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ある老人の戦争体験談

作者: 織部弘


 その頃は、人が死ぬのは当たり前の時代でした。

 私が招集されたのは、十九年の一月になってからです。それから内地で数か月訓練を受けた後、すぐにフィリッピンに送られましてね。輸送船で行ったのですが、内心、海で死ぬのではないかとびくびくしとりましたよ。裸の輸送船二隻で私を含めた数百という将兵が送られるんです。そん時は海軍も回せる船はまともに残っておりませんでしたから。航海中に釣り床でこうして揺られながら―昔は今みたいにベッドなんてなかったからね―寝ておりましたところ、

急に騒がしくなってね。おいどうした?なんて戦友に聞いたら、敵の潜水艦が出たっちゅうんです。そしたらいきなり、ボカーンっと大きな音がしてね、船がすごく揺れるんです。ああ、こらあかん、船が沈んじまうと思って急いで甲板に上がると、一緒に居った輸送船が赤い炎を上げながら、舳先を上に向けて沈没しかかっとるんです。自分の船が助かったとはいえ、よかったとは思えませんでしたよ。何せ、同胞の船が沈んでるんですから。それから次は俺たちの番かと思って甲板で身を固くしとると、ついうとうととなってしまって、寝てしまいました。気づいたら朝ですよ。同僚に起こされてね。敵潜どうしたあーって聞くともういなくなったというのです。

 心底安堵して、ふうっと肩の力が抜けました。沈んだ連中のことがふと気になって、どうなったと聞いたら、拾うことができなかったと。そりゃそうですよね。敵潜が近くにおるのに、海面を漂う連中なんて、拾い上げるはずがない。しかしそれを聞いて私は無性に悲しみや口惜しさがこみあげてきてね。ぽろぽろと涙がでたんです。

 そうしてやっとこさフィリピンにつきました。フィリピンは内地に比べて食べ物がたくさんあってね。おいしいもんばかりでした。

 P屋に行ったら、チップとしてバナナの一本やってね。配置された直後はとにかく楽しいことばかりであったと思います。それから、段々雲行きが怪しくなって、六月になったら、サイパンが陥落したっていうんです。サイパンと言ったら、日本の箱庭のようなところだったからね。本土から近いんです。そこが落ちたとなると、次はやっぱりここに来るでしょう。みんな殺気立って、訓練にも力が入るわけです。上官も、お前らみんな死んで日本を守れと、こう言うわけです。それから気づいたらもう十月になってね。そっからです。敵の侵攻が始まりました。ものすごい空襲でした。沖のほうからはでっかい戦艦が大砲をぶち込んできてね。私は比較的、島の中央のほうにいたんですが、それでも時たま遠雷のように砲声が聞こえてきてね。敵のグラマンやなんかも私んとこまでくるわけです。上官が、フィリピン戦はいざとこの戦争の天王山だから、いざとなったら天下無敵の連合艦隊が助けに来てくれると言ってたんですが、敵の攻撃は全然やまなくてね。逆に日増しに勢いが激しくなっているようでした。だから、もう自分たちで何とかするしかないなと感じました。

夜になってもずっと砲声が続きました。どうやら沖のほうで海戦もやっていたようで、次の日には敵艦隊は全滅したと聞くんですが、敵の砲声はまだまだ聞こえています。グラマンもどんどんやってきます。天下の連合艦隊も敗北したのではないかと思ってね。すると、で味方のどでかい戦艦が沈んだなんて噂を聞きました。空母もやられたというじゃありませんか。こりゃあいかんなと思いました。

 私らは丘の中腹に陣地を築いていてね。敵が来るのを今か今かと待ち続けていたわけです。ずっと待っててもなかなか来なかったですね。私は連日の空襲で頭がおかしくなりそうになってね。早く敵が来てくれんかなと期待していました。いままでずっと撃たれっぱなしだったもんね。早く憂さ晴らしがしたい、そん時は不思議と死ぬのは怖くなくて、輸送船の時以来の口惜しさをずっと抱えていました。

