第五十五話 揺らぐ心
レオ達が帰還する事は学校の誰にも知らされてはおらず、最後の学校生活を終えたレオが流星と一緒に担任――藤沢純一郎にその迄を伝える。
「何だって!? レオ君……ああ、何て事だ、君もなのかい? 先程メリッサ君が僕を訪ねてきてね、家の事情で帰国すると言われたんだよ。 いやー、そうなのか、家の事情なら致し方ないが、クラスの連中も君が急に居なくなって、さぞかし残念に思う事だろう。 まだ部活で残っている生徒達も居るだろうから、メリッサ君と一緒にお別れの言葉を掛けてみてはどだろうか?」
レオは純一郎の提案を会えば別れが辛くなるからという理由で丁寧に断った。 すぐ傍らで話を聞いていた流星は二人が帰還する事を既に知っていた為、特に表情が変わる事はなかったが、別の意味で流星の心は複雑になっていた。 それは無論、桃子との事だ。 このまま二人を離れ離れになるのはどうなのか? と愛想笑いを浮かべるレオの顔をじっと伺っている。 レオがその気配に気付き流星を見て、一瞬真顔になったが、直ぐに視線を純一郎へと戻した。
全てを話し終えたレオは、学校の門を潜り終えると踵を返し瞼を閉じて真面目に一礼をする。 一体何を思っているのだろう、その表情からは何も読み取る事は出来ない。 やがて姿勢を戻したレオは、
「ふっ……何だかんだといっても、中々楽しい所だったな!」
満足そうに微笑む。
――レオ、君はそうやって笑っているけど――。
流星は河川敷の道を歩きながら、心の片隅が次第にチリチリと焦げ付く感覚を覚えた。 その傍らでレオは今まであった出来事を楽しそうに言葉で並べ続けている。 その態度が流星には不満だったのだろう、突然足を止めた。
「――やはり僕は納得出来ない」
「ん? どうした流星? 急に立ち止まりやがって」
穏やかな川の流れに歯向かう様に、強風が二人の髪を幾度も激しく靡かせた。
「僕が言わなくても……レオは分かるよね?」
「…………ちっ、出会った頃のお前は聞き分けの良い奴だと思っていたが、元のお前に戻ってみりゃあ、案外頑固者だったんだな」
「そうかもね。 自分でも少し驚いているよ……でも、だからと言って見逃したくはない」
強い眼差しで睨み付けると、レオは一瞬流星の威圧にたじろぐも、直ぐに態勢を立て直し反撃に出た。
「だっ、だったら何だってんだ! 俺をまるで悪者を見る者の様な目で見やがって! 最後の最後で胸糞悪い!」
「ああ、そうだね……今の僕にはレオが悪者にしか見えない、何もかもハッキリさせないで桃子さんを残して『逃げ帰る』君なんか――」
「――ぐっ!」
我を忘れ怒りで胸倉を掴んだレオが気付いた時には、勢い余ってそのまま土手を転がり落ちていた。 黒の制服に土色が混じり、上に下へとなりながら、最後には激しい水飛沫が飛ぶ。
「お前に何が分かるっ!? 逃げ帰るだと!? ふざけんじゃねえ! 俺だってなあ、命令でさえなければ、何もかも投げ捨ててとっくの昔に思いっきり桃子を抱きしめてらあっ! 大人にはなあ、俺にはなあ、色んな事情があるんだよ! 一人じゃ、何も出来ないクソ弱ええひよっこに何が分かる!? 元のお前に戻れたからといって、好き放題言ってんじゃねえええっ!」
上乗りで流星の胸倉を掴んだレオは、怒りに任せ何度も川の中へ叩き付けた。 やがて我に返ったレオは、呼吸を荒げながら、掴んでいた手を慌てて離す。
「し、しまった! お、おい! りゅ、流星!」
手加減無しで力任せの怒りをぶつけたレオが慌てて流星の方を見て、さぞかし苦痛の表情を浮かべているだろうと思ったが、むしろその逆だ。 流星は「してやったり」という様な笑みを浮かべていた。
「レオ……聞いたか? それが君の本心だよ……あと、さっきは好き勝手言ってくれた様けど――」
「――!?」
刹那、レオの胸元で閃光が走り、視線を落としたレオの目には、神の手の魔法陣が不気味に旋回しているのが見えた。 と、同時に激しい衝撃が襲い掛かる。 レオが感情に捉われていた間、流星は冷静に神の手を装備して攻撃魔法を繰り出したのだ。
――おいおい、何だこの様は?この俺が流星にやられただと……!?。
嫌という程、宙に飛ばされたレオは、激しい痛みと共に川の中へ叩き込まれたが、直ぐに半身を起こし、纏わりついた水を首を激しく振って撒き散らす。 やがて水音が大きくなりながら近付いてくると、急にレオの前が暗くなった。 ゆっくりと顔を上げるとそこに流星が立っている。
