第四十四話 失なわれた光
――生徒達の恐怖に怯える声が廊下中に響き渡っている。レオ達が魔魅樹に拘束されている間、校内はブラキオの格好の餌場と化し、逃げ場を失った若き魂達は無情にも次から次へとブラキオの中に吸収されてしまった。
「やれやれ……まだまだ食い足りぬというのに、余計な邪魔をしおって……中途半端な魔力しか持てないゴミ人間共めが……」
「食事」の邪魔をされたブラキオは怒りの矛先を目の前で睨み付けているレオでは無く、栄三郎と純一郎に向けた。邪悪な魔力が一気に膨れ上がった事を瞬時に感じたレオは、後方を振り返り、二人を治癒しているメリッサに「逃げろ!」と大声で叫んだ。刹那、メリッサの背後に大きな二つの魔法陣が突如現れ、そこから無数の闇の手が伸びてくるや否や、いきなり襲い掛かった。
「――っ!?」
即座に防御魔法で闇の手を弾いたメリッサだが、一瞬の隙を突かれ栄三郎と純一郎に闇の手が伸びた。メリッサとすれ違い様に前に出た流星が二人を庇おうとするが、『「駄目だ! 天野川!」』と、二人に背後から体を強く押され、勢い余って前方に転ばされてしまう。
「なっ!? せ、先生っ!!」
『「ぐうっ!?」』
首元を掴まれ、苦しそうな声を上げながら、宙に掲げられていく二人。救出しようと踵を返駆け寄るレオだったが、突如目の前に魔法陣が現れ、闇の手が悍ましい音を立てながら伸びた。
「ちいっ!!」
間一髪、大きく体を捻り闇の手を躱したレオはその勢いで、片手片膝を付きながら廊下の上を滑る様に後退させられる。
「どうした、勇者気取りのレオよ! この者達を助けるのではないのか!? ひっひっひい!!」
急激に収縮した闇の手は、レオ達の目の前で栄三郎と純一郎を魔法陣の中に引きずり込んでいく。
「や、止めろおおおっ!」
レオが成す術も無く、意味も無い手を必死に伸ばす。頭の部分だけになった栄三郎と純一郎は、最後にそれぞれ「生徒達を……」、「……救ってやってくれ」と涙目で言い残し、魔法陣の中に飲み込まれていった。
刹那、ブラキオが喉を鳴らし「年老いた魂は、不味い」と、つまらなそうに呟くと、生身の体だけ再び魔法陣から「ぺっ」と吐き出す。魂を吸われた二人の抜け殻は抵抗する事も無く落下すると、まるで糸が切れた操り人形の様に嫌な音を立てながら廊下に崩れ落ちた。
そのまま動かなくなってしまった二人を、レオは傍に寄ると、辛そうに無言で見つめた。
「――何て酷い事を……」
ゆらり立ち上がったレオは、ブラキオに向かって「貴様は、この俺が絶対にぶっ殺してやる!」と、体を震わせながら怒りを露わにした。
「ふん、威勢だけは良いようじゃが、無駄な事じゃ。お前には何も出来ぬ、何もなぁ……!」
「神器――魔喰の力を得たからって、調子こいてんじゃねえぞ! この、くそじじい!」
レオが「魔喰」を口にした刹那、ブラキオが愉快そうな声を上げて笑い出した。
「神器? 魔喰の力じゃと? ふん! お前もこの愚か者同様、そんな物が存在していると思うたか? 馬鹿者めが! ひっひひいいっ!」
自分を指差しながら、高笑いを始めるブラキオ。
「お前達はどうせここでくたばるんじゃ。良かろう。最後に教えといてやるわい。魔喰は神器に有らず、只わしを閉じ込めていた『器』に過ぎぬ。この力は元々わしの物。本来の力を取り戻す為に、この愚か者に夢を見させてやっただけよ。ひっひっひい!」
「は? いきなり、何を言い出しやがる?」
「この愚か者はな、重要機密でもある保管庫の管理者を任されておったにも関わらず、規則を破りこのわしを取り出し触れおったのじゃ。その瞬間に夢を見させてやったんじゃよ。甘い夢をなあ」
「この魔喰の力を己の手にしたくば、異世界に住む膨大な魔力を持つ者――天野川流星の魂を手に入れよ……とな。後はこの愚か者が何も知らず、魔喰の封印を解く為の魔力を必死で掻き集めてくれた……と、いう訳じゃ」
「――な、何だと?」
「まぁ約束通り、わしの魔力をこの者に『少しばかり貸して』やったのじゃが、案の定、体がわしの魔力に耐える事が出来ず、結局自ら魂を壊しおった。なんとも、哀れな奴、ひっひっひいい」