 数日が経った時に、敵戦車を発見しました。きゅるきゅると自転車のタイヤの音みたいなのが遠くから鳴るわけです。部隊は騒然となりました。敵戦車は五、六両いてね、後ろには歩兵が金魚のふんよろしくぞろぞろとついてきている。こっちは戦車なんてたいそうな代物持っていません。対戦車砲しかない。それも三十七ミリとちょっとの貧相な砲でね。私は普通の歩兵でしたから、あたりに展開して敵の歩兵を迎え撃つ、砲は隠れて、敵が近づいて来るのを、ぎりぎりまで待ってから撃つ。そんなみっともない戦いしかできんかったですよ。私は初めての戦でしたから、緊張で足がぶるぶる震えました。敵がだんだん近づいてきて、それとともに、あの、油の切れた自転車みたいな音が大きくなってきて、だんだん発動機の音もでかくなって聞こえてくる。だいぶ近づいたのですが、砲はまだ撃てない。敵の装甲は分厚いですから、よほど近くなければ貫通しない。砲の攻撃開始とともに、私らの射撃も始まるわけですから、ずうっと地べたに伏せて、小銃をにぎりしめながら敵をうかがっている。そうしていると、敵がこちらに気づいたのか、戦車の砲塔がぐぐぐっと動いてね。どおんとぶっぱなしました。それで味方の砲がもろに直撃を食らって吹っ飛びました。

 味方の残っていた砲はそれにはっぱをかけられたように、急に撃ちだしました。かなり焦っていたようですから、照準もめちゃくちゃで、数十メートルも後方にぼがんと落ちる。しょうがないから私たちも撃ち始めました。敵は味方の砲の位置を特定して、的確に当ててくる。そのたびに二、三人が吹っ飛びます。一発味方の砲が敵にあてたのですが、こおんとさぶいぼが出るような金属音がして、跳ね返されました。それで終わりでした。そこから私ら歩兵はがんばって敵の歩兵を撃ちまくってね。しかし、とうとう敵に私がいた小隊の位置がばれました。一台の戦車の砲塔が、こっちを向く。ああ、逃げなきゃ。そう思った時には敵の砲が火を噴いて、急に鉄の壁が押し寄せてきたような衝撃がして、空を飛んでいるような感覚がした後、気絶しました。気が付いた時には、どれほど時間がたったのか、敵のトラックの荷台に乗せられて、寝っ転がっている。横には鷲鼻のほりの深い敵兵がくたびれた顔で座っています。私が起きたのを見ると、眼光を鋭くして、銃口を向けてくる。私は急に恐ろしくなりました。当時は噂では、敵につかまれば、女性は問答無用で犯され、男子は睾丸や目玉をくりぬかれて殺されると聞いていましたから。私は急いでトラックから飛び降りました。その時、トラックは走っていましたが、そのようなことにかまってる暇はありません。すると、足の痛みを感じて、走れない。倒れこんでしまった。足を見ると、ちょうど右膝のあたりからすっかり無くなって、包帯がまかれ、包帯からは血が滲み、滴っていました。もう足がもつれて動けなかったですね。そのまま倒れていると、敵兵が寄ってきて、憐れんだ目で私を見つめてトラックに乗せるわけです。そのままトラックはまた走り始める。今考えると馬鹿ですが、しかし当時の私は噂話を信じ切っていましたから、残酷に殺されるのは嫌だと思い、走っているトラックからまた転がり落ちる。そうするとまたさっきみたいに、憐れんだ目の米兵が出てきて私をトラックまで運ぶわけです。そんなことを繰り返しやっているうちに、米兵が私の手足を縛り付けました。これじゃあどうにもならなかったので、私は今度は戦陣訓の戒めに倣って舌を噛んで自決しようと決めました。しかし、どうにも力が入らない。そして段々顎が疲れてくる。それに気づいた米兵が、今度は布を私の口に押し入れて、縛り、さるぐつわをしました。もう駄目だと思いました。それから何時間もトラックの荷台で揺られて米軍の野戦病院につきました。そこで、きれいな寝台に寝かされましてね。てっきり解剖されるのかと思って、じたばたするのだけど、体中縛られていて、まともな動きが取れない。そのうち、右膝に注射しようとして、注射器を向けてくるものだから、毒薬で殺されると思ってじたばたするけど、ごつい黒人兵が出てきて、私の足をがっちりつかんで動かせない。万力で足を挟まれているようなものすごい力でした。

