第五話 伝わらない痛み
美月が学校に向かったその少し後、支度を済ませた流星達も学校へと向かう。
『ふははは! 効果は絶大だ! 見たか流星、美月のあの動揺した顔を! いい、いいねえ!』
「……僕には良く分からないかな」
『そうだろうな。ま、それは追々分かるだろうさ……それにしても今の俺達の伝達方法じゃあ、レスポンスが悪すぎるな。もっとこう、直接お前に指示できるといいのだがな……』
「直接……僕に指示を出す?」
タブの文字に何か思いつく点があったのだろう、流星が玄関から急に方向転換した。
『お、おい、流星! 急にどうした!? 一体何処に行くってんだ?』
その足で部屋に戻った流星は、自分の机の引き出しを開け、何か小さな箱を取り出した。
『流星、何だはそれは?』
「KIKUOTO製、型式HMZ12のコードレス小型イヤホン、そのタブレットから出る音声をこのイヤホンで聞くことが出来るよ」
未開封のカバーを外し、小型イヤホンを手に取った。
『何だって? そりゃ、本当か!? 中々やるじゃないか、お前達の世界も! 良し流星、すぐにそれを付けるんだ!』
「分かった」
流星が耳に装着した小型イヤホンはぱっと見て目立つ物では無く、違和感も感じさせない。タブは早速文字を表示させていたのを止め、今度はそれを音に変換してみる。
『――聞えるか流星?』
その回答は流星が数回頷く事で理解できた。
『よっしゃあ! これで完璧だ! もう向かう所に敵なし! 何だよ、流星こんな便利な物があるなら最初から教えてくれよ!』
「タブが僕に聞かなかったから答えられない。でも、さっき僕にこれに該当する質問をしたから、答えた」
『……見事なまでの機械的な反応だな』
「あ。タブ、このイヤホンはある程度、タブと離れてしまうと、音声が途絶えるから、気を付けて」
『なるほどね。万能とは言えないんだな。前言撤回だ。まだまだだな、お前達の世界は』
流星の胸ポケットに収まったタブは、バス停に向かう中、飽きれた様に言った。流星は、いつも日課にしているトライダーのテーマソングを聞こうとしてイヤホンを耳に付けようとした時、「あ」と一声言ってからその手を止めた。
『流星、何を固まってる? まさか、お前のお気に入りの曲が聞けないって言うんじゃないだろうな? 何か、お忘れじゃあございませんか?』
その音声の後に、タブが曲を再生し始めた。
『どうだ? 便利だろ? さぁ、反撃の狼煙を上げて、一緒に歌おうじゃないか、なあ? 流星?』
「そうだね」
バスの後方の座席、乗客から異様な視線を浴びながら一人、無表情で曲を口ずさむ流星を乗せたバスはこれから戦場? となる学校へと向かうのであった。
流星の教室は何時も通り、雑談の声が飛び交い、平和そのものだった。ただ一人を除いてだが――。
「私の玩具、まだ来ないの?」
吉崎加奈――加奈が苛立ちを覚えながら教室の扉から流星が現れるのを待ち構えている。やがてそれはすぐに訪れ、その瞬間、加奈の瞳が怪しく光った。
――来た来た! その能面顔にまたこれを嫌という程浴びせてあげる!。
隠し持っていた消臭スプレーを取り出す。どうやら、前回同様に仲間の前で嫌がらせを実行するようだ。
「おはよう。『諸君』」
何時も通り、感情の無い社交辞令的な流星の言葉。普段軽く聞き流す流星の言葉の中に若干の変化が含まれていた事を誰が気付けるだろうか。その流星が自分の机に向かう途中、唯一の流星の味方でもある紗月桃子――桃子は、流星を見つめる加奈の表情を読み取ると、口元を歪めた。
「あの女……また天野川を! おい、天野川、お前いい加減――」
その時だった。その言葉を流星が「黙って」という感じで、右手で制した。その反応に桃子は思わず呆然としてしまい、そのまま流星の背中を見送ってしまう。加奈はその時がくるのを今か今かと待ち構えている。そして流星が鞄を置いて席に着いた所を見計らった加奈が、標準を定め、消臭スプレーのトリガーに手を掛けて――。
「おはよう。天野川、ところで貴方ちゃんとお風呂に入ってきた――」
嘲笑いながら、一気にトリガーを引いた――筈だった。だが、手に掛けた人差し指は空しく空を切っているだけだった。
「――あ、あれ?」
手に持っていた筈の消臭スプレーが消えている。「何故?」という表情で流星の方を向いた瞬間、自分の顔に何かの液体が襲い掛かった。
「きゃああっ!」
その奇声の場所は一瞬にして、注目を浴び、教室の中に異様な雰囲気が漂い始めた。それもその筈、今この瞬間誰もが信じられない光景を目にしているからだ。消臭スプレーを奪い取った流星が逆に加奈に思いっきり吹き付けたのだ。
「え? ええ? う、嘘でしょ?」
何が起こったのか全く受け入れる事が出来ない加奈。更に追い打ちを掛けられる。その場でフリーズした加奈の頭の上に流星が消臭スプレーを乗せたのだ。
