第五十三話 隠された想い
レオが紗月桃子との記憶を取り戻した翌朝。 美月、メリッサと共に学校へ向かう途中、昨晩衝撃的な出来事があったにも関わらず、普段と変わりない様子でレオはメリッサ達と会話をしている。 そんなレオの姿を見た流星の心境は複雑だ。
レオ……記憶を取り戻した事を桃子さんに言えばそれで全てが丸く収まる筈なのに……そうだ、いっその事、自分がレオに変わり桃子に言ってしまえば……と、焦から生じた邪な考えが一瞬、流星の頭に過らせた。
「いや……それは駄目だ」
刹那、流星が今の自分の気持に動揺する。
「はは……じわじわと体全体を駆け巡るこの感情。 失った物が再び自分に戻った時の戸惑いは否めないな――」
ちょっと待て、それは今のレオも同じ事が言えるのでは無いだろうか? 記憶を取り戻したレオはとても嬉しかった筈だ。 だがその反面、もうすぐレオは自分の国へ帰還しなければならず、二人は離れ離れになる運命。 そんなレオが桃子に打ち明けたとしても互いに辛い思いをするのは目に見えている。 それなら、初めから何も無かった事にした方が良い――。
「……そうか、レオ。 だから君は……」
全てを察した流星が辛そうな眼差しでレオの方を見ると、レオは軽く苦笑をして返す。 そんな二人の怪しい態度を見て何かを思ったのだろう、帰還を目の前にして神経が過敏になっているメリッサ――無論、桃子とレオの関係である。 が、平静を装いながらレオに近付いた。
「……レオ様、どうかなさいました?」
腕を絡めてレオへ優しく微笑み掛ける。 ――その筈だった。 ちゃんと普段通り出来ている、心に秘めた感情等、微塵も表には出てはいない、だから大丈夫だと。 だが、実際はそうでは無かった。
メリッサの瞳の中に静かに吹き荒れるブリザードの様な冷たさをレオは瞬時に感じていたのだ。 この様な表情をするメリッサを見たのは初めてのレオであったが、本能が「これは只事では無い、非常事態である、何としても回避せよ」と警報を打ち鳴らす。
どうやら何かを探っているようだ。 心の乱れを悟られない様、レオは落ち着き払って「何でも無い」と、メリッサに掴まれていた左腕を軽く振り解いた。
「……そうですか、であれば良いのです」
鋭いな……流星は改めて女性という生き物に、猛獣の様な恐ろしさを一瞬垣間見る。 ……等と思っている傍ら、今度は流星に美月が絡んできた。
「流兄、今日は何か様子がおかしいよ? 最近色々あったから何処か調子が悪い?」
嘘だろ……自分が見せた一瞬の表情の変化を美月は見逃して居なかったというのか? というか、今までずっと自分は観察されてた? 少なくともそんな気配は美月には見て取れなかった筈だ。 流星はレオの様に上手く立ち回る事が出来ない。 「だ、大丈夫だよ」と、言葉に動揺が出てしまう。 くそ、感情が無かったら……と、理不尽な考えが自分を責め立てる。
「ふーん……本当に?」
まずい、これは完全に疑われた。 流星の脳内では、武士に扮した美月と刃の先端同士を交差させ、鈍い音を立てながら、対峙する様を映し出していた。
「美月の顔をよーく見て、もう一度言ってみて。 流兄、美月に何か隠してる事は無いよね?」
剣を上に薙ぎ払われ、不敵な笑みを見せながら斬り込んでくる。 このままでは駄目だ、何とか切り抜けないと!。 大きく後退した流星は剣を構え直した。
「いや……実は、美月が付けているヘアピンがとても似合ってるな、と思って……」
それは美月が今まで愛用している物であり、特に変化など見られる筈も無い。 しまった! 外したか!? と、流星は後悔するが、振り切った剣は、もう手元に引き戻す事は出来ない。
「流兄……ぃ!」
スローモーションの様に美月の口が開き始めた時、流星はこの後いろいろ詰問される様を想像したが、意外にも美月は、顔を綻ばせて感動した瞳で流星を見上げた。
「嬉しい……流兄! やっと思い出してくれたんだ!」
そのヘアピンは幼い頃に縁日で流星が買ってプレゼントした物であり、兄想いの美月は今日までずっと愛用していたのだった。 流星が咄嗟に出した言葉は、感情を取り戻した事によって、その思い出も一瞬にして蘇らせた。 この時、流星の脳内は振り切った流星の背後で「ぐふっ!」と、いう呻き声を上げながら剣を手放し倒れ込む美月の姿が映った。