 それから、だんだんと膝の痛覚が無くなってきてね。ああ、そこから腐って死んでいくのかなんて、天井を見つめながら無情にもそう思いました。すると、米兵の軍服を着た日本人みたいな顔をしたやつがやってきて、もう大丈夫だと片言の日本語で言うわけです。

彼が言うには、今、私を治療している。お前たちが考えているように、残酷に殺しはしないと。私は自分の治療のことよりも、そいつのことが気になって、お前は米兵に投降したのかと聞きました。すると彼は、少し悲しそうな顔をして、私は日系アメリカ人だとこれまた片言の日本語で言いました。今度は私以外に、捕まった日本兵はいるかと聞いたら、少し笑顔になって、大勢いる。お前のように気絶していたところを助けた奴がごまんといると言います。そのころには私ももう死ぬ気が失せていました。戦闘は本当に恐ろしくて、もうあんな思いをしたくない。なんかふわふわした気分でね。まるで、本当の人生は気絶した時点で終わっていて、余生が始まったような感じでした。そこで食う飯は、本当においしかったですよ。パンやら缶詰の肉、あと卵なんかも毎日出てきてね。こんな大変な物量では日本は戦闘に負けるはずだと思いました。で、私の後からも、続々と日本軍の負傷兵が運ばれてきました。そいつらと仲良くなって、いろいろ話していたら、味方の戦局は著しく悪いと聞く。そうこうしているうちに、足の傷もだんだん良くなってきました。ある時、米兵がやってきて、上官の命令でお前を連行するなんて言うんです。とうとう銃殺されるのかなと思って身構えていると、私が前に着ておった軍服をぽいと出されて、お前の仲間が投降するのを手助けしろと言われました。私としても、味方の兵を救いたいという気持ちがありましたから。わかりましたと言って軍服を着てね。すると、帝国陸軍の気概がむくむくとわいてきて、それとともに、自分が投降してしまったことに対する自己嫌悪の念が強くなりました。

戦友たちは次々と死んでいったのに、私だけがおめおめと生きながらえている。部隊に行っても自決しろと罵倒されるだけではないかと。びくびくしながら、トラックに載せられ、米戦車がならんでいる平原に出される。米兵が、ここら辺にお前の仲間がいるから、説得しろと言ってきました。私は意を決して、のどが張り裂けんばかりの大声で、自分の所属と階級を名乗ってから、投降したものはみんな元気で暮らしていて、薬や食料も豊富にある。米軍は強いから、抵抗したらみんな死ぬ。どうか投降してください。そう叫びました。

すると、この裏切り者めという図太い声がして、擲弾筒を撃ってきた。おそらく、一人の兵の仕業だと思います。弾が、私の目の前に落ちましたが、私の身は事なきを得ました。しかし、アメリカ軍はそれに反応して、攻撃を開始しました。私は米兵に抱えられて、後方の岩の後ろに運ばれて、岩陰に身を隠しました。そこから覗いてると、私の目の前で戦闘が繰り広げられているわけです。私は初めて傍観者となって、戦闘を見ました。いや、私が傍観者としていられたのは、圧倒的な力を持つアメリカ軍に守られていたからで、アメリカ軍の眼から戦闘を見ていたといった方がよかったかもしれません。