「ね? 僕はもう、弱くはない、一人でも十分悪者をやっつけられるんだ」
「ふん……確かにな。 今のは油断していたって所の話じゃねえ。 防御した所で、結果は同じだったろうよ」
「レオ……僕は、君がこれからどうなるかなんて考えず、どうするかだと思う」
「俺が……どうするかだと?」
「レオは桃子さんを選んだ場合、その後の事を考え苦しんでいる。 それじゃあ何も変わらないし、始まらない」
「レオ……本当の君ならどうするんだい?」
「本当の……俺……」
レオを引き起こそうと、流星が手を差し伸べる。 レオは一瞬手を伸ばすも、その手を擦り抜ける様にして立ち上がった。
「流星、嘘の俺だろうが、本当の俺だろうが何れも結果は同じだ。 何も変わらねえ、俺は俺が決めた通りに従うだけだ……頼むから放っておいてくれ」
踵を返したレオは、魔法で制服を乾かす事もせず、そのまま土手を上って行く。 流星はその姿を黙って見送っていたが、やがてレオの姿が完全に見えなくなると、大きな溜息を吐いた。
「レオ……『従う』ってのは、自分が決めた事じゃないからね」
濡れた前髪を掻き上げながら流星は呆れたように苦笑した。
――あれから流星とレオは一言も会話する事無く翌日を迎える。 メリッサとレオは朝食を終えるとお世話になったと母親に感謝の言葉を伝えて、帰り支度を始めた。
「昨日まで賑やかだった家が、急に寂しくなるなんて、本当に残念」
流星の母親――美佐子がメリッサをきゅっと抱きしめる。
「ここは何時でも帰ってきていいのよ。 私、メリッサちゃんを実の娘の様に思っているんだからね」
この言葉に感激したのだろう、メリッサは少し涙目になって自分の手を美佐子の腰へ回した。
「はい……お母様、今まで大変お世話になりました。 何時かきっと再びこの家を訪れます」
「うんうん、メリッサちゃんも何時か私をご両親に紹介して頂戴ね、約束よ?」
「はい……必ず、我がく……我が家にご招待しますわ」
――今、口が滑って「国」って言おうとしたな。
暫く抱き合った後、後ろで見ていた美月と目が合う。 美月も抱擁を求める様に両手を差し出すがメリッサは右手を差し出して握手の態勢を取り、慌てて美月も左手のみに切り替えた。 どうやら美月には余り興味は無かったらしい。
――そして流星の方を見る。 無論抱擁等は無い、あるのは気まずさの空気があるだけだ。 簡単に「今まで有難う」的な社交辞令で済まされてしまった。 それもその筈、メリッサにとって流星はレオを誑かす危険事物なのだ。 出来れば一刻でも早く目の前から立ち去りたい、否、逃げ去りたいのだ。
荷物を持って玄関を出ると、そこに高級車が停車している。 スモークの窓が静かに下がると加奈が「ご機嫌様」と顔を見せた。 加奈は二人の帰還の情報を何処からともなく――恐らくは桃子。得ると、近くまで見送る事を申し出ていたのだった。 運転席から降りてきた加奈の執事――十蔵は無言のまま、流星達に深々と一礼をすると、二人の荷物をトランクに納め始める。
「お嬢様、出発の準備が整いました」
十蔵の声に加奈は黙って頷く。
「お二人共、名残惜しいでしょうが、そろそろご乗車くださいな」
その言葉に反して、メリッサがそそくさと乗り込む。 どうやら本当にこの場――流星から逃げ去りたいようだ。 その後に大柄なレオがどかっと乗り込んだ。
「あら? 貴方、私と一緒にレオ達を見送らないの?」
加奈がレオと一緒に乗り込もうとしない流星にふと気付いて声を掛ける。
「僕の役目はここまでだから」
流星は静かに首を横に振った。 加奈は不思議そうな顔を浮かべていたが、やがて「爺や、出しなさい」と、車を走らせた。 流星は車が次第に小さくなるのを見つめながら、目を細める。
「後は……どうするか、だよ……レオ」
澄み渡る青空を見上げながら、流星はポツリと呟いた。 同時刻、レオは流れていく街並みの景色をぼうっと眺めながら、ふと桃子の姿が過って慌てて掻き消す様に首を振る動作を繰り返し、メリッサはそれを訝しそうに見ている。
そして桃子は、試合会場で既に道着に着替え、周りの対戦相手に闘志を向けていた。
「レオとの約束……絶対に優勝する!!」
拳と拳を突き合わせながら桃子は、もう二度と会う事はないであろう、自分の元から去って行ったレオに向かって、力強く誓うのであった。