「あ、ああ……当然だ。そんな大事な事、とっくに思い出していたよ」
嘘である。 接触不良だった豆電球の線――ヘアピンがたまたま繋がって点灯――思い出しただけの事である。 だが、その事で美月は一気に舞い上がってしまった様で、鼻歌交じりに軽いスキップを踏みながらくるくると、流星の前で楽しそうに踊り始める。 どうやら上手く誤魔化せたらしい。 流星が心の中で大きな安堵の溜息を吐いたその時だった――。
「あ、皆、お早うっ!」
背後から元気に挨拶をしてくる者は、気軽さを思わせる事から、当然自分たちと仲が良いのは言う迄も無い。 しかも女性で少し男っ気のある口調。 これに該当する者を流星は一人しか知らない。
「と、桃子さん……! やあ、お、お早うございます!」
折角、先程上手く切り抜けたと言うのに、以前の様なアンドロイドばりの動作をしながら流星は振り返り手を上げてしまう。 瞬間、メリッサと美月に皿の様な視線を突きつけられてしまった。
「ん? 何?」
桃子はそんな流星を見て不思議そうに首を傾げる。 今だ沈黙を守っているレオは桃子と顔を合わせてはいない。 やがてゆっくりとレオが桃子の方へ視線を移し始めたその時、再び厳しいメリッサの視線がレオをロックした。
「――何だ桃子か、相変わらず騒がしい奴だな」
動ぜず平然とした態度で、呆れる様に。
「う、煩い! 元気が売りなんだから仕方がないでしょ!」
「……その言葉の後に『馬鹿力』も付け加えておくのも忘れるな」
刹那、レオは静かに奥歯を噛みしめた。
「何ぃい――!?」
桃子には興味は無い、という雰囲気を巻き散らし、憎まれ口を叩き終えたレオは不機嫌そうに教室へと向かって行く。
「な、何よ! レオの奴、朝っぱらから感じの悪い!」
眉を顰めながら桃子が怒りを露わにしたその時、メリッサがゆっくりと近付いてくると、強い口調でその理由を答え始める。 無論それはレオの本心などでは無い、二人の距離を完膚なきまで突き放そうとする悪意の満ちたメリッサの心の叫びであった。
「桃子。 貴方は何を勘違いされているか分かりませんが、レオ様は元々ああいう御方なのです。 孤高にして勇敢な我が国の猛者。 そのような男が異世界で知り合っただけの女性に気軽に関わってくる事自体、あり得ない事。 その立場を良く踏まえた上で残された時間、レオ様に接してください」
踵を返したメリッサは、美しい銀髪靡かせながら早足でレオの後を追って行った。
「――っ! そんな事言われなくたって……こっちだって……分かってるよ!」
「……桃子さん」
心配そうに見つめる流星と何気に目が合った――危険を感じた流星は、直ぐに視線を外そうとしたが、金縛りの様に全く動けなかった、 桃子は憤りに任せた強い足取りで近寄ってくると、流星の脳天に向けて拳骨を食らわせた。
「――でっ!? な、何で僕!?」
「何でじゃない! お前が変な態度を取るから朝から嫌な気分にされたんだ!」
「そんな理不尽な! ちょっとばかりレオに冷たくされたからといって、僕に八つ当たりするなんて――あ!」
「ほう……いい度胸だな。 どうやらもう一発食らいたいらしいな」
「そ、それは御免被るよ!」
流星は猛ダッシュで桃子から逃げ去って行った。
「……あいつめ、何時の間に逃げ足が速くなったんだ?」
流星の背を目で追いながら「ふん!」と、桃子が鼻息を荒くし、手提げかばんを肩に担いだ時、突如心の中に何かが引っ掛かった。 それは先程レオが桃子に向かって言った憎まれ口の中にあった気がする。
「ん? レオはさっき私に何を言ったんだ? ああ、もう! メリッサの態度に苛ついたせいで、頭の中が真っ白になってしまった!」
他愛も無い朝の出来事。 皆がいる前で桃子に向かい、レオが自然に口にした言葉。 傍から聞けば只の憎まれ口にしか聞こえないだろう。 だが、その言葉の中にレオの隠された想いが含まれていたという事は、今も不機嫌そうにしている桃子が気付く筈も無かった。