日本兵はもうまとも砲も残っていませんから、やけくそになって裸で飛び出してきます。ばんざーいと両手を投げ出して。米兵はそれをまるで射的の的のように機関銃で薙ぎ払ってね。気づいたら、死体があたりに転がっていました。百名はいたと思います。私が投降を呼びかけたことでみんな死んでしまった。それを考えると気が狂いそうになって、思わずバカヤローと叫びました。二時間ちょっとの間に人が百人も死んだんです。ふつうは何十年もかかって、年食ってから、はいさよなら、とこうなるわけですから。それが二時間の間にみんな死んじゃった。その夜、夢を見ました。私はあの野原にいて、もう一度投降を呼びかける。あたりは昼間と違って真っ暗でした。ただ月も出てないのに、私の周りはなぜか明るくてね。すると、草の影から、手のないのや、足のない連中がうーんうーんとうめきながら私の足元にすり寄ってくるわけです。そいつらの顔見たら、顔の半分ないのとか眼球が取れて眼孔がむき出しになったのが私に顔を向けている。その時、裏切り者と私に叫んだ奴と同じ声が聞こえて、なんで俺たちは苦しみながら死んだのに、お前はのうのうと生きているんだよと叫び声が聞こえました。ごめんなさい。

と叫んだら、今度はもっと憎々しい、怒った大声で、お前も死んでしまえ。呪ってやる、と返ってきた。そいつの姿を探したら、私のすぐ足元で、眼球が両方取れて、眼孔が中まで丸見えの奴が叫んでいるわけです。私は、ごめんなさいごめんなさいとずっと繰り返していて、はっと目が覚めました。汗でびっしょりでね。よかった夢かと思ったら、兵舎の外から、呪ってやるとさっきの奴の大声が聞こえてきて、本当に恐ろしくなって、毛布をかぶって朝までじっとしていました。後から米軍の医者に診断されたのですが、どうやら気を病んでようでした。戦闘のショックで頭がどこかおかしくなっていたわけです。おそらく、あの日の夜の叫び声もそれの仕業だと思います。そのうち、フィリピン戦も日本軍が玉砕して、もう終わってしまいました。

八月になってから、ある時、戦争が終わったと米兵に聞かされました。ある程度予期していたのですが、いざその時を迎えると、どうしようもなく悲しかったですね。米兵のお偉いさんが私たちを中庭に集めて、もう戦争が終わったから、お前たちは故郷に帰れる。と言いました。ほっとしたような気持ち、また、戦死した同胞たちへの思いが体を突き抜けました。

私は戦後、復員して、故郷に帰るわけですが、東京の下町に住んでいて、輸送船に乗って帰ると、あたりが焼け野原でね。家族は何とか無事でした。ただ、大阪に住んでいた父母は空襲で焼け死んだそうです。妻に、何があったか聞くと、アメリカのでかい飛行機が日に何機も飛んできて、そこら中に爆弾を撒いていったそうです。

広島にもでかい爆弾が落ちて、何十万人も死んだそうだと聞かされました。

今でもたまにあん時の戦場の夢を見ます。戦友たちはいつも恨めしそうに、私を睨んでおるのです。靖国に墓参りのつもりでよく行きます。すまん貴様らが死んでしまったけど、俺はこうして生きている。すまないといつも謝罪してきます。やっぱり戦争は嫌ですな。人がどんどんと死ぬ。そりゃあいとも簡単にね。まるで、蟻のようでしたよ。今でもあの時のことを思い出して不思議に思うのです。なんでみんなこんな簡単に死んでしまったのかなあと。もうあんな思いはしたくありません。私の話は以上です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 若い子の目に留まりやすいweb小説で、戦争体験談があればよいのにな……と探した結果、こちらの小説に辿りつきました。読み始め、年齢が分からなかったので、てっきり上の世代の方かと思いました笑 そ…
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