、それこそ、神のみぞ知る、と言う所だろう。