――それだけではない。
「何時も何時も、下らない事でこの俺にちょっかいだしてんじゃねえ。それとと、俺の私物を勝手に触るんじゃねえ、馬鹿女」
「――あえ?」
無表情のまま、感情の読み取れない、流星の言葉を聞いた加奈は頭が混乱し、言葉にもならない奇声を漏らすと、香しい匂いを引き連れながらすごすごと自分の席に戻っていく。
暫くして、先生が教室にはいってくるなり「今日もいい匂いがするなあ」等と声を漏らすと、一斉に失笑が巻き起こり始めるのだが、今日に限っては、誰からもそれが出て来ない。逆に先生が「あれ?」という表情を見せる始末だ。
そして流星の予想外な行動、口から発せられた下品な言葉は、全てタブの仕業であった事を、この時誰も知る由が無かった。そもそも流星はタブに言われた事を忠実に実行したに過ぎない。これは「感情の無い」流星だからこそ出来たと言えるだろう。先程自分のした事がかなり攻撃的なものであったという事が全く分かっていないという事は、ある意味「無敵」なのかも知れない。
「やるじゃん天野川! 見ててスカッとしたよ!」
昼休憩。桃子は廊下を歩いている流星の背後から話し掛けると、満足そうに右肩をぽんぽんと叩いた。本来なら無反応で終わる一面。だが、忘れてはいけない、今流星はタブに「操作」されている事を――。
「ああ。お前は……確か紗月桃子だっけ。じゃあ桃子だな。桃子、何か俺に用か?」
無表情のまま、口から普段出てこない言葉がぽんぽん飛び出してくる流星を見て桃子は、とても不思議な感覚に見舞われた。
「お、お、お、お前! 今私に何て言った!? 今、桃子って――」
「え? そう呼ばれるのが嫌なのか?」
「い、いやいや! そっ、そういう訳じゃあ――」
「そうか。それなら、桃子も、俺の事を流星って呼んでくれよ」
「えっ!? あ、ああ、分かった、り、流星っ。い、いやーっ、て、何か照れるねえ、な、なーんてな!」
人は気になる相手の隠された一面に気付いた時、一気にひきずりこまれてしまう物。それがプラス方向であれば尚更だ。表情は変えない物の、男らしくぐいぐいリードする流星の態度は、桃子にとって正にピンポイントだった。何時も勝気な桃子が、少しだけ女らしい表情を見せながら、流星と肩を並べて歩き、時折、そーっと顔を拝む。
昔の流星であれば、只の「無表情」。だが、タブの操作する流星はこの時、「ポーカーフェイス」という都合の良い物に置き換えられていた。
「あ、そうそう忘れていた」
急に流星が足を止める。
「へっ、な、何だよ、急に!?」
つんのめる様にして桃子も慌てて止まる。
「桃子には借りがあったな。今からその借りを返すか」
「借り? そんなの――うひやあっ!?」
桃子が奇声を漏らすのも無理は無い。流星の手がしっかりと桃子の手を握っていたからだ。そのまま周囲の熱い注目を浴びながらどんどん桃子を引っ張っていく。
「ちょ、ちょっと流星、み、皆がこっち見てるてば! 手を、は、離して! 恥ずかしいいっ!」
「ほう。普段強気なお前も可愛い言葉を漏らすんだな?」
「ほ、本当にお前、流星なのかっ?」
――流星だが、この者は流星ではない。
そのまま「売店」のプレートが掲げられた部屋へと向かって行く。
「焼きそばパンのお礼しなくちゃな」
「そ、そんなの、いいからっ! 手、手を離せえ――」
顔を真っ赤にして抵抗する桃子をひきずり込む様にして、そのまま売店に入って行ってしまった。
「ね、ねえ、美月ちゃん、もしかして、い、今の、貴方のお兄さんじゃなかった?」
その瞬間を見たクラスメートが呆然としながらその方向を指差した。
「ち、違うよ……き、きっと、ひ、人違いだよ」
そう答えた美月であったが、心中は穏やかではない。
――り、流兄いいいいいっ!。
その怒りの叫びが、口から漏れない様、必死で踏み止まった美月であった。
『流星よ。お前、今日一日だけでスーパースターだぜ! やったな!』
「え? 良く分からないけど、スターより、ヒーローの方がいいかな」
『そうか、そうか。ま、何にしてもあの馬鹿女に一矢報いてやったぜ! ざまあみろってんだ!』
『それに、桃子の好感度を一気に急上昇させたしな! あいつ、中々いい女だぜ、俺は気に入った!』
意気揚々に放課後の階段を降りる流星達。もう少しで下駄箱に辿り着こうという時だった。
「おい、ちょっと待て。お前が天野川だな……」
低く、威嚇気味な口調で流星を制止する声がした。踵を返しその咆哮に目を向けると、其処に加奈と加奈の男なのだろうか、一目で「不良」のステッカーが貼られる様な男が、流星を睨みつけていた。
「朝は俺の女が随分世話になったな。ちょっと俺に面かせ」
「ちょっと、何時から私が、彰の女になったのよ?」
「何だよ? つれねえなあ加奈。まぁ、約束はちゃんと守れよ?」
「ふん。いいから、ちゃんと仇を討っておいてよね!