「じゃあ何か、全てはてめえが魔喰から逃げだす為にクロノスを利用したって訳かよ?」
「その通り。じゃがな、その計画を尽く潰そうとする邪魔者が突然現れおってのう。わしが復活したついでに、その者達を始末する事にした……という事じゃ、のう、レオ」
急に鋭くなったブラキオの目がレオを捉える。
「てめえ一人の勝手な考えで、今までずっと流星の感情――魔力を奪い続け、人生を狂わせやがって……覚悟しろよ、くそじじいが!」
「――力ある者は口に出す言葉に自信が溢れて羨ましい限りじゃが、わしがこのクロノスを通じてずっとお前達を監視していた事を失念しておるのではないか? ひっひっひい!」
刹那、ブラキオの視線があらぬ方向を見つめる。
「――ひっ!?」
ブラキオは物陰から半身を覗かせ、先程からレオ達の様子を伺っていた加奈の視線に気付いていた。闇の手が容赦無く伸び、加奈を捕えて高々と掲げる。幸い桃子の存在はブラキオに気付かれていなかったが、危うく桃子も身を乗り出し気付かれそうになった。
――かっ! 加奈!?。
「ちょっと! そこの貴方! この汚い手を今直ぐ放しなさい!」
怒り口調で、加奈がブラキオに向かって言い放つ。
「おやおや……これはまた活きのいい魂じゃな……」
言葉に含みを持たせながらブラキオはレオの方を見る。
――こっ、この野郎!? 加奈の事を!?。 いや、待て! ここに加奈が居るって事は――まさか、あいつもここに!?。
レオの額から突如、冷や汗が一滴流れ落ちた。
「どうしたんじゃレオ? 急に顔色が悪くなったのはわしの気のせいかの? ――それとも――この娘が気になるのか?」
「放しなさい! 放し――て」
――分からねえ! だが、何だってんだ!? いきなり襲い掛かってくるこの嫌な気持ちは!? 俺は決してブラキオが怖いんじゃねえ! そうか、俺は、俺は――!!。
「くそがああっ!」
詠唱を唱えながら右手を広げ、ブラキオに向かって走り出した刹那、レオの視界に勢いを付け高く跳躍する桃子の姿が飛び込んだ。
――何で出てきやがった!? この馬鹿桃子おおっ!!。
「加奈っ!」
叫びながら渾身の蹴りで闇の手から加奈を取り戻すと、抱き抱えながら廊下に着地した。
「ひっひっひいいい! レオおお、燻り出て来たぞおおお、お前が『一番失いたくない者』があああ!」
――分からねえ! 分からねえ! 分からねえ! だけど! だけどよ! あいつは、あいつだけは失いたくねえ! 何だってんだ!? くそが! くそがああっ!。
レオは足が千切れ飛ぶ程に床を蹴って走った。 桃子達の頭上から襲い掛かる闇の手から救う為に。だが、その行く手を阻むかの様に、レオの目の前に闇の手が伸びてきた。
「レオ! 行って!」
慣れない防御魔法を使い、流星が盾となって闇の手を凌ぐ。 更に足を踏み込みレオは迫りくる闇の手を掻い潜り走るが、直ぐに別の闇の手が現れてレオの行く手を阻んだ。
「レオ様っ!」
今度はメリッサが盾となって闇の手を凌いだ。
――間に合え! 間に合ってくれっ!。
魔力が蓄えられ、レオの右手に雷の火花が飛び始めた。
「おおおおおおおおおっ!!」
閃光が迸り、闇の手を己の意志で操っているブラキオの懐へ飛び込む。 レオは己が持つ全ての魔力をこの一撃に賭け、床を強く踏み込んで――渾身の一撃を放った。
「消え去れ! くそ爺いいっ!」
ブラキオの肉体は激しい雷鳴と共に粉々になって壁に飛び散った。 息を荒くしながらもレオはすぐ様桃子を助けようと踵を返そうとする。
「ひっひっ、残念じゃったのう……」
ブラキオの冷たい声にレオの体が硬直した。 馬鹿な!? 確かに手応えはあった! ブラキオは間違いなく粉々に吹っ飛んだ筈だ!。 動揺しながら視線を壁に移すと壁に飛び散っていた血肉は蒸気を上げながら消え始めた。
「ざ、残像だと……!?」
「馬鹿めが、女を助けたいばかりに感情を先走らせ、こんな簡単な小細工にさえ気付かず残りの魔力を使い切るとは……」
再び姿を現したブラキオがレオを嘲るように口元を歪めながら見据え……てはいない、その眼は不気味に遠方を見ていたのだ。
どくん!