「ああ、任せとけって」
捨て台詞の後、加奈はその場から姿を消した。後に残った彰は大柄な体で流星に近づくと、上から睨みつける様に威圧する。
「さぁて、流星君。ちょいと屋上に行こうか?」
『――予想外のイベント勃発だな。本日の予定はこれで全て終了だってのに』
誰もいない屋上で、冷たい風が対峙している二人の間を通り過ぎた。そして今此処では、何処かの台本を読み合わせた様な出来事が起ころうとしている。彰は指を組み合わすと、自慢そうに指を鳴らし始めた。
「覚悟は出来てるんだろうな?」
『ちいっ、言葉で指示は出来ても、実戦に関しては俺は手が出せない。この状況はまずい……』
「どうした? 怖くて震えてるのか? 逃げるなら、今の内だぜ? 但し、此処から逃げれるものならな」
これまたどこかの台本に載っていそうな台詞を次々と吐き出しながら、彰が流星に近づいて来る。
「あ、何だそりゃあ?」
胸ポケットに収めていた、タブに気付いた。
「お前、良い物持ってるじゃねえか。ちょっと俺に見せてみろよ?」
そのままタブを引っこ抜く。掲げて舐める様に観察した後、彰は羨ましそうな口調で
「高そうだな。さぞかし頑丈なんだろう?」
タブを高々と持ち上げた後、力一杯地面に叩きつけた。彰が愉快そうに高笑を上げる屋上で、無残にタブが砕け散る嫌な破壊音が――。
――しない。
「あ? 何だ?」
不思議に思った彰がタブを拾い上げ、損傷を確認するも傷一つ、罅割れ一つさえしていない。
「ま、マジか!?」
再度、叩き付け、その上から力強く踏みつぶし、またそれを拾うと思いっきりコンクリートのタイルに叩きつけた。
「はぁ、はぁ、どうだこの野郎――!」
満足そうにタブを確認する彰。だがその表情には明らかに動揺が見えている。
「何だよこれ!? どこぞの時計並み、それ以上じゃねえか! 何で壊れないんだ!?」
当たり前である。タブが乗り移っているのだから、完全に防御していたのだ。
「そうかよ、機械が駄目なら、生身の人間ならどうだ!」
『――ちいっ!』
怒りに体を震わせながら、彰は流星の胸倉を掴むと思いっきり上に引き上げた。
「どうだ!? 苦しいかっ!? 素直に降ろしてくださいって泣きながら言ってみなよ!? ああっ?」
顔色は徐々に青ざめていくも、流星は何も答えない。否、答えられないのだ。
『止めろ! 流星に手を出すんじゃねえ!』
タブの声は届かない。
「こ、この野郎! 我慢してるつもりか!? 舐めやがって――!」
鳩尾に重いパンチが入る。流星は口から胃液を吐き出し、くの字になった。
「おら、泣いて詫びてみせてみろ! おら! おらあっ!」
何度も何度もパンチが入り、次第に血が入り混じった流星の唾液が、周辺に飛び散った。
『きっさまあああああああっ! 殺す! 殺してやるっ!』
冷たいコンクリートの上で自分の無力さを感じながら、タブは怒り狂った。無抵抗の流星を殴り疲れたのだろう、彰はゴミを放り投げる感じで、流星を手放した。
「お前は本当に人間か!? 薄気味悪い野郎だ! これに懲りたら、二度と加奈に歯向かうんじゃねえ! 分かったな!」
つまらなそうに唾を吐き、荒げた息を抑えながら、彰は屋上から去っていった。
『り、流星よ、い、生きてるかっ!? 俺の声が聞えるか!? おい! 流星っ!』
「……タブ。ちゃんと聞こえてるよ」
『ぶ、無事か! よ、良かったぜええっ!』
「……ところでさ、タブ、一つ聞いていいかな?」
『ああ。何だ? 流星』
「――僕、何で殴られたの?」
『――っ!』
その一言はとても重く、タブの心中を深く削り取った。
『……流星、今は気にするな。その内、きっと分かる日が来る……その時、お前は一段と強くなってる筈だ』
「強くなる……ヒーロー……トライダーみたいに?」
『ああ……それ以上に俺がしてやる。 必ずだ』
「そうか。タブの言った言葉は、何だか、雲の上で浮かんでいる感じがするな」
『ああ。それでいいんだ流星。それが正解だ』
――彰。てめえの面は覚えたぜ? 今宵貴様を地獄に引きずり込んでやる。
傷だらけになりながら、屋上を退場する流星の胸ポケットの中で、タブは沸騰したお湯の様に止め処も無く沸き上がる怒りの衝動を、怒り顔の顔文字にして、何度も何度も繰り返し表示させるのであった。