刹那、レオの鼓動が激しく乱れた。 ブラキオが何を見てほくそ笑んでいるかをレオは瞬時に理解したからだ。
「あ……ああ、あああああ! ち、畜生がああああっ!」
ブラキオに無様な背中を見せ、死に物狂いで走り出す。 苦しそうに歪めたレオの視界の先に闇の手に拘束され、既に魔法陣の中――ブラキオの中へと引きずり込まれてしまった加奈が映る。 加奈はもう間に合わない。 だが、今まさに引きずり込まれていこうとする桃子だけは――。
「行かせねえ! 絶対に桃子は俺が助ける!」
既に下半身を取り込まれてしまった桃子の腕を必死に掴むレオ。
「桃子! 諦めるんじゃねえ! 俺がすぐに引っ張り出してやる!」
「……レオ」
絶望の淵で桃子が優しくレオに微笑み掛けた。
「くっ! 止めろ! 今すぐこれを止めやがれえっ! ブラキオおおっ!」
「ひっ、ひっ、馬鹿め。 もう手遅れじゃい。 お前さんがその状態でその女を力尽くで引っ張り出そうとすれば、魂が崩壊するだけじゃぞ?」
「――なっ!!」
真っ直ぐな視線を向ける桃子にレオは、今にも崩れそうな苦笑いを作ながら声を掛ける。
「馬鹿野郎、桃子! 安心しろ! すぐに俺がお前を――お前を……!」
ずるずる、ずるずる、桃子が引きずられていく悍ましい音が響く度、レオは気が狂いそうになった。
「ま、待て! 行くな! い、行かせねえ! 桃子!」
悲痛な叫び声とは逆に腕を掴んでいた指先は既に緩んでいた。 桃子を助けたい。 今桃子を掴んでいるこの手を放したくはない。 だが、その行為は確実に桃子を死に追いやってしまう。 何も出来ない、俺はただ無情に飲み込めれていく桃子を見る事しか出来ない。
「……何だよレオ、そんな情けない顔をして」
「――!」
「お前らしくないんだよ……何、『もう駄目だ』みたいな顔してるの?」
「あ。 私、今少し思い出した。 前もこんな場面あったよね……結局、私レオの足を引っ張ってばかりだったなあ……何か、ごめんね」
ずるずる……魔法陣は無情に桃子を飲み込んでいく。
「ま……ま、待ってくれ! お、俺はお前を見ていると、何が何やら全く訳分からねえが、 此処が、この部分が酷く痛みやがるんだ!」
酷く痛む箇所――レオが胸を親指で指す。
「普通、こんな時に言うかな? はは、でもなんか……嬉しい」
「桃子――!」
「……レオ……負けないで」
――マケナイデ。
桃子が魔法陣の中に完全に取り込まれた刹那、一瞬だけあの山中で桃子が捕えられた場面がレオの脳裏を霞める。 それは完全に桃子の事を思い出すに至らない儚く透明な記憶。 だが、レオはそれが確かな記憶であると確信する。 刹那、自分の両頬に何か熱い物が伝い零れ落ちていった。
「美味いいいいいいっ!」
突如、ブラキオの奇声がレオの想いを踏みにじるかの様に割り込んだ。
「最高じゃ! 先程の魂を今ま味わった事がない程、美味じゃったあ! ひっひっひいいいい!」
ぶちん!
何処かで、伸び切ったゴム紐が千切れた音が重なって聞こえてきた。一人目はおそらくレオだ。ゆらりと立ち、ブラキオを見つめる目はもはや尋常では無い。 そして二人目は――。
「……来い!」
低い声で言い放つ流星の両腕に眩い光が渦巻き始め、それは次第に籠手となって装着される。刹那、籠手の上に魔法陣が現れたと同時に膨大な魔力がブラキオを威圧した。
「何じゃ? これは予想外じゃったか……?」
この時ブラキオは一瞬、開けてはいけないパンドラの箱を開いた感覚に襲われた。怒りを超えた二人の感情は計り知れない魔力と化し、その領域を瞬く間に支配し始め――。
『「てめえ……ぶっ殺す!」』
二人同時、同じ台詞をブラキオに向かって言い放ったのであった。